第9話 チタミの一族
対岸へ向かう橋はなかったが、浅瀬が続いているので渡るのにそう苦労はなかった。岸へ上がると、思い出したように街道が続いてたが、より細く、頼りなくなっている。そしてその先は、そのまま森の中へ続いている。
(魔物が出るっちゅう森か)
大きな森である。樹木は高く、複雑に絡み合い、陽が地面まで落ちて来ない。確かに魔物が出てもおかしくない雰囲気を醸し出している。森の遥か向こうには、この島を横に走る山脈が見えた。
「よし、行きましょう」
意を決したように、コオローンが歩き出すと、
「俺が先に行く」
それを制してヨウダが先頭に立った。大きなナタで、ときおり道を塞ぐ枝を切り落としていく。役に立つ男である。
「おいおい、これ、迷わへんか?」
街道はやがて獣道としか言いようのないくらいに細く、荒れたものになった。
「山を目印に真っすぐ行けば良いのじゃ」
「その山が見えへんねん」
樹葉がますます生い茂り、見上げてもたまに光が射すくらいになっている。これでは仰ぎ見ても山などさっぱり見えない。
「コボルトなんぞでないだろうなっ!」
コオローンが叫んだ。まるで森の奥に潜む相手に確かめているようだ。
「ユーリク、コボルトってなんや?」
「まあ、こういう森に棲みついている魔物じゃな。見つかったら、ヤツら問答無用で襲ってきおるぞ」
「なんで、人を襲うんや?」
「縄張り意識じゃな、普段は」
「普段?」
「うむ。人が踏み込んでいかん限り、森から出てくることは稀じゃ。じゃが、魔王が人間に対して侵略を開始すれば、先兵となって村や町を襲いよる」
「ふーん」
なんと言っても俺たちは4人きりのパーティだ。ヨウダは馬鹿力だが、戦闘においては素人だ。剣道の有段者とはいえ、俺もそんなものと戦った経験はない。コオローンはすでに怯えているし、ユーリクは老人だ。出来れば魔物なんぞに出会いたくはない。
「ケッ、ケケッ!」
何かの吠え声が森の中に鳴り響いた。少なくとも俺はこんな声で吠える動物を知らない。
「むう、言ったそばから出おったようじゃの」
「ほ、ほんまか!」
背筋に冷たいものが走る。
ザザザザザザッ
何者かが茂みの中を走り回っている。
「みんな固まれっ」
俺は叫ぶと、慣れない剣を抜いた。ヨウダはナタを構え、コオローンも槍を捧げた。茂みの中から影が飛び出したかと思うと、コオローンに殺到した。
「うわあっ!」
コオローンがはびながら、槍を繰り出した。しかしそれは的を外した。
「ケッ!」
影は小さく叫ぶと、再び茂みの中に隠れた。
「あ、あれがコボルト……!」
情けない話だが俺の声は震えた。見たままを言うならナイフを持つ直立する獣である。しかし、この違和感はなんなのだ。俺の世界にも人間に危険な獣はいる。猛獣と呼ばれる、クマや狼、ライオンやトラなどである。しかし、それらとはまったく異質なものを感じた。
ガサガサッ
「また来おったぞっ!」
今度は三匹のコボルトが茂みから飛び出した。その目は憎悪に燃え、明らかに殺意を感じる。
(なるほどそうか)
俺は違和感の正体を悟った。彼らは猛獣ではない。人間にはっきりと敵対する、知能を持った異種族なのだ。
「こりゃ、殺すか、殺されるかじゃな」
ユーリクもコボルトの敵意を読み取っているらしい。その言葉に触発されたのか、ヨウダがナタを振り上げ、いきなりコボルトの群れに襲い掛かった。その行動は俺たちにさえ意外だったから、コボルトの意表をついたらしい。ヨウダのナタは一匹のコボルトの脳天を叩き割った。
「うおおっ!」
コオローンも槍を突きだしながらコボルトに突進する。コボルトがそれを避け、ナイフを振り上げたところを俺が剣で薙ぎ払った。胴体に激しい損傷を受けたコボルトは吹っ飛んで動かなくなった。
残る一匹は、少し後ずさったかと思うと、
「ケッ」
と叫んで森の中へ消えた。
「仲間を呼びに行くつもりじゃ! 何十匹と増えて戻って来るぞ」
「こんなところに長居は無用やな!」
俺たちは、擦り傷だらけになるの構わず、枝の張った獣道を駆けた。
「死にたくなかったら走れっ!」
どれくらい駆けたのか、俺たちは森の少し開けた場所に辿り着いた。
「ショ、ショウヘイさん、お、俺、もう走れませんっ」
コオローンがへたり込んだ。
「こんだけ走ったら、もう大丈夫やろ!」
俺もたまらず寝っ転がった。下草がクッションになり心地いい。
「はあっ、はあっ」
見上げると、なんだか久しぶりに青い空を見た気分になった。
「アハハ」
腹の底から愉快な気持ちが湧いてきた。命の危険から脱するとは、これほど爽快なものなのか。
「もう走れんわい」
そう言ってユーリクも腰を下ろした。その割に息切れ一つしていない。このじいさんはどんな足腰と心肺機能を持っているのだろうか。
ヨウダはナタを構え、しばらく今来た獣道を警戒していたが、やがて息をついてドスンと座った。
「ユーリク、さっき言った魔王ってヤツらのことを話してくれへんか? もうすぐ人類に対して侵攻を開始するって言ったてよな?」
俺は寝ころんだまま尋ねた。
「ふむ」
ユーリクは少し思案すると、
「魔王といってもひとくくりには出来ないのじゃ。例えば、さっきのコボルトなどを統べる魔物の王などは人里から離れた大自然を棲み処としておるが、いわば人類の生存競争の相手じゃな。それとは別に、魔界という次元の異なる世界に棲もうておる魔王がいるが、こいつらは一筋縄ではいかん。人類を支配したいという野望に燃える者もおるし、単に殺戮を好むものもおる」
「へえ、魔王にも色々おるもんやな」
「知能が高くなればなるほど、個体の差は大きくなるからのう。じゃが、そやつらがときに手を組むのじゃ」
「なるほど、その時こそ人類に対して大規模な侵攻を始めるってことか」
「その通り」
ユーリクは頷いた。
「魔王の伝説なんてのを、よくおばあちゃんが話してくれたんだけど―」
コオローンが口を挟んできた。
「―それによると、魔王軍と人間は、歴史の中で何度となく戦ってきたらしいけど、千年前にそれは大きな戦争があって、人間の数が半分以下になったって聞きます。本当なんですか?
「本当じゃ」
ユーリクはこともなげに頷いたが、本当なら、とんでもない話だ。俺とコオローンとヨウダは言葉もなく顔を見合わせた。
「今度の戦争はそれ以上の規模やも知れん」
「ちょ、ちょっと! それじゃあ、俺たちどうすればいいんですか?」
「今のところ、どうしようもないわい。それに、それがいつ起こるのか……、明日か、数年後か、それはわしにも分らん。魔王どもの気は長いでのう」
(いつ始まるか分からない魔王軍対人類の大戦争か)
いつ来るのかも分からないなら、大規模な自然災害とでも思うしかない。俺たちは、今、やれるべきことをやるだけだ。
「よし、出発しようか」
俺は立ち上がった。休憩したおかげで随分、体も楽になった。先を急ぐ旅である。それに今はひたすらこの森を早く抜けたかった。
◆
「やっとかあ!」
コオローンが叫んだ。
突如、樹木が途切れ、見渡す限りの平原が広がってった。その平原は奥に向かうにつれてせり上がり、そのまま山肌になっている。なかなかの絶景だ。
「森を抜けたらすぐ山か思ったけどなあ」
「わしも森を抜けたのは初めてじゃ。人間の目の遠近感など当てにならんもんじゃのう」
昨晩はコボルトや獣の気配に怯えながら、やむなく森の中で野宿をした。もちろん交代で見張りをたてたが、よく眠れず疲れが残っている。急に山道を登るより、なだらかな平原の方がむしろありがたい。
木の実や干し魚で腹をこしらえると、俺たちは平原を歩き始めた。足首ほどの草が生えているだけの単純な地形の中、街道は続いていく。
「あれは村じゃねえか?」
ヨウダが指さす方向に、建物らしきものが点々と見える。近づいていくにつれ、その建物は大きな円形のテントのような造りをしていることが分かった。
(まるで包「パオ」みたいやな)
俺はモンゴルの大平原に住む民族の、伝統的な家を思い出した。
「よっしゃ、行こうか」
ここから先は俺たちのうち、誰も知らない土地だ。心してかからねばならない。
「ハイヨーッ!」
馬に乗った少年が、俺たちの方へ駆けてくる。
ドドドッ
馬の足を止めた少年は、馬上から俺たちを見下ろした。
「この土地に何のようだ?」
「お、俺はハマの村のコオローン。村の長に話があって来た」
「族長はよそ者には会わない」
コオローンが名乗ったというのに、馬から降りもしない。年は14、15才くらいでなかなか精悍な顔つきをした少年だが、少々、礼を知らないようだ。
「人と話すときは、馬から降りんかい」
俺は声を荒げた。何が腹が立つって、俺のことよりコオローンが馬鹿にされるのが許せない。コオローンは一応、俺たちのリーダーなのだ。
俺に怒鳴られた少年は口を真一文字に結んだ。拗ねているようにも見える。
「繰り返して言うが、俺はハマの村の長、コオローンだ。重要な話があって来たんだ」
コオローンがもう一度繰り返すと、 少年はしぶしぶ馬から降りた。
「俺はチタミ一族のヤミーだ。チタミの族長はウオルト、俺の父だ」
そう胸を張って言った。この生意気な態度は、族長の息子であるという自尊心から来るものなのかもしれない。
「では、ウオルトのところまで案内してくれないか」
「その前に、話とはなんだ? 用も分からないのに連れて行くわけにはいかない」
(なかなかのガキやな)
コオローンがどうさばくか見ものである。まさか、少年相手に長々と用件を話すわけには行かないだろう。日が暮れてしまう。
「ヤミー、俺はこう見えても村の長だ。君は族長の息子ではあっても長ではない。用は直接話す」
「俺はハマの村など聞いたこともない。それに、あんたたちが危険な人間かどうかも分からない。簡単に会すわけにはいかない」
「な、なんだとっ! い、いや、それでは困るのだ」
(ぷっ!)
吹き出しそうになって、俺は思わず口を押えた。ヤミーのなんと強情なことだ。それに対して必死に感情を抑え、交渉するコオローン。いい勝負である。しかし「困るのだ」は、まずい。相手に弱みを見せたら、かさにかかられるし、リーダーが困ってしまったら、下の者はどうすればよいのだ? やれやれ、今度も助けがいるらしい。
「ヤミー、君の言うことはもっともや。すまなかった。俺たちは立ち去る」
「ショウヘイさん、いいんですか?」
コオローンが俺を振り返った。ヤミーは「ふんっ、ざまあみろ」というような顔をしている。
「ヤミー、君はこの後、どうするねん?」
「父のもとに行き、怪しい者を追い払ったと報告する」
「ものごとは正確に報告せなあかんな」
「どういうことだ?」
「こういうことや。『その怪しいものは、ハマの村の長と名乗り、大事な話があると言ってた、しかし話も聞かずに追っ払った』、そう報告せんとあかんな」
「え? そ、それは……」
「まあ、ええわ。お父上のウオルトって人によろしくな。あーあ、危険が近づいていると言うのになあ」
俺はそう言うと、振り返りもせず、歩き出した。ユーリクもヨウダも黙ってそれに倣う。
「コオローン、行くぞ」
「は、はい」
納得のいかない顔をしているコオローンを急き立てた。俺たちが5歩も歩かない内に、
「ま、待ってくれ」
ヤミーが追いかけてきた。
「なんや? お土産でもくれるんか?」
「い、いや、話も聞かずに追い返しては俺が父に怒られる」
「あれ? さっきと違うなぁ?」
「父に怒られる」、それが判断の材料だとすると、やはりこいつは背伸びしたい盛りのただのガキだ。
「父に尋ねてくるので、少しの間待っていてくれないか?」
「まあ、ええやろ。けどすぐに戻って来い。戻って来えへんかったら、俺らは行ってまうからな」
「わ、分かった」
ヤミーは馬にまたがると、飛ぶようにパオの集まっている方へ駆け出した。
「ショウヘイさん、さすがですね」
「アホッ! あんなガキに負けてるようじゃ、先が思いやられるぞ」
俺はコオローンの頭をコツンと殴ってやった。だが、あの少年は、次の族長としての自覚が既にあるのだろう。年少ながらも威厳めいたものが備わっている。急ごしらえのリーダーであるコオローンがそれに威圧されてしまっても仕方ないのかもしれない。
「ウオルトは会うそうだ」
ほどなく戻ってきたヤミーは、手身近に言うと、ウオルトのパオまでの道案内を買って出てくれた。
◆
(これは言うた通りの騎馬民族やな)
パオの集落の周辺には馬場が設けられており、男たちが馬の練習をしていた。柵の中には羊が飼われていて女たちが世話をしている。テレビで見たモンゴル平原の暮らしとほぼ変わらない。
「やあ、俺がチタミの族長、ウオルトだ」
ウオルトはパオの前で待ってくれていた。身長はそう高くないが、全身が引き締まっている。年は30代後半から40第前半くらいだろう。
「ハマの村の長、コオローンだ」
「遠いところから来てくれたそうだな」
俺たちはパオの中に迎え入れられた。ウオルトの他に男が三人おり、互いに一通りの挨拶を交わす。
「息子が……、ヤミーが無礼を働いたみたいだな、許してくれ」
「気にしないでくれ。子供は元気な方がいい」
ヤミーと同じレベルで言い争っていたくせに、コオローンはいい気なものだ。
「飲んでくれ、馬乳酒だ」
そして酒が振舞われた。こんなものを飲むのは初めてなのでテレビの知識に頼ることにした。こんな時は、振舞われたものを断るのは、かなりの失礼にあたるはずだ。飲んだこともないので少し気味悪かったが、俺は一気に飲み干した。癖が強い他は案外イケる味だ。
「ハマの村から来たのか。随分昔、名前だけは聞いたことがあるな。すまんが、チタミは、森の向こうとも山の向こうともロクに交流が無くてな、世間の話に疎いんだ。よかったら今、外の世界がどうなってるのか、聞かせてくれないか」
それなら話は早いと、コオローンは舌も滑らかに話し始めた。ハマの村や、ボノの村の現在の状況、明日への展望、知識のあるだけをウオルトに教えてやった。
ウオルトはいちいち首を縦に振り、頷いている。
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