第2話 野望はどこでも生えてくる

 話が通じないのだから黙って歩くほかない。歩きながら改めて村の様子を見ると、寂れているというより荒れ果てているのだということに気づいた。空き家が目立ち、壁にはところどころ穴が開き、ヒビが入っている。

 俺はニュースの紛争地域の映像を思い出していた。

(あの感じと似とる)

 老人は村のはずれの広場を通り過ぎ、さらに歩いていく。いつのまにか左右に田園風景が広がっていたが、決してのどかなものではなかった。

(めっちゃ踏み荒らされとるやんけ、ひどいもんや)

 ここは確かに戦場なのだ。

 20分も歩いただろうか。小川が目に入った。水は澄んでおり魚が泳いでいる。その川沿いにもうしばらく行くと、粗末な木造りの小屋が建っていた。

 老人がくいっとあごをしゃくる。入れと言うのだろう。小屋に入ると、老人は帽子をとり、壁に掛けた。俺はさりげなく、小屋の中を見渡した。暖炉に灰が溜まっているところを見ると、現在、老人はここで暮らしているらしい。壁の二面は本棚になっており、そこに納まりきれない本が机の上に平積みされていた。こんな辺鄙(へんぴ)な場所に住んでいる割には知識人らしい。老人は椅子に腰かけると、自らの額を指した。見知らぬじいさんと額を突き合わせるのもなんだし、理解しがたい現象だが、こうしないと会話が出来ない。

「お前さん、どこから来た?」

「日本の大阪ってとこやけど、じいさん、分かるか?」

「ニホン? オオサカ?」

 ほら、案の定分からない。

「今度は俺が聞くけど、ここはどこやねん?」

「ここか。ここはダゾン王国とヤツギ王国の国境じゃ。もっともかなりあいまいじゃがの」

 国境があいまい……やはり紛争地域なのだと思った。

「言い遅れたけど、礼を言うわ。ありがとうな。俺は久宝昌平っていうんや」

「ほう、いまさら自己紹介か。わしはユーリクじゃ」

「ユーリクか、よろしく」

「お前さんの名前はちと長い。ショウヘイと呼ばせてもらうぞ」

「ご自由に。ところでユーリク、額を合わせれば会話が出来る、これはなんや?」

「念話と言うてな、初歩の魔道じゃ」

「魔道?」

 本当にわけが分からない。そもそもダゾン王国、ヤツギ王国というのも、聞いたこともない国名だ。

(こりゃ長期戦になるわ)

 ただどこかに飛ばされたというなら、日本に帰るということを第一目標にするが、俺は剥がれ落ちた方の人間だ。そもそも戻れるのかすら分からない。まずはここで生きていくことを考えなければならない。生きていれば何かしらのチャンスが訪れるかも知れない。

「助けておいてもらってなんやけど、まず頼みがあるんやが」

「言うてみい」

「俺はほんまに途方に暮れてるねん。ここがどこだかも全くもって分らん。頼るんはあんたしかおらん」

「ふむ。よかろう、わしはただ一つの興味で持って、出来る限りのことはしてやろう」

「なんや、その興味ちゅうんは?」

「知れたことよ、お前さんが何者かということじゃ。わしにしてもお前さんの言葉の発音も、その紙っぺらみたいな服装も初めてじゃわい」

 ユーリクは一流の店で仕立てたスーツを紙っぺら扱いしてくれた。しかし好奇心の強いじいさんで助かった。

「利害の一致やな」

 俺は笑って手を差し出した。老人はきょとんとしている。なるほど握手の習慣がないらしい。

「これは握手っていうてな、俺の世界では―」

(俺の世界?)

 言ってしまってから、この表現が妙にしっくりくることに気づいた。

(まさかな)

「どうしたんじゃ?」

 ユーリクが怪訝な顔をした。

「いや、すまん。握手っちゅうのは、右手同士を握り合うんや。軽い挨拶から合意まで使える便利な習慣やねん」

 言いながら俺は老人の右手をぎゅっと握った。 


     ◆


 ばっと跳ね起きた。まだ夜である。

「ハァ、ハァ……」

 寝汗がひどく息も荒い。悪夢でも見ていたのだろうか。

「なんや、ここは?」

 どう見ても俺の部屋じゃない。天井は木造り、梁のある三角屋根だ。ああ、そうか、俺は見知らぬところに飛ばされて、ユーリクという老人の小屋にやっかいになってるんだった。そのユーリクはベッドの上で静かに寝息をたてている。俺は藁をシーツで包んだ急造のベッドを作ってもらい、毛布一枚ひっかぶって寝ていたところだ。

(美晴……!)

 突如、思い出したように胸が痛み、それをかばって手を当てた。彼女は俺の裏切りを知った時、どれだけ傷つき、どれだけ絶望するだろうか。胸にぽっかりと風穴があいてしまった気がする。胸に当てた手は、痛みをかばうというより、風穴をふさぐためかもしれない。

 ほんの少しばかりの救いは、彼女の口座に億単位の金を預けてあることである。まだ彼女はその事実を知らないが、これで金には困ることはないはずだ。それをどれだけ彼女がありがたがってくれるのか、分からないが。

 それにしても寝汗がひどく居心地が悪い。幸い小屋を出るとすぐそこは小川だ。少々冷えるが水浴びでもしよう。

 俺はユーリクを起こさぬように静かに扉を開けて外に出た。見上げると満天の星空だ。空気の汚い大阪ではこうも綺麗な夜空には出会えない。

「ほんまに綺麗やな……」

 じっと眺めていると、今の自分の境遇など嘘のように思えた。


     ◆


 次の日、ユーリクに朝飯を賄ってもらい、茶で一服してから俺は切り出した。俺は異世界から来たのだと。

「なんと! お前さん、なんでそう思った?」

「あんな綺麗な夜空、初めて見たんや」

「夜空?」

「そう。星の配置がでたらめや。というより知ってる星座が一つもあれへん。つまり俺の知ってる宇宙やない。異世界っていう言葉が適当やないなら、違う星に来たってことになるな」

「…………」

 ユーリクは口をへの字に結んでいる。無理もないこんな話、誰が信じられるかってんだ。

「信じよう」

「え?」

 俺の方が驚いた。何を根拠にこんな途方もない話を信じるつもりになったのか。

「なに、話は途方もないが、お前さんは嘘をつくような人間には見えんからのう」

 ユーリクはぎょろっと俺を覗き込んだ。

「うふっ」

「なんじゃ、何がおかしい?」

「いや、つい最近、あんたと同じような迫力で俺を睨んだじいさんがおったんや」

「ふむ?」

 俺は首を傾げるユーリクの肩に手を置いた。

「いや、信じてくれてありがとう。俺もユーリク、あんたを心の底から信じることにするわ」

「な、なんじゃ気持ち悪いのう」

 そう言いながら老人は頭を掻いた。照れているのだろう。この仕草一つで、俺はますますこの老人を信じる気持ちになった。

「いかん!」

 突如、ユーリクは声を鋭くした。目を閉じると眉間に皺を寄せ、何かに感じ入っているようだ。そして目を開けると、

「わしはちょっと行ってくる。お前さんはこの小屋で息を殺してるんじゃ」

 壁にかかった三角帽子をひょいと被るとユーリクは外へ駆け出そうとした。こうやって離れてしまうと言葉が通じないのだからやっかいだ。行動で意志を示すしかない。俺も慌ただしく立ち上がって、老人の後を追うことにした。するとユーリクは頭突きするような勢いで額を押し当ててきた。

「待ってろといったじゃろ? わしは急いじょるんじゃ!」

「いや、俺も付いて行くわ」

「ばかもん、何をしに行くか分かっとるのか?」

「分からへんから付いていくんや」

「ヤツギ王国方面から兵士が来よる。いつもより数がかなり多い。村人に逃げろと伝えにいくんじゃ」

 なるほど昨日、村に人影が無かったのはそういうわけだったのか。兵士の来襲があれば、この老人が村人に危険を知らせ、一人残らず避難させるのだろう。

「戦争に巻き込まれるかもしれん。危険が伴うんじゃ」

「いいや、俺も行く」

 俺の意志が固いことを知ると、ユーリクはため息をついた。

「勝手にせい。じゃが一つだけ言っておく。何があってもわしの傍を離れるでないぞ。そうしとれば少なくとも命の危険だけはない」

「了解」

 話が決まると俺たちは村へ向かって駆け出した。


     ◆


 村の通りを走りながら、ユーリクがなにやら大声で呼びかける。おおかた、

「ヤツギの兵が来よるぞ! みんな逃げるんじゃあ」

 そんなことを言っているのだろう。

 住民たちが家々の玄関から転げるように飛び出てきた。ユーリクに一瞥をくれると、取るものも取り敢えず通りを駆けていく。そうやっておよそ10分くらいで村を一回りした。本当に小さな村だが、全部で老若男女、およそ70~80人の避難を確認した。

「よし、わしらは見届けるとするか」

 俺たちは村はずれの広場にやってきた。見張り台なのか、催し物に使うのか、かなりの高さの櫓(やぐら)がある。俺たちは梯子をつたいそれに上ると、息を潜めた。ここからなら村全体が見渡せる。

「村人はどこへ逃がしたんや?」

「村のはずれの森の中じゃ。兵士が来るたびにそこへ逃げる手はずになっておる」

「それにしてもじいさん、なんで兵士が来るのが分かったんや?」

 ユーリクはそれには答えず、

「来おったぞ」

 と目を細めた。

 広場に目測で100人ほどの兵士が流れ込んできた。やがて散開し、しばらく村の様子を伺っていたが、村人が一人もいないのを確かめると、あろうことか松明(たいまつ)を持った兵士が、家々に火を放って回り出した。

「むうっ、ひどいことをしよる」

「ユーリク、ヤツらなんであんなことするんや?」

「ヤツギは、以前からこの村にダゾンの密偵が潜んではいまいかと疑っておったからのう……」

 これでは村人は焼け出され、帰る家が無くなってしまう。家々から黒煙が上がり始めた。火は次々と燃え移り、やがて大火災になった。炎が天高く舞い上がり、倒壊する家屋も出始めた。

「ひでえっ! これじゃ村は全焼するぞ」

「ダゾン兵じゃ!」

 ユーリクが小さく叫んだ。

 ヤツギの兵士が待機している広場に別の兵士の一団がなだれ込んできた。一瞬にして両軍入り乱れての乱戦となる。昨日聞いたのと同じだ。鉄の打ち合う音、気合、悲鳴、怒号が鳴り響いた。その度に死傷者が増えていく。初めて戦争を目にする俺は、胴が震えるのを感じた。

「ケホッ」

 俺の鼻先に煙が漂ってきた。家屋から距離のあるこの櫓のてっぺんまで煙が到達したのだ。広場も煙に巻かれ、兵士たちは戦いながら激しくせき込んでいるようだ。

「ゲホッ、ゲホッ」

「ゴホッ、ゴホッ」

 俺とユーリクは涙を流してせき込んだ。

 肺に容赦なく煙が入ってくる。

「ユーリク、燻製にされるのはまっぴらやぞ!」

 そろそろやばいかも知れない、そう思ったとき、ふいに広場からの音が止んだ。櫓から顔を突き出し眼下を見渡せば、生き残った兵士たちは煙から逃げ去り、死体となった兵士が広場にてんてんと横たわっていた。

「今じゃ!」

 俺たちは慌てて梯子を駆け下り、広場を一気に抜けて村の外に出た。

「すーはー、すーはー」

 俺とユーリクは何度も深呼吸した。ただの空気がこんなにうまいと感じたのは初めてだ。 

「森へいくぞ。村人たちが心配じゃ」

 ひとしきり呼吸を整えるとユーリクは駆けだした。

(あのじいさん足腰の足腰の強さはどうなっとるんや。杖なんかいらんやろ)

 俺はユーリクの健脚ぶりにあきれつつ、後を追った。


     ◆


 森の中で村の焼失を告げられた村民たちは、ある者はうずくまり、ある者は天を仰ぎ、そしてまたある者は声を押し殺して泣いた。中にはまだ幼い子供も、かなり老齢の者もいる。住む場所もなく、田畑は踏み荒らされ、明日の生活の心配よりも、まずどう命をつないでいくかを考えた方がいい、そういった状況だ。

 俺たちは少し離れた場所からそんな村人の集団を眺めている。

「……あの人たちは明日からどうするんだ」

「さあ……どうするかいのう」

「あんた、案外、冷たいんやな」

「これは異なことを言いよる。わしは出来る限りのことをしているつもりじゃ。これ以上、この年寄り一人に何が出来るんじゃ?」

「いいや、あんたは見た目通りのじいさんやない。なんか隠し持っとる」

「どうしてそう思う?」

「あんた、『わしの傍を離れなければ、命の危険はない』と、俺の命の保証をしたやろ? ただの老人がどうやって俺の命を救うんや? その自身の根拠はなんや?」

「むっ」

 小屋を出る際ユーリクは急ぐがあまり、つい言ってしまったのだろうが、戦火に巻き込まれた場合、普通の人間が他人の命の保証など出来るわけがない。何かしらの裏付けがあるのだ。

「お前さんには敵わんのう……。じゃがの、仮にわしに力があったとしても、これ以上、俗世のことに関われんのじゃよ」

 そう言ってユーリクは悲しそうな眼を人々に向けた。杖を持つその手が震えている。これ以上理由を聞くつもりはなかった。老人の仕草に相当の事情が見て取れたからだ。

 ―何らかの理由で事態に介入できない。その中でユーリクは精いっぱいのことをしていたのだろう。

「もとはと言えば、村民はこの倍はいたんじゃ」

「なんやと?」

「紛争に巻き込まれての、大人、子供、老人問わず多くが犠牲になった」

 俺たちのもとへ5~6人の子供たちが駆け寄ってきた。口々に何かを訴えている。ユーリクは慰めの言葉をかけて頭を撫でてやっている。大人たちとは対照的に、子供たちの目はまだ死んではいない。どこの世界でも、いつの時代でも、未来しか見据えるものを持たない子供たちこそ希望なのだろう。

 一人の少女が子供たちを迎えに来た。年の頃は14、1才5くらいだろうか。村人の例に違わず粗末な身なりだが、ショートカットが良く似合う可愛らしい娘だ。 彼女はユーリクに挨拶をすると、一番小さな子供を抱き上げ、村人の集団に帰っていった。

「あの娘はフラワというんじゃ。親を失った子供たちの世話をしとる」

「…………」

「あの娘の親も犠牲になったんじゃが、健気なもんじゃろ?」

 そういうユーリクは鼻を赤くして涙ぐんでいる。感情豊かな老人だ。

「……ユーリク、あんたがやらないなら、俺がやるわ」

「ほっ? 何をじゃ?」

「この人たちを救うんや」

「いやいや、待て待て。この世界のことをまだ何も知らんお前さんに出来ることではなかろう?」

「何かを成したいときに、いくらでもあきらめる理由は思いつく」

「ふむ?」

「人間、叶いそうにない夢をみたとき、必死で言いわけを探すんや。俺には無理や。これは仕方ないんや言うてな」

「何が言いたいんじゃ?」

「別に何も。何かを始めるときのおまじないみたいなもんや。ユーリク、あんたは俺に言葉を教えてくれ。憐れな迷い人に言葉を教えるだけなら構わんやろ? あとは黙って俺について来たらええ」

「……ふふふ」

 ユーリクは声を押し殺して笑った。

「あんた、また俺のこと面白い人間やと思たやろ?」

「こんな絶望の中で、こんな愉快な気持ちになるとはのう! ええじゃろう。お前さんについていこう。面白いものが見れそうじゃわい」

 血がふつふつと湧きち、体中に力がみなぎるのを感じている。これは野望を抱き、突っ走ってた頃の感覚と同じだ。どうやら俺はこの世界で成すべきことを見つけたらしい。 

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