第一章 国を造って王様に俺はなる!

第1話 剥がれ落ちた! 

 二者択一。


 もし「DEAD OR ALIVE」なら考えるまでもなく「ALIVE」を選択するだろうが、お題が「TO BE OR NOT TO BE」なら誰もが迷うところだ。俺、久宝昌平(くぼうしょうへい)は、今、まさに「TO BE OR NOT TO BE」の岐路に立たされている。舞台の仕掛けはこうだ。


 父は中規模の建築会社の社長だったが、あるとき順調だった会社はあっけなく潰れた。これは大人になってから分かったことだが、この倒産は単なる事業の失敗ではなく、都市開発に絡んだ利権争いに敗れた結果のことだった。


 それまで裕福な家庭で何不自由なく育てられた俺だったが、境遇は激しく変わった。生まれ育った家は差し押さえられた。不幸はそれだけにとどまらない。ほどなく両親は車ごと谷底へ落ちるという交通事故で亡くなったが、これは今でも自殺だとも事件だとも噂さされるほど腑に落ちない点が多い。しかし当時中学生だった俺には何も出来るはずがなかった。それまでなにかと交流のあった親せきは皆そっぽを向き、俺は施設に入ることになった。


 この施設での生活はそう悪いものではなかった。美晴がいたからである。


 彼女の境遇ときたら耳を両手で塞ぎたくなるようなものだった。彼女は俺と同級生だったが、それはそれはしっかりしており、施設では後輩の俺の面倒をよく見てくれた。彼女は誰彼構わず優しく、子供たちの母親のような役割を担っていた。彼女にしてみれば、それが居場所であり、存在理由であったのだろう。


 俺は美晴に面倒を見られながら、彼女を唯一の家族と捉え、中学生ながらに何があっても守っていこうと誓った。


 その逆境の中でも俺は猛勉強した。国立大学を卒業した後、二年間、外資系の企業に勤め退職、早々に起業した。ITベンチャーである。時流にも乗っていた。会社は急成長を遂げ、更に多角経営にも乗り出した。カフェや飲食のチェーン展開、エンターティメント産業、不動産、投資事業と数々の事業を成功させ、30を前にして、企業グループのトップに上り詰めた。


 その動機は単純だった。金と権力という怪物を飼いならしたかった。それは復讐であり、野望であり、達成できなければ、俺は自分に敗者のレッテルを貼らなければならなかっただろう。


 もう一つは美晴を幸せにしたいという願いだ。極貧の中で育った美晴に何不自由ない生活を提供する。それも必要以上に。俺の成功を何よりも喜んでくれる美晴、彼女の笑顔を見るためにがむしゃらに走ってきたと言って過言ではない。美晴とは来年、結婚する予定だ。


 好事魔多しという。俺はつい最近、天井にぶち当たった。世の権力構造というものには、ある程度まで大きくなれば必ずぶち当たる天井がある。その天井を越えるには通過儀礼が必要なのだ。


 即ち、天井の上の人たちのルールに従うことである。


「自らの力で這い上がる」から「地位を分け合う」になり、「自ら稼ぐ」から、「富を分配しあう」という大きなルールの改変を受け入れねばならないのだ。


 過去にこれに逆らおうとした政治家や実業家がいる。結果はよってたかって潰される憂き目にあった。ニュースを見ていれば、君もそういう人間の一人や二人、名を上げることが出来るだろう。


 ところが若く、自信家だった俺は愚かにも天井の上の人たちに牙を剥いた。今なら、金と権力という怪物と戦えると思いあがったのだ。


 大阪のある地域の再開発事業に絡んだ時のことだった。行政、政治、財界といった妖怪たちが跳梁跋扈する世界だが、俺は果敢にも戦いを挑んだ。メディアを使い再開発事業に絡んだ政治家や建築会社の不正をすっぱぬき、強引に俺の会社を事業に食い込ませた。勝利濃厚かと思われた矢先、これまで味方をしてくれていたメディアが敵に回った。俺の会社の不正ともいえない経理ミスが、さも大問題だという風に週刊誌に掲載された。政治家がこぞって俺を攻撃し始め、世論は俺の会社を悪役だと認識し始めた。銀行は金を貸さなくなり、あっというまに事業は行き詰った。これまで命がけで築いてきた全てが奪われようとしていた。


 美晴に心配をかけたくない。この時期、何かと理由をつけて俺は美晴と会うことを避けていた。このままではもちろん結婚なんて出来るはずもない。


 そのとき、思わぬところから手が差し伸ばされた。久朝 (ひさとも)グループの会長である。商社を中核企業に、銀行、建設、鉄道他、あらゆる種類の企業を傘下に収める超巨大企業グループである。家系には財界人の他、国会議員や大臣までおり、押しも押されぬ名家であり、この国の実力者である。


 その会長である老人と、俺はたいそうな屋敷で面会することになった。


「あんさんのことはよう調べさせてもろうた。たいがい、やんちゃなお人やな」


 老人は何故か好意たっぷりの目で俺を眺めた。


「けどなあ、わしはあんさんみたいな男、好きやで。わしの若いころとよう似とる。自分の力だけを頼りにのし上がってきはったんやろ?」 


 どう返事していいか判じかねていると、


「そやけどな、この先はそれではあかん。戦国時代やないんやさかい、独り占めしようなんて思たら反発くらうんは当たり前やろ?」


(そういうあんたらは貧乏人から搾取しつづけてるけどな)


 言葉を飲み込んで、老人の次の言葉を待つ。


「あんたほどの男をこんなところで終わらせるのは忍びないさかい、わしが道を作ってやる」


 好意に満ちてはいるが、俺の選択肢などない恫喝じみた迫力を感じた。


「どや。この再開発に当たっては、これだけの取り分をA社、B社とあんたとこで分けなはれ。わしが黒山先生に口を利(き)いとくさかい」


 A社、B社は談合の常連企業、黒山先生とは国会議員の黒山貞三のことだ。言っておくが、この再開発は第三セクター絡みだ。多額の税金も投入される。それなのに自由競争もくそもない、出来レースで富が分配されていくわけだ。


「これ以上ないええ条件やろ?」


 老人の目がギョロッと俺を睨んだ。


「これは本音やけど、わしはあんさんを高く買うとるんや。わしの一人息子が出来悪うてなあ。冴子、入ってきい」


 25、6才の綺麗な女が部屋に入ってきた。


「さっき言うた一人息子の一人娘や、つまりわしの孫やな」


「初めまして、久宝昌平です」


「久朝 (ひさとも)冴子です」


「困ったことにこの孫娘の方が、一人息子よりわしによう似とるんじゃ。アメリカからの留学帰りや。野心も才能もあるから釣り合う男が見つからんでのう。どや? この娘、もろうてくれんか?」


「は?」


 面食らった。だが面食らったところでそれが表に出たり、思考が停止するような俺ではない。この老人は、要するに俺に養子に入って家を継げと言っている。俺に久朝グループをプレゼントすると言っているのだ。それでも俺は表情一つ変えない。


「そういうところや!」


 老人は手を打った。


「わしの見込んだ通りや。ええ度胸しとる。あんさん、面白い男やなあ」


 老人の興奮とは裏腹に、冴子という女はこの現代離れした縁談に驚きや不満を持つ風でもなく涼しい顔をしている。


(すごい女だ)


 俺は激しくこの女に興味を持った。長身でスタイルがよく、その美貌は日本人離れしており、外国人の女優のようだ。すましているように見えて、観察するような、それでいて魅惑するような目で俺を見つめてくる。肝の据わりっぷりが尋常ではない。


 対して俺は身長185センチメートル、ジム通いで体は鍛えぬいている。顔は自分で言うのもなんだが、眉が太く鼻が高く、唇は引き締まっており、男らしい系のイケ面だ。容姿で不満を持たれることはまずない。女にはモテるが、これまで美晴以外の女には目もくれたことがなかった。


 美晴は優しさと包容力の化身のような女だった。背が低く丸顔だが、何もかも包み込むような笑顔の持ち主だった。声を荒げたこともないし、俺が苦境にあって少々、つらく当たっても黙って励ましてくれた。マジマジと美晴以外の女を、女として見たのはこれが初めてかも知れないくらいである。


「しかし冴子さんの気持ちもあるでしょう?」


「―っちゅうことは君はええんやな。 冴子、どうや、この久宝昌平君、不満か?」


「いいえ、私は久宝さんが気に入りました。結婚の話、是非、受けたいと思います」


(この女、何を考えてる?)


 しかし冴子の承諾で場が整ってしまった。後は俺次第ということになったのである。しかも断ることは老人と冴子の顔を潰すわけだから、間(あいだ)を取ってやり過ごすという選択肢はない。


     ◆


 この女を花嫁にもらい、国内有数の企業グループのトップとして君臨するのか、美晴の為に断って全てを奪われ潰されるのか。これが「TO BE OR NOT TO BE」の舞台装置である。


     ◆


「わしは君は馬鹿やないと思うとるで」


 老人が右手を差し出した。考える暇も与えてくれないのである。俺に突き付けられた命題は、この差し出された手を握るか、握らないか、まさに一つの行動に凝縮された。


(俺に美晴を見捨てることは出来へん。俺は彼女を心から愛してる。それが俺の全てや)


 俺は何の躊躇いもなく老人の手をはねのけようとした。ところが次の瞬間、俺は、俺の手が老人の手を包み込んでいるのを見た。


(な、何がどうなったんや?)


 どうやら、知らない間に俺も金と権力の怪物になっていたらしい。


(そうか、お前はそういうヤツやったかも知れへんな)


 俺は野望に満ちてのし上がってきた日々を思った。それを捨てることなど出来るはずなどなかったのである。


(美晴!)


 最愛の人の名を呼んだ。これ以上大切なものなどこの世にあるはずがないのに。何年も流すことのなかった涙がとめどなく溢れた。そしてようやく俺は異変に気付いた。俺は、老人や冴子とにこやかに話すもう一人の俺を見ていた。


(じゃあ、情けなく泣いてる俺は誰やねん?)


 ベリベリベリッ


 引きはがされるような音をはっきりと俺は聞いた。妙な浮遊感覚に捕らわれたかと思うと、俺は見知らぬ大地に立っていた。


(なんやねん、ここは?)


 ぽつぽつと並ぶ家屋に、崩れかけた土塀、舗装していない道路、一見して寂れた村だ。ただ建物は日本の建築様式ではなかった。空はどこまでも青く晴れており、風が爽やかだ。


(はははは、面白いわ)


 理解を越え過ぎた事態に、もう何もかも良くなった俺はとりあえず歩き始めた。よほど寂れているのか人影が全くない。村のはずれまで来たとき、


 ガチャガチャガチャ


 鎧を着た兵士の一団を見た。槍や剣、盾を手にしており、どう見ても現代の兵装ではない。すれ違いざま、彼らはスーツ姿の俺を怪訝そうに見たが、それどころではないらしい。足早に去っていった。


「なんやねん、あれ? チンドン屋か?」


 その兵士が去ってい方向から、声が聞こえてきた。ただの声ではない。悲鳴、雄たけび、怒号、断末魔、どれ一つとっても聞きたいとは思わない類である。


「いったいなんやねん?」


 俺は慌てて兵士たちの去った方向へ向かった。しばらく行くと、先ほど遭遇した兵士たちの死骸が転がっていた。


 重苦しい衝撃が俺を襲った。普通に生きていれば死体などそうそうお目にかかるものではない。


「どうやらシャレですまんことに巻き込まれたようやな」


 このときまではひょっとしたら夢ではないかと思わないでもなかったが、遺体の苦痛に満ちた表情や血の匂いが、これが現実であるということを激しく主張している。


 背後に気配を感じて俺は振り返った。そこには薄茶色の衣服に三角帽子、白髪に長い髭、手に杖を持った老人が立っていた。一見したところ、童話に出てくる魔法使いのような佇まいである。老人が話しかけてきたが、何を言っているかさっぱり分からない。俺は、日本語の他に、英語、フランス語、スペイン語、中国語が話せるが、そのどれとも違う。


 長身の俺は老人の言葉をよく聞き取ろうと腰を屈めた。その刹那、老人は俺に額を接してきた。


「こんなところで何をしておるんじゃ! お前さん、死にたいのか?」


 面食らった。二度目になるが、面食らったぐらいで思考停止するような俺ではない。この爺さんは日本語が話せるらしい。


 だがとりあえず直立し、もう一度ちゃんと会話しようとすると、話が通じない。老人が自らの額を指差し、何か言っている。もう分かった。額を接することによって、言葉が交わせるという仕組みなのだ。


「じいさん、聞きたいことはやまほどあるけど、とりあえず俺は死にたくはない」


「じゃあ、ついて来い。ここはほどなく本格的な戦場になるんじゃぞ」


 そう言うと、もう老人は踵を返し、スタスタと歩き始めた。思いのほか歩みが速い。俺は慌ててその後を追いかけた。

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