私は往く

 六日目の朝。


 リシュリオルは昨晩、自分が行った選択を『誤り』であったと後悔していた。きっと自分の言葉でならラフーリオンを救うことが出来ると、そう考えていた。だが、その考えは只の自惚れだった。しかも、その自惚れはラフーリオンの揺るぎない覚悟に泥を塗る結果となってしまった。


 最悪の結果は、ラフーリオンと顔を合わせる事を躊躇させ、リシュリオルは寝室を出ることが出来なくなっていた。ベッドの上でうずくまり、延々と自分の愚かさを心の中で罵っていた。


 そんな時だった。誰かが部屋の扉を叩いた。リシュリオルが言葉を発する間もなく、扉は勢いよく開かれた。部屋を訪れてきたのはシュナスェールだった。


「おはようございます。朝食の時間です」

「……おはよう、ございます」

 リシュリオルはベッドの上で蹲ったまま、精気の無い声でシュナスェールに挨拶を返した。

「どうかしたのですか?」シュナスェールが無表情で尋ねると、リシュリオルは溜め息を吐きながら答えた。

「昨日の夜、ラフーリオンに私の気持ちを伝えたんです。また一緒に旅をしたい、と。ですが、私は彼の覚悟を汚しただけで、何も変える事は出来ませんでした。私は誤った選択をしてしまいました」


 シュナスェールはしばらく、何かを考えるような仕草をした後、話し始めた。


「私が街の入り江で話した事を覚えていますか? あなたの選択は決して正解では無いかもしれませんが、誤りでもないのです。例えラフーリオンの運命を変えられなかったとしても」

 シュナスェールは続けて話す。

「彼の死が、変えられぬ運命、決められた結末だとしても、そこに向かう過程は変える事ができます。そして、その過程を変えることが出来るのは、きっとこの世界に呼ばれたあなたしかいないのです」

「ラフーリオンが死ぬまでの過程? それを変える意味があるのですか。それに、私はその過程を変える方法を知らない」

「私の役目は異界渡りの魂を安息に導く事。私があなたをここに呼んだのは、ラフーリオンが自身の安らぎの為に、私以外の誰かに看取ってもらう事を望んだからです。彼を看取る、その方法は気にしなくても良いのです。ただ、彼の元に最期までいてあげて下さい。それが、彼の安息に繋がる筈です」


 リシュリオルはシュナスェールの言葉に頷いた。もし、昨晩のラフーリオンへの非道を取り返せるのなら、少しでも彼の望みに叶う事が出来るというのなら、それに従いたかった。


「あなたがラフーリオンの魂の安息を望むのなら、今直ぐ彼の所へ行きましょう」


 そう言うと、シュナスェールは扉を開け放ちながら、部屋を出ていった。リシュリオルは彼女に続いて、ラフーリオンの元へ向かった。




 ラフーリオンは既に食卓につき、リシュリオル達が来るのを待っていた。シュナスェールは何事もないようにいつもの席に座った。それから少し遅れて、リシュリオルが気まずそうにラフーリオンの向かいの席に座った。


「では、いただきましょう」シュナスェールがそう言うと、皆が食事に手を付け始めた。


 リシュリオルは正面に座るラフーリオンと顔を合わせないように、黙々と朝食を食べていた。いざ彼を目の前にして、何を話せば良いのか分からなかったのだ。

 

 気まずそうに食事をするリシュリオルの姿を見かねたシュナスェールは、彼女の脇腹を軽く小突いた。


「ひうっ!」


 リシュリオルは驚いて、小さく悲鳴を上げた。ラフーリオンはその情けない声を聞いて、思わず吹き出してしまった。


 リシュリオルはラフーリオンの静かな笑い声を聞いて、彼の顔を睨んだ。彼は楽しそうに微笑んでいた。リシュリオルは文句の一つでも言ってやろうかと思ったが、その笑みにつられて、彼女も笑ってしまった。


「……ラフーリオン」リシュリオルが彼の名前を呼ぶ。

「なんだ?」次の言葉を待つラフーリオン。


「最初に街に行った時、私の外套を新しく作ってくれるって言ってただろ?」

「ああ、そうだったな」

「もう一つ頼みたい事があるんだ」

「なんだ?」

「ラフーリオンの裁縫の技術を学びたい」


 ラフーリオンはぽかんと口を開けていた。急にどうしたんだ、こいつは。彼の顔はそんな表情をしていた。


 リシュリオルの影から、アリゼルとレグリスが頭だけをひょっこりと出して、ラフーリオンの傍に近寄った。頭だけ出したのは、シュナスェールの目を避ける為だろう。


「彼女の力の制御は相変わらず下手くそなので、どうか教えてやってはくれませんか?」

「俺からも頼む。リシュの修繕を一度見たことがあるが、あれは中々に酷いものだ」


 ラフーリオンは精霊達の言葉を聞いて、また笑った。リシュリオルは精霊達を蹴りつけてやろうと、彼らの頭を足で追ったが、頭だけの彼らは存外に素早く、全くかすりもしなかった。


「そうだな。そんなに酷いなら、出来る限りの事は教えてやる。朝食を食べたら、早速準備に取り掛かろう」




 ラフーリオンは朝食を片付けたテーブルの上に、手持ちの裁縫道具の全てを並べ置き、その一つ一つをリシュリオルに見せながら、扱い方を説明していった。そして、異界渡りの力を使った制御方法や、手早く出来る修繕方法など、様々な難易度の技術をリシュリオルに教え込んだ。

 

 時折、牧場の仕事をしていたシュナスェールが休憩がてらに戻ってきて、ハーブティーを淹れるので、リシュリオルとラフーリオンもそれをいただき、シュナスェールと共に身体を休めた。


 リシュリオルが道具の扱い方や裁縫の技術を一通り学び終えると、ラフーリオンは言った。


「道具は全部、お前にやる」


 ラフーリオンの言葉は、この道具達が彼にとって不要な物になる事を示していた。リシュリオルは、寂しそうに道具を眺めるラフーリオンの姿を見て、何も言うことが出来なかった。


 昼過ぎには、外套の作成に取り掛かった。ラフーリオンが異常に強いこだわりを見せたので、外套の作成にはかなりの時間を要した。結局、外套が完成したのは、日が沈みきった後になってしまった。だが、新たに仕立てられた外套は、今まで衣服の中でも最高の仕上がりのように思えた。ラフーリオンもそれに同意し、自分が着たいくらいだと、笑いながら言っていた。


「なら、明日まで着ていればいいじゃないか」

「じゃあ、そのお言葉に甘える事にするかな。死装束にしては出来が良すぎる気がするが」


 リシュリオルとラフーリオンが外套を見ながら黄昏れていると、シュナスェールから夕食が出来たと言われ、朝食の時と同じ席に二人は座った。 

 

 夕食はラム肉のステーキだった。この牧場に来てから最も豪華なメニューであった。


 ラフーリオンはシュナスェールから貰った酒の最後の残りを飲み始めた。そして、すぐに酔っ払い、シュナスェールとリシュリオルの前にグラスを置き、酒を注ぎ始めた。シュナスェールは直ぐにその酒を飲み干すと、二杯目を注げと言わんばかりにグラスを掲げた。相当に強い酒の筈だが、三杯目の酒を飲み干しても、彼女の顔色は微塵も変わらなかった。


 リシュリオルは海での出来事があったので、酒を飲むのを躊躇っていたが、ラフーリオンがしつこく絡んでくるので、結局、シュナスェールが水で割ってくれたものを呑んだ。それでも、相当に強い酒であることに変わりはなく、リシュリオルは直ぐに酔ってしまった。


 酔った勢いでリシュリオルは、様々な愚痴をこぼした。恥ずかしい言葉を口にしていたような気もするが、あまりよく覚えていない。ただ、ラフーリオンはずっと楽しそうに笑っていた。シュナスェールはずっと無表情を貫いていた。


 この夜の記憶は曖昧だったが、とても楽しかった。本当に、本当に楽しかった。それだけは覚えている。

 そして、酒の瓶が空になる頃、リシュリオルの意識は薄らいでいき、いつの間にか彼女は眠りに就いてしまった。




 目が覚めると、寝室にいた。きっとシュナスェールが運んでくれたのだろう。窓から外の景色を見ると、太陽が昇り始めており、地表に薄く霧が湧いていた。ぼんやりとした、夢うつつのような光景だった。


 寝室を出ると、廊下にはシュナスェールが立っていた。まるで、リシュリオルの目覚めを待っていたかのように。リシュリオルは廊下に立つ彼女に話し掛ける。


「おはようございます。シュナスェールさん。……ラフーリオンは何処ですか?」

「おはようございます。彼なら先程、外に出ましたよ」


 シュナスェールの言葉に従い、家の外に出るリシュリオル。玄関先から辺りを見渡してみると、近くに置かれたベンチに彼は座っていた。昨日一緒に作った外套を着て。服の隙間から見える彼の身体は薄く透け、その殆どが光の粒子になろうとしていた。


 消えゆくラフーリオンの姿を呆然と見つめていると、アリゼルとレグリスが現れ、リシュリオルの背中を押した。


「どうした? 怖気づいたのか?」

「別れの言葉を言いに行きましょう」


 リシュリオルはラフーリオンの座るベンチの前まで足を進めたが、彼に声を掛けられず、立ち尽くす事しか出来なかった。そうしていると、彼女の背後に浮かんでいたアリゼルが気を利かせて、ラフーリオンに先に声を掛けた。


「おはようございます。ラフーリオンさん」

「おはよう、アリゼル」

「この度は我が宿主の言葉を聞いてもらいたく、あなたの元へ足を運びました」アリゼルはおどけたように話す。

「お前は相変わらずだな」ラフーリオンが微笑する。

「リシュ……。さあ、こっちへ」


 アリゼルに手を引かれて、ラフーリオンの目の前に立つリシュリオル。彼女は震える声で彼の名を呼んだ。


「ラフーリオン……」

「来たか、リシュ」

「もう……行くのか」

「ああ」

「……なんて言ったら良いのか……分からないよ」

「何も言わなくても良いさ。ただ少し、俺の話を聞いてくれないか」


 リシュリオルは静かに頷いた。ラフーリオンは牧場の景色を見渡しながら話し始める。


「俺はお前と出会う以前、自分の事を他人を不幸に陥れる、何者も救うことの出来ない呪われた人間だと思っていた。そして、この世界の全てが俺を絶望させる為に存在していると思っていた。……正直な所、最初にお前と出会った時も、きっと俺を苦しめる新しい呪いの一つなんだと、そう考えていた」


 リシュリオルは何も言わずに彼の話を聞き続ける。


「だが、旅を続けていく内にそれは違うと気付いた。多くの人を何らかの形で救うことが出来たからだ。お前と一緒なら、一人ではきっと救えなかった人達を、救う事ができた。そして、俺が自身に課した贖罪の旅はきっと、お前がいなければ終える事は出来なかった。お前がいたから俺は苦痛の連鎖の中から抜け出せたんだ」


 ラフーリオンの視線がリシュリオルに向いた。彼の身体の粒子化が加速する。


「この前の夜、俺を引き留めようとしてくれた事、凄く嬉しかった。だから、俺からもお前に本当の気持ちを伝えたい。…………ありがとう、リシュリオル。お前に出会えて本当に良かった……」


「私からも、最後に言わせてほしい……。ありがとう、ラフーリオン。私と出会ってくれて……。ありがとう…………」


 ラフーリオンは、最後の感謝の言葉を聞くと、リシュリオルに笑顔を向けたまま、風の中に消えていった。


 彼の着ていた衣服がベンチの上に落ちていく。


 リシュリオルはその中から彼と共に作った外套を拾い上げ、ベンチに座り込む。そして、外套を強く抱きしめながら、顔を伏せた。


「大丈夫ですか?」アリゼルが心配そうに声を掛けてくる。

「少し……一人で泣きたい」

「……分かりました」


 精霊達が影の中に消えると、リシュリオルは抱きしめた外套を涙で濡らした。




 ラフーリオンの看取りを終えると、リシュリオルはシュナスェールの元へと戻った。


 シュナスェールはソファに座って、静かにハーブティーを飲んでいた。リシュリオルの姿を見ると、彼女は何も言わずに、テーブルの上に新しいカップを置き、ハーブティーを注いだ。

 リシュリオルは彼女の置いたカップに従って、手近なソファに座った。


「ラフーリオンは、安らかに眠る事が出来ましたか?」

「はい」

「そうですか……。あなたには、深く感謝します」

「いえ、それはこちらの台詞です。シュナスェールさんは、彼の最期の瞬間に立ち会わせてくれたんですから。……本当にありがとうございます」


 リシュリオルは深々と頭を下げると、シュナスェールは頭を上げるように手の平で促した。


「リシュリオル、あなたはとても優しい心の持ち主です。きっと彼の最期を看取る事は、あなたにとっては酷な役割だった筈です。しかし、あなたはその役目をしっかりと果たしてくれた。……ですから、あなたには私から一つ、贈り物を差し上げたいと思います」


 そう言うと、シュナスェールは自身の指をパチンと弾いて、高らかな音を部屋の中に響かせた。


「今のは?」

「素晴らしき旅路への祈りです。あなたがお茶を飲み終える頃、その祈りはきっと届きます」


 リシュリオルがハーブティーを飲み干し、カップをテーブルに置いた瞬間、次の異界の扉の気配が現れた。シュナスェールはリシュリオルがその気配を感じ取った事に気付いたのか、部屋の扉の一つを開き始める。扉の先には、次の異界の景色が広がっていた。


「さあ、行きなさい。あなたはまだ次の異界へ進む事ができるのだから」

「分かりました。……シュナスェールさん、一つだけ聞かせてください。あなたは一体『何者』なんですか?」

「元はあなたと同じ異界渡りです。数千年の長き旅路を経て、この世界を創り出し、今の役割を務めています」

「まるで神様ですね」

「いいえ、私はしがない牧場主ですよ」


 シュナスェールは、ささやかだが笑っていた。リシュリオルはこの時初めて、彼女の表情が変わるのを見た。


「それでは、行ってきます。本当にお世話になりました」リシュリオルは扉の先へ足を踏み入れていく。

「お気を付けて。精霊達にも宜しくと伝えてください。彼らは私が各地に残した大切な生命ですから」


「え? 今、何て――」


 異界の扉は閉まってしまい、シュナスェールの姿は見えなくなってしまった。


 次の異界に着くなり、アリゼルとレグリスが唐突に現れて、シュナスェールが残した言葉について、談義を始めた。


「あの言葉の意味はどういうことだ!」

「精霊が彼女が残した『生命』……? 私達が感じていたものは、創造主への根源的な恐怖だったのでしょうか?」

「そんな事、俺は認めんぞ!」

「いや、ですが、しかし……」

「また会って聞けばいいじゃないか」


 狼狽える精霊達を慰めるように、リシュリオルは言った。しかし、そんな彼女の言葉に、精霊達は硬直してしまう。


「会いたいような、会いたくないような……」

「うむ……」


 硬直していた精霊達は、今度は沈黙する。シュナスェールから感じる恐怖は、知識欲にも勝るらしい。


「まあ、お前達がなんと言おうと、私は会いに行くつもりだけどな。時間はいくらでもあるんだ。……きっとまた会えるさ」


 そうだ。


 これからの旅は『再会』を求めよう。今までの旅の中で出会った人達に、また出会いにゆくのだ。


 その為には旅を続けよう。旅を続けて、いろいろな人に出会って、別れて、何かを受け継いで……。今度はそれを返す為に、また出会おう。


 人が生きていく為に必要な流れ。ラフーリオンの言葉の意味が少しずつ分かってきた気がする。私はその流れで輪を作りたい。廻り続ける輪を。人の輪を。


 だから、ラフーリオン。私は往くよ。私は旅を続けるよ。

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