第八章:悪魔の潜むビル街
ビル街の中の憩い場
これは私の心、私の記憶。砂の街から旅立ち、私達はビルが建ち並ぶ世界に訪れた。煌めく繁華街の裏側には獲物を探す黒い影がその身を潜めている。
これは私の心、私の記憶。滴る血の匂いが、彼の言葉を思い出させる。この世の中には悪魔がいるのだと。
リシュリオル達は多数のビルが建ち並ぶ異界に訪れていた。そこら中に大量の人が溢れ、皆が忙しなく街の中を行き交っている。
この世界の雑踏は、リシュリオルにとっては酷く息苦しかった。何処に行っても騒がしく落ち着ける場所が少ししか無いのだ。何処にいても聞こえてくる人の声や足音に追い詰められ、リシュリオルは常に窮屈な思いをしていた。
だが、リシュリオルはこの街の夜景だけは好きだった。夜になると綺羅びやかに輝き出す摩天楼の姿には目を見張るものがあった。
そんな世界で、とある異界渡りが殺害される事件が起きた。
異界渡りが関わる事件はグレスデイン達が請け負う仕事の範疇になる。その為、この世界にある自治組織の要請を受け、リシュリオル達は異界渡り殺しの犯人を追うことになった。
自治組織から要請を受けた際、組織が独自に調査していた犯人の情報を受け取っていた為、大まかな犯人の素性は分かっていた。
犯人の名前は『ベッツバルタ』。中年男性。髪はグレー、瞳はブルー。背が高く、痩せ型。そして、この世界で使用されている特殊な兵器を身に着けているらしい。その兵器は人間の肉体の力を最大限に発揮させる物だと、詳しい説明を受けたがリシュリオルに完全に理解できるような内容では無かった。
取り敢えず、犯人は超人的な力を持って、異界渡りを殺害し、今もこの街の何処かに潜んでいるとのことだ。
リシュリオル達はこの街の中心近くにある自然公園で情報を集めていた。この自然公園は昼間は人々の憩いの場になっているが、夜になると街頭の少なさと生い茂る木々によって、深い暗闇に包まれる。
そして、自然公園は今は殆ど使われることの無い廃ビル群とそこに住まう貧困層のスラムが隣接していた。グレスデインは犯人が逃げ回る為には、都合の良い立地であると考え、この自然公園の周辺を最初の情報収集を行う場所とした。
「リシュ、犯人はきっとこの自然公園の中にいるよ!」
「そうだといいけど」
リシュリオルはアトリラーシャと共に行動していた。他のメンバーは自然公園の外部で調査をしていた。
この仕事を請け負った時、アトリラーシャはリシュリオルに仕事のことを教えてあげたいと、グレスデインに申し出た。グレスデインはいつもより深く眉間に皺を寄せた複雑な表情で、リシュリオルへの教育をアトリラーシャに任せた。だが……。
「リシュ、そろそろ腹ごしらえをしよう! 朝はあんまり食べられなかったからね。いっぱい食べられそうだよ」
「アトリ……。仕事のこと、教えてくれるんじゃなかったのか?」
グレスデイン達と別れてから数時間が経過していたがアトリラーシャは殆ど調査らしき行動をとっておらず、リシュリオルは仕事のことなど何一つとして学んではいなかった。リシュリオルはアトリラーシャに自分の教育を任せたグレスデインの心境が知りたくなった。
「まあまあ。あそこの人集りのある方にお店があるみたいだし、そこで何か食べながら聞き込みしよう!」アトリラーシャが公園内の広場にある小さな建物を指差した。
「……分かった」
人集りの中心には、異国風の佇まいのする屋台のような構造の小屋が建っていた。その小屋からは様々な香辛料の匂いが漂っており、人々の持つ皿の上にはリシュリオルも見たことのないどろどろとした真っ赤なスープが入っていた。その真っ赤なスープを初めて見るリシュリオルには人々がそれを口にするまで、料理であるということを認識できなかった。
アトリラーシャが人混みを掻き分けて、客から皿を回収している店員らしき黒髪の若い男性に話しかけた。彼女の声を聞いて振り返ったその男性の右眼には眼帯が付いていた。
「すみません。その真っ赤な奴、食べたいんですけど」
「それなら、あっちの怖い顔のお兄さんに聞いてみてね」
眼帯の男性は店の方を指差す。その指が示した先には坊主頭の男性が小屋の前に置かれた椅子に座っていた。眼帯の男性が言う通り、彼は非常に威圧感のある強面で、額の辺りに古い傷跡が見えた。そして、彼はその強面で監視するように広場を眺めていた。
「ありがとうございます」アトリラーシャは眼帯の男性に礼を言った後、強面の男性の元へ向かった。
「すみませーん。あの真っ赤な奴、二つ下さい」
アトリラーシャの声を聞いた強面の男性は目を見開き、彼女の顔を凝視し始めた。男性の強烈な視線に狼狽えるアトリラーシャ。
強面の男性はしばらく彼女を見つめた後、おもむろに口を開いた。
「……分かりました。……すぐに用意します。少々お待ち下さい」そして、椅子から立ち上がり、そそくさと小屋の中へ入っていった。
アトリラーシャは小屋に入っていく強面の男性の姿を気味悪そうに見ていた。
「悪いね、一応あれでもしっかり接客しているつもりなんだ」
突然、二人の背後から男性が話し掛けてきた。二人は驚いた様子で勢い良く振り返る。彼女達が振り返った先には野性的な風貌の男性が立っており、爽やかな笑みを浮かべていた。
「驚かせちゃったかな? 俺はシェエンバレン。この店の……オーナーみたいなものかな。料理の大半は俺が考えているけど」シェエンバレンは大きな手のひらを二人の前に差し出した。
「ど、どうも。私はアトリラーシャです」
アトリラーシャはまだ動揺している様子で、おずおずとシェエンバレンの手を握った。リシュリオルは握手の代わりに無言で軽く一礼した。最初はシェエンバレンを警戒していたアトリラーシャだったが、彼と話を聞いていくうち、いつの間にか世間話をするほどに打ち解けていた。
リシュリオルはどうでも良さそうに二人が会話をしている光景を見つめていた。ふと、周りの客の皿に入った真っ赤なスープが目に入る。客達は『辛い、辛い』と言いながら、それでも夢中で料理を口に運び、その唇を赤く染めていた。
リシュリオルは、シェエンバレンにアトリラーシャが頼んだ赤い料理について聞いてみることにした。二人の会話が途切れたところを狙って質問する。
「あの料理はどういうものなんですか? 私は色々と世界を見て回ってきましたが、あんな真っ赤な料理は見たことがないです」
「あれは俺が元々住んでいた世界で作られている料理を、身近に取れる材料を使って真似したものさ。お客さんはみんな『辛い』って嘆くけど、本場のは舌が痺れるくらいに辛いんだぜ」
シェエンバレンは最初に見せていた爽やかな笑顔で、真っ赤な料理のことや彼の住んでいた土地の料理について話してくれた。
リシュリオルがシェエンバレンの話に聞き入っていると、アトリラーシャが彼に尋ねた。
「シェエンさん。さっき『元々住んでいた世界』って言いましたけど、……あなたはもしかして異界渡りじゃないですか?」
シェエンバレンは彼女の質問を聞いた時、一瞬だけ身体を硬直させた。しかし、すぐに口元を緩め、大きな高笑いを響かせた。
「……それだけで、よく分かったじゃないか! そうだ、君が言う通り、俺達は異界渡りだ。この店と一緒に異界を渡って、色んな世界の人に俺の住んでいた世界の料理を広めてるんだ」
「実は私達も異界渡りなんです。彼女は最近一緒に旅を始めて、今は仕事のことを私が教えているんですよ」得意気に話すアトリラーシャ。
(まだ何も教えてもらってないぞ……)
リシュリオルはアトリラーシャの間の抜けた笑顔を見ながら心の中で呟いた。
シェエンバレンは興味深そうにアトリラーシャの話に食い付いてきた。
「へぇー、それで君達はどんな仕事をしているんだい?」
アトリラーシャはシェエンバレンに近くに来るように手のひらで催促する。不思議そうな顔をするシェエンバレンがアトリラーシャの側まで近寄ると、彼女は小声で囁いた。
「そのことなんですが、シェエンさん達にも気を付けてほしいことがあるんです。……実はこの世界で異界渡りが殺害される事件が起きたんです。私達はその犯人を探している所なんですよ」
シェエンバレンの顔が引きつる。
「おいおい、勘弁してくれよ。俺達もその犯人に狙われる可能性があるってことか?」
「それは分かりませんが、注意して下さい。特に夜は気を付けて下さい。犯行は夜に行われているようなので」
アトリラーシャはシェエンバレンに警告をしていると、例の真っ赤な料理を強面の男性が運んできた。
「お待たせしました」彼は相変わらず凄まじい眼力でアトリラーシャとリシュリオルを見据えた。
シェエンバレンが強面の男性の肩に手を置く。
「お疲れ、フニカラシ。相変わらずその仏頂面はどうにもならないみたいだな」
「私は生まれた時からこの顔だ。変えようがないだろう?」強面の男性、フニカラシは表情を変えずにそう言った。
シェエンバレンはフニカラシの返答を聞き、諦めるように両手を上げた。
「そうかい。それなら、もうどうしようもないな」
アトリラーシャは彼等のやり取りを見て笑っていた。リシュリオルは出された料理を既に平らげていた。
二人が料理を食べ終え、皿を店に返そうとした時、シェエンバレンが再び話し掛けてきた。
「俺の料理は気に入ってくれたかな? もし何処か別の世界で出会ったら、また食べに来てくれ。安くするからさ」
「分かりました。またいつか何処かで!」
リシュリオル達はシェエンバレン達に別れを告げて、真面目に犯人の調査を行っているであろうグレスデイン達と合流することにした。
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