2-13 死ねない理由
瞬きを忘れた身体は硬直したまま動かない。次第に瞳が乾いていき、視界が霞む。唇は震え、顔は血色をなくし、体温が下がっていく。
ノルマンドの言葉はそれほどまでにフェンリットを蝕んでいた。
当事者からの直接的な糾弾。
それが、胸の中心に杭を打たれたかの如く響いた。
《フェンリット、フェンリット!?》
シアが必死に頭の中へと声を投げかけるが、フェンリットに応じる余裕はなかった。
今はもう地図にない『ナルの町』、そこに住んでいたノルマンドの家族、それを含めてすべてを殺し、生き残った"フェンリット"。
なにも否定できなかった。
それは変えようのない事実であり、過去であり、現実だった。
もはや誰を、どんな人を殺してしまったかすら覚えていない程に殺しつくしているフェンリットは、ノルマンドの家族が本当にいたのかなんて分からない。
それを証明する手立てなんかはない。
フェンリットを混乱させるため、ノルマンドが嘘をついている可能性もある。実は家族は生きていて、ナルの町に住んでいたわけでは無く、今も平和に暮らしている可能性だってある。
だけど。
だけど彼が向けてきた憎悪は紛れもない本物だった。
ならばきっと、フェンリットは殺してしまっている。
記憶にすら残らない方法で、無慈悲で無残な終わりを突き付けてしまっている。
そう考える方が簡単で、間違いがなかった。
「町に戻ったはずなのに、そこに町はなかった」
ノルマンドは告げる。
「瓦礫が散らばり、形を残した家なんて一つもない。人の姿なんてあるはずもなく、死体さえ形を残してるものはなかった」
「……、」
「町の住民は、俺の家族は、人ととして死ぬことすら出来なかった。まるで塵のように、無残に殺されたわけだ」
ノルマンドの言葉が容赦なくフェンリットを串刺しにする。
彼の言うことに間違いはなかった。
覚えている。すべて、完全に記憶している。
一日の内に廃墟――瓦礫の山となった一つの町。あの惨状の中に、人としての存在を保った亡骸はなかっただろう。
「俺は必死に探した。母親を、父親を、たった一人の妹を。だけど見つかるはずがない。そもそも『人』があの場所にはなかった。家族と過ごした思い出? 大切な宝物? あったはずだった。あの場所には全てがあったはずだった! それも全部、貴様のせいで失った‼」
――冒険者だったノルマンドは、いくつかの町を転々としていた。
よくて中堅だった彼は、即席で様々な冒険者とパーティを組み、依頼をこなしては実家へと仕送りをしていたのだ。
それくらい、普通の冒険者だった。
どこにでもいる、ただの冒険者だった。
そんな彼が久しぶりに帰郷しようと、竜車の席を買い、長い時間をかけて移動している途中に。
ナルの町がなくなった、という話を耳にした。
噂ではない。
実際にナルの町へ赴いた冒険者が、そこにはもう町がなかったのだと、そう話していた。
ノルマンドは走った。
既にない町へ向かう竜車は無いと言われ、ひたすらに走った。息を切らし、汗を流し、それでも家族はきっと生きていてくれるだろうと。淡い希望を胸に、既になくなったとされる故郷へと駆け抜けた。
――そして、辿り着いた彼を出迎えたのは、瓦礫の海だった。
「なあ
ノルマンドは
「英雄気取りのクソ野郎」
虫けらを見るような目で彼は告げる。
「あの町に住んでいた全ての人と、その人々に縁ある全ての人間に懺悔しながら――無様に死ね」
動き出す。
今まで活動を停止していた魔王が、その巨体で風を切ってフェンリットへと接近する。
フェンリットの反応は、著しく遅かった。
「――ッ」
伸縮自在、リーチ不定の黒鎌を避けると、その先には魔王の巨大な拳。
横殴りの一撃を、いくつかの物理障壁と肉体硬化でやり過ごす。だが衝撃は殺せるわけもなく、軽々とフェンリットの身体は吹っ飛んだ。
進行方向に聳え立つ木に激突。
「ぐっ!?」
肉体硬化はしていたためそれほどのダメージはなかったが、肺から空気が押し出されて苦痛が全身に広がる。
ノルマンドは追撃の手を止めなかった。
ふと視線を上げれば、そこには遠方から伸びてきた
無理やり身体を捻ってそれを回避する。
黒い鎌は地面に深々と突き立った。
《フェンリット!! 聞こえていますか、フェンリット!?》
シアの声がどことなく遠く聞こえてくる。
フェンリットの頭を支配していたのは、どこまでも続く空白だった。
あの男の目的は復讐だ。
最後に顔を見る事も出来ず、家族全てを失った。
その惨劇の張本人であるフェンリットを――
厳密に言えば、
その犯人を知っているノルマンドは不可解だった。
だけど彼にとって、そんなものはどうでもいい事柄なのだろう。
真偽がどうとか、どういう理由があったとか、そんなものに耳を貸す必要はない。
目の前に仇がいる。
だから殺す。
復讐する。
それだけだ。
――そして僕は、
視界を覆い尽くす、魔王の黒い巨体。
――彼に殺されても仕方がないクソ野郎で、
両手を組み、真上に掲げた魔王は、圧倒的膂力を持ってして止まったままのフェンリットを叩き潰す。
それを直前で回避したフェンリットは、視界の端でノルマンドが嗤っているのを見た。
――ここで、彼に、殺されるべきなんじゃ……
魔王の身体に穴が開く。
それは、唐突に空洞が出来たという意味ではない。
魔王を挟んだフェンリットの反対側から、
《フェンリット!!!!》
完全なる不意打ち。
魔王が再生する事を前提にした、死角からの攻撃。
直前に響いたシアの声だけを頼りに、頭部を狙ったその黒い槍を、首を傾けて回避する。
だが、完全に避けきる事は出来なかった。
ピシッ!! という音を発てて、狐の面が深々と抉れた。
《うぐッ――!?》
頭に、シアの呻き声が響く。
瞬間。
冷水をぶっ掛けられたように、フェンリットの意識は覚醒した。
「――シア!!」
焦った声でシアに呼びかけるフェンリット。ノルマンドはシアの存在を知らないため、唐突なフェンリットの言葉の意味を理解する事は出来ない。
基本的にシアが装備となっている間、その装備についた傷はシアの傷となる。それもあって、フェンリットは特に面積の広い
その事が、頭から抜けきっていた。
ノルマンドの言葉の衝撃で一杯一杯になっていた。
顔を顰めるフェンリット。
対してシアはようやく声が届いたと小さく微笑む。
そして、覚悟の籠った声でシアは言った。
《フェンリット。私の大切な人。これだけは覚えていてください》
いつも自分を助けてくれるパートナーの。
温かな感情が、冷めきっていた身体を包み込む。
《あなたが死ねば、私はその後を追います》
揺るがない意志が伝わってきた。
言葉で説得する事は叶わない、そう思わせるほど気迫の籠った声だった。
きっと彼女は、ここでフェンリットが死ねばすぐにでも自分の命を切り捨てるだろう。
自分の命を捨てるような真似をすれば、それは同時にシアをも殺す事となる。
ならば。
フェンリットが取るべき選択肢は。
――たった一つに、絞られる。
「……簡単に死ねないな、まったく」
《ええ、そうですよ。少しでも私の事が大事だと思っているのなら、お願いですから自分の命を粗末にしないでください》
「――少しじゃないよ」
そこで初めて、彼は余裕のある微笑みを浮かべた。
「少しなんかじゃ、ない」
何を馬鹿な事をしていたんだと、フェンリットは思う。
確かに自分はクソ野郎なのかもしれない。どうしようもない最低な人間なのかもしれない。
だが、今目の前にいるこの男はなんだ?
女の人を痛めつけ、人質に取り、魔王を支配し、魔物を集めて町にけしかけようとしている。いや、既に町の方では防衛戦が始まっているはずだ。
その前には、ドラゴニュートなんて強力な魔物を引きつれ、実際に町を襲撃している。あの騒動で怪我人も出た事だろう。防衛戦では、死者だって出るかもしれない。
そんな騒動を起こしているこの男は。
これから惨劇を起こそうとしているこの男は。
掛け値なく、フェンリットと同等のクソ野郎ではないか。
理由があったのかもしれない。
自分の家族を殺され、故郷を滅ぼされ、憎しみに駆られた結果、今の彼があるのかもしれない。
だがそれは、関係ない他の人を傷つけて、殺しても良い理由とはならない。
彼が殺していいのはフェンリットだけ。
仇であり、復讐対象であるフェンリットだけなのだ。
――だけど、僕はまだ死ぬわけにはいかない。
フェンリットの瞳に意思が宿る。
生気が戻る。
魔王とアマーリエのリンクを断ち、不滅の効果を無くして魔王を滅ぼす。
ノルマンドの攻撃を無効化する力に対処して、奴を倒しきる。
町へと襲い掛かる魔物達を殲滅し、人々を救う。
やるべきことは多い。
だが、やらなければならない。
復讐を否定できる身ではないけれど、それでも、誰も幸せにならない悲劇の物語を生み出さないために。
――攻略、開始だ。
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