2-12 黒き復讐のアセイラント
それはフェンリットが自分の正体を隠すために、化狐のシアにオーダーした装備だった。身体全体を覆う、しかし機動性には優れた巨大な外套。シアが狐であることが所以となった、狐のお面と尻尾。木の葉型の尻尾は、これだけで人族であるフェンリットとの関連性を断ち切る。すべては、
故に、その正体を知るのはシュトルムとシア――身内を除いて誰一人としていなかった。
だからこそ。
フェンリットが正体を曝け出したこの場所で、それを目撃した二人の驚きは相応のものだった。
「フェンリットさんが……
アマーリエは拘束された身体で木に寄りかかりながら、目を見開いて呟いた。
もしも単純に
しかし、その正体が自分と同世代の青年であったこと。そして、そんな人物とこれまで何度か会い、話し、食事を共にしたうえ、二度も助けられたという事実。それらが相まって、「信じられない」という感情が増していく。
なにせアマーリエとその仲間はてっきり、
その正体がフェンリット――人族の男性だなんて、欠片も考えはしなかった。
フェンリットの目論見はそれほどまでに上手くいっていたという訳である。
「
アマーリエに対し、ノルマンドの驚きは純粋なものではなかった。
確かに驚愕はあった。そのうえで彼の表情に浮かぶのは圧倒的な怒り、憎しみだった。
「候補者……いや
ノルマンドは怒鳴り声を上げるのと同時に、
「――ッ」
一つは正体を隠蔽すること。顔を隠し、
メラルドフォックス》だと分からなくするためのフェイクだ。
そして二つ目。
フェンリットの
感情に身を任せたノルマンドの攻撃筋は読みやすかった。フェンリットは慌てた様子も見せず、先ほどまでとは精度が段違いの身体強化を施し、斬撃を回避して距離を取る。
余裕が違う。
普段の倍ほどの効力を持つ身体強化は、しかし"シアによって強化されたもの"という訳では無い。
とある理由で普段は出せていなかったフェンリットの『全力』だ。
つまり。
彼は、紛うことなき魔術の天才だった。
「――ああ、もう面倒くさいな」
吐き捨てるように。
フェンリットは言った。
「そこの女、アマーリエさんを気に掛けて戦うのはもうやめます」
狐面の奥で、一瞬視線をアマーリエに向けてから肩をすくめる。
「別に彼女は仲間という訳でもないし、何が何でも助けたいという人でもない。たまたま知り合って、少しだけ行動を共にしただけの間柄ですから」
フェンリットの突き放すような言葉を受けて、アマーリエは呆然としていた。
無理もないだろう。少なからず今まで、自分やその仲間の二人に対し真摯な対応をしていた彼が、突然冷酷な言葉を放ったのだから。
ショックを受けるのは当然だった。
傷つくのは当然だった。
この最悪な状況で、敵に拘束されて下手すれば簡単に命が散ってしまう惨状で、最低限気にしてもらう事さえやめられる。
見捨てられる。
それはつまり死と同義であり、死そのものであった。
だが、そのうえでアマーリエは笑った。
自分自身が今、フェンリットの足枷にしかなっていないことを自覚し、申し訳なさそうに。
少しでも、フェンリットが呵責の念に苛まれないように。
「……そう、ですね。今の私は、足手まといでしかありません」
悲しげな笑みだった。
しかし、覚悟を湛えた笑みだった。
「一つだけ教えてください」
問いかけがあった。
何を聞かれるのかと考え、フェンリットは
そんなくだらないことではなかった。
「アリザとリーネは、無事ですか?」
彼女にとって、一番大切なことだった。
ああ、と。
フェンリットは息を漏らす。
彼女達は、この三人は、誰もが皆互いを想い、互いのために戦っている。仲間のために命を賭すことさえ厭わない。仲間の命が最も大事なものだと、心に決めて戦っているのだ。
彼は声に出さず、小さく頷きを返す。
アマーリエは「そうですか」と心底安心したような表情を浮かべた。
そして、告げる。
「私のことは気にせず、存分に戦ってください。その結果私が死のうと、かまいません。それでその男を倒せるなら……町を、救えるなら」
「……、」
自力で拘束を解くこともできない彼女は、フェンリットの邪魔にしかならない。たとえここで助かったとしても、町へ襲い来る魔物とまともに戦うことも出来ないだろう。
自分を犠牲にすることでフェンリットが満足に戦えるなら。
あの男を倒し、魔王を倒し、町を守れるなら。
すべてを終わらせて、本当の意味でアリザやリーネを助けられるなら。
自分の命はいらない、と。そういう言葉だった。
それがフェンリットの心を削る。
(あなたのような人が、自己犠牲なんてしてはいけない)
そもそも彼は、この状況でアマーリエを見捨てるつもりなどさらさらない。
(ごめんなさい、アマーリエさん)
辛辣な言葉を内心で謝りながら、フェンリットは冷徹な表情を崩さない。
これは、必要なことだった。
(おそらく――あの魔王はアマーリエさんとリンクしている)
類感魔術と呼ばれる術式がある。類似する同士は互いに影響しあう、という発想から生み出された術式理論。人を呪いたいとき、藁で作った人形の中に対象の髪の毛を入れ、釘を打つような儀式。これもまた類感魔術の一種である。この世界の魔術は専ら「魔物との戦闘を想定した」ものであるが故に、メジャーとは言えない代物だ。
そして、それが魔王とアマーリエを繋げている。
つまりあの魔王は、アマーリエの肉体状況に呼応して肉体を復元しているのだ。
アマーリエの頬に出来ていた真新しい傷。
それと同じものが、修復されず魔王の頬に残っているのを見て気が付いた。
フェンリットがここに駆け付けた時、魔王にもアマーリエにも頬の傷など存在しなかった。
戦いの余波でアマーリエに傷ができたから、影響されて魔王の頬にも傷が出来たのだろう。
(アマーリエさんが五体満足な限り、魔王も同様に五体満足でいられる。いくら僕が身体を吹き飛ばし焼失させても、アマーリエさんの身体さえ無事ならば再生する)
そこにはもう、瘴器というものは介在していない。魔術的な、しかし確実な延命処置が魔王には施されているのだ。
逆に、アマーリエが腕や足を欠損した場合、問答無用で魔王もそれらを失うだろう。
だがそんなことは起こりえない。
起こらないだろうと、ノルマンドは踏んでいた。
(間違いなく奴は、僕がアマーリエさんと知り合いだという事を知っている)
そんな相手をむざむざ大怪我させる――ましてや死なせるはずがない。フェンリットは精一杯アマーリエを傷つけないよう立ち回る。人質でありながら、魔王の『不滅』のコアであるアマーリエを助けるために。
だからこの魔王は永久機関。
アマーリエが死なない限り、魔王も死なない。
魔王を殺すためにはアマーリエを殺さなければならない。もしくは、術者であるノルマンドを倒し、アマーリエと魔王を結びつける術式を強制的に終了させる必要がある。
――まずは、その根幹を打ち崩す。
「貴様は……貴様は何を言っている? その女は知らない仲ではないのか?」
憎悪の表情を一層強めたノルマンドが、地獄の底を這うような声を上げた。
フェンリットはあくまで軽い調子を装う。
「ええ、そうですね。確かに僕と彼女は知り合いです。ですが別に、そこまで大切な人というわけではないので――」
言いながら悟る。
間違いなくアマーリエは、ノルマンドにとって『人質』以上の価値もある存在だったのだ、と。
そしてフェンリットがアマーリエを見捨てる、という発言をしたことにより、その価値は最底辺へと転がり落ちた。
気にかける必要がない。
だが、ここでフェンリットの選択に疑問の声を上げるということは、つまりそういうことなのだろう。
「――彼女を庇ってあなたに負けるくらいなら、僕は彼女を気に留めない」
直後、ノルマンドの威圧が度合いを増した。
人質が機能しなくなり、優勢でなくなったことから覚悟を決めたのか。
そう考えたフェンリットとは裏腹に、ノルマンドの口から出たのは問いかけの言葉だった。
「貴様はそうして、また全てを見捨てるのか」
「……なに?」
キン、と頭の奥に鋭い痛みを感じた。
ワケが、分からない、言葉だった。
「自分が生き残るために、自分以外の全てを殺して戦うのか」
ノルマンドは仇を見るかのような鋭い眼光でフェンリットを見た。
「な、にを……」
「ナルの町。自分が滅ぼした町の名を、忘れたとは言わせないぞ
ノイズが走るような頭痛がフェンリットを襲った。突然の眩暈に足元をふらつかせる。呼吸は乱れ、冷汗が浮かび上がり、立っているのさえ辛くなる。
全てを見捨てた?
自分が生き残るために、自分以外の全てを殺す?
ナルの町を滅ぼした?
ワケが分からない。
全部――
分からないのは、ノルマンドがなぜそれを知っているのかという事だった。
そして、それが
「俺の家族は貴様に殺された」
一切の冗談を抜きにして、フェンリットの心臓が止まりかけた。息が、思考が、身体の動きが止まる。
「俺は貴様を――赦さない」
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