2-4 収斂、そして出現




 男の声だった。


 フェンリットは両足に旋風を巻き付けて空中に立ちながら静かに思考する。


(奴がこの騒動の首謀者か……?)


《その可能性は非常に高いです》


 無論、簡単には説明できないことはある。


 もしこの黒ずくめが事の発端だとして、どうやってあの竜人種ドラゴニュートを町へと連れてきたのか。


 魔物を手懐けるだなんて話は聞いたことがない。


 それと似たことができるのは本来、『魔神』と『魔王』の存在だけである。


 ならばあの黒ずくめが『瘴器』によって生まれた殺人衝動の塊――魔王であるのか。


 これまで出現してきた数多くの魔王の中で、人の言葉を話す個体は確認されていない。


 そのうえ魔王特有の禍々しさを感じられないため、その線はないとみていいだろう。


《そもそもあの竜人種ドラゴニュートは……》


(考えるのは後だ)


 咄嗟に心の中で返しながら警戒態勢に移る。


 黒ずくめの男が地面を蹴り、まるで砲弾のようにフェンリットへと迫ってきたのだ。


「フェンリットさん!!」


 遠くからアマーリエの叫び声が聞こえるが、返事を返す余裕はない。ドラゴニュートの対応を任せ、目の前の敵に集中する。


 滞空戦闘はとても高度な技術である。


 今身体を浮かせているのは魔術の力で、これを常に並行演算しながら応戦しなければならないのだ。


 さすがにそれは骨が折れる。


 しかし、下に降りれば民家に大きな被害が出てしまうかもしれない。


 ましてや、今は全力で、、、、、魔術を使えない、、、、、、、状態だ。


「チッ、なんなんですかあなたは!!」


 面倒な敵が現れたことに苛立ちを見せながらも、フェンリットは攻勢に出る。


 左手の指輪にも魔力を込め、一見機械的にも見える黒と緑の籠手ガントレットを召喚。両腕に【荒風吹】シュラーク・フィストを備え、黒ずくめを迎え撃つ。


 互いに攻撃のモーション。


 そして次の瞬間、黒い鎌と緑の籠手が激突した。


 フェンリットの【荒風吹】シュラーク・フィストは超高性能な【法具】アーティファクトである。


 それに対し、黒ずくめの黒い鎌は魔術による産物。ダメージを受けることで魔術的に存在を維持できなくなれば消失するのだが――、


(なんて強度だ)


 黒鎌は僅かに輪郭を軋ませたものの、すぐに元へ戻りその存在を保っている。


 術式の精度に感嘆しつつも、フェンリットは攻撃の手を休めない。


 この手応えならば、時間の経過で競り勝つのは自分だと判断したからだ。


 フェンリットは弧を描く鎌の刃の側面を叩いて軌道を逸らし、もう一方の籠手を突き入れる。


 黒ずくめは逸れた軌道をも上手く利用し、刃とは逆の持ち手を使って身体を狙う籠手を弾き飛ばす。


 鎌といえば扱いづらさで群を抜く武器の一つだ。


 取り回しから刃の形状、懐に潜り込まれれば上手く振ることができないなど、デメリットはいくつもある。


 最大限活用してくるだろうメリットを把握し、突かれると弱いはずのデメリットを踏襲すれば、何ら問題なく倒せるはず。


 ――そのはずなのに。


(隙がない……!)


「気が付いたか?」


 黒ずくめの声を聞いたのはこれで二度目だった。


「この術式の名は【無定の大鎌】ウーア・ファルシム。定型のない、変幻自在の大鎌だ」


 そう。


 男が操る漆黒の鎌は、その形を変形させているのだ。


 棒の長さ、刃渡り、刃の厚さ、あらゆる観点において黒ずくめの意思に沿い自由自在。


 物理物質によって生み出された【法具】アーティファクト――【荒風吹】シュラーク・フィストには出来ない、魔術による産物だからこそ可能な芸当。


 術式を常駐し、そこへ形質を変化させる術式を織り込んでいるのだろう。


 簡単な話ではなかった。この黒ずくめの魔術師は、やはり相当な手練れである。


(だからどうした)


 敵の実力なんてものは関係ない。どうにかしなければいけないなら、どうにかするまでの話だ。強敵とは散々やり合ってきた。


 鎌の形質が変幻自在ならば、最初からそういうものだと前提しておけばいい。


 攻撃は隣接している間どこにでも届くものと考える。


 黒と緑の軌跡が夕焼けの世界に刻み付けられていく。その攻防には一瞬の隙もない。互いが互いの攻撃を相殺し続けている。


 フェンリットの脇腹を抉る一撃は、黒い鎌の側面によって滑らされた。


 躓いたような前傾姿勢になった横腹に、黒ずくめが鎌の柄を叩きつける。


 それを庇うよう強引に添えた【荒風吹】シュラーク・フィストが、ギィン!! という甲高い音を立てた。


 同時に、小柄な身体は衝撃を受けて弾き飛ばされる。二人の間の距離がまた広がった。


 しかし身体強化の術式に加え、風による機動補助もあるフェンリットは、攻撃の手を緩めることはなかった。


 機動力では負けていない。


 再び隣接、真正面から突き進み、並行して術式を展開。


 【荒風吹】シュラーク・フィストが淡く輝き、緑色に光る風の刃が吐き出される。


 黒ずくめの背後へと回り込むような軌道を取るが、対応するように黒ずくめも術韻を唱える。


暗域刺突ウーア・スピム


 黒ずくめの背後に黒い魔法陣が現れ、そこから黒く鋭い魔術の棘が突き出た。風の刃は同じ数の黒棘に貫かれ、存在を消していく。


「愚直な」


 なおも突き進むフェンリットに対し、黒ずくめは一言呟く。


 しかしフェンリットの表情に苦みはない。


 黒ずくめは黒い鎌を横薙ぎに構える。人一人分以上の距離が開いているが、あの黒い刃は容易くフェンリットへ届くだろう。


 そこで、フェンリットは黒ずくめがまだ知らない【荒風吹】シュラーク・フィストのギミックを作動させる。


 【荒風吹】シュラーク・フィストに込めていた術式の一つを展開。籠手の側面が開き、そこから魔術の強風がジェットのように噴き出た。


 移動とはまた別の、強引な挙動。勢いに煽られたフェンリットの身体がギュンッ!! と浮かび上がる。


 直前まで彼がいた場所に、鎌による黒い剣閃を残しながら黒ずくめは目を見開く。


 一瞬で敵の視界から外れたフェンリットは、その突風を上手く制御しバランスをとる。


 その状態から、男の側頭部へカポエラの如き蹴りを放った。


「ぐっ⁉」


 男は呻き声と同時に吹き飛び頭を抑える。フェンリットは尚も攻撃の手を緩めなかった。


切り裂き刃よフロウレイジ・吹き荒れろエスパーダ


 幾度と使ってきた術式を解き放つと、背後に無数の魔法陣が現れる。


 次の瞬間、それぞれの魔法陣から同時に風の刃が射出された。


 甲高い音を上げながら、その全てが黒ずくめへと殺到する。


(あの黒鎌は一瞬で大きな変化をつけることはできない)


 変幻自在と豪語した黒ずくめだが、それはフェンリットの認識を操るためだろう。


 ならば同時に多方から攻撃を入れれば捌くことはできないのではないか。


 しかし、黒ずくめの鎌捌きは熟練のものだった。


 身軽な動作で回避しつつ、まるで手足のように黒鎌を操り、風の刃を切り裂いて無力化。


 被害を最小限に抑えながら全ての風刃をやり過ごす。


 ――その段階で、フェンリットは次の術式を編んでいた。


 限界ギリギリ。


 今のフェンリットが出来る最大限の術式。


雷撃の大槌エル・グロム・トニトルス


 黒ずくめの男は壮絶な気配に上を見上げた。


 その直感は正しい。


 無数のカマイタチに足止めされていた男の頭上から、巨大な雷撃の槌が振り下ろされた。


 轟音が炸裂、薄暗い街中を金色に照らし、雷撃の余波が撒き散らされる。


 この際町への被害も多少は仕方がないだろう。


 とはいえ、民家への被害は少なくなるようにしてある。精々、道路の一部がおしゃかになる程度のはずだ。


「はぁ……はぁ……」


 無理な術式行使に息が乱れながらも、フェンリットは輝く雷撃から目を逸らさなかった。


《終わり……ましたか?》


「…………いいや、まだらしい」


 フェンリットは一人静かに歯噛みする。


 視線の先。そこには、雷撃の影響を一切受けていない黒ずくめの姿があった。


「――ホント、なんだっていうんですか」


 忌々しげに吐き捨てる。


 今のは間違いなく直撃したはずだ。


 あの黒ずくめの男が雷撃に飲み込まれるのを、フェンリットは自身の眼で見ていた。


【雷撃の大槌】エル・グロム・トニトルスはかなり高位の術式だ。


 また、それに加えて雷属性というのは扱いが難しい。


 魔術を使うには、人が持つ魔力のほかに必要な要素がもう一つある。


 大気中に存在する【マナ】と呼ばれる属性エネルギーだ。


 火属性の術式を使うためには【炎器】を。水属性の術式を使うためには【水器】をそれぞれ消費する。


 熱い場所、火のある場所には【炎器】が集まり、雨が降っていれば【水器】が集まる。


 そんな、自然に左右されるエネルギーの内、一番滞留量が低いもの――それが【雷器】だ。


 とはいえ、極微量でも存在すれば術式は組み立てることができる。


 だがその分、高度な術式演算能力を必要とするのだ。


 その上でフェンリットは雷属性を得意としている。今の術式も、全力とはいかないが自信はあった。


 強靭な魔抗力を持っているものに対してでも、ダメージを与えられるはずだったのだ。


 だというのに。


「どうした? もう終わりか?」

「――ッ」


 あの男にはダメージが通っていない。


 意味不明な現状に思わず歯噛みする前で、黒ずくめの男は小さく口を開く。


「それにしても……風に雷、か。まさかとは思うがお前、【緑穿】ヴェルデ候補じゃないだろうな?」


「……は?」


 唐突な言葉は、フェンリットには理解できないものだった。


 聞いたことのない単語。


 かろうじて何かの候補だというのは分かったが、何かに立候補した覚えも推薦された覚えもない。


 二年間引きこもり生活をしていたのだから当たり前だ。


「得意とする属性の他に、【麒麟スパーク】様が言っていた容姿と一致する点は多いが……だが、もしそうだったとしてこれは偶然なのか?」


 黒ずくめはフェンリットを放って独り言を続けている。


 その声は小さく、巧く聞き取れないうえに理解できない。


「ここを指名したのは、あの男が現れるのを知っていたから? ……その場合、目的が全く分からない。俺は一体どうすればいい?」


 隙だらけのようで隙のない黒ずくめに攻めあぐねているフェンリットは、視線を横へとずらす。


 その先では、竜人種ドラゴニュートと冒険者の戦いが終わろうとしていた。


「まあ、なんにせよ」


 黒ずくめは言葉を切ると、肩に担いでいた【無定の大鎌】ウーア・ファルシムを身体の側で平行に振るった。


 壮絶な切れ味を持つその鎌は、既にフェンリットの装備に無数の亀裂を入れている。


 薄っすらと血も滲んでいるが、それは黒ずくめのローブの中も同じだろう。


 沈みかけの太陽に黒鎌を輝かせ、男は不遜に言った。


「俺に殺されるようならば、きっと人違いなのだろう」


「確認で人を殺そうとするな、クソッたれ」


 普段は使わない荒れた言葉を吐き出しつつ、再び戦闘態勢へと移行する。


 辺りは既に暗い。夕焼け空は夜空へと転じようとしている。


 これでは、男が得意とする闇術式――【闇器】の独壇場。完全なアウェーである。


(さて、どうする……――ッ⁉)


 ゾクリ、という悪寒にフェンリットが視線を逸らす。


 それはちょうど、黒ずくめ、、、、が目を向けた方向と同じだった。


「――――」


 男が何かを呟く。


 それは遠くから聞こえてきたアマーリエの声に上塗りされて聞き取れなかった。


「フェンリットさん!!」


 ドラゴニュートとの戦いは完全に終わったらしい。


 半壊した噴水の上に、ドラゴニュートの血だらけの身体が横たわっている。


 じきに魔結晶マナスフィアを残して消滅するだろう。


 そして。


 その、視線を外した一瞬の隙に黒ずくめは姿を消していた。


「……、」


「どうかしましたか?」


「……いえ、あの襲撃者には逃げられてしまいました」


「そうですか……。そういえば先程、二人して同じ方向を向いていた気がしましたが、何かあったんですか?」


 アマーリエは一連の流れを見ていたらしい。


 フェンリットは居心地の悪い、座りの悪い、嫌な予感の予兆のようなものを抱きつつ、苦笑して答えた。


「――なんだか、あの山道の方から、、、、、、、、気持ち悪い感覚があったので」


 そう伝えたフェンリットの視線は、再びあの山道の方角へと向かっていた。


 襲撃者は退けた。


 ドラゴニュートも冒険者たちが討伐した。


 だが、これで全てが終わったわけじゃない。


 フェンリットは、なんとなくそんなことを思うのだった。



 

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