2-3 襲撃



 シア。


 白い化け狐。


 彼女はその身に『変身能力』を宿し、自由に"人間"と"白狐"の姿を行き来することができる。


 変身の際には彼女の体を包むように白い光を発し、それは人間フォルムの際の服装変化の場合も同様である。


 そして。

 彼女にはもう一つ、別の姿が存在した。


【風ノ衣】ヘリエスティ、ファーストオーダー」


「はい」


 路地裏に立つフェンリットの傍らで、シアが白い光を放って変身を始める。


 人型の大きなシルエットだったものは急激にサイズを縮め、やがて手の平ほどのサイズとなってフェンリットの懐へと収まった。


《この姿になるのはとても久しぶりです》


 シアの声がフェンリットの頭へと直接届く。いわゆる『念話』というものだ。このフォルムのシアとの会話手段である。


「必要ないと思う……というか、できればあってほしくはないけど、念のため」


《分かってますよ》


 言葉を交わし、フェンリットは身体強化の魔術を自身に掛ける。


 強化された脚力で、壁伝いに屋根上へと飛び上がった。


 白銀の髪を乱しながら、彼は家と家を飛び渡っていく。


 視界の端には逃げ惑う町民たちの姿。

 

 その中に紛れて反対側へと進んでいくのは冒険者か。


 ともかく、町の中はそれなりのパニックになっているらしかった。


「冒険者がすぐさま対応できないほどの魔物なのか?」


《その可能性もありますが町の中ですし、たまたま武装している冒険者が近くにいなかったと考えるのが建設的では?》


「そう考えたいのはやまやまなんだけれど」


 確かに町の中で完全武装している人は滅多にいないだろう。


 フェンリットの場合は、防御力を最低限まで捨てた機動性重視の格好ゆえに可能だが。


「そもそも【魔物払い】はどうしたんだ? 作用していないのか?」


《魔物に『町へ近付きたくない』と思わせる結界魔術ですか》


「ああ。それがあれば普通の魔物は入ってこない。それこそ――」


 ――何らかの強制力が働かない限りは。


 そこまで考えて、フェンリットは自分が嫌な想定をしていることに気が付く。


 魔物にその"強制力"を働かせることができる存在を、彼はよく知っていた。


《見えてきました!!》


 シアの声が脳裏に響き、フェンリットは意識を現実へと引き戻す。


 直後、轟!! という爆音とともに石造りの道が炸裂し、その破片が飛び散った。


 町の中央広場。


 噴水やベンチが置かれた憩いの場が、魔物によって惨劇の場へと変じていた。


 暴れまわるのは――竜。


 中でも竜人種ドラゴニュートという二足歩行で腕を扱い戦う魔物だった。


 暗い青色の鱗で全身をつつみ、鋭い爪の伸びた手に握られるのは一振りの石棒。


 踏みつける足は地面を砕くほどの力を持つ。


《フェンリット、あそこ!》


「――ッ!!」


 ウェイトレスの格好をした女の子が、逃げ遅れたのか地面に倒れていた。


 フェンリットと同じくらいの年頃だろうか。


 どうやら足を怪我しているらしい。


 動くことが出来ず、絶望の表情で空を見上げていた。


 ドラゴニュートの怒号を背景に彼女の視線を追うと、巻き上がった石畳の破片が少女へ降り注ごうとしているのに気が付いた。


 辺りには人がいない。


 数少ない冒険者たちはドラゴニュートに掛かり切り。


 そもそも少女の存在に気が付いていないのか、気が付いたうえで助ける余裕がないのか。


 はたまた――……、



 関係ない。



 誰か助ける人がいるかもしれない、なんて考えをするまでもなく、フェンリットは少女の危機を見た瞬間に動き出していた。


 民家の屋根がベゴッ! と嫌な音を立てたのが聞こえたが、人命には代えられない。


 宙を駆けながら指輪へと魔力を込め、右腕を覆う籠手ガントレット――【荒風吹】シュラーク・フィストを召喚する。


 一瞬にして少女の前に割り込んだフェンリットは、ブーツの底で地面を削るように静止した後、飛来する瓦礫へと拳を突き出した。


 砕け散る石畳の破片に目もくれず、彼は座り込む少女へと振り向く。


「あ、あの、ありが――」


「すいません、失礼します。舌を噛むので口を閉じていてください」


「きゃっ⁉」


 先に謝罪を入れてから、フェンリットは少女の膝裏と肩甲骨のあたりに腕を差し込む。


 そのまま持ち上げて抱きかかえた。


「――ッ⁉」


 いわゆる"お姫様抱っこ"をされている少女だが、声を上げる余裕もない。


 抱えた次の瞬間にフェンリットは再び跳躍していた。ドラゴニュートから離れていく方向、つまり人々が避難していった方へだ。


 彼女と同じウェイトレス姿の人たちが集まる場所を見つけて連れていく。


 どうやら意図的に置いて行かれたわけではないらしく、皆に心配されていた。


 ゆっくりと地面に下された少女は慌てて口を開く。


「あの、助けてくれてありがとうございました!」


「いえ」


 一言で礼を受け取り、フェンリットはすぐさまその場を離れた。


 ドラゴニュートの周囲には冒険者が続々と集まってきている。その中には手練れもいるはずだろう。

 

(なるべく町に被害を出さないように倒したいところだけど――)


「フェンリットさん!」


 思考を遮るように掛けられる声は聞き覚えのあるものだった。


 視線を向ければそこには、つい先ほどまで一緒だった三人組の姿。


 彼女らも騒ぎに引き寄せられてきたらしい。


「なぜ魔物が⁉」


「分かりませんが、相手はドラゴニュートです。危険なので近寄らない方がいい」


 アマーリエに言い返してから、フェンリットはドラゴニュートのもとへと走り出す。


 するとすぐ隣に気配。


 アマーリエがフェンリットと並走するようにそこにいた。


「アマーリエさん」


「リーネとアリザには逃げ遅れた住民の護衛をお願いしました。私も戦います」


「……分かりました」


 三人の中ではアマーリエが一番強い。佇まいや身のこなしを見てそれを分かっていたフェンリットは渋々了承した。


「とはいえあまり広くないこの空間で、一体の魔物に対し複数の冒険者で相手をするのは逆に危険です。誤爆に気を付けて立ち回ってください」


 アマーリエの中ではすでにフェンリットが自分よりも格上という認識ができている。素直に頷いた。


 それを横目にフェンリットは加速する。


 鱗に包まれたドラゴニュートの硬度、魔抗力はどれくらいか、諸々を確かめるために一つ。


 右手を覆う【荒風吹】シュラーク・フィストに込められた術式の一つを展開した。


 手刀の形にした指先に、高速で振動する風のブレードが出現する。


 冒険者たちの攻撃の雨の寸隙を縫い、ドラゴニュートの懐へと潜り込む。そして、羽虫が羽ばたくような鋭い音を鳴らすそのブレードを縦に振り下ろした。


 ドラゴニュートは怒鳴り声のような悲鳴を上げ、左肩から左脇腹に掛けて赤い亀裂を浮かべる。


 時間差で鮮血が噴き出るのを見て、血が掛からない位置まで退いていたフェンリットが呟いた。


「割と硬いな」


 悲鳴は怒りの咆哮へと変じ、ドラゴニュートが石棒を振るうが、挙動から軌道を見切ったフェンリットは身を捻ることで回避。


 振り向きざまにもう一撃入れようとした――その瞬間だった。


「ッ⁉」


 ゾワッと。


 背後から壮絶な殺気をたたきつけられた。


 標的をドラゴニュートから殺気の主へ反射的に逸らす。


 身体が無理のある急な挙動に悲鳴を上げるが構ってはいられなかった。


 身を守るように振るった風のブレードは、フェンリットの首を今まさに刈り取ろうとしていた漆黒の鎌と激突し、存在を軋ませた。


(まず――ッ⁉)


《フェンリット!!》


「フェンリットさんッ⁉」


 シアとアマーリエの声を聞きながら、フェンリットの身体は強大な力を受けて宙を吹っ飛んでいく。


 ドラゴニュートから、そしてアマーリエから遠ざかっていくのを感じながら、逆に迫ってくる殺気を感じてなんとか態勢を立て直す。


 ブーツの踵が地面と擦れて火花を散らすが、それだけでは静止せずに身体が再び宙を舞った。


 その機会を逃す襲撃者ではなかった。


 黒い鎌が視界の端で切っ先を光らせる。


「うっ、ぐォォォおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおお!!!!!!」


 フェンリットは怒鳴り声をあげながら、真下に向けて強い旋風を巻き起こした。


 圧倒的な浮力が彼の小柄な体躯を空へと浮かばせる。


 首を狩る死神の鎌は不発に終わった。


 空を切る黒い軌跡を目で追い、フェンリットは自分の身体に風をまとわりつかせる。それをうまく利用し空中に立ち、真下を見下ろした。


 襲撃者は真っ黒なフーデッドローブを羽織っていた。


 黒ただ一色。


 夕闇とフードがその顔を隠し、素性は読み取れない。


 手に握られた黒い鎌は、黒ずくめの身長ほどの長さがあった。


 二年の隠居生活に気が緩んでいたのか、唐突な出来事に最適な対処が出来なかった。


 それを抜きにしても、あの襲撃者は相当な手練れだろう。


 フェンリットが不意打ちで後れを取るのもおかしくはない。


 いったい何者なのか。


 このタイミングで襲ってくるのは何故なのか。


 まるで、倒されそうになるドラゴニュートをかばうように横やりを入れてきた、この黒ずくめの目的とは何なのか。


「あなたは、何者だ」


 問いかけに、返ってきたのは簡潔な一言。


「――答える筋合いはない」




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