2-5 悪感の正体
ドラゴニュートとの戦闘による民家への被害はそれほど大きくなかった。
フェンリットはすぐさま離脱したが、残った冒険者たちが上手く応戦したらしい。
その冒険者たちは現在、フェンリットも含めて半壊した広場に集合している。
中にはドラゴニュート戦で活躍したらしいアマーリエや、町民を逃がすのに奮闘したアリザ、リーネの姿もある。
広場中央にあった噴水は半壊。石のタイルには水溜りができてしまい、噴水だったものは根元から砕けて頼りない水流を吐き出している。
人的被害はほとんどなく、建物も建築術式を使えばすぐに再建できる――が、人々の心に傷を負わせたという意味では大きな事態だった。
そもそも町に魔物が入ってくる、という経験をしたことがなかったからだろう。今回の件による混乱、恐怖は相応のものだった。
今は町長が【魔物払い】の結界の動作を確かめている。
その間冒険者たちは、規約とギルドの指令により、半壊した広場の簡単な後片付け中という訳だった。
「フェンリットさん」
声と同時に近づいてくるのはアマーリエだった。装備に真新しい傷がいくつか見える。ドラゴニュートは魔物の中でも強い部類に入るため、大勢で囲んでも全員が無傷、という訳にはいかなかったようだ。
「アマーリエさんは大丈夫でしたか?」
「はい、私は特に問題ありません。一人、ずば抜けて強い冒険者もいたので」
「へえ」
興味を引き付けるワードに、フェンリットは辺りを見渡す。しかし、それらしき人影は見つけられなかった。
アマーリエがフェンリットの様子に気が付いて捕捉する。
「ここにはもういないようです。帰ってしまったのでしょうか」
「なるほど……残念です」
武を磨くものとしては、強者の存在は気になるものだった。一目見て何かを盗みたいと思うのは冒険者の性である。
「それよりも、フェンリットさんのほうが厳しい戦いだったようですが……」
アマーリエに余所見をする余裕があったことに感心しながら、フェンリットは応じる。
「ええ、少し苦戦しました」
「そんなに強い相手だったのですか」
「魔術師としての各は相当高いでしょう。そのうえ、初見の術式だったり何故か攻撃が当たらなかったりと大変でした」
力があれば人が争ってしまうのは仕方がないことだが、それが主な目的ではない。人同士で本気の殺し合いをする、なんて経験は普通ならそうそう起きないことだ。
フェンリット自身、どちらかといえば対魔物を意識して幼いころから鍛錬してきた。
とはいえ、次にやり合うことになったらもう少しうまく立ち回れる。それは確実だった。
「攻撃が当たらない……そういえばフェンリットさん、あの雷の術式はやはりあなたのものだったんですね」
アマーリエが顎に人差し指を当てて言った。アマーリエの知的クールな相貌に、その考える仕草はとても似合っている。
返事も忘れて彼女を眺めていれば、話を聞きつけたアリザとリーネが寄ってくる。
「あの魔術、やっぱりフェンリットくんだったんだ! 雨の日でもないのに雷術式を使えるなんて凄すぎない⁉」
「あたしは魔術はあんまりだけど、雷術式って難しいんでしょ?」
「うんうん、それこそ今日みたいに普通の天気の時にはね! 属性魔術を使うためには必ず
とはいえ、
魔術師のほとんどは
詳しい滞留情報が分かるのは、
「へえー。要するに、またフェンリットが凄いって話?」
「うん。神鳴り、なんていうくらいだしね。私なんて凄く天気が悪くて雷が落ちてるような日とかじゃないと使える気がしないよ」
「リーネ、そんな日に外で魔術を使おうとする方が逆に凄いわよ」
「たとえ! たとえ話だから!」
雷術式自体、使おうとすること自体が一種の博打みたいなものだ。
しかし割と高価なため、それを買ってまで雷術式にこだわる人は少ない。
フェンリットの場合は雷器と風器、二つの親和性が高かったため、他の人よりも少量の雷器でそれなりに術式を組み立てることが出来た。
「ですが――」
フェンリットが、現在の
「その雷術式は、あの男に当たらなかった?」
「……はい」
他の属性と一線を画す雷術式――
その攻撃は、アマーリエの言う通り
だが、
あの雷撃の奔流に黒ずくめがのみこまれるのを、フェンリットは確かにその目で見た。
しかし実際には……、
「無傷でした。あの男は、一切のダメージを受けていなかった。雷に対する魔抗力がかなり高かったのか、あのローブにその力があったのか、または別の方法で術式そのものを無力化したのか。なんにせよ、厄介なのは確かです」
あの現象を検証するにはまだ情報が足りない。現状ではどうにもできない問題だった。
「あの黒ずくめ……ドラゴニュートを倒そうとするフェンリットさんに襲い掛かりましたよね。どういう意図があったのでしょうか」
アマーリエが腕を組み、その隣でアリザが言った。
「手柄が欲しかったとか? よくあるでしょ、冒険者同士が手柄の奪い合いをするの」
「あの状況でそれをするのはかなりリスキーだよ。あれだけ人目に付く場所でそれをしても、デメリットの方が大きい」
「でもあれは妨害以外の何物でもないわよね……」
「だとすれば考えられる可能性は一つに絞られます」
アマーリエが人差し指を立てて言った。
「黒ずくめとドラゴニュートが繋がっていた」
「おそらくそうでしょうね」
フェンリットが頷きながら同調する。
「あの男の動きは、間違いなくドラゴニュートを守るものだった。あのまま行けば、僕は難なくアレを倒していたはずですから」
「ちょっと待ってよ、仮に奴らが繋がっていたとして、でもそれは
アリザは意味が分からないといった顔で髪を掻いた。
「そんなの……そんなの、まるで【魔王】みたいじゃない」
魔王。魔神の下位互換といえば聞こえはいいが、その実は瘴器でできた殺人衝動の塊である。そこらの魔物とは比べものにならない力を持つ、正真正銘の化け物だ。
奴らには、魔物を本能レベルで使役する”カリスマ”の如き力が宿っている。
「町の【魔物払い】はあくまで『近寄ろうと思わせない』程度の効力。それを上回るほどの『近寄りたい衝動』がある、もしくは『近寄らなければいけない』という強制力が働けばその限りではありません。そしてそれを【魔王】は可能にする」
腕を組んだアマーリエが言葉を重ねる。
「魔王が近くにいる。その魔王がけしかけたドラゴニュートに、黒ずくめは便乗して何かをしようとしていたのかもしれない」
「……、」
黙り込むフェンリットの傍でリーネが言った。
「確かにこれまでの歴史で魔物が町へと襲撃した事件には、必ず魔王という存在があったね……。ならきっと、今回もそう考えるのが妥当、なのかな」
話が途切れる。言いながらも、彼女ら三人は腑に落ちない事を感じているのだろう。
それはフェンリットも同じだった。説明しきれない現象が、正解への道を塞いでいる。
今回の件と、かつての事例を同一視していいわけがない。何故なら、この戦いの登場人物は町民、冒険者、ドラゴニュート、黒ずくめのみ。
どこにも魔王なんていなかった。あの殺人衝動の塊が、ドラゴニュートと共に町へと襲撃していない時点で説明がつかない。
仮に、魔王が遠方からドラゴニュートだけを斥候として送り込んだとしたら。
だとすれば間違いなく、それこそまさに
殺人衝動の塊に、”知能”が芽生えたということだから。
(いや……そもそもの話、僕の予想だと……)
フェンリットは心当たりのある過去の記憶に、ズキリと頭を痛めて思考を止める。
確証も根拠ないことを考えるのも、彼女らに伝えるのも無意味だろう。
「――一つ言えるのは、今回の襲撃が失敗に終わったということです」
アマーリエは言った。
確証はないが、根拠に基づいた無いとは言い切れない未来を。
「"次"がある……そう考えておいた方がいいでしょう」
あの黒ずくめは再びやってくるだろう。今回の襲撃が何を意図したものかは分からない。しかし、あれで終わりではないのは確かだった。
そして、フェンリット達には次の襲撃の可能性を考慮しておくことしかできない。
《フェンリット……》
シアの心配するような声が頭に響いた。
(大丈夫。次に奴と戦う時は、後れを取るつもりはない)
今のところの懸念事項は、攻撃が当たらなかった事だけだ。あれさえなんとかすれば勝てる見込みはある。
(いざとなった時は力を借りるよ、シア)
《お任せを》
三人の雰囲気は暗く、難しい顔で黙り込んでいた。
フェンリットはその沈黙を晴らすために言う。
「先のことに悩んでいても仕方がありません。僕らにできるのは、この作業を早く終わらせて、その時のために万全の備えをしておくことです」
フェンリットの考えを察したのか、アマーリエが小さく笑みを浮かべて続く。
「……それもそうですね。悩んでも何も変わりません。早く帰って身体を休めましょうか」
その言葉にいつもの調子を取り戻したアリザとリーネが、再び作業の手を動かし始める。
フェンリットもそれに倣おうとしたところで、女の子の声が耳に飛びこんできた。
「あ、あの!」
振り返った先に立っていたのは、足をくじいて動けなくなっていたウェイトレスの子だった。
足元を見れば、くじいた足は包帯を巻いて応急処置をされているのが分かる。
彼女は顔を赤くしてフェンリットの側にやってくると、頭を下げた。
「先程はありがとうございました!」
「……気にしなくていいですよ」
純真無垢なまでの謝意、好意に、フェンリットは一言だけそう返した。
「それで、その、お礼がしたくて……粗末なものですが、どうそ食べてください!」
目一杯顔を赤くしたウェイトレスの女の子は、隠し持っていた小さなバスケットを差し出しながら、振り絞るような声で言った。
その様子はお世辞抜きで可愛らしい。胸を打たれるような仕草だった。
「……これは?」
「や、焼き立てのパンで作ったサンドイッチが入っています!」
ギュッと目を瞑って言うウェイトレスの声は震えていた。勇気を出して持ってきてくれたのがよく伝わった。
その気持ちをとても嬉しく、そして申し訳なく思いながら、フェンリットは何とか笑みを浮かべて返す。
「ありがとうございます。ちょうど、お腹が空いてきたところだったんです。いただきますね?」
「っ! お、おおお口に合えば幸いです!!」
フェンリットがバスケットを受け取れば、ウェイトレスは礼をして去っていく。足を引きずっていく先には、仕事仲間と思われる女の人達が集まっていた。
ウェイトレスさんが合流すると同時に始まる談笑。
フェンリットはただ、その光景を無言で眺めていた。
《……よかったですね? フェンリット》
「……ああ」
両手で抱えるバスケットに視線を落とし、その蓋を開ける。
香ばしい香りが溢れ出し、空腹が訴えを主張しだす。
中には彩り豊かなサンドイッチがいくつか入っていた。
食べてみればそれは、苦しいくらいに、とても美味しかった。
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