第2章 黒き復讐のアセイラント

2-1 御嵐王(エメラルドフォックス) 上




 シアの後にシャワーを浴び、ベッドのど真ん中で既に寝ていたシアを端に寄せて眠った翌日。


 何やら息苦しさを感じてフェンリットは目を覚ました。彼の目に入ったのは、いつの間にか隣まで来て自分の身体を抱きしめ――もとい締め上げているパートナーの姿。


 シアである。


 彼女は寝巻きの白いシャツからヘソを覗かせ、ヨダレまで垂らしながら気持ちよさそうに眠っていた。


「残念だ……あまりにも残念過ぎる……」


 フェンリットはボソリと呟き、無理やり体を起こした。


 抱きついていたシアの身体がベッドへと落ちるのを眺めて、大きく伸びをする。


 しばらくぼーっとしてから、安眠妨害ポンコツ従者の頬を叩いた。


「……起きない」


 とはいえそれも予想していたことなので、真顔のフェンリットはシアをシャワールームへと連れ込み、頭からお湯をぶっかけた。


 目を覚まして無言のシアをそこに放置し、フェンリットは適当に身支度を始める。


 時刻は昼前。これからアマーリエ達と食事をするには、ちょうどいい時間帯だった。


 しばらくして、濡れ寝間着姿から着替えたシアがシャワールームから出てくる。


 彼女は頬を膨らませながら言った。


「フェンリット……朝から女性を濡れ鼠にするのはどうかと思います。鬼畜ですか?」


「濡れ鼠っていうか、シアの場合濡れ狐だよね」


「そういうのはいらないです」


 すっかり乾いた狐耳をピコピコと動かし、「怒っていますよ」と腕を組んで講義するシア。


 持ち上がった大きな胸に視線が向かうのは男の性なので仕方ないだろう。


 すぐに目をそらしたつもりのフェンリットだったが、シアに気付かれてしまったようだ。


 彼女はニヤニヤと茶化し口調で、


「そういえばフェンリット、さっきも私の胸を見てましたよね? ほら、白い服だったから濡れてスケスケになってた時に。もしかして、ついに私に欲情するようになりましたか?」


 より胸を強調するように腕で押し上げるシア。


 流し目というのか、しなをつくって誘惑する彼女は、元々の容姿の端麗さもあって妖艶に見えた。


 ――ただし、彼女の普段を知らない人からしてみれば、だが。


「勝ち誇った顔でニマニマするのはいいけれど、違うからね」


「むぅー! 何故です、私の身体じゃ物足りないとでも言いたいんですかー!?」


「別にそういう訳じゃないけどさ」


 眼福なことには間違いない。しかし平時でドキドキしなくなるくらいには見てきたフェンリットである。


 シチュエーション次第では平静を保てないかもしれないが、如何せん耐性が出来てしまっていた。


(というか、普段のシアを見てると、なぁ……)


「フェンリット、あなた今失礼なことを考えていませんか?」


「なんのことやら」


 適当にあしらい、フェンリットは黒いロングコートを羽織って外出の準備を整える。


 何があってもいいように。また、冒険者ギルドに行く以上それ用の格好をしておくのは当然だからである。


 その後ろ姿を眺めていたシアは、おもむろにフェンリットの後ろに回り込んだ。


「なにさ」


「寝癖が付いていたので」


「……ああ、悪いね。ありがとう」


「どういたしまして」


 嬉しそうなシアの声に、フェンリットは憮然と返すことしかできなかった。


 後頭部を撫でつけられながら頬を掻く。


「それにしても、フェンリットは自分で寝癖も直せないんですか?」


「……うるさい」



   ■



 宿を出た二人は、待ち合わせ場所の広場へと向かって歩いていた。


「この感じだと朝食は昼と兼用ですねー」


「昨日の夜から何も食べてないから、さすがにお腹すいてきたな」


 街の中はそれなりに賑わっていた。道行く人には、武器や防具をまとった冒険者から、簡素な服に身を包んだ庶民まで多くの人が見られる。


 石造りの建物が並び、道の端には法具の街灯が立つ街並みは、二人に「人里へ来たなぁ」という感慨を抱かせた。


「あー、いい匂いがします……露店でしょうか? せっかくなので、この町も見て回りたいですね」

 

「それはいいけれど、十分にお金を稼いでからにしような」


 二人の予定としては、この町で数日活動し、日銭を稼いでは次の町へという繰り返しである。


 今日はご馳走にありつけそうだが、その後数日は多少の節約生活が待っているだろう。


「あ、いました」


 目的地の広場へと近づいてきた頃、シアが指をさした方向には見知った三人の姿があった。


 すぐにリーネが気が付き、こちらへと駆け寄ってくる。シアとハイタッチ。君たち一体いつそんなに仲良くなったんだ? と思わせる動きだった。


 年頃の女の子はこんな感じなのか、とフェンリットは感嘆する。


「こんにちは、フェンリットさん、シアさん」


「どうも」


 リーネの後に来た二人とも言葉を交わし、さっそくお店へと移動することとなった。


 道中に町の紹介を受けながら向かった先は、中でもお洒落な外装をした建物だった。


「ここは私たちがこの町で一番おすすめのお店よ。味には期待していいわ」


「ハードル上げるねえ、アリザ……」


 程よい胸を張るアリザを、横目で見るリーネ。


 フェンリットもシアも味にうるさいわけではないので気にしていなかった。


 店員に案内されるがままに席に着き、注文を頼む。


 そこでふと、フェンリットは思い出したように尋ねた。


「ご馳走になるということでしたが、本当に大丈夫なんですか?」


「大丈夫です。護衛の報酬も貰いましたし、手にいれた魔結晶マナスフィアと法具を売ったお金もありますから」


 アマーリエは言いながら懐をあさり、小さな布袋を取り出した。


「こちらが法具の代金の、お二人の分け前です」


「お二人のって……シアは本当に何もしていませんよ?」


「失礼な! 後ろでちゃんと応援していましたから!!」


「それは見ていただけって言うんだよ!!」


 そのやり取りを眺めて口元を緩めたアマーリエが首を振った。


「構いません。報酬は冒険者全員で山分け。それが普通ですから」


 彼女の言葉にフェンリットは申し訳ない気持ちでいっぱいになる。


 実際、普通とは言ったがそれは理想論で、現実はそう簡単なものでもない。旧知のパーティでもない限りは、その活躍度合いで報酬の取り合いになったりもするのだ。


 ありがたく受け取ると、アマーリエは付け足すように、


「加えて、山賊を討伐したことによる報酬も、ギルドから近々貰えそうなので、そちらについても手に入り次第ということで」


「なにからなにまでありがとうございます」


 事務的な内容の話を終え、さて、とアマーリエが切り出した。


「改めて自己紹介を。私はアマーリエ・セルレスカ。このパーティで遊撃を担っています」


 紺色のバトルコートを纏い、片刃の剣を帯びている、濡れ羽色の髪と瞳が特徴の美女。


 律儀で誠実、冷静沈着な雰囲気のアマーリエは、綺麗な所作で頭を小さく下げた。


 大人びた女性はやはり魅力的に見えるな、とフェンリットは思った。


 同時に、チラリとシアを見る。目が合ってしまい、考えを読まれたのか足を踏まれた。


「あたしはアリザ・レイラス。見ての通り前衛をやっているわ」


 紅色のショートヘアに、強気そうな表情の女。軽鎧で身を包み、傍らには片手剣と片手盾を置いている。


 この中で一番フランクというか、あけすけな性格をしているだろう。


「リーネ・アフレイア。魔術師だよ。その、あまり強くはないんだけどね」


 困ったような笑顔で言うのは、ふんわりとした長い金髪に優しげな碧眼をもつ女性。全身を包むローブと、術式演算補助の力がある杖を持つ、パーティの砲台型魔術師だ。

 

 言い終わってから、リーネが「あ、そうだ!」と思いついたように問いかけてきた。


「フェンリットくんはその……いくつ、なの?」


 少し聞きづらそうに、しかし興味津々に聞いてくるリーネに、フェンリットは一瞬声を詰まらせた。


 見た目が幼いため実際年齢よりも低く見られる傾向にあるのは分かっている。今回も似たような案件だろう。


「一九ですよ」


「……えっ⁉」


 驚いて目を見開くリーネ。


「とても強いから、実は不老系の力を持った凄い人なのかなって思ったりもしたけど、私と同じなんだね」


 どうやらリーネは、元よりフェンリットを見た目通りの年齢だとは思っていなかったらしい。見た目自体は幼いと思っていたようだが。


 世界中を探せば不老不死系の力を持った人もいるかもなぁ、なんて思っていると、リーネが呟く。


「……フェンリットくんは私と同い年なのに実力が違いすぎて、正直気落ちするよ。山賊と戦っていたあの時、敵が持っていた【法具】アーティファクトで魔術が使いにくくなっていたんだよね?」


「そうですね。術式構築を阻害する効果を持つ【法具】アーティファクトだったので、あの場所で一から魔術を使うのはなかなか難しかったと思いますよ。【法具】アーティファクトのように、既に術式が構築されていて、魔力を流すだけで勝手に発動してくれるものは別ですが」


「……でも、フェンリットくんは軽々と魔術を使っていたよね」


「あー、いえ、僕も結構ギリギリでしたよ」


 半分嘘だった。あの状態で、激戦区のど真ん中だったとすれば、多少は手間取っただろう。


「ホント? 全然そんな感じはしなかったけど……」


「そんな感じに見せないことで、自分を大きく見せるんですよ」


 するとリーネは感心したような顔で、


「なるほど。しかもその上、アリザ顔負けの動きをするからビックリしちゃったよ」


「ちょっとリーネ? いくら事実でも私がいる前でそれは正直すぎるんじゃない???」


「あっあっ痛い、やめてよアリザ」


 アリザがふざけた調子で隣のリーネの頭を拳骨で挟んだ。移動中も何度か見た、彼女らの他愛ないじゃれあいだった。


 そのあとでアリザが肩をすくめる。


「ま、確かに、【銅級】ブロンズかと思えば超強いし、魔術も出来て肉弾戦も強い。正直目を疑ったね」


「ははは……」


 ストレートな賞賛を受けて中途半端な笑いを浮かべるしかなくなっているフェンリットだった。


 しばらく場を傍観していたアマーリエがそこで口を開く。


「フェンリットさんは今一九なのですよね? 一体いくつのころから修練していたんでしょうか」


「そうですね……」


 思い返すと、おおよそ四歳の頃にはもう魔術の修練を始めていた気がした。


 それもこれも、育ての親である【黒風の魔女】シュトルムの英才教育のたまものである。


 とはいえそれを言うのは憚られるため、フェンリットはぼかして言う。


「七歳くらいですかね? 魔術の師匠がいたので、その人に教わりました。周りの人より発育がよかったみたいです」


「あ、なんとなくわかるかも。フェンリットくん、なんか私たちより大人な感じするー」


 強くて大人な人、憧れるなぁ。なんて呟くリーネの脇腹を、アリザが横から肘でつついた。


「確かにフェンリットは凄いけど、でもでもリーネの一番の憧れの人はもう決まってるもんねー」


 ニヤニヤとした笑みを浮かべるアリザ。


 首を傾げるフェンリットにアマーリエが言う。


「きっとフェンリットさんも知っていますよ」


「はて、誰でしょうかね?」


 フェンリットが知っている有名な魔術師といえば、一番は勇者パーティに選ばれたあの女魔術師である。


 最高等級の冒険者である彼女を、同じ冒険者のリーネが憧れるのは道理だろう。


 そんなことを考えている彼に、濡れ羽色の瞳に憧憬を浮かべた女が告げた。


「――暗躍英雄、【御嵐王】エメラルドフォックス、ですよ」



  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る