第2話 潮騒の頃
曇り空の下、堤防の上、叡子と千鶴は並んで海を見ていた。
「この景色もこれで見納めかぁ」
ため息と共に、それでも明るく千鶴が言った。
「明日は何時に出発?」
「朝八時」
「早いね」
「うん」
短いやり取りで時間を埋めていく。少しでも多く、言葉を交わしたい。名残惜しいとはこういうことなのかと叡子は思った。
千鶴の父親は転勤の多い仕事で、一年同じ土地にいることの方が稀だという。新しい勤務地に移る時にその次の異動が決まっていることもある。
今年の引っ越しも、この町に来る時には決まっていたらしい。
叡子が千鶴からそれを聞いたのは親しくなってすぐのことだった。いつも一緒にいる叡子には教えておくね、と言っていた。
その話を聞いた時、叡子は千鶴に尋ねた。離れなきゃいけないことがわかってるのに、なぜみんなと仲良くできるのか、寂しくなることがわかっているのに辛くないのか、と。
別れの辛さは人と関わるのを諦める理由にはならないよ、と千鶴はあっさり答えた。
潮騒が聞こえている。あと一時間もすれば、満潮になるだろう。
「すぐに引っ越すって知っても私と友達でいてくれてありがとう」
千鶴が海を見つめたまま言った。
叡子は千鶴の横顔をちらりと見る。下瞼に今にも溢れそうな程の涙を浮かべているのを見つけて、叡子も自分の鼻の奥がつんと痛んで目が潤むのを感じた。
「そんな。私こそ。仲良くしてくれてありがとう」
別れの時、自分はきっと泣くだろうと叡子は思っていた。喪失感と心細さで胸の奥がひんやりして、いやだ、行かないで、転校しないで、引っ越しなんかやめてよとぼろぼろと雫を溢すだろうと想像していた。しかし、実際の別れの今、想像と違って胸の奥はじわじわ熱く、液体化した寂しさはどこかで根詰まりしたかのように外に出てこない。
「そうだ。写真を撮ろうよ」
千鶴が学校鞄からデジタルカメラを取り出して言った。
「うん、いいね」
叡子が込み上げるくせに出てこない嗚咽を飲み込んで頷く。そして、二人で体を寄せ合い、千鶴が伸ばした手で構えたカメラのシャッターを切った。
撮影した画像を確認すると、瞼と鼻のてっぺんが赤い二つの笑顔が並んでいた。情けない顔だ、と二人で一頻り笑った後、千鶴が言った。
「この写真、現像したら直接渡しに行くね」
「本当に?」
「私が嘘ついたことある?」
「多分ない」
叡子の答えに千鶴はふわりと笑って小指を差し出す。
「さよならを言う代わりに約束。絶対会いに行くよ」
叡子もつられてふわりと笑って小指を絡めた。
そろそろ帰ろうか。どちらからともなく堤防の上を歩きだす。
前を歩く千鶴のポニーテールを潮風が揺らす度に、白いうなじが見え隠れする。細い首、華奢な肩幅。小柄な彼女はきっと、そのしっかりした足取りでたくさんの別れを乗り越えてきたのだろう。ならば私も、と叡子は千鶴の真似をして背筋を伸ばして地面を踏みしめる。寂しいけど、大丈夫。
いつの間にか割れた雲の隙間から黄金色の夕陽が少女たちの姿を照らしていた。
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