第104話 崩落

 アトラス学院から少し離れ、かつて六甲山と呼ばれた山の近辺で行われたアトラス学院の生徒会・風紀委員・実行委員会合同でのレクリエーション。それはすべての行程を終えて、ついに帰宅の時間となっていた。

 そうして、一同が副聖都に戻る為に改めてバスに乗り込んで、しばらく。カインもアクアも少しは疲れたらしく、アクアは若干うとついていた。


「流石に、初めての人にはキツイみたいね」

『そうか。まぁ、仕方がないだろう』


 船を漕ぐアクアを横目に見ながら、声を潜めたアリシアとクラリスが若干の笑いを浮かべる。どちらもすでに何回もこのレクリエーションに参加している。なのでペース配分などにも慣れたもので、若干の余力を残しながらの帰路だった。

 と言っても、これはアクアが珍しいのではなく、今年初参加のリアーナやシュウジも若干の疲れ――シュウジは心労が大きい様子だった――から若干船を漕いでおり、後はやはり体格などから体力不足なのかシャーロットが船を漕いでいるぐらいだろう。ほかは全員まだまだ余力が感じられた。

 と言っても、アクアの場合は元々が病気だったとされている事もあり、その面でも体力的にもキツかったのだろう、と判断されて誰もが微笑ましげに見守るだけだった。そんなアクアを横目に、アリシアがクラリスへと問いかける。


「そういえば、結局今年はどんな感じなの?」

『ああ、今年か。まぁ、今年は良い感じといえば良い感じか。ルイ会長が言われていた通り、今年は粒ぞろいだったみたいだ。御剣も焦らなければ良い指導者になれるだろうな』

「そういえば、御剣は何を失敗したんですか?」


 元々最終チェックポイントでの時間調整がされた最大の理由は中等部の生徒会長である御剣がなにかのミスをして若干他の所に比べて遅れが出たため、と言われている。気になったらしい。


『ああ、彼か。いや、まぁ、彼が純然と悪いわけではないらしいが……どうにも目上の者に指示を出すという事が慣れていないらしいのでな。そこで若干の判断の遅れが出てしまったようだ』

「なるほど。御剣らしい」


 クラリスの言葉にアリシアは一つ微笑んだ。元々アリシアは普通に中等部から高等部へと進学したエスカレータ組と呼ばれる者だ。なので実は去年度は中等部の生徒会長を務めており、その時に御剣は副会長だったらしい。他にも現中等部生徒会の数人はアリシアが見出した者で、御剣はその一人だった。


『まぁ、しょうがないだろう。こればかりは経験が物を言う。来年……とまでは言わないが高等部になってからに期待だな』

「ええ」


 御剣にとっても今年は良い経験になっただろう。アリシアはクラリスと共に彼の成長に期待する事にする。そうして、そんな二人や他にも元気な者たちが各所で声を潜めながら話をしながら、しばらくの時間が流れる。バスが温泉地帯を抜けて、山岳に差し掛かったあたりだ。トンネルを潜る最中。アクアが唐突に目を見開いた。


「カイン!」


 唐突に起き上がり、アクアがカインの名を叫ぶ。それに、彼が応じた。


『すでに! っ、オレの見たことのないトラップだと!?』

「!? カイン! 今すぐ退きなさい!」

『ちぃ!』


 何が起きているのか。バスの中は数秒の間に繰り広げられた一幕に静まり返る。そうして、カインが撤退したのを彼に仕掛けている魔術から知覚したと同時に、アクアが声を上げた。


「みんな、伏せて! トンネルが」


 アクアがトンネルと言うとほぼ同時。爆音が鳴り響き、トンネルが崩壊する。だが、このバスは元々大抵の事があっても耐えられる様になっており、アクアが即座の結界を展開した事も相まってバスが押しつぶされる事はなかった。

 バスそのものもトンネル各所に取り付けられたセンサーが崩落を検知すると同時に急停車。その場から少しの所で、止まっていた。


「……崩れた……のか?」

「の、ようね……アクア。大丈夫?」

「はい……はぁ」


 流石のアクアも肝が冷えたらしい。アリシアの問いかけに頷きながら、若干青い顔で倒れ込む様に椅子に座り込む。そうして、一瞬の静寂の後。クラリスが若干青い顔で立ち上がる。


「全員、一旦落ち着いて指示を待て。アクア。この結界は君か?」

「はい……咄嗟なので力技ですが……」

「そうか……それでも、ありがとう。君は命の恩人だ。君が気付かねば、最悪の辞退もあり得た」


 一応、今回借り受けたバスは万が一のテロを受けてもなんとかなるような耐爆性能やらを兼ね備えた、それこそ軍用で使っても遜色ない品だ。だが、あくまでもそれは攻撃に備えてのものだ。

 今回のようなトンネルの崩落に備えたわけではなかった。と、そんな車内に、コール音が鳴り響く。それは数度鳴り響くと、強制的に車内の前方に取り付けられたモニターを起動させた。


『私だ。皆、無事か?』


 モニターに映ったのはルイだ。緊急時にはこうやってモニターを使う権限が彼にはバスの業者側から貸与されており、今まで使った事はなかったがそれを思い出して起動させたのである。そんな彼の問いかけに、クラリスが現状を報告する。


「ルイ会長。高等部及び中等部、負傷者ゼロ名です」

『そうか。それは何よりだ……それでこの結界。おそらくアクアくんの物だと思うが、相違無いか?』

「ええ。先程、私が確認を。崩落の数瞬前に彼女の注意喚起のおかげで、全員備える事が出来ました」

『そうか。ありがとう。こちらも私が一瞬前に気付いて全員に伏せる様に告げたのだが……そちらも間に合ってくれていたか』


 どこか安堵する様に、ルイがクラリスの言葉にため息を吐いた。そんな彼に、クラリスが状況を問いかける。


「それで、会長。状況の確認ですが……トンネルの崩落事故、という所でしょうか」

『事故? いや、違う。これは明らかなテロだ。崩落の数瞬前に得も知れない魔力を感じた……アクアくんも、そうだな?』

「はい……すいません。気付くのが遅れました」

『いや……というより、おそらく気づけたのは君や私を筆頭にごく少数だろう』


 少し沈んだ様子のアクアに、ルイは一つ首を振る。やはり大学生となると高等部よりも更に優れた者は少なくないらしく、アクアと同じ様に崩落の一瞬前に魔力に気が付いて即座に近くの初等部の生徒をかばったり、と動けていたらしい。

 幸い初等部の面々は疲れ果てていたのか全員がうたた寝をしていたり船を漕いでいたり、とシートベルトの着用をしっかりしており、誰一人として怪我はなかった。


「ルイ会長。それではどうしますか?」

『とりあえず、待ちだ。各バスの信号を確認した所、運営委員会のバスが外に出ている。待っていれば救助も来るだろう。幸い、ここは聖都も近い。軍の救援が来るまで、さほど時間は必要無いはずだ』

「ですか……ふぅ」


 やはりクラリスとしてもトンネルの崩落は想定外だったらしい。一つ安堵を滲ませて、救助を待つ事にする。と、そんな彼女に対してルイはしばらくの指示を出す。


『クラリスくん。安堵するにはまだ早い。ひとまず、アクアくんの補佐を全員でしなければならない。トンネルがこちらまで崩れて来ていないのはあくまでも彼女の結界によるものだ。負荷はとてつもないものだろう』

「っ……そうですね。アリシア」

「はい!」

「即座にアクアの補佐を。アクアは結界に介入が可能な様にしてくれ」

「わかりました」


 ルイの指摘を受けて、アクアが横のアリシアが手助け出来る様に結界を若干緩める。勿論、アクアは女神。本来は保有する魔力も莫大な量であり、このトンネルの崩落を一人で押し留めるなぞ造作もない。が、流石にそれは出来ると言えないので、素直に指示に従うだけだった。


「っ……キツイ……わね。アクアよくこんなの一人で出来たわね」

「あ、あははは」


 まぁ、だから倒れたんでしょうけど。アリシアはアクアが椅子に倒れ込んだ事を思い出し、そう理解する。とはいえ、実際に先程までの数分、彼女一人でこの崩落を押し留めたのだ。そうしてアリシアの支援が入ったと同時に、ルイが口を開く。


『ああ……クラリスくん。こちらですぐに外に魔法陣を構築する。そちらが終わり次第、アクアくんとアリシアくんの二人を外へと護送。救助が来るまで、交代交代で崩落を防ぐ』

「はい。それまでの間は、こちらで結界を維持しつつ、構築を待ちます」

『そうしてくれ。初等部についてはこちらでなんとかしよう』

「お願いします」


 ひとまずけが人も無く、混乱もさほど無いらしい。クラリスは現状に一つ安堵を浮かべる。が、その次の瞬間だ。唐突にアリシアが苦悶の声を上げた。


「っ!? きゃあ!」

「っ」

「どうした!?」

「わ、わかりません! なにかが、急に結界に……」

「っ……カイン!」

『はっ!』


 これは尋常ではない事が起きている。顔を顰めたアクアが結界の強度を底上げしつつ、即座にカインへと調査を命ずる。それに、高等部と中等部のバスの後ろを走っていた為に巻き込まれた従者用のバスに乗り込んでいたカインが外に出た。


「……何?」


 外に出たカインが見たのは、なにか得体のしれない黒いシミがアクアの展開した蒼い結界を侵食する所だ。アクアの力は女神の力。彼女とてこれがテロと気付いてカインが見知らぬ罠と言った時点で神としての力は使っていない。

 だがそれでも、並大抵の事では侵食出来ない筈なのだ。なのに侵食しつつある事にカインは驚きを隠せないでいた。と、そんな彼の横に同じく従者用のバスに乗っていた他の面々も降りてきた。


「どうやら、アクア様の結界に何かしらの存在が侵食しようとしている様子ですね」

「の、様子……ちっ。舐め腐った真似しやがって」


 流石にカインもアクアに負担が掛かる事になって苛立っているらしい。珍しい事に人前にも関わらず盛大に舌打ちした挙げ句、小声ではあったが素を少しだけ覗かせる。とはいえ、そんな彼は一転、息を大きく吐いて気を取り直す。


「アクア様。状況、確認致しました。どうやら、テロリスト共がこちらに攻めてこようとしている模様」

『そうですか。防げそうですか?』

「……無理ですね。見知らぬ力が働いております」

『つまり、奴らと』

「かと」


 アクアの問いかけに、カインは一つ頷いた。自分の見知らぬ力。それであれば、もう答えは限られた。そしてこの場合、一番可能性としてありえるのはラグナ教団や世界政府を敵として活動する邪教徒達だった。

 とはいえ、その推測がなかろうとこれが邪教徒達によるテロ行為である事は従者達全員が理解していた。故に同じく結界が侵食されるのを見たニコルがルイへと報告する。


「ルイ様。どうやら邪教徒共の襲撃の様子。白兵戦を仕掛けてくるつもりです」

『この状況下で白兵戦? 奴らも崩落に巻き込まれたと?』

「それはわかりかねます。が、結界を解除するではなく、穴を開けようとしている様子」

『……正しい判断だな』


 このバスは軍用にも使える強度を持つバスだ。なので現状で結界が解除しても実はさほど問題はない。その場合はアクアとアリシアが軟着陸させる為、衝撃はさほどではないからだ。となると、後は取るべき手は白兵戦。直接彼らを殺す事しかなかった。


『……防ぎきれそうか?』

「それ以前の問題として、現状では魔法陣の展開をしなければ遠からずトンネルは崩落します。そうなると、バスの中での防戦になる可能性も」

『最悪だな』


 ルイはニコルの言葉に盛大にしかめっ面でため息を吐いた。バスの中となると、彼の場合は初等部の生徒達を守りながら戦う事になる。敵の数が見えない今、下手をするとなぶり殺しの未来しかなくなる可能性もあり得た。


『わかった……幸か不幸か、風紀委員会も崩落に巻き込まれている。あちらにはリーガと清十郎が居る。防衛戦は不可能ではないだろう。それまでの間は、そちらに任せたい』

「かしこまりました……皆様、よろしいでしょうか」


 ニコルの問いかけに、従者達が全員頷いた。というより、現状それしかない。トンネルが崩れればその先に待つのは各個撃破だ。それを防ぐ為には、トンネルを維持出来る体制を構築しつつ、迎撃して救助を待つしかなかった。

 そうして、邪教徒達が襲撃してくるまでの僅かな間で、防衛戦の用意が整えられる事になるのだった。

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