第77話 裏で動く者たち

 <<神話の猟犬ヘル・ハウンド>>の脱走兵にして邪教徒の一人であるマーカスとの戦闘を行っていた頃。その様子を見ていたものが、ドライ以外にもう一人だけ存在していた。それは言うまでもなく、アレクセイその人だった。彼は側近らと共に、非常に楽しげな顔でカインとマーカスの戦いを見ていた。


「へぇ! 今のタイミングで避けるか! いいねぇ! さいっこうにクールじゃねぇか!」


 間違いなく強い。アレクセイはカインの戦闘力に対して、太鼓判を押す。様々な悪評と悪癖のある彼であるが、その彼が何を思い、ここに来たのか。それは言うまでもなく、カインが目的だった。


「で、どうするんです?」

「そりゃ……決まってる。なんとかして奴を引っ張り出して、叩き潰す。楽しいぜぇ、ああやって愛されてる奴が打ちのめされて再起不能になって、それに泣いてるのを見るのは」


 間違いなく、外道の発言。常識的な思考能力があるのならそう判断するだろう発言を、アレクセイが行う。が、これに側近たちは咎めるではなく、同じ様に楽しげだった。


「へー! いいっすねぇ! アレクセイ様。例の女の子、良いっすか?」

「今回だけは却下だ却下。流石にオーシャン社の一人娘に手を出したら姉貴が煩い。姉貴だけは、怒らせるとまずい」

「えー……」

「お前、ああいうのが好みだったか?」

「うっす。ちっぱい最高っす」


 まぁ、男しかいないし、誰も彼もが似た様な性格だ。なのでアレクセイのどこか不思議そうな表情の問いかけに、側近の男が一切の迷い無く頷いていた。


「まー、何時もなら俺の趣味じゃないから好きにしろ、つぅんだが。流石に姉貴のお気にに手を出すとマジでまずいんだわ」

「一度やったんでしたっけ」

「言うなつってんだろ! 忘れさせろ!」

「へーい」


 心底辟易した様子のアレクセイに、側近の一人がさほど気にしない様な返事を行う。それに対して、アレクセイは盛大にため息を吐いた。


「はぁ……今回、姉貴から日本に入ると同時にわかってるわよね、って短文のメッセージ来てるんだよ。ま、逆に言えば男の方は好きにしろ、って事だ」

「好きっすねー。強いと思い込んでるヤツ叩き潰すの」

「楽しいからな。そういうヤツの自尊心を叩き潰して再起不能にするの」


 くくく、とアレクセイは楽しげに笑う。彼の趣味は二つ。一つは女を陵辱する事。もう一つは、強い戦士を叩き潰す事だ。誰も彼もある程度まで強くなると、それに対する自信が生まれる。それを、圧倒的な力で叩き潰す。それが彼の趣味だった。


「まー、アレクセイさんの場合、やりすぎちまって実際殺しちまうんですけどね!」

「言うなよ。ちょっと興が乗っちまうだけだろ?」

「「「あははははは!」」」


 この場にいるのは、誰も彼もが外道だけ。アレクセイの趣味に拒否感や嫌悪感を感じず、それどころかそれを良しとして認め逆にアレクセイが彼らの趣味を良しとして認め保護する様な者たちばかりだ。

 故に誤って――どこまで本当かは不明だが――殺してしまった事に対して、逆に面白そうに大爆笑していた様子だった。


「さて……どうやって追い込んでやるかね」


 楽しそうに、アレクセイはカインを見る。どうやって彼を自分と戦わねばならない状況にするか。どうやって彼を激怒させ、全力で向かってくる様に仕向けるか。どうやって、彼の大切なものをめちゃくちゃにしてやるか。それを想像するだけで、心が踊った。


「あぁ、楽しみだ……さ、とりあえずは酒飲みに行こうぜ。せっかく高級店が軒並み揃える界隈に来たんだ。とりあえずは酒飲まねぇとな」

「「「うっす!」」」


 今までのどこか荒々しくも外道の笑みから一転して、アレクセイは何時ものどこかやんちゃそうな笑みを浮かべて歩いていく。

 カインとマーカスの戦いを見ていた以上、当然彼らもまた居たのは副聖都付近の歓楽街だ。そして彼らである。どういう理由があれ歓楽街まで来ている以上、やる事なぞ一つだった。そうして、彼らは副聖都の近くの歓楽街の闇の中へと消えていくのだった。



 さて、マーカスの一件から暫くの月日が流れる。結局の所、元傭兵である彼であるが邪神にとって捨て駒でしかないのは事実だったらしい。

 邪教徒達が救出に乗り出す事も、はたまた邪神の怒りを買って不可思議な力で殺されるという事もなかった。まるで敗者に用はない、とばかりに完全放置だった。そして彼自身が述べていた通り、殆ど知っている事は何も無いに等しかった。


「だから言っただろ? 俺が知ってる事なんてそれぐらいだって」

「はぁ……」


 楽しげなマーカスの返答に、取り調べを行うドライは盛大にため息を吐いた。あれだけカインに対して恐ろしい、だの言っていた事情聴取であるが、これ自体はマーカスも想定外なほどに緩かった。

 口を割らない相手に使われる決して表沙汰には出来ない各種の非人道的な『取り調べ』の数々は行われていなかったのである。それ故、彼は訝しげに問いかける。


「で……隊長。俺の死刑執行はいつなんですかね? 自白を促す魔術が常時仕掛けられている部屋に入れられて事情聴取している以外、ウチならほぼほぼやるだろう表沙汰に出来ない『取り調べ』の数々もやらないなんて、<<神話の猟犬ヘル・ハウンド>>らしくもないでしょう」

「……受けたいんですか?」

「かったるいんで。どうせなら最初から最後の手段やってくれても良いんですぜ?」


 マーカスはどこか楽しげに、挑発とも取れる言葉をドライへと告げる。それに、ドライは盛大にため息を吐いた。


「はぁ……まず『取り調べ』ですが、元隊員の貴方に効果は薄いでしょうに」

「あははは。元々所属ですからね。何が来るかわかってれば、それに備える事は出来るってもんだ」

「……」


 こいつ一発殴って良いかな。ドライは糠に釘という具合のマーカスを若干苛立ち混じりに睨み付ける。なお、この『取り調べ』というのは拷問と置き換えても問題はない。

 が、元隊員である。何が行われるのか、はわかっていたし万が一敵に捉えられた場合の対拷問の訓練も受けている。良くも悪くも、効果は薄いだろうと判断されていた。と、そんな彼にドライはどこか冷酷な目で告げる。


「で……最後の手段ですが。喜びなさい。許可が降りていないのです」

「……へぇ」


 やっぱりやろうとはしてるわけね。マーカスはやはり死が見えればこそ、思わず身体が強ばる事だけは避けられなかった。だが、彼は今までの雰囲気を変えずに問いかける。


「で、いつ頃許可は下りそうですかね」

「はぁ……今でも下りて欲しいですが……残念ながら、下りそうにないですね」

「は……?」


 それはいくらなんでもありえないだろう。マーカスはため息混じりなドライの返答に、思わず目を丸くする。ここまで手ぬるいのは全て、最後の手段の許可が下りているから。労力を無駄をしたくないだけだ、と彼は思っていた。その最後の手段は、実に簡単だった。


「貴方の言う最後の手段……脳の摘出による情報の強制収奪。それでしょう?」

「……」


 ドライの問いかけに、マーカスは無言を以って肯定とする。ナノマシンや魔術など様々な分野における技術の発展と第四次世界大戦後の暗黒時代に行われた数々の非人道的な実験。その結果、人類は脳より直接情報を得る事も、逆に脳に直接情報を送る事も出来る様になっていた。

 後者はVR技術への応用として広く使用されているが、前者は例え犯罪者が相手であれ非人道的であるから一般には軍でも使われていない事になっていた。

 が、ここは世界の暗部にも等しい場所。法律なぞ有って無いが如くだったし、何よりアレクシアの人望だ。彼女が一言必要だった、といえばもし発覚したとて多くの民衆はそれで納得してしまうだろう。


「何を考えているんだ、あの人は」

「それがわかれば苦労はしません。私とて何も好き好んで貴方の尋問なぞしていません。アレクシア様がただ必要無いわ、とおっしゃられるが故に、実行されていないだけです」


 本当に疲れた様に、ドライがため息を吐いた。いっそ脳さえ摘出してしまえれば楽に終わるのに。どうせ相手は世界の崩壊を目指して活動する邪教徒のスパイ。今の民衆からすれば何より忌むべき相手だ。人道面なぞ気にしなくても良い。だのに、アレクシアは許可を下ろさなかったのだ。その理由を、ドライは理解出来なかった。と、そんな事を考えている所に。唐突に尋問室の扉が開いた。


「あら……知りたい?」

「アレクシア様」

「……おいおい。こんな小物一人に大ボスまで登場かよ……」


 マジかよ。マーカスは現れたアレクシアが信じられず、思わず頬を引きつらせる。いくら同じ直属の部隊所属とはいえ、末端と部隊以外での腹心であるドライとではアレクシアとの関係は大きく異る。マーカスがアレクシアを見たのは入隊時と作戦において必要な時数度だけだ。なので実際の所数年ぶりと言えた。


「お久しぶり、というべきかしらね……さて。ドライ。貴方の疑問に答えましょう」

「え、いえ、あの……それより、何をしにこちらに?」

「一応のお礼、という所かしらね」


 困惑気味なドライに対して、アレクシアは楽しげだ。そうして、そんな彼女が告げた。


「お礼……ですか?」

「ええ。この子は十分に呼び水の役割を果たしてくれたわ。それで十分。小物というのも道理でしょうしね。わざわざリスクを冒す意味はないの」

「呼び水?」


 何を呼ぶ呼び水なのだろうか。ドライはアレクシアの言葉の意味が理解出来ず、小首を傾げる。


「ええ、呼び水……まぁ、気にしなくても良いわ。そこらは私が考える事だもの」

「はぁ……」


 確かに、それはそうかもしれない。ドライは何時もの顔で笑うアレクシアにそう思う。


「さて……それで、マーカス。一つ聞かせて」

「……なんなりと」

「貴方の神様……どんなのだったかしら。人の形をしていた? それとも想像もつかない姿?」

「それなら、もう答えたんだけどな」

「貴方の口から聞いておきたいの」


 すでに調書に書いていると思うんだが。マーカスのそんな言葉に、アレクシアが楽しげに問いかける。これに、マーカスがため息を吐いた。


「はいはい……詳しくは知りやせん。俺が見たのは、黒い巨大な何か。それ以上でもそれ以下でもない」

「ふーん……何か姿を変えられたりは?」

「一切、してやせんね。黒い巨大な何かよくわかんねぇのが、連れてかれた神殿の最深部に居た。その神殿がどこか、ってのはさっぱりだ」

「目隠しか何かされてたわけ?」

「何かよくわからん魔術で……まぁ、おそらく邪神様のお力なんだろうが。そんな力で前後不覚にされて、気づいたら真っ裸で石のベッドの上でおねんねだ」


 アレクシアの問いかけに、マーカスは知る限りを正直に答えていく。おそらくこの連れて行かれたのは本部だとは思うのだが、それ以外の詳しい事はさっぱりだとのことであった。と、そうしていくつかの問答が改めて行われるわけであるが、それも暫くの頃に一つ訝しんで問いかける。


「なるほどねー。愛でられそうにないわね、邪神様は」

「……一つ、聞いて良いか」

「あら、なぁに?」

「っ……」


 まるで全て見透かしている。そんな目で見据えられ、マーカスは思わずわずかに言葉を詰まらせる。彼女のこの瞳だ。まるでここまでの全てが彼女の手のひらの上だったのではないか、という気さえしてしまう。それに負けずに、マーカスは問いかけた。


「……あんた、妙にウチの神様の存在を信じてる様子だが……正気か?」

「あら……神様は実在するのでしょう?」

「……知ってたのか?」

「そうねぇ……確信を得たのは貴方達がこの間直接的に襲撃を掛けてきた時ね」

「あれか……」


 マーカスは自身がカストと会っていた時の事を思い出す。あの時、アレクシアは屋上のテラスで戦いを見ていたのだ。だとすれば無理もない、と思ったのである。


「……で、その確証とデータが得られたからウチを潰そうと」

「そうねぇ……確かに、貴方達は潰さないとだめね。正直、どうでも良いとは思うけど……色々と面倒は引き起こしてくれるものね」

「……で、それなら何故脳を摘出しない?」


 アレクシアの言っている事には筋は通っている。正直どうでも良い、というのも正しい。無論、無策で良いというわけではないが、邪神が目覚めるか否かさえ邪教徒にもわからないのだ。いっそ無視したって問題はない。

 が、潰そうというのなら、情報は欲しい筈だ。ならばなぜ、脳を摘出して全てを奪おうとしないか。それが気になった。これに、アレクシアは笑った。


「あら……貴方達の邪神がいるのなら、当然女神もいるのでしょう? なら、条件は一緒。それなら私達が負ける道理はないわね」

「……自信満々だな」

「ええ……それに、貴方はまだドライの本当の力も知らないようだし……」

「あの銀化か?」

「ええ……あれが何か、貴方は知っていて?」


 楽しげに、アレクシアは問いかける。ドライの銀化。それは彼女が本気になった時に起きる現象の事だ。これは<<神話の猟犬ヘル・ハウンド>>では一般的にアレクシアが授けた力として知られていた。


「……知らねぇな」

「でしょう?」

「何なんだ?」

「さて……教えないわ。けれど、あまり貴方達もドライとツヴァイを舐めないことね。だから、問題無い。貴方達の事を知る必要も無いのよ」

「……」


 全幅の信頼。アレクシアの言葉からはそれが伺い知れた。何より、今回の一件も全て見通していた彼女の知性まである。これを油断というか強者故の余裕とみるかは、判断の別れる所だった。そうして、アレクシアはその後少しの間今回のカインとの戦いの事などを聞いて聞くべき事は全て聞いた、とその場を後にするのだった。

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