第46話 疑念

 リアーナの申し出をきっかけとして行われたアクアの寮室でのお茶会。それについてはひとまず、つつがなく終わりを迎える事となる。そんな日から、数日。アクアは今日も今日とて学業に精を出していたが、それもこの日で一旦は終わりとなることとなっていた。


「というわけで、諸君らはより精神を研ぎ澄ませなければならない」


 体育の授業を受け持つ紫龍が正座やあぐら等、各々の方法を持って精神鍛錬に入る直前のアクアらへとそう告げる。今日の演習は相手の動作の予兆を掴む事らしい。

 相手の動作が先んじて掴めれば防御は出来るし、逆にカウンターを叩き込む事だって出来る。攻防兼ね備えた訓練だった。とはいえ、そのためには魔力の流れを見切る必要があり、戦闘中にそれをなす為には高度な精神鍛錬が必要だった


「では、これより三分間瞑想を行え。その次に、そのままの状態を維持しつつ、俺の放つ闘気を見切る訓練を行う。本日はその繰り返しを半分。それを試す事を半分行う……では、黙想始め」


 紫龍は一通りの解説を終わらせると、生徒達に瞑想に入らせる。なお、当然だが生徒だけではなく従者達も一緒に瞑想させている。カインやリーガを筆頭に大半の従者達にこれが不要だとは彼も思うのだが、主人の建前彼らも行わせるべきだろう、という判断だった。


「ふむ……」


 そんなわけで瞑想を開始したカイン達であるが、そんな光景を心眼で見る紫龍は数人の従者を見て感心した様に頷いた。やはり一言で従者と言っても腕の練度に差はある。その中でも更に数人は彼をも唸らせる精神の集中が見受けられたのだ。


(……やはり流石はオルデン家の戦士か。数年前の事件において、ただ一人でテロリストを殲滅してのけたという猛者。無事に生還するのであれば、当然の様に流れを見切るか)


 そんな数人の中でもやはりリーガは別格と言えたらしい。常日頃はヘルトと共に暑苦しい主従の彼であるが、一度戦闘に入ればそこは戦士だ。一気に冷静さを取り戻す。いや、正確に言うのであれば暑苦しい事は暑苦しいが、暑苦しくも常に冷静なのだろう。不可思議な物言いであるが、これが一番正確と言えた。


(……)


 そんなリーガを見ていた紫龍であるが、ついでもう一人別格と言い得るカインを見て得たのは訝しみだ。

 確かに常日頃は燕尾服の優男という形容詞が良く似合う柔和かつ穏やかな男性を演じている彼であるが、瞑想するその姿はやはり超常の戦士と言って過言ではない。が、それでもなお、違和感が拭えなかった。


(……どこか、皇龍様に似た匂いがある)


 カインを見て思ったのは、己の師にして偉大なる英雄の一人でもある美丈夫の事だ。現代においては最強にして最優の剣士の名をほしいままにする彼の姿が、カインの背に浮かび上がる。


(が……可怪しい。皇龍様の直弟子は我が一門か、七星様の<<神話の猟犬ヘル・ハウンド>>の隊長級のみ。あそこの隊長級が裏切ったとは一度も聞いた事がない。では、亜流か? にしては、妙に師の姿がちらつく……)


 どうしてもカインの背に浮かぶ己の師の姿が頭から離れない紫龍は、なぜそうなのだろうか、と考える。が、そうしてどんな筋道を立てても、答えは出なかった。とはいえ、そんな事を考えていれば三分間なぞあっという間だ。故に彼は三分が経過した段階で、思考を切り上げた。


「そこまで。では、実戦に移る。実戦であるが、今の諸君らがその状態を保ちながら攻撃に移る事は難しい。故に本日は俺が攻撃を引き受けるので、それを回避する事に専念しろ」


 これはあくまでも訓練だ。故に紫龍は自分が師から教わった様に段階を踏んで訓練をする事を心掛けており、今回は回避に専念させる事にしていた。


「何時、どこから攻撃が来るかというのは明言はしない。それを避ける事がこの訓練における肝要な事だ」

「「「はい、紫龍師」」」


 生徒達の返答を聞いて、紫龍は一つ頷いて訓練用に持ち込んだ模造刀を腰だめに構える。彼ほどの戦士となると、斬撃を自由自在に発生させる事が出来る。と言っても今回はそれをするが、予兆ははっきりと分からせる程度には抑えてやるつもりだ。


「……」


 僅かな沈黙が、体育館の中に舞い降りる。それが続く事、幾許か。唐突にヘルトがあぐらのまま状態を倒し、不格好なでんぐり返しの様に前へと飛び出した。


「っ!?」

「見事だ」

「ありがとうございます」


 いくら暑苦しいヘルトとは言え、教えを受ける相手にまで暑苦しい態度を取る事はない。故に彼はあくまでも武芸者としての静かな態度で頭を下げる。

 が、そんな彼に対して、紫龍がわずかにほくそ笑んだのを数人の従者達が気が付いた。そんな数人の中には、当然リーガも含まれていた。それ故、彼は思わず口を開く。


「ヘルト様!」

「うぐっ!?」

「甘い。一撃避けたからと安堵する。これが戦場であれば、二撃目で死んでいる。俺は一度しか放たぬとは言っていない。無論、一人にしか放たぬとも。今の一撃。貴公であればそのままの状態を維持していれば避けきれたはずだ」

「ぐ、ぐぅ……し、失礼致しました……」


 おそらく、それ故に自分が選ばれたのだろう。ヘルトは軽く頭に一撃を受けて蹲りながら、少し楽しげな紫龍の言葉に謝罪を述べる。と、そんな紫龍であったが、ヘルトへと再度の着席を命じながら改めて告げる。


「まぁ、そうは言っても今の一撃は俺が敢えて不意を打つ様に組み込んだわけではあるので、貴公が気にするほどの事ではない。だが一度避けきれたから、と安堵するのは早計だし、何よりそこで途切れては訓練の意味が無い。戦場では攻撃が二度三度と続く方が自然で、一撃で終わる方が珍しい。一撃を避けた後もその状態を維持し、二度三度と避けられる様になる事を目指せ」

「はい。引き続きご指南ご鞭撻のほど、よろしくおねがいします」


 再びあぐらを掻いて座り直したヘルトは、そのまま深々と頭を下げる。ヘルトとて学内では有数の武芸者として知られている。この紫龍の指摘は尤もとして受け入れられており、一度避けられたからと気を抜いた己の浅慮を恥じるだけだ。


「さて……とはいえ、これは訓練。常に張り詰める必要はあるまい。俺が着席を命じたのなら、そこでこの訓練は終わりとなる。どの程度の間を空けて着席を命ずるかは、その時次第と考えよ。では、再び瞑想」


 紫龍はヘルトを実験台として生徒達に改めて訓練内容を明言すると、改めて瞑想に入らせる。


「……」


 しばらくの沈黙を得る中で、紫龍は改めて心眼で生徒と従者達を監督する。そんなわけなのだが、今度は複数人に向けて狙いを定めた。


(試して……みるか)


 やはり瞑想の姿を見るに、紫龍はカインの背に皇龍の姿が浮かび上がるのを避けられなかった。というわけで、彼はこの複数人の中にアクアとカインの両名を含める事にする。そうして、彼は一瞬で複数人に向けて斬撃を放ってみた。


「「「っ」」」


 自分達が標的となった事に気付いた主従達が一斉に各々の出来る様に回避や防御の姿勢を取り、紫龍から放たれた斬撃を防ぎ切る。それはもちろん、カインとアクアの主従も一緒だ。


(初撃……下半身狙いの一撃。二撃目……アクア様の背後)


 自身が立ち上がって避ける事を想定した一撃に対して、カインの動作に迷いはない。別に主人への攻撃を従者が防いではならない、とは言われていない。そもそもアクアは魔術師。カインという優れた盾と剣があってはじめて生きる。


(防ぐか)


 アクア狙いの一撃を難なく裏拳で処理してみせたカインに対して、紫龍は僅かな感心を得る。今の一撃は明らかに学生達に向けた領分を超越していた。


(三撃目……デカい!? 馬鹿か!? 学生に向けての物ではないだろうに!)


 まさかの展開に、思わずカインが目を見開いた。紫龍の放った三度目の攻撃は、カインもろともアクアを狙う一撃だ。まともに対応しては対応出来ない攻撃。それを、彼は理解した。


「アクア様!」

「はい!」


 おそらくこれを、阿吽の呼吸と言うのだろう。カインの声掛けを受けるや否や、アクアは全てをカインへと委ねる。それを受け、彼はアクアの腕を取って引き寄せると、即座にお姫様抱っこ。屈んで全身をバネの様にして、大きく飛び上がった。


(まだやる気か!?)


 飛び上がったカインであったが、更に続く四撃目の気配に思わず顔を顰めた。明らかにここまで来ると、学生の領分を大幅に超越している。更に言えばカインは今、両手が塞がっている。故に、アクアが杖を振りかざす。


「はっ!」


 きぃん。金属がぶつかった様な音が鳴り響く。アクアの張った結界と紫龍の障壁が激突したのだ。そうして四撃目を防いだわけであるが、これでもまだ終わらなかった。


(っ!)


 これは終わらない。カインは五撃目の予兆を見て、紫龍がまた続けるのだろうと直感で把握する。なぜこんな事をしたのかは、彼には分からない。が、それでも。このまま続けて益は無い。故に彼はこの茶番劇を終わらせるべく、行動する事にする。


「アクア様。滑空で回避を」

「わかりました。カインは?」

「打ち込みます」

「ご武運を」


 空中にて即座に打ち合わせを終わらせたカインとアクアは、一つ頷きあう。そうしてカインはお姫様抱っこの状態のアクアを思いっきり前方へ向けて放り投げ、自身はその反動を利用して一気に急降下。紫龍目掛けて一気に突っ込んだ。


「……」


 自身に向けて突っ込んでくるカインに対して、紫龍はまるでこれこそが狙いであったと言わんばかりに冷静だった。そうして、一瞬。カインと紫龍の心眼が交差する。そして、直後。カインの手刀と紫龍の刀が交差した。


「……紫龍様。些か、お戯れが過ぎるかと思われます」


 手刀を以って紫龍の七撃目を防いだカインはそのまま紫龍の持つ刀の柄を掴み行動を制止しており、いざとなったらそのまま奪取する事さえ可能だった。そんなカインがわずかに強い口調で告げるや、紫龍も手の力を抜いた。


「……失礼した。貴殿が腕利きである事を見て、少々興が乗った。俺も根が武芸者故、許せ」

「いえ……こちらこそ、教師に刃を向けるなぞ失礼致しました。どうか、ひらにご容赦を」


 ここらが落とし所か。そう判断した紫龍の謝罪に、カインもまた頭を下げる。彼はあくまでも従者。今回は主人の身に危険が考えられたので手を出したが、修行という形式上本来は紫龍に手を挙げるなぞあってはならない事だ。

 が、そもそも紫龍はこうなるだろうとわかっていてやっていた。なので彼としてもこの火種を燃やして得となる事はない。というわけで頭を下げたカインの横に、アクアが舞い降りた。


「アクア嬢。見事な回避だった。数度の防御と従者との連携。お手本の様な戦い方と言ってよかっただろう」

「「「おぉおおお」」」

「ありがとうございます」


 紫龍よりの掛け値なしの称賛に、呆気にとられていた生徒達が歓声を上げる。それに対してアクアは優雅に腰を折る。それに、紫龍は一つ頷いた。


「ああ……では、戻って良し」

「ありがとうございます」

「が……一つ問いたい」


 紫龍の許可に頭を下げて再び先程の場所に戻ろうとしたアクアであったが、そこに紫龍より問い掛けが飛ぶ。


「貴殿の従者……何者だ?」

「何者、とは?」

「今の無刀取り……柳生流では無い様に見えた」


 紫龍が見たかったのは、無刀取り。自分と同系列かその亜流と思しきカインほどの腕を持つ者が、無刀取りを出来ないとは思わなかった。そして立ち振舞から自身の流派か、柳生新陰流のどちらかだと思ったらしい。


「しからば、我が一門としか考えられない……が、貴殿の従者ほどの者を俺は知らん」

「カイン」

「は……紫龍様。確かに、私は皇龍様の流派にて学んでおります」

「やはりか」


 アクアの命を受けたカインの明言に、紫龍は道理を見て一つ頷いた。これについてカインもアクアの体育教師が紫龍の時点で隠しきれるものではないと判断していた。なので下手に隠して腹を探られるより、と敢えて認める事にしたのである。


「が……ご存知無いのも無理はありません。私は傍流も傍流。末端の道場で学んだに過ぎません。それでも、師に十年師事しまして無刀取りまでたどり着いただけの事です」

「我が流派と同じであるのなら、御前試合に出る事もあると思うのだが」

「主人の手前、従者が目立つわけにも参りません」


 紫龍の指摘に対して、カインは何時もの柔和な笑みで首を振る。そうして、彼はそのまま道理を説いた。


「あくまでも、私はアクアお嬢様の従者。オーシャン家の従属の一人です。その従者が御前試合にて目立つなどと言う事があってはならぬ事。紫龍様もご存知かとは思いますが……皇龍様の流派には高貴な方々が幾人も師事されております。負ける事は容易いことですが、その様な事になればオーシャン家の名に差し障る。かといって主人の名誉の為に勝つ、というのもオーシャン家とその家との軋轢になりかねません」

「ふむ……」


 カインの言っている事は筋は通っていた。例えばこの場にも居る紫苑の妹の飛鳥。彼女とその従者である清十郎は流派としては彼らと同門となる。そして腕を鑑みればカインが勝つ事は容易だ。

 が、やはり言い方は悪いが従者風情にに主人や家人が負けてはその家の立つ瀬が無い。それが相手が大神家ほどの大家であれば、日本列島に本拠地を置くオーシャン家としても避けたい事だろう。


「それで、今の今まで知られる事も無かったわけか」

「そうなのだと」

「……そうか。それは残念だ。貴殿と御前試合で相見えていれば、おそらく良い勝負となっただろう」


 改めてになるが、カインの言葉には筋が通っている。故に紫龍はまだ疑念を残しながらも、この場は引くしか無かった。それ故、ようやく引いてくれた彼にカインが頭を下げた。


「ありがとうございます」

「いや……授業中にも関わらず、私事を交え申し訳ない。諸君らも済まなかった……では、改めて訓練を開始する」


 頭を下げたカインに紫龍もまた頭を下げ、合わせて生徒達にも小さく頭を下げる。そうして、彼は改めて気を取り直して授業を開始するのだった。

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