第42話 ただの日常を ――カイン編――

 生徒会の人手不足を受け、新たに迎え入れられる事になったリアーナとカミーユ。この二人が他に先駆けて新たに加わって再出発をしたアトラス学院高等部生徒会であったが、アクアはその内アリシア、リアーナと共に人手不足により休止していた生徒会会報の再始動に向けて動き出す事となる。

 そうして再始動した生徒会であったが、その最中。偶然にもリアーナが紙媒体での本に興味を抱いた事により、アクアは寮室にアリシア、リアーナの両名を招く事となる。

 と言っても流石に生徒会活動が終わってすぐ、というわけにもいかない。アクアにも準備が必要だ。というわけで、翌日になりカインは昼が終わった時点でアクアより許可を受け、三人をもてなすべく一足先に寮へと帰還する事となる。

 幸いこの日は生徒会活動は休みだったらしい。毎日毎日生徒会活動、と言ってもやはり高位高官の子女も多い。習い事や社交界での活動もある。無理なのが当然だった。


「と、いうわけですので、アクア様のご学友が来られます」

「そうですか。わかりました。わざわざありがとうございます」


 まずカインが行ったのは、寮監となるエアルへの許可を得る事だ。基本寮の門限に違反しない時間内であれば部屋の往来は自由となるが、一言寮監に断っておくのが筋だった。と、そうしてひとまずの許諾を得たわけであるが、そんなカインにエアルが問い掛けた。


「そういえば……カインさん。確かカインさんもオーシャン社の関係者……でしたよね?」

「はい。一応、私は社の従業員というよりオーシャン家の従者となりますが……非常時には弟と同じく旦那様の秘書としても活動しております。それが如何なさいました?」


 一応、カインは表向きはオーシャン社の従業員ではなく、アクアの専属の従者となっている。これは公的な立場となり、周知の事実でもある。

 が、それでもカインの身は一つ。何時も双子の弟と偽って動く事は出来ない。なので職務上必要な場合には、オーシャン社社長となるアクアの父とされている人物の秘書としても動ける様に登録していたのであった。


「ミリアちゃんと会う機会……あるかしら? あの子の妹の手紙がまた届いてて……届けてあげたいのだけど、まだ帰ってないのよ」

「そうでしたか。わかりました。彼女の身柄は軍と共に、オーシャン社が管理しております。社の方に伺いましょう」

「お願い出来ます? まさかここまで長くなるとは思ってなかったのよ」


 困ったわ。エアルは何時もののほほん、とした様子でミリアリア宛の手紙を取りに部屋に向かう。当然だが、エアルもまたミリアリアの背後を知らない。

 なので中々終わらない軟禁状態に困っていたのだろう。というわけで、幾つかの封筒が入ったクリアファイルを持ってきた。


「おや……三通も」

「どうにも病院を転院したらしいの。それで、新しい風景を撮影するのが楽しいみたいね。立て続けに届いたのよ」

「そうでしたか」


 エアルから手渡されたクリアファイルを手に、カインは一つ頷いた。そうして、彼はしっかりと請け負った。別にこの程度断る必要も無いからだ。


「では、こちらできちんと彼女へと手渡させて頂きます」

「お願いします」


 頭を下げて応諾を示したカインに、エアルもまた頭を下げて依頼する。そうして、カインは彼女と別れて一度アクアの寮室へと戻る事にする。


「さて……」

『嬉しそうですね』

「アクア様?」


 唐突に脳裏に響いた声に、カインが僅かに目を見開いた。念話、と呼ばれるテレパスに似た魔術だ。神としての力でカインの行動を観察――もしくは監視とも言う――していた所、カインが少しだけ微笑んでいたのを見て声を掛けたのだろう。


「……姉妹の仲が良くて良い事だ」

『明日にでも申請をしておきますから、行ってきて下さい。ミリアリア女史も楽しみにしているでしょうし』

「かしこまりました」


 アクアの指示に、カインは微笑みと共に頭を下げた。そうして、アクアは再び授業に戻る事となる。


「さて……まずは何をするか」


 アクアが授業に戻った傍ら、カインはカインで作業に取り掛かる。そんな彼は、まずはやるべき事の確認を行う事にした。


「まずやるべきは、清掃。次に、もてなす為の軽食。軽食は何にするべきか……」


 基本年単位で眠るアクアの世話は暇な時間が多い。なので暇にかまけて料理教室に通った事のあるカインは、大抵の料理は作る事が出来る。

 それ以外にも長生きであり、少しの理由から大戦より前の料理だって作る事が出来る。そんな彼がまず鑑みた事は、今の時間とアクアらの帰宅時間だ。


「……アリシア嬢は確かに運動は出来ないでもないが……リアーナ嬢がどうかわからんか。あまり重い食事は止めておくべきだな。昼以降に体育も無いし……」


 となると、軽く食べられて紅茶に合う料理にしておくか。カインはそう考えると、とりあえず仕込みだけはしておく事にする。

 冷蔵庫に仕舞うなり鍋にそのままにするなり、どちらでも良いがとりあえず時間が掛かるならそちらを優先しておきたいだろう。そのために、彼は一度冷蔵庫を見る事にした。


「となると、材料は牛乳や卵はあるな……いや、アリシア嬢やリアーナ嬢の手土産がどうなるかわからん。軽めの茶菓子にしておいたほうが良いか……っと、来たか」


 カインは何を作るか材料を見ながら考えていると、そこに通信が入ってきた。どうやら、それははじめからわかっていたものらしく、特に驚きは無かった。


「ナナセさん。ありがとうございます」

『いえ、こちらこそお嬢様がお邪魔致します』


 通信を入れたのは、ナナセだ。リアーナは仕方がないとしても、アリシアの好みについては調査が出来る。なので予めナナセに依頼して、彼女がどういった物を好むのか、アレルギー等は無いか、というのを教えて貰う事にしたのである。


『と、いう所でしょうか。基本、お嬢様にアレルギーはありません。が、苦い物はあまり得意では無いご様子で、意外と甘めの子供っぽい物を好まれます』

「そうでしたか。ありがとうございます」


 ナナセから教えられたアリシアの嗜好に、カインが笑って頭を下げる。というわけで、それを得たカインは自分の頭で描いていた料理を軌道修正する。


「さて……子供っぽい物が好き、と……ふむ。確かアリシア嬢はブリテンの出身だな。となると……ショートブレッドにしておくか。中にチョコチップやアーモンドとかで味を変えれば、好みに合わせられるし紅茶にも合う」


 カインはアリシアの好みとアクアの好みを鑑みて、お互いに一番妥協が出来る料理を考える。そうして考えたのが、これだったらしい。


「子供っぽいものが好き、ね……誰かを思い出すね。いや、誰かと誰か、かな……」


 カインは少し懐かしげに笑いながら、もてなしの為のショートブレッドを作っていく。相手はいくら上流階級が片方とはいえ、基本は年頃の少女だ。なので高級な茶菓子ではなく、こういう物で良いだろうと判断していた。


「そういえば……アクア様にお説教しておかないと。あんな下着、どこで入手したんだか……」


 バターを練り合わせながらカインが思い出したのは、アクアの寝室の事だ。基本的にカインとアクアは一緒に寝ていて、その部屋は基本的にカインの寝室とされている部屋だ。が、それだと流石に外聞を考えれば問題だ。なので一応、彼女の個室も用意していた。

 カインの部屋を使っているのは、もし万が一今回の様に友人を招く際、彼女の寝室に入る可能性が無いではないと考えたからだ。

 その場合にもアクアの風聞に影響しないように、基本はカインの寝室を生活スペースとしてなるべく汚さない様にしていたのである。

 が、使わないわけではなく、アクアが何かいたずらを考えている時には使われていたのであった。無論、今回の来訪に合わせて部屋はきちんと清掃していた。


「どこの誰だ、アクア様に要らない知恵を付けさせたのは……アクア様に男を誘惑する下着なぞ要らんと言うのに。アルマさんにもアクア様の頼みだからと買わない様に言っておかないと……」


 まぁ、ここらカインはやはりアクアに対しては過保護だと言って良いのだろう。男を誘惑する様な色っぽい下着だった事を思い出して、一人憤慨する。

 なお、これについてであるが、当然それを教えたのはアリシアではない。アクアもアリシア以外には友人は居て、そんな彼女らから教えられたらしかった。


「よし。こんな所かな」


 カインはバターと薄力粉が綺麗に一つに纏まった所で、一つ頷いた。今回、アクアはあくまでも客を招く側、ホストだ。

 なので基本的な趣向はアリシアの物に合わせるつもりだった。というわけで、イギリスで一般的な茶菓子となるショートブレッドと言われる茶菓子を作っていたらしい。


「さて……安易にチョコチップというのもありだが……それだとあまりに安っぽいな。そう言えば、ベリー系か……ああ、抹茶があるな……これを使って……」


 カインはショートブレッドの味付けを考えながら、少しの間どう料理するかを考える。そうしてそれを考えついた彼は、ふと何かを思い出した。


「そういえば……アクア様。ここでのんびりするのは良いんだが、あの方の事は良いんだろうか……」


 ふと、カインは何かが気になったらしい。あの方、というのはアクアがアリシア以外に友人と掛け値なし呼べる相手の事だ。その彼女の事をふと思い出したのである。


「まぁ……あの方も寝ていたから別に問題はないか。あの方もあの方でねぼすけなんだよなー……今度は十年後ぐらいかね、起きるのは……」


 何より、一応断りは入れたし。カインはどうせ目覚めない事もあり、特に気にしない事にする。と、いうわけで彼は各種の味付けを行ったショートブレッドの生地の形を整える。


「これで……よし。さて……一度冷蔵庫で寝かせないといけないんだったな。キッチンペーパーは、と……さて……これで一旦は待ちだな」


 やはり流石は百年単位で料理教室に通っていたからだろう。カインの手付きは何時もとは違うお菓子作りだというのに、迷いが無い。そんな彼であったが、そんなお菓子作りが一段落した所で、ふと遠い目をした。


「……何回か奥様方ばかりの料理教室に行ってる時にアクア様が目覚めて拗ねた事あったなぁ……あの時、機嫌直すのにどれぐらい時間掛かったっけなぁ……」


 基本、アクアは長ければ百年単位で眠りに就くらしい。現にカインが見ていた限りでも二、三年眠る事はよくあった。

 が、何時目覚めるのか、というのはアクアにさえ読めない。それをカインが見切れ、というのは無理で、料理教室に通っている時に偶然目覚めた事もあるらしかった。


「そうだ。久しぶりに夜は薬膳料理を作っても良いかもしれないな。そうと決まれば、クコの実だの何だのあったか確認しないと……」

『カイン、カイン。薬膳といえば精力増強とか無いですか?』

「アクア様……どうしたんですか?」

『いえ、薬膳と言えばカインには精力増強とか必要かな、と』


 どうやらアクアは神としての権能でカインの行動を見ていたらしい。そんなアクアに、カインは笑って首を振る。


「アクア様……別に必要無いですよ。体調はきちんと管理しています」

『でも、カインも男の子ですからね。そしてカインは人間。性欲が溜まるのは仕方がない事です。たまには発散しないと駄目です。でも、発散するだけじゃ』

「もう良いです……わかりました。豚肉とにんにくあたりの精力が着く料理にします」


 とどのつまり、イチャイチャしたいだけね。それを把握したカインは、ため息と共にアクアの求めに応ずる事にする。昨日はアクアの寝室の掃除に忙しく、アクアは先に寝ていた。なので、というわけなのだろう。

 そうして、カインはアクアの求めに従って夕食を考えながら、再びもてなす為の軽食を作る事にするのだった。

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