第13話 路地裏にて

 少しだけ、話はアトラス学院から横に逸れる。アクアらが学業に勤しんでいた一方その頃。カインはというと常には待機室に控えているわけであるが、時と場合によってはアクアの命令で外に出る事があった。これは従者であれば当然の事だ。

 なので彼はアクアの命令を受けた形で、学院の外に出ていた。無論、これそのものは嘘ではない。事実として、アクアの命令で外に出ている。というわけで、この日もまた、彼はアクアの命令で外に出る事になっていた。


「アクア・オーシャンお嬢様の従者、カイン・カイ。お嬢様のご命令により、夕食の食材を手に入れる為に街に出たい」

「……はい。確かに確認させていただきました。お疲れ様です」


 アトラス学院の門番に申請書を見せたカインは門番が開けてくれた校門を通って外に出る。申請はアクアによりされているものだし、偽装ではない。なので問題なく外に出る事が出来た。

 なお、この理由だがこれは比較的従者が外に出る際に多用されている理由だ。学食や寮の食堂でご飯を食べる事も多い寮生であるが、同時に従者が居る者は従者が食事を作る事が多い。となると、食材も各自で確保する必要が出る場合がある。そうなると、学外に出て買い出しの必要があった。


「やれやれ……疲れるな、この丁寧な口調も。そもそも、丁寧な口調と言われて育てられても居ないんだが……」


 外に出て己を知る者が誰も居なくなった所で、カインは気怠げに首を鳴らす。確かに従者としての仕事は楽しいし、アクアに仕えるというのは彼の好きでやっている。それについては今後も可能なら一生続けたいな、と思っている。

 が、アクアの世話以外はやはり面倒と感じる事はままあったらしい。彼はアクアが好きなのであって、それ以外については基本どうでも良いのだ。

 と、そんな彼が向かう先はオーシャン社に用意させたセーフハウスの一つだ。そこに尾行や監視が無い事を確認して密かに入ると、手早く作業に入る事にした。


「さて……まずは着替えないとな」


 これからするのはアクアの世話とはまた別の仕事だ。その為には、従者の服を着ているわけにはいかない。自身が『アクア・オーシャンお嬢様』の従者『カイン・カイ』であるとバレては駄目なのだ。

 そしてこれから向かうのは裏の筋の者たちが屯するエリアだ。そこに燕尾服の美丈夫が立ち入れば悪目立ちしてしまう事は請け合いだし、要らぬトラブルも引き起こしかねない。仕事に差し障る。


「……良し」


 燕尾服を脱いだ彼はこちらもオーシャン社に用意させていた量産品のジーンズとジャケット、無地のTシャツを着用する。どれもこれもが今どきの若者向けの服装だ。

 彼は更にワックスで髪型を乱雑に整えると、一気に優男からちょいワル風の若者に早変わりした。が、これではまだ足りない。

 これでは単に若者が悪ぶっているだけで、その筋の者たちにとっては若者が少し調子に乗って裏にやってきただけと思われる。これもまた、揉め事の原因だ。

 裏の筋の者たちは調子に乗っているだけの奴が一番嫌いだ。だから街に馴染んだ者、自らも裏の住人であると思わせる必要があった。


「……」


 少しだけ、カインは目を閉じて己の意識を意図的に切り替える。そうして目を開くと、彼の目からはわずかに光が失われ、裏稼業で生きてきた者特有の冷酷さが滲み出た。


「良し……オペレーター」

『はい、カイン様』

「準備が整った。仕事に入る。補佐しろ」

『かしこまりました。既に裏の情報屋のリストは入手済み。リストアップも出来ています』


 カインの指示を受けて、オーシャン社の特殊部隊のオペレーターが即座に補佐を開始する。そのオペレーターの口調は丁寧で、カインが相当高位の地位に居るだろう事が察せられた。そうして、即座にカインのデバイスへとオーシャン社が手に入れた情報が表示される。


「ふむ……わかった。この女との接触を図る」

『……アクア様に怒られませんか?』

「仕事だ。気にしてもいられん」


 オペレーターの言葉にカインはため息を吐いて、情報屋との接触を明言する。カインが選んだのは、裏町で風俗店をいくつも経営する女主人だ。調査によればまだ三十代前半という事で非常に若いらしいが、かなりのやり手らしい。

 それと同時に、風俗店故に手に入る情報を裏では売買しているそうだ。その情報網は非常に広く、一番情報を持っていると推測された。

 が、同時に一番危険度の高い相手でもあった。仕事上と立場上、非常に強力な子飼いの猟犬を手にしている。それとの一戦も覚悟せねばならなかった。


「さて……」


 カインはいくつか用意させた身分証の中で、この仕事に最も適した裏稼業を担う者の身分証を取り出した。この身分証の中には武器の帯同許可も含まれており、町中でも武装が許可されていた。魔物が存在するこの時代だからこそ、それを狩る事を生業とする者が居る。その一人としての身分だった。

 無論、それでも公序良俗は求められるので安易に振り回せるわけでもないし、そういう者が治安の良い場所に居着く事はない。なので裏の街に出入りしていても不思議はない。


「では、行動を開始する。以後、必要が無い限りの連絡は控えろ」

『かしこまりました。適時、情報はデバイスに転送します』

「頼む」


 カインはオペレーターの言葉を聞きながら、セーフハウスを後にする。向かう先は先に言っていた通り、この時代のどの街にも存在する治安の悪い一角だ。

 そこは風俗店やガラの悪い飲食店などが軒を連ねるスラム一歩手前のエリアで、決してアトラス学院の学生達は近づかない地帯だった。


「おにいさーん。どう、一晩。安くするわよ?」

「ねぇ、こっちよー」

「あんっ、釣れないわねぇ」


 まぁ、いくら変装しようとカインの元々の顔立ちの良さは消せない。それどころか危うい色香が前面に出た所為でより一層高まったとも言える。なので裏町に入るや否や、カインへと色気の漂う娼婦達が近づいてきた。が、それに対してカインは何かを言うではなく、静かに一瞥するだけであった。


「「「っ」」」


 明らかに裏世界の住人。カインの目の冷たさを見て、娼婦達は全員が彼がヤバイ人物だと把握する。が、無論彼女らとて裏社会の住人だ。

 気圧されはすれど、気圧されるだけだ。怯え、逃げ惑う事は無い。が、確かに気圧されたのだ。故にその隙を突いて、カインは娼婦達の勧誘を無視して通り抜ける。


「凄いイケメン……」

「やばい……濡れそう……」

「あんな奴、この街に居たんだ……」


 後ろで聞こえる娼婦達の感嘆の声に、カインは一切心を動かされない。ただ冷え切った氷の如く、一切合切を無視する。そして更に歩き続けると、今度はガラの悪い者たちが屯する一角へとたどり着いた。

 となると、必然としてどうしてもカインの顔は悪目立ちする。こればかりは仕方のない事だ。そしてどうしてもこの時代の裏社会に居る男達の大半は見た目が良くはない。

 己の見た目を気にしない者が大半だからだ。気にしようと思うつもりもないだろう。その癖、見た目が良い奴には即座に喧嘩を売るのだから始末に負えない。故に、こうなるのは必然だ。


「……あん?」

「見慣れねぇ顔だな」

「新入りかぁ?」

「いい服着てるじゃねぇか。外のブランドモンかぁ?」

「はぁ……」


 早々にこれか。副聖都と言えどもやはり裏は裏だな。明らかに自分を見て言っているらしい荒くれ者達に対して、盛大にため息を吐いた。と、そんな明らかな侮蔑の態度に、荒くれ者達がいきり立った。


「あん……?」

「おい……」


 顔立ちの良い奴が明らかに侮蔑したのだ。どうでも良いと思っていた荒くれ者達でさえ、一気にカインに対して敵対心を抱くには十分だった。

 これについてはカインは狙ってやっていたわけではない。自然とため息が出ただけだ。敢えて回避しようとしてもいない。というより、この程度の奴らなぞどうでも良いと捉えている。なのでこの程度の揉め事は揉め事や厄介事とさえ考えていなかった。


「おい、お前……ちぃっと待てや」

「見ねぇ顔だなぁ……」

「ここらのルールってもんを知らねぇようだなぁ」


 いきり立った男達がカインの周囲を取り囲む。それに、カインは再度盛大にため息を吐いた。


「失せろ。邪魔だ……親から人の通行の邪魔をしてはいけません、とは教わらなかったか?」

「あぁ?」

「てめぇ、状況わかって言ってんのか? 逃げるってんなら今のうちだぜ? まぁ、逃さねぇけどな!」

「「「ぎゃははははは!」」」


 この期に及んでの挑発だ。男達は更にボルテージを上げていく。実のところ、カインとてこの揉め事を回避しようと思えば回避出来た。敢えて回避しようとしていない、という事は逆説的に言えばやろうとすれば回避出来る、という意味だからだ。


「どうやら自分がちょっと俺たちより顔がイケてるからって、武器を持って調子こいてる様だな、おい。ここにゃ、サツもこねぇんだぜ?」

「ん?」


 男の一人の言葉に、カインはそう言えば自分が武器を帯同していたんだったか、と思い出す。彼が帯同していた武器は刀。大太刀と呼ばれる刀で、しかも腰に二つ帯びていた。が、これを抜くつもりは一切無かったのですっかり忘れていたのであった。


「……ああ、これか……こんなものは貴様らに必要はない。無論、殴りの道具としても使わんから安心しろ」


 何より、アクア様の許可も無い。カインは内心でそう言いながら、腰の刀を取り外し鯉口を閉ざしている布をぐっと、敢えて荒くれ者達にもわかる様にしっかりと結びつける。

 これでついに、男達がその怒りの沸点を突破した。どう見ても、どう考えても嘲られているとしか思えない。元々苛立っている所にこれだ。最後の一線を突破するに十分だった。


「やっちまぇ!」

「殺したって問題はねぇ!」

「「「おぉおおおお!」」」


 いきり立った男達が一斉にカインへと襲いかかる。手には粗悪なナイフやら粗悪な片手剣やらを握っている者もおり、間違いなく冗談ではすまされない状況だ。が、これにカインは牙を見せた。


「いいぜ……ちょっとストレス溜まってたんだ。遊ばせろ」


 獰猛に、荒々しく。ここで己の本性を隠す意味は一切無い。アクアは居ない。見られて問題となる奴らは誰一人としていない。そして、ここに居るのはアクアの従者カインではなく、裏稼業を生業とする傭兵のカインだ。

 暴れたとて問題は一切無い。なにせ、男達自身が言っていた。ここに警察は来ない殺しが起きても問題はない、と。

 それ故、彼は冷酷に笑いながら軽い感じで男達の背丈を上回る跳躍を見せる。が、その速度は到底、男達に見切れるものではなかった。


「「「っ!?」」」


 唐突に目の前から居なくなったカインに男達は困惑する。が、彼は居なくなったわけではない。わずかに上空に跳び上がった彼は、重力を加速させて一番大柄な男の脳天に踵落としを叩き込んだ。そして、轟音が鳴り響いて小さな地震が起きる。


「おっと……悪いな、足蹴にしちまったか。だがジャンプした所に呆然と突っ立ってたお前が悪いだろ?」


 ぐりぐり、と地面に頭をめり込ませた男の後頭部を右足で踏みにじりながら、カインが獰猛に笑う。その姿はまさしく、裏社会において戦う事を専門にして戦いを好む裏稼業に生きる戦士の顔だ。まぁ、それを演じているのだから当然だ。

 が、男達とて裏社会で生きているのだ。こちらから喧嘩を売って逃げました、なぞ彼らの沽券が許さない。だが絶対に勝てないと本能が悟っている。故に、男達は僅かな停滞を生んでいた。そうして、カインが再度消えた。


「はっ!」

「ぐぇ!?」


 気付けば、また一人。今度はカインのボディー・ブローによって地面に倒れ込む。が、その次の瞬間にはまたカインの姿が消えていて、今度はこの倒れた男とはカインの包囲網の逆側の男の一人が顔面に回し蹴りを食らっていた。


「安心しろ……殺すと血の匂いが染み付く。これから女と会うのに、血の匂いはさせたくないんでな」


 一瞬で三人の荒くれ者を打ちのめしたカインが着地して、尚も自身を包囲する男達へと告げてやる。その顔には一切の容赦もなく、しかし事実しか言っていない事をわからせるだけの力強さがあった。


「……逃げるのなら、今のウチだぜ?」


 カインは敢えて、先程男達の一人から言われた言葉をそっくりそのまま返してやる。しかし、その次に続いていた言葉は言わない。

 逃げるのならお好きにどうぞ。それは何より、彼の態度が示していた。が、これに男達は逆に逃げ場を失った。逃げたいなら逃げろと言われて逃げるわけにはいかないからだ。


「「「っ!」」」

「やっちまえ! どうせ一人だ!」

「おう!」


 カインは間違いなく遊びで勝てる相手ではない。それを荒くれ者達は理解していた。故に今までは町中という事で使わなかった強力な魔術を行使すべく意識を集中させたり、先程以上の力と勢いで突っ込んできたりする。


「やれやれ……逃げられる道を提示してやったんだがな」


 おぉおおお、と雄叫びを上げて迫りくる男達に、カインは肩を竦める。そうして彼は指をスナップさせた。


「ぐぇぇえええ!」

「ぐぎゃ!?」

「ごふぅ!」


 カインが指をスナップさせると同時。突撃してきた男達が唐突に吹き飛んでいく。何をしたかは、カインにしかわからなかった。が、少なくともこんな不可思議が起きる原因は誰にでもわかった。


「魔術!?」

「いつの間に!?」

「こんな高度なモン、こいつみたいな近接特化の野郎が使えるわけがねぇ! どっかに呪符を隠し持ってるはずだ! 気をつけて使い切らせりゃ終わりだ!」


 やれやれ。どう見ても呪符なんぞ使う気配はしていないんだがな。男達がそう思いたいだけだと理解しているカインは、再度呆れる様に肩を竦める。

 呪符とは特定の魔術を引き起こす道具だと思えば良い。男達の一人が言った様に、近接に特化した傭兵の中にはこれを持っている者は少なくなかった。男達の中にも持っている者は散見された。が、当然カインは呪符なぞ使っていない。そんなものは不要だからだ。


「はっ……次からは、誰彼構わず喧嘩を売るのはやめておけ。ああ、勉強代は必要は無いから安心してくれ」


 およそ一分後。カインの周囲には彼に喧嘩を売った男達が昏倒する姿があった。無論、カインは怪我一つ負っていないし、それどころか彼の衣服にも傷一つ無い。

 そうして、彼は昏倒した男達の身ぐるみを剥がすべく群がってきた浮浪者達を尻目に、目的地へ向けて歩いていくのだった。

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