第2話

「こんなものかな?」

俺は自室の床の上に並べたものを眺め、一人納得する。襟ぐりにフリルがあしらわれたシャツ、細身のクロップ丈のパンツ、マキシ丈のスカート、腰が隠れる丈のウールコート、セミロングのウエーブがかかったウイッグ、メイク道具などなど。これらは全てここ数日のうちに通販サイトで購入したものだ。


俺は来週からの一ヶ月、母から土日に予備校へ行く許しを得た。この『買い物』は予備校に通うための下準備だ。俺のことを知らない人間ばかりの場所で、彼女が言ったように俺が女顔負けであるかどうか確かめるためだけに用意したもの。ヤケであることはわかっているが、俺には時間が無い。それでも、『女装』がバレたら彼女の言葉は『間違い』であることだけは少なくとも証明できるはずだ。


そして今の俺の状況を母が見たら止めに入ることは簡単に予想できる。しかし母が長期出張で家を空けていることが幸いし、記入済みの予備校の申込書と前回の模試の結果を写メで送り、「志望校A判定だけど、念には念を入れたいと思います。なので受講料の支払いよろしく」とメッセージを添えただけで余計な詮索をされずに済んだ。


予備校へ行こうと考えた理由は彼女の言葉だけではない。俺は学校にもうんざりしていた。勉学にしか力を入れていない学校で、朝から夕方の7限まで授業。放課後は自習と言う名の補講。勉強以外にやることが無い毎日に2年までは耐えられたが、3年になってからのクラスメイトは顔と名前が一致する程度しかお互いのことに興味を持たない連中ばかりになり、退屈さに拍車をかけた。多少付き合いがあった2年までのクラスメイトとは進路の違いで同じクラスにならず、GW前の時点でメールでのやり取りは途絶えてしまった。参考書と問題集だけが俺の友達で、とても退屈で仕方がなかった。


俺にとって、誰かと定期的に顔を合わせ、声を交わし、互いに励まし合う彼女との時間はとても非日常的だったと言える。


そもそも彼女と付き合うことになったのは半年前、書店へ参考書を買いに行った時に彼女へ『最後の一冊』を融通したことがきっかけだった。俺は他の店を探すことだけを考えていたが、彼女は店員へ在庫を尋ねてくれていた。人気の参考書だったらしく、近くの系列店も在庫切れでしばらく入荷は見込めないだろうと聞いた彼女は、俺がこの参考書を手に入れるまで、俺とこの一冊を共有しようと言い出した。


あまりにも突拍子も無い話だったが、彼女の「困った時はお互い様でしょ?」の一言で俺は妙に納得し、「それなら、そこの図書館で一緒に勉強しよう」と止めを刺されしまった。


それからの土日は彼女と図書館で待ち合わせて大テーブルで横並びでその参考書を二人で読んだ。俺は参考書の内容を彼女に説明することで理解が深まり、彼女は俺の説明を聞いて内容を理解する循環がいつしか出来上がっていた。ただ聞いているだけの授業とは比べ物にならない程楽しく、俺は参考書を手に入れた後も一緒に勉強することを彼女に『提案』していた。


そして、夏休みの間は俺が参考書を使って『予習』をし、彼女と『復習』をするようになった。彼女が笑いながら俺に見せてくれた9月の模試の結果は、学部違いで俺と同じ志望校Aランクになっていた。彼女の喜ぶ姿を見た俺は自分自身のことのように嬉しく思い、大きな達成感を得ていた。


それから一月も経たないうちに、彼女の方から姿を消すとはこの時は一切考えられる訳もなく、ただただ、彼女が笑う姿を見たいと思っていた。




半年間の思い出を思い起こし、湧き上がる苛立ちと共に鏡の前でウイッグを被り、軽く馴染ませる。緩やかに描く濃い栗色のウエーブは顔の輪郭を変え、どこかで見た誰かを想像させた。時々朝の電車で一緒になる、背の高い女性に雰囲気が似ていなくもない。


一旦ウイッグを外し、普段着のTシャツからフリルの付いたシャツに着替える。いつもの俺の顔では違和感しか感じないが、改めてウイッグを被ると俺は俺でない誰かになる。そして薄くファンデーションを塗り、僅かにチークを入れる。目元にはブラウンのアイシャドウを足し、少しマスカラを塗る。


「思ったより悪くない」

素人目線の自画自賛だが、鏡に映った俺の姿はどこからどうみても女にしか見えない。さすがに肩幅の広さや腰まわりは誤魔化せないが、同時に買ったウールのコートを着ると肩と腰は完全に隠れ、俺は背の高い女性になった。




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