88.Stroke
「……店、出禁になっちまったな」
日が沈み、夕焼けに照らされる団地通り。紫堂がぽつりとつぶやいた。
「すまん、俺のせいでお前たちまで……」
「仕方ないですよ、あそこまで言われちゃ。俺も頭にきてます」
珠飛亜は不満げな顔でそっぽを向いたまま、理里の少し後ろを歩いている。理里は前を行く男の言葉に首を振ったが、紫堂はすでに理里の方を見ていなかった。
「俺は必ず娘を取り戻す……あのクソみたいな神々とやらの手からな。どんな手を使おうと、必ずだ。それが正義の執行だ。この街の平和の守り手として、あの『悪』を看過するわけにはいかない」
夕の残り火に燃えるアスファルトを見つめながら、紫堂は胸に怒りを沸き立たせるようだった。
「……俺達も全力を尽くします」
理里には、そう返すことしかできなかった。
娘を『英雄』に奪われた父親。その心情など、理里のような若者に計り知れるわけがない。この世に生を受けて十五年、『人』生経験は目の前を歩く男とくらべようがない。失うものも大してない、若い命には――
「……そういえば。あいつらとお前たち怪物は、敵対関係だって言ってたな」
「え? ああ、はい」
唐突な紫堂の問いに、理里は戸惑いつつ肯定した。すると、
「つまり……お前たちと
冷。
紫堂の声が、温度を失った。先ほどの手塩のような、断固とした論理の上に立つ冷たさ。
「……!」
理里たちが身構えたとき、紫堂はすでに拳銃を構えていた。
「確かに奴らのやり方は気に食わん。しかしお前たちが世界に仇なす悪であるのもまた事実。そんなお前らが、うちの娘を救う理由がない。おおかた、『英雄』として力を得る前に殺そうとしてたんじゃないのか」
「違う! 俺たちはそんなつもりじゃっ」
「じゃあどういうつもりだ!」
拳銃を握る右手の血管が浮く。
「『友情』だと? そんなものが信じられるか! たかが一か月やそこらの関係で!」
「っ……」
理里は言葉に詰まった。数秒置いて、彼は下を向いてうなずく。
「ああ……友情なんか、ないさ。俺と彼女は友達でもなんでもなかった。むしろ、仲は悪かったよ」
「ほらな! やはりお前は……」
「でも、俺しかいないなら!」
理里は紫堂に負けじと声を張り上げた。
「俺しかいないなら! 探すべきだと思ったんだよ! 彼女を覚えてるのが俺だけなら! この世界中で、俺だけしか覚えていないのなら! 探すべきだと思ったんだよ!
……そうさ。よくよく考えてみれば、紫苑さんと俺達は敵どうしだ。そのことに気付いたのだってついさっきだ。この先どうするかなんて考えちゃいない……でももし、彼女と戦う時が来るなら」
紫堂の刺すような眼が理里を射る。眼球を貫かれそうなほどに鋭い殺気。
けれど、理里は立ち向かう。
「俺はなんとしても、彼女を助けたい! だって悲しすぎるだろ、生まれた時から『使命』が決まってたなんて! 英雄であらなければならないのが、決まってたなんて!
次に会った時、彼女はもう
「っ……!」
紫堂の右手が、震えた。
「だが……お前たちは、この世界を滅ぼす悪だ」
「俺たちにそんなつもりはない!
「……っ」
紫堂の眼は殺気を
「……」
理里に向けていた銃を下ろそうと――
「――っ!? ぐあぁっ!」
突然、紫堂は頭を押さえ、その場にうずくまった。はずみ、
「えっ……?」
理里の超人的動体視力は、視た。
銃声。回転する銀色の物体が、自分に近づいてくる。とっさに避けようとするが、間に合わない。物体Xが、螺旋軌道で脳天に迫り来る――
寸前、透明の飛沫が理里の頬にかかる。
「ひ……あ?」
死を覚悟した一瞬、しかしひたいを打ち抜く弾丸は訪れない。コロン、と音がして、それは地面に転がり、次いでコップ一杯ほどの水がばしゃっと地面に散った。
「……北アルプスの天然水。やっぱ持ち歩いてて正解だったね」
後方から、冷淡な声が理里の耳に届く。
「す、ひあ……!」
振り返ると、黒髪ボブの美少女が、中身が八割ほど減ったペットボトルのふたを閉めていた。
"
射出された銃弾を止めるには、『回転』と『推進力』の二つの力を殺す必要がある。珠飛亜はペットボトルの水を玉にして理里の目の前に展開し、その内部で極小の渦潮を発生させることで、まず『回転』を殺した。さらに、その渦潮に弾丸の進行方向と逆の水流を加えることで『推進力』を打ち消した。結果として、前に進む力を失った弾丸は地面に落ちた。
「ありがとう……! 本当に死ぬかと思ったよ」
「わたしの目の前で、そんなの許すはずないでしょ。……それより見て。その人、何かようすがおかしい」
「……えっ」
普段と違って冷静な彼女が、シャープなあごの先で指した前方を見ると、紫堂がスポーツ刈りの頭を押さえてうずくまっている。
「がっ……あ」
「大丈夫ですかっ!」
理里は慌てて駆け寄るが、壮年は立ち上がるようすを見せない。
ぐうと唸って、紫堂の身体から力が抜けた。
「気を失った……救急車!」
「大丈夫、今かけるところ」
珠飛亜が右手に握ったスマートフォンは、すでに「119」に発信されている。少しして、「あ、もしもし、救急車をお願いします。一緒にいた男性が急に頭を押さえて倒れたんです、えっと場所は、」繋がった電話先に彼女は状況説明をはじめた。
夕日はまだ沈まない。折邑紫苑をめぐる一連の騒動は、まだ終わりそうにない……紫堂の脈を診つつ、不安を募らせる理里だった。
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