87. 叫声
「……」
ガラガラとやかましく入口の鈴が鳴って、仏頂面の手塩が店内に入ってきた。
「あ、こっちです」
手を挙げて呼びかける理里に、手塩はあからさまな不機嫌で応えた。
「何の用ですか。この私に」
しかし歩み寄って来た手塩は、理里たちの座る喫煙席のようすを見て、少し目を見開いた。
「……どういう状況ですか」
ふてくされた珠飛亜が椅子の隅でいじけている。その向かいでは、やけに眼光の鋭い四十前後の男が煙草をふかしている。そして理里は何か思い詰めた顔つきで、手塩を見つめている。彼からすれば異様な状況であろう。
が、その説明は一旦置いておいて、理里は手塩にそのまま呼びかけた。
「今日は、あなたに聞きたいことがあって呼んだんです」
「ほう?」
眼鏡を掛け直す手塩に、紫堂が問いかけた。
「単刀直入に聞こう。お前、俺の娘の居場所を知ってるのか?」
「……」
手塩は答えない。未だ、この四十路の男が何者かはかりかねている様子だ。
「この人は、折邑紫苑さんのお父さんです。娘さんの記憶を取り戻されて、その行方を探されています」
「それで? なぜそこで私が駆り出される」
「とぼけないでください、貴方は知っているはずだ。折邑さんがどこに行ったのか」
「……君は、この人間に全て明かすつもりか?」
圧。
手塩御雷という高い鉄塔、その頂上から見下ろす冷ややかな目が、理里を威圧する。
だが、目は、逸らさない。
「……!」
二人の視線が火花を散らす。それが二十秒に達しようかというところで、ようやく手塩が目を逸らした。
「……ふむ、いいでしょう。君の推測を述べてみるがいい」
「!?」
理里は半ば拍子抜けした。あの手塩が、こうも簡単に首を縦に振るとは。
「どうしました? 話すことが無いなら私は帰りますが」
「いいや、語らせてもらう」
理里は席を立ち、自分より頭半分背の高い手塩に詰め寄った。
「折邑紫苑は、英雄として覚醒した。あの『鎧』が、彼女の正体だ」
「……」
肯定も否定もせず、手塩は立っている。山のように、そこにそびえている。
「紫堂さんには全て話した。柚葉市凍結事件のこと、俺たちの正体、そして英雄の存在。あの時暴走した『鎧』の英雄の中身こそ、彼女に間違いない」
「その心は?」
問うてきた手塩に、順を追って理里は整理する。
「ここ最近のできごとを、少し考察してみれば分かる。
まず起きたのは、柚葉市の凍結。その凍結事件は、おそらくオリュンポスの神々によって『無かった』ことにされた。人々の記憶から街の状態に及ぶまで、全て。そして同じように彼女の存在も『無かった』ことにされている。それこそ人の手の及ばない規模で。これもおそらく、神々によるものだとみて間違いない。
では、この二つの『喪失』はなぜ起きたのか? 前者は簡単だ、神々が事件を隠ぺいしようとしたんだ。では後者は? 一般人の少女を、神々が消す理由が無い。でも、彼女が一般人でなかったなら話は別だ」
「……」
手塩は反応が無い。理里は続ける。
「ここにいる紫堂さんに聞いた。彼女のあの髪色は、生まれつきだそうだ。この特徴、どこかで聞いたことはないか?
……そう。異能力者は、特殊な色の髪をもって生まれる場合が多いんだ。
彼女はあの凍結事件で、異能力者として……いや、英雄として覚醒した。そして同じように、あの事件で『覚醒した』と考えられる英雄がいる。……あんた言ってたよな。あの『鎧』は、いずれ目覚めるといわれていた星座の英雄だって。おそらく、彼女を英雄として成熟させるため、あの赤い槍の女は彼女を回収した。そして、彼女が消えたことに整合性をもたせるため、神々が世界を改変した。
折邑紫苑は、すでに消えていたんだ。五日前、街が凍ったあの日の時点で」
「……ただの蜥蜴にしては、見事な推測能力だ」
手塩は微動だにしないまま、口だけを動かして理里を称賛した。
「ええ、その通りです。君の推測はおおむね正しい」
「おいお前……何を当然みたいな口調で言ってる?」
ここで紫堂が立ち上がる。
「俺は、お前らの言ってることはよく分からん。神だの英雄だの怪物だの、簡単には信じられん。だが、おまえとその仲間がうちの娘を、親である俺たちに無断で連れ去った。あげく、大切な娘の記憶を、俺たち夫婦から消したんだ。何か言うことがあるんじゃないのか」
「……と、いいますと」
「とぼけるな!」
ガンッ、と紫堂はグラスをテーブルに叩きつけた。
「詫びろと言ってるんだよ。今俺が言ったことをな」
「なぜ?」
「お前っ……!」
血走った目で紫堂が手塩を睨む。今にも相手に殴りかかりそうな彼を、理里は胃がキリキリする思いで見ている。
手塩は少し目を伏せて続ける。
「なぜ、あなたに事情を説明する必要がある? それではわざわざ真実を隠した意味がない。これは、神々からあなたがたへの『ご配慮』だというのに」
「配慮、だと?」
疑わし気な紫堂に手塩はうなずいた。
「ええ。突然ご息女が消えてしまったら、両親であるあなたがたは誰よりも混乱し、今のように探そうとするはずだ。ご息女はどこよりも安全な天界で、自らの使命を果たすための訓練を受けているというのに。何も心配いらない状況なのですよ。だが、一般人であるあなたがた夫婦に事情を説明するわけにはいかない……余計な心配を起こさないよう、神々はあなたがたの記憶を封印したのです」
「ガキが……ふざけたこと抜かしてんじゃねえぞ!」
紫堂が手塩の胸倉を掴む。
「お情けなんざいらねえんだよ! ちゃんと事情を説明してくれりゃよかったんだ! そうすれば、俺達も受け入れられたかもしれない……なぜこんな強引な真似に出た!
お前、あの子の母親がどれだけ娘を大事にしてたか知ってるのか!? あいつは俺なんかと違ってた……毎日、寝る間も惜しんで娘の看病に行ってたんだ。その母親から、お前らは最も大切なものを奪ったんだ! 罪悪感ってものはないのか!」
「何が、『罪』だというのだ?」
無。
何の感情もない顔で、素朴な疑問を浮かべるように、手塩は首を傾げた。
「なっ……!?」
「真実をあなたがたに伝えれば、神々の存在を世間に公表される恐れがある。そうなればもう一度世界の改変を行わなくてはならない。それは『余計な手間』だ。神々の時間が奪われる、最も不敬にして許されざる損失だ。そのようなリスクを踏んでまで、なぜ我々が事情を説明しに出向かなくてはならない?」
「それを俺たちが公表すると思っているのか? 筋を通せと言ってるんだ」
「わかりません、公表しないとは誰にも言い切れない。そのリスクがある限り、我々は何も語らない」
「……ハ、だとしたら遅かったな。そこの妖怪の兄ちゃんが、全部説明してくれたよ」
紫堂は理里を指さして続ける。
「俺は今でも、あんたがたのことを公表するつもりはない。だが、ひとつだけ言わせてもらいたい。娘を返せ」
「それはできない」
「なぜだ!」
紫堂が鬼の形相を寄せる。しかし手塩は微動だにせず、淡々と語った。
「彼女はもともと、
「でも俺の娘だ!」
「
手塩がそう言うと、紫堂はぴたりと動きを止めた。追い打ちをかけるように、手塩は続ける。
「あなたがた夫婦は、彼女……いや"彼"によって、この世に再誕するために利用された存在にすぎない。彼が現世に再び顕現するための、依り代となる肉体を造った者。それだけだ」
「……本気で言ってるのか、それは」
「無論」
「!」
紫堂が、手塩の頬を殴った。
「っ!」
「もう一度言ってみろ。腹を痛めて生んだ母親の前でその言葉、もう一度言ってみろよ。おまえを絞め殺してやる」
「紫堂さん、落ち着いてくださいっ」
「お客さん、騒ぐなら外でやってくれないかい!」
理里は紫堂を羽交い絞めにして制止する。七十歳前の老婆がカウンターから声を張り上げる。それでも紫堂はもう一発、目の前の男を殴ろうと抵抗する。
怒れる父を冷ややかに見つめ、手塩は告げた。
「あなたの娘は生まれる前から、神々の所有物だった。あなたがたは運が悪かったのです。せめてもう一人子どもをつくっておけば、まだ救われたものを……」
「この野郎!
命を…………命を何だと思ってるんだアァ――――ッ!!!!!!」
きびすを返した手塩は答えなかった。
さびれた喫茶店の木壁に、枯れた男の叫びがこだましていた。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます