72. Sweet Twins

 ばりぃん、と。


 大地に落ちた氷の心臓が割れる。


「あいてて……大丈夫か、我が妹?」

「う、うん……」


ストーンヘンジのように円形に砕けた氷の破片。それらの中心で、綺羅は吹羅の腕に抱かれていた。


「な、なんで、ひゅらが……」

「む? ああ、ひとりで避難していたところをアタランテに捕まってな。何でも理里めの使いだというから、話を聞いてみたら……そなたが暴走しておるというではないか。魂の片割れソウルメイトとして、止めぬわけにはいかんと思うてな! まさかブン投げられるとは思わなかったが」


 そう言って、吹羅はにっかりと笑う。


……? それだけで、あのをわったの?)


 にわかには信じがたい。が、実際に吹羅はやってきた。

 そして今、こうして笑っている。あまりに普段通りの彼女の笑顔に、綺羅は現実感をもてなかった。


「……どうした? ボーッとして……頭でも打ったか?」

「え、ああ、うん……えっと」


 頭など打っていない。そう説明しようとした時、綺羅のこめかみを液体が伝う。


「やはり打っておるではないか! ちょっと待て、たしかポケットに絆創膏が……って凍っとる! これじゃ使い物にならんわ!!」


 べしっ、と吹羅は絆創膏を地面に叩き付けた。

 よく見ると、吹羅のセーラー服はまだ何ヶ所か凍っている。吹羅の能力"穢れた世に生まれ堕ちたティ嬰児の奏でる旋律は仄暗い概念と確かな唯物論を覆す"は触れた異能力を無効化できるが、その効果は衣服にまでは及ばない。服の凍っていた部分は、壁や床で叩き割ったのだろう。


「……仕方ない、これはやりたくなかったが……」


 ぼそり、吹羅が何かつぶやく。綺羅は聞き取れず、



「え?」



 聞き返したが、吹羅には聞こえていないらしい。気まずそうな顔で、ぽっ、と頬を赤らめて……

 膝の上に抱いた綺羅に、顔を近づけてきた。


「えっ!? え、えと、えっと……」


 肩に触れる、柔らかい胸の感触が急に鮮明になる。ぷっくらした唇がいつもより赤く見える。艶めかしい色のそれが、どんどん綺羅の唇に近づいてくる……思わず、綺羅がぎゅっと目をつむると、



 ぺろり。



「……え?」



 唇、ではなく。

 ひたいを舐められた。ざらざらした舌の感触が、裂傷をちくちくと刺す。


「痛っ……い、いきなりなに……!?」


 目を開け、吹羅を睨みつける綺羅。が、当の吹羅はすでに顔を離し、素知らぬ顔で自分の唇を舐めている。


「どうだ。まだ痛いか?」

「? あっ……!」


 言われて、気づく。

 額の痛みが消えている。それどころか、触れてみると傷さえ綺麗になくなっていた。


「我の唾液には治癒の作用があるのだ。不死の能力がもたらした恩恵、というところか……牙は猛毒を分泌するというのにな。おぬし、忘れたのか? 幼き頃はよく、こうやって傷を治してやっただろうに」

「わ、わすれてないし……! ひゅ、ひゅらがへんなつくるから、かんちがいしただけだし……!」


 ぼっ、と顔を真っ赤に赤らめて、綺羅はそっぽを向いた。が、吹羅は全く気にせず。


「おい、指先も怪我しておるではないか! どれ、こいつも舐めてやろう」

「い、いいから! はなしてヘンタイっ!」

「ヘンタイ!? わ、我はそなたのことを思ってだな」


 腑に落ちない吹羅だったが……綺羅が涙目で見つめると、口をへの字にしてあきらめた。


「まったく、そなたにはかなわんな……」

「き、きらだけじゃないでしょ。ひゅらはだれにもかなわないよ、ばーか」

「お前なあ……」


 星が浮いた左眼が細くなる。が、やれやれ、と息をついて、吹羅はまた笑った。



「そういう憎らしいところも、そなたの魅力というやつよな。そなたとの縁は切っても切れぬ……魂で繋がった双子だからな! これからもそなたの窮地には、我が駆けつけようぞ!」



 くすっ、と。笑う吹羅の顔は、晴れやかだった。



 その背中は、血にまみれているはずなのに。

 吹羅は、落下する氷の心臓の中で綺羅をかばった。いくら怪物といえども、六百メートルの高みから落下しては無事で済まない。そこで不死の能力をもつ吹羅が下になり、綺羅のクッションになったのだ。

 辺りにはまだ、飛び散った吹羅の鮮血が残っている。内臓や、骨の欠片もいくつか落ちている。だが、彼女はその傷を瞬時に再生させ、今こうして笑っている。つい先ほど、死ぬほどの痛みを味わったにもかかわらず。


 その、まじりけのない笑顔をみたとき……綺羅は、涙を流さずにいられなかった。



「ひくっ……えっ、くっ……」

「む、どうした?」

「わたし……わたし、最低……!」


 泣いた。泣きじゃくった。


 綺羅は今まで、吹羅のことなど何とも思っていなかった。むしろ彼女は邪魔だった。この双子の姉のせいで、綺羅の平穏な生活は乱される。こんな姉がいるせいで哀れみの視線を向けられる。そしてこの姉は学校じゅうの嫌われ者だ。その家族である自分もいつ嫌われるかわからない。もしかするとすでに嫌っている者がいるかもしれない。自分も彼女のように排斥されてしまうかもしれない。それが、たまらなく怖かった。


 だから吹羅を嫌うクラスメートにも同調していたし、同じように悪口を言ったことさえあった。……しかし吹羅は、綺羅をこんなにも大切に思ってくれていた。身を挺して守るほどに。そして、これからもそうしてくれると、言った。


「ひっく……えぐっ……」


 綺羅は悔やむ。


 自分はなんと愚かだったのだろう? 自分のことを思ってくれるひとを見捨て、他人に合わせることばかり考えていた。傷つかないように、傷つかないように。自分とあのひと以外の全ては、利用するだけ利用して、まずい時には切り捨てる道具だと考えていた。

 吹羅は道具ですらない、ただ綺羅の安全を脅かすだけの"敵"だった。その"敵"はこんなにも自分を思い、愛してくれていたのに。


「ひゅら……ごめん、ごめんね……きら、ずっとひどいこと……」

「……む? なんだかわからんが、もう泣くな……我がそばにいるぞ。もう大丈夫だ……ほら、よしよし……」



 おいおいと泣き続ける綺羅の背中を、吹羅はいつまでも優しくさすっていた。

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