73. 赫々

 理里と手塩は氷漬けの国道に降り、目の前の気絶した英雄を眺めていた。

 卜部うらべ籠愛ろうあい……前世の名はヒッポノオス。俗称をベレロフォン。落下した彼は氷を叩き割り、仰向あおむけに大地にめり込んでいる。


「……生きてますよね?」


 理里がおずおずと問うと、手塩はいつもの平坦な口調で答えた。


「この程度で死ぬようでは、英雄とは呼べません」


 彼の意識が戻るようすはない。しばらく放っておいても問題は無い……そう説明を受けて、理里はつぶやいた。


「これにて一件落着、ですか」

「ええ、そうですね。事後処理のことを考えると頭が痛いですが、とりあえず事態は収束した。


 ……つまり」



 びゅっ、と。



 何かが、理里の頬をかすめる。



「先輩……何を」



 とっさに跳び退いたことで直撃は免れた。頬に生える緑鱗の上を、紅い血が伝う。

 手塩が、剣を抜いていた。中段に構えた黒い刃に、白い雪が触れて消える。


「我々の同盟もここまでということです。邪眼を使用して消耗した君を打ち取るには絶好の機会だ」

「……先輩」



 有無を言わせない手塩の雰囲気。理里はため息をつき……そして、覚悟を決めた。



「――ッ!」



 右の拳を強く握り、氷を、蹴る。冷たい破片と水滴が散る。相手も剣を振りかぶる。翡翠の拳と漆黒の剣が、軌道を交わす――



「――そこまでっ!!」



 と。



 拳と剣が、空中で静止した。文字通り、お互いの目と鼻の先で。



「これは……」



 白い布。



 それが、互いの得物に巻き付いていた。

 続いてふたりに向かって放たれる、甘い声。


「テッちゃんも理里くんも無粋だよぉ。ついさっきまで息ぴったりで共闘してたのにさ? 切り替え早すぎぃ」


 派手なピンクのツインテを風に揺らす少女が、両手をふたりに向けていた。彼女のブラウスのが、帯状に伸びて手塩の剣と理里の右手を縛っている。

 往魔おうま麗華れいか。柚葉高校生徒会副会長にして、英雄のひとりだ。


「麗華さん、邪魔をしないでください。今がこの化け物を殺す絶好の機会なのです」

「そだねー。けど、この子のおかげでわたしたちが生きてるのも事実でしょ?」


 ばちっ、と麗華は理里にウインクする。


「怪原家が協力してくれなかったら、籠愛ローちゃんを止めることはできなかった。ノーリスクでキマイラを止めることもね。しかも、ローちゃんを生かしたまま無力化することができた……要はアタシたち、この子にでっかい借りを作っちゃったわけ。

 そーゆーわけだから、ここは見逃してあげたほうがいいんじゃない? それで貸しはチャラってことでさ?」


 上目遣いで、麗華は手塩にすり寄る。が、彼は冷たく彼女を突き放した。


「獣ごときに貸し借りの概念などない。優先すべきは任務の遂行です」

「利用するだけして捨てるわけ? たしかに理里くんはバケモノだけど、知性をもつからには敬意を払うべきじゃない?」


「……」


 途方もなく失礼な会話が目の前で行われている気がしたが、理里は黙っていた。

 手塩の理屈もわかる。先ほどまでの同盟には、理里にとっての『妹を救う』というメリットが存在したのだ。そして手塩は『事態の収束』を目的としていた。互いにwin-winの関係で結んだ同盟であり、その期限が切れただけだ。

 籠愛の件に関しては貸しといえなくもないが……怪物に英雄が引け目を感じるなど、むしろ理里には信じられなかった。


(しかし、このまま見逃してもらえるならラッキーだ)


 そう考えて、理里は沈黙を決め込んだ。


「この布を解きなさい。わたしも、部下に実力を行使したくはない」

「部下、と。それはまことに申しておるのか、アテナイ王?」


(……えっ?)


 突如、麗華の口調が変わった。

 甘ったるく高かった声が、冷たく低く。


「なるほど、形式上は確かにそうだ。が、わらわは一度として貴様の下についた覚えは無い。神々の御意向なればこそ、従っていただけの話」


 能面のような表情で、麗華は頭ひとつ大きい手塩を見据える。……そして、彼のいかめしいを指で撫ぜた。


「その気になれば、貴様などいかようにもできるのだぞ? 我が、今ここで受けてみるか」

「……」


 冷徹な目。彼女のその目を、しばらく手塩は睨んでいたが。



「……分かりましたよ。この場は一旦退きましょう」



 やがて目を逸らし、ぼそりとつぶやいた。


「やりぃ! テッちゃんありがと☆」


 麗華はころっと態度を変え、すぐに平時の彼女に戻る。


(女の二面性、恐るべし……)


 無言を貫いていた理里は冷や汗をかく。



「……さーて、ローちゃんも連れてかえらないとねー。迎えにいこっと」



 そう言った麗華が右手を振ると、白い布の拘束が解かれた。彼女は嘘のように、スキップして籠愛のもとに向かう。


「……えっと、ありがとうございます」


「お気遣いなく。次は必ず仕留めますので……われわれが、相容れない敵同士であることに変わりはないのだ」


 剣を収める手塩の語調は、まるで自分に言い聞かせるようだった。


 と、


「ん……あーダメだ、完全にはまり込んじゃってる。ちょっとテッちゃん、手伝ってー!」

「はいはい」


 地面に埋まった籠愛を、助けようとしていた麗華が手を振っている。鞘に納めた剣を片手に、裸の手塩は麗華のもとへ向かった。


(……そういやあいつ、ずっと全裸だったな……なんでだろう)


 柚葉市が凍結して初めて会った時から、手塩はずっと裸だった。なぜ裸なのか?


 少し考えて、理里はなんとなく察した。



(あ……もしかして)



 おそらく、手塩の能力は『変身』だ。詳細は分からないが、少なくとも鳥人間のように身体が大きく変化する形態が存在する。手塩はその能力で身体を変形させ、『青い炎』に包まれたときに自分を覆った氷を割ったのだ。そのとき、服も破けてしまったのではないか。


(あの人の制服も可哀想だな……)


 ふと、理里は笑いがこみあげる。


 理里との最初の戦いで、彼の制服は石化させられた。蘭子との戦いではスタートで砂にまみれ、ゴールで水浸しになった。そして今回は、見る影も無くビリビリに破れてしまったわけだ。



(親御さんの気持ちが思いやられるよ……って、だいたい俺たちのせいなんだけどな!)



 少し仕返しができた気がして気持ちいい。胸のすく思いで、理里は三人の英雄を眺めていた。



「ん……よし、上半身出せたあ!」

「次は下半身ですね。麗華さんは身体のほうから押してください」

「まかせてぇ~!」


 賑やかな声。すでに二人を欠いたが、それでも彼らは気丈にふるまう。


 今回のことが、彼らにどう影響するのかは分からない。少なくとも、籠愛は何らかの罰を受けるだろう。二度とこの街に戻って来ないかもしれない。



(まあ、俺達にはその方がありがたいけど……でも)



 でも。和気あいあいとした彼らを見られなくなるのも、少し寂しい。そう、心のどこかで感じている自分がいた。



(何考えてんだ俺? あいつらは敵なのに……)



 自分の感情に疑念を覚える。しかし、思考がまとまらない。邪眼の代償による体力消耗が、すでに限界に近づいていた。



(……まあ、どうでもいいさ。俺はちょっくら、ここで寝かせてもらうとしよう……)



 道路のど真ん中だが、この状況で走れる車もいまい。英雄たちも撤退するし、あとは誰かが見つけてくれるはずだ。


 万事解決、言うことなし……そう思って、理里が氷の地面に腰を下ろそうとしたとき。






 ヒュン、と。






 視界の端を、何かが、よぎった。




(……え?)




 赤い、線。レーザービームのような。それが、理里の真横をかすめていった。


 錯覚かと疑う。寝ぼけた眼が起こした視界のぶれだ。そうだ、そうに違いない。そう思って、目をこすろうとし――



 両目を、見開いた。




「ローちゃん!? ローちゃんっ!」

「っ……どこだ! どこにいる、畜生がァ!」




 麗華が泣いている。

 手塩がわめいている。


 さきほどまでともっていた友情の灯は、今や怒りと悲しみの炎に変わっていた。



 赤。



 赤が籠愛の腹を突き破り、氷上にあかを広げている。はじめ、そうとしか見えなかった。


 だが……目をこすって見るうちに、ようやく理里にも細部が見えてくる。



(赤い、槍……!?)



 槍。バラのような深紅の槍。それが、籠愛の腹を貫通している。


「かっ……あ……」


 さすがの籠愛も意識を取り戻している。だが、腹を押さえてうめくばかりだ。つつ、と血が彼の口元を伝う。


 手塩が叫ぶ。



「貴様らァ……こうも卑劣な真似に出るのかッ! 我らは義理を果たしたッ! その功を認め、貴様らの眷属を見逃したッ!! だというのにッ……だというのに貴様らは、我らを裏切るのかァッッッ!!!!!」



 手塩が叫んでいる。わめいている。怒りのままに。

 だが、。悲しいかなのだ。理里は知っていた。



(俺たち家族のなかに、あんな武器を使う奴はいない……!)



 そう。あのような槍を持つ者は、怪原家にはいない。


 手塩は、槍を放ったのが怪原家の誰かだと思っている。だが、あんな武器は怪原家の誰も持っていない。そもそも武器を使う者が少なく、恵奈以外に武器を携行する者はいない。



(じゃあ、いったい誰が……!)



 その『答え』は――理里の後ろで、あらい声を発した。



「何を勘違いしている、愚か者。見苦しいぞ」



 女。



 少しハスキーな、女性の声だ。少し荒っぽく、しかしどこか気品を感じる、厳格な声。とっさに理里が振り返ると……それは、居た。


 赤。やはり赤。全身にぴったりと密着した赤いスーツが、背の高い身体のグラマーさを際立たせている。髪は白。いや、青みがかった白だ。画用紙に紫と青のスプレーを軽く吹き付けたような、そんな髪色。少し頬がこけてスマートな、しかしギラギラした青眼のその女には、着目すべき特徴がもう一つあった。


(あれは、"鎧"!)


 珠飛亜を襲った"白い鎧"の英雄。手塩によって『星座の英雄』デ・ヒロズ・コンステライツィオのひとりだと説明されたその者を、女は右肩に担いでいる。


「アンタ、どうしてそいつを!」


 理里が叫ぶと、女は……蟲のような不気味な眼を、ぐにゃりと細めて理里に向けた。


「ほう……興味を持つか、蜥蜴男リザードマン。それはこいつが姉を襲った者と知ってか……それともやはり、かな?」

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