43. Crying Sphinx
「どうしよう……わたし、今まで……」
(まさか……りーくんが、そんなふうに思ってたなんて)
曰く、『迷惑』だと。『傷ついた』と。彼がそのように感じていたなど、珠飛亜は
(だって、りーくんのことが、大好きだったから。りーくんといるとたのしくて、しあわせで、なにも考えられなかったから)
自分が幸せなのだから、彼もきっとそうなのだろう、と。勝手に珠飛亜は決めつけていた。何せ彼が生まれてすぐのころから一緒にいるのだ、何の気負いがあるだろう。
好きだ。ただ、大好きだ。2歳のころ、ベビーベッドで寝息を立てる、生まれたての彼の安らかな寝顔を見てから、ただ愛しくて仕方がない。この子を自分が守ってあげたい。いくらでも愛してあげたい。幼いながら、そう思ったことを覚えている。
それから彼は、だんだん素敵な男の子に育っていった。小さい頃は、いつも珠飛亜の後を付いて回る泣き虫な子だったが、しだいに物静かで大人びた少年、そして青年になっていった。シルクのように白い肌が綺麗で、長い
それは不思議な感情だった。世に言う姉弟愛に混じって、ふわ、と広がる、脳が甘くとろけるような幸福感。ストレートティーに苺ジャムを溶かして飲んだような、安心感と甘酸っぱさが混ざった感覚。
これを、『恋』と呼ぶのかは分からない。通常のそれとはまた違った感情なのだろうし、相手は実の弟だ。混じり気なしの恋愛感情、とは少し違う……のだと、珠飛亜は感じている。
けれど、いい意味で普通の恋とは「違う」点もあるのかもしれない……と珠飛亜は考えている。それが先ほどの紅茶の例えでいう、「ストレートティー」部分の感覚だ。普通の恋愛感情が
思考も、好みも、手に取るように分かる。そういう、言葉を超越したコミュニケーションが成立する幸福感。それがあるからこそ、より愛も深まるのだ。
(……って、思ってたんだけどな……。わたし、りーくんのこと、ぜんぜん分かってなかった)
白い息が漏れる。
弟のことを。この世でいちばん愛している、彼のことを。何でも知っているはずだったのに、何も知らなかった。
彼は、「ずっと」と言った。「迷惑してきた」と言った。つまりはそれだけ長い間、苦しみに耐えていたということだ。
それはおそらく、珠飛亜のため。彼もまた、珠飛亜のことを、少なくとも家族としては愛してくれていたろうから。自分を愛してくれる姉に気を
(わたし……わたし、なんで気づかなかったんだろ)
歯を食いしばる。ぎりぎりと歯が
深い、深い後悔が、先ほどからずっと珠飛亜の心を染めている。なぜ気づかなかったのか。彼がサインを発している瞬間はあったはずだ。思えば、彼が友人と遊びに行くと言って出かけるのを見たことがなかった。珠飛亜には当たり前に存在した
(……わたし、暴走しちゃってたんだなぁ)
この15年と11か月。彼が生まれてきてからずっと。人生の8割近く、彼に熱を上げていたわけだ。彼の言う通り、自分の気持ちを優先して、彼がどう思うかなんて深く考えもしないで。そのせいで彼が味わった孤独は、いかほどのものだったろう。
「ごめん……ごめんね、りーくん……」
凍った地面に、珠飛亜は泣き崩れた。
泣いた。涙が止まらなかった。後悔の涙と同時に、彼に見捨てられた悲しみの涙もまた、涙腺をせり上がって流れ落ちてきた。
どれだけここで泣いても。悔やんでも。もう遅いのだ。理里は珠飛亜を見限ってしまった。ひとりで、立ち去ってしまった。「二度と俺に近寄るな」と、彼女に言い残して。
孤独感。
「ごめん……ごめん、わたし……りーくんの気持ちなんて、少しも知らないで」
目尻から
「
突如。上方から耳に響いた、女性の低い声。
「え……?」
珠飛亜が顔を上げると。ひらり、はらり。目の前を落ちる、黒い羽根。
その落ちてきた、上方に目をやると――広がっていたのは、漆黒の翼。
「やっと見つけたわ……どうしたの、こんな所で。りーくんは、一緒じゃないの?」
ゆっくりと降下してきたその『影』は、珠飛亜の見慣れた顔で、聞きなれた声で。理里よりも長い時間、珠飛亜が生まれる前から、互いのことを知っていた存在。
「……ママ……!」
翼と同じ純黒の髪は、雪風に流れ。蛇の下半身で着地した彼女は、牡牛のような2本の角を揺らし、細い眼を
「あら、目元が真っ赤じゃない……せっかくの美少女が台無しよ?」
「……ママぁっ!!!!!!」
珠飛亜は、恵奈の胸元に飛び込んだ。
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