41.RAGE OF THE LIZARD



「わたしに用があるのか? 少年」

「げえっ、やっぱり……」


 1号棟の入り口の前。立っていた予想通りの人影に、珠飛亜は露骨に嫌な顔をした。


 雪風になびく黒髪。スカートからのぞく|強靭な太腿ふともも。そして鷹のように鋭い、切れ長の瞳。


蘭子ランちゃん……氷漬けになってなかったんだ……」

「当たり前だ。ほのお程度に追い付かれるようでは、『田崎蘭子』ではないからな」


 ふふん、と蘭子が得意げに胸を張る。


「何ヤザワみたいなこと言ってんのこの人……りーくん、この子はパスしようよぉ~。まだお姉ちゃん、心の準備がぁ~」

「何言ってんだよ。急いで吹羅を迎えに行こうと思ったら、蘭子さんに行ってもらうのが一番速いだろ。何せ『神速』だからな」


 きょとん、とした表情で理里はたずねる。それに、珠飛亜はげんなりした顔で返す。


「そりゃそうだけどさあ……」

「それにもう、俺達『ともだち』だし。な、蘭子さん」

おうとも。無二の親友だ、がっはは!」


 蘭子が景気よく理里の背を叩く。


「なんでそんなに距離きょりちぢまってんの……昨日まであんなに悩んでたじゃん……」

「だって、ともだちはともだちだからな。『困ったときはお互いさま』なんだろ、ともだちって」

「その通りだ! 理里くん、分かっているじゃないか!」


 ふはは、とまた笑って、蘭子は満足げにうなずいた。


「それで? わたしに何か頼みがあるのか。妹を迎えに行く、というようなことを言っていたが」

「ああ……そうだそうだ。実は……」


 理里は、ここまでの事情を簡潔かんけつに説明した。おそらく、この事件の原因は綺羅と考えられ、それを止めるために、異能力を無効化できる吹羅を迎えに行こうとしていることを。


「これ以上被害が広がらないよう、できるだけ早く綺羅を止めるために、蘭子さんに吹羅を迎えに行ってもらいたいんだ。そして、できれば綺羅のところまで、吹羅を連れて行ってほしい」

「なるほど、そういうわけか。なんとなく理解したが……わざわざ、キマイラのもとまで連れて行く必要があるのか? あのヒュドラの能力ならば、どれかの炎に触れた時点で、事をおさめられそうなものだが……

 ……どうやら、それはできないらしいな」


 蘭子は辺りの状況を見回し、目を伏せた。


「彼女がいるのはおそらく、中学校か、その近くの通学路か……寄り道をしたとしても、終礼の時間帯から考えて、柚葉市からは出ていないだろう。先程、ここのとうの屋上から市全体を見渡したのだが、そちらの方角は完全に凍ってしまっていた……彼女も、あの炎に触れているはずだ。だが、見る限り炎はまだ広がりつづけていた。

 つまり、彼女の能力では『青い炎』を止められなかったということだ。……と、なれば」


 そこで蘭子は言葉を切り、理里の目を見据みすえた。


「そもそも、彼女を迎えに行くこと自体が無意味ではないか? 『無効化』の能力が通用しなかったことは、すでに証明されているじゃないか」

「いや、そんなはずはない……」


 理里は少し、目を泳がせながらも反論する。


「前に綺羅が暴走したときは、吹羅が事を収めたんだ……吹羅の能力が通じない、なんてことは考えられない」

「キマイラの能力がパワーアップした、ということは? 前回の暴走は、まだ彼女が小さい頃の話だろう。これだけのことを起こせる能力だ……ヒュドラが無効化できるキャパシティを超えたのかもしれん」

「っ…………」


 理里は言葉に詰まった。

 家族とはいえ、理里たちもそれぞれの能力について詳しく知っているわけではない。年を経て綺羅の力は強大になっており、吹羅の能力では無効化できなくなってしまった……その可能性がゼロとは言い切れない。

 こめかみに手を当てた理里がうなっていると、珠飛亜が蘭子をにらみつつ、自分の腰に両手を当てた。


「ランちゃん。『ともだち』だっていうんなら、あまりうちのりーくんをイジメないでもらえます?」


 あからさまに喧嘩けんかごしの珠飛亜。それに対し、蘭子は首の骨をコキコキと鳴らす。


「別に、そんなつもりは無いぞ。客観的な分析ぶんせきの結果を述べているだけだ」

「なるほどねえ……それじゃ、その分析にかかわる、重要な情報をひとつ教えてあげる」

「……ほう?」


 蘭子が片眉かたまゆを上げる。


「興味深いな。ぜひ、聞かせてもらおう」

「……」


 睥睨へいげいしつつ、珠飛亜は続けた。


「それこそ、前に綺羅きーちゃんが暴走したときのことだよ。あのとき、すぐとなり吹羅ひゅーちゃんがいたにもかかわらず、『炎』はお風呂場を出て、うちの1階ほとんど全部を侵蝕しんしょくした……つまり、ひゅーちゃんは炎に触っても凍らされなかったけど、全部の炎は消せなかったってわけ。でも、そのあと炎は全て消えた……ここで、何が起きたか分かる?

 ひゅーちゃんが、きーちゃんに抱きついたの。それでようやく炎が止まった」

「……なるほど。理里くんがヒュドラを、キマイラのもとに連れて行きたがっていたのは、そういうわけか」


 蘭子が視線を向けると、理里は黙ってうなずいた。

 そんな彼に、蘭子は。


「なんだ、そうならそうと早く言ってくれれば良かったではないか! 『怪原吹羅がキマイラに触れれば、炎は全て消える』と!」


 にかっ、と笑顔を向け、彼の肩をばしばしと叩いた。


「いや、蘭子さんの意見も一理あると思って……つい、言い出せなくて」

「なに、構わんよ。わたしたちは友人なのだからな!」


 がっはは、と豪気に笑う蘭子に、理里もまた相好そうごうを崩す。


「そ、そうだな……あはは」


 苦笑する理里の心には、なにか暖かいものが広がっていた。

『あんたが口を挟ませなかったんだろ』という不満も、もちろん彼女に対しては有る。しかし、何も気にせず距離を詰めてくる蘭子に、どこか親しみをおぼえたのだ。今日こそはお昼に誘おう、と何度も迷って、あきらめてきた自分が、なんだか馬鹿らしくなった。


「よし、そうと決まれば善は急げだ。ヒュドラがどこにいるか、心当たりは……と、さっき言っていたな。中学校か、その周辺の道か」

「ああ……中学の近くのショッピングモールかもしれない。あそこのゲーセンか本屋に、あいつはよく居るから。見つけたらとりあえず、怪原家ウチまで連れてきてほしい。母さんたちに、俺たちは無事だって知らせたいし……俺たちは綺羅を探すから、見つかったらうちに戻って、居場所を教えるよ。携帯が繋がらないから、そうするしかない」


 これは使い物にならん、と、理里はポケットから取り出したスマートフォンを振った。


万事ばんじ承知しょうちした。任せておけ」


 強い口調で、蘭子がうなずく。


「ではな、理里くん、珠飛亜。無事を祈っているぞ」

「ああ。蘭子さんも、気を付けて」

「……」


 理里は、蘭子の身を案じる言葉をかけた。が、珠飛亜はそっぽを向いたままだ。


「……どうしたというのだ、珠飛亜。先程から、何か機嫌が悪いようだが」

「はぁ? べ、べつになんでもないし。普通だし」


 歩み寄ってくる蘭子から、珠飛亜はさらに顔を背ける。

 その様子を見た蘭子が、思いついたように目を見開く。



「あっ! 貴様まさか、やきもちを焼いているのではないか? わたしと理里くんが仲良さそうにしているから、気分が悪いのだろう! そうだな? そうなのだな?」

「そ、そんなんじゃないし。今日は寝不足だから、イライラしてるだけだし」


 ちなみに理里は、珠飛亜がきっちり8時間熟睡したことを知っている。


「ふう~ん……貴様がそう言うなら、そうなのだろうな。じゃあ、こんなことをしても文句は無いな?」


 ぽん、ととんぼ返りをした蘭子は、空中で一回転して、理里の隣に着地する。そして、珠飛亜が見る間に――

 ちゅっ、と。理里のほおに、軽くキスをした。


「ら、蘭子さん!?」

「ちょっと蘭子ランちゃん……!?」


 途端とたんに赤くなる理里。それ以上に、怒りで真っ赤を通り越して、マグマのようなオレンジに染まる珠飛亜。

 そんな彼らに蘭子は見向きもせず。


「ふはは。Ciaoチャオ☆」


 驚異的跳躍力で、一息に1号棟の屋上に跳び乗り。屋根から屋根へ、飛び移りながら去って行った。





「はあ……あんな子、もう知らないっ!」


 ぷいっ、と斜め上を向く珠飛亜は、ほおふくらませて歩きだす。


「そ、そんなに怒らなくても……仲直りするつもりじゃなかったのか?」


 付いて歩く理里に、彼女は怒気どきを漏らす。


「なんなのあの子ぉ……ちょっとりーくんと友達になったからって、いい気になっちゃってさ!? こっちはりーくんが生まれる前から一緒だってーの、子宮にいた頃から知ってんの! 年季が違うのよ年季がっ!」


 ガツン、と珠飛亜が電灯を蹴ると、ぎぎぎ……と鈍い音を立てて折れ曲がり、地面に倒れた。


(……こりゃ、当分この調子だぞ……。刺激しないようにしないと……)


 恐る恐る後を行く理里。すると珠飛亜が、ぐるっと振り返った。


「りーくんもりーくんだよ! なんであんな女と仲良くするの!?」

「えっ……な、なんでって、ともだちだからだよ」

「『ともだち』ってなによ! そういうの、普通『なろう』って言ってなるもんじゃないでしょ! 自然と仲良くなって、自然とそういうふうになってるもんじゃないの!?」

「はぁ……まあ、それはそうだけどよ」


 理里は首をひねる。

 理里が蘭子と仲良くなりたかった理由については、昨日説明したはずだ。レースが終わったとき、『命令』を決める直前。すがすがしい彼女の表情を見て、『この人と仲良くなりたい』と思った。そう教えたはずだ。だというのに、なぜそれをかえすのか。


 困惑していると、珠飛亜がつかつかとってくる。

 その口から放たれたのは、思いもよらぬ言葉だった。


「……りーくん。ランちゃんのこと、好きなんでしょ」

「は?」


 理里の口が開く。驚きに思考が停止する。

 そんな中、珠飛亜はさらに、眉間みけんしわの寄った顔を寄せてきた。


「あの、レースが終わったあとの、『命令』のタイミングで、好きになっちゃったんでしょ。だから、あんな頼みごとしたんでしょ」

「はぁ……!? 違う、俺はそんなつもりじゃねえよ。それだったら、『命令』の時点で付き合ってくれって頼んでるだろ」

「ハッ。そんな度胸、りーくんには無いじゃない。だからまず、『お友達から』って予防線を張ったんじゃないの」

「だから違うって言ってんだろ!」


 ここまで言われると、さすがの理里も憤慨ふんがいした。いくらなんでも、誇大こだい妄想もうそうが過ぎるというものだ。


「俺はそんなつもりで言ったんじゃない! ただ純粋にあの人と、仲良くなりたいと思って――」

「男と女の友情なんて、あるわけないじゃんっ!」


 珠飛亜が叫ぶ。それきり、理里は二の句をげなくなった。


「……確かに、ランちゃんは美人だよ。スタイルもいいし。けど……けど、りーくんにはわたしがいるじゃない。おねえちゃんが、ずっと、あなたを愛してあげるじゃない……ともだちなんて、いらないでしょ? それとも、おねえちゃんじゃダメなの……? わたしのなにがいけないの……」

「…………」


 珠飛亜はその場に座りこみ、泣きじゃくりはじめた。

 だが……理里は、冷ややかに彼女を見下ろし、告げた。


「……そういうところ、なんだよ」

「……え?」


 顔を上げた珠飛亜に、理里はさらに畳みかける。


「そういうとこなんだよ、俺がアンタを嫌いなところは……! 自分のことしか見えてなくて、俺の気持ちなんかちっとも考えてないところだ……! 俺がいつ『友達がいらない』なんて言った? 『アンタさえいればそれでいい』なんて、一度でも言ったかよ?」

「そ、それは……」


 今度は、珠飛亜が言葉に詰まる番だった。

 ない。一度も、記憶にない。理里自身の口から、そのような言葉が出たことなど。


「自分勝手なんだよ、アンタは。思い込みで突っ走って、自分の気持ちばっか優先して。それでどれだけ俺が迷惑したか……どれだけ傷ついたか! そんなこと知りもしないで、アンタはっ……!」


 こめかみに血管を浮かべた理里が、歯を食いしばる。ぎちぎちと拳を握ったが、


「……っ」


 目を伏せ、彼は早歩きでその場を去ってゆく。胸騒ぎをおぼえた珠飛亜は、すぐに立ち上がる。


「……! 待って、りーくん! ごめん、わたしが悪かったから……もう、こんなこと言わないから!」

いて来るな。綺羅は俺一人で探す。アンタは先に、家にでも戻ってろ」

「ちょっと待って、ねえ……! ごめん、ごめんなさい、わたし……! 二度とこんなふうに怒らないから! ちゃんとりーくんのこと、考えるから! だから……!」


 理里の左腕に、珠飛亜はとりつく。だが、立ち止まった彼は、乱暴に腕を振り払い。


「きゃっ……!?」


 尻餅しりもちをついた珠飛亜に、冷酷れいこくな視線を向けた。


「失せろ。もう二度と、俺に近寄るな」

「そん……な」


 立ち去る理里を、珠飛亜は追うことができなかった。

 しん、しんと。季節外れの粉雪が、座り込んだ少女のブレザーに積もってゆく。

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