39.REBOOT



「…………」



 珠飛亜は黙り込む。理里に背を向けたまま、1年9組の皆の解凍を続けている。


「……いや、そんなことあるわけないか! あの華奢きゃしゃな綺羅に、ここまでの力があるとは思えないし……」


 気まずくなった理里は、伸びてきた黒髪を掻きながら笑顔で否定した。

 しかし……姉の背中から漏れたのは、重い声色だった。 


「りーくん……その考えは、たぶん、間違ってないと思う」

「……え?」


 唐突にトーンが変わった珠飛亜に、理里は戸惑う。

 だが、そんなことも気にせず(あるいは気づかず)、珠飛亜は続ける。


「覚えてない? 前に、うち綺羅きーちゃんの能力が暴走したときに、ママが言ってたこと……」

「…………? えっ、と」


 その事件のことは、理里も記憶していた。確か、5年ほど前……綺羅が小学2年生のころ、彼女が異能力に目覚めたときの話。風呂場で綺羅と吹羅ひゅらがケンカし、怒った綺羅が誤って異能を発動してしまった。風呂場は即座に氷に包まれ、その氷は脱衣所から廊下に出て、玄関近くまで達してしまった。

 その時は、生まれつき異能を発現していた吹羅がすぐに彼女に触れたことで事なきを得たが……その後しばらく綺羅は高熱を出し、動物のような動き(具体的には、ネコのような)をする状態が続いた。言葉もまともに話せず、「にゃあ、にゃあ」とだけ鳴いていたさまが不気味だったことが、理里の印象に残っている。

 しかし、看病していた恵奈の言葉までは思い出せない。怪訝けげんな表情をした理里に、珠飛亜は眉根まゆねせて振り返った。


「『この子は、異能を使ってはダメ。この子の能力はどこまでも狂暴で、何を飲み込んでも止まらない。たとえ、このを凍らせてしまったとしても』……」


「……っ!」


 理里は戦慄せんりつする。


 綺羅は異能を使うと暴走してしまい、獣の狂暴性に理性を飲み込まれてしまうことは、みずかた記憶でもってっていた。だが、その『狂暴性』にそこまでの力があったとは。


「そ、それじゃあ、この現象はやっぱり綺羅が……」

十中八九じっちゅうはっく。たぶん、英雄に襲われたんだろうけど……吹羅ひゅーちゃんはついていなかったみたいだね」


 苦い顔で珠飛亜はこぼす。苛立っているのか、悲しんでいるのか。


「嘘だろ……まさかそんな、綺羅が、まさか」


 理里はまだ衝撃が抜けきらない。打ちひしがれ、その場に座りこむ。

 あの可憐な綺羅が。引っ込み思案で、いつもおどおどしていて、でも家族のことだけはしたっていた彼女が。理里の後をとてとてと付いてくる、あの妹が、このような惨劇を引き起こすなど。

 自分の意思で行ったことではないだろう。ある程度力もセーブしていたのかもしれない。ただ、使わざるを得ない状況に追い込まれてしまった。運悪く、今日に限って吹羅も付いていなかった。

 これは『事故』だ。不幸なことが積み重なった事故だ。だが、そう呼ぶにはあまりにも規模が大きすぎた。


「こんなの、もう『災害』じゃないか……あの子が、こんな、こんな大それたことを引き起こすなんて……」


 その現実を、理里は受け止めきれずにいた。


 そんな彼に、珠飛亜は。


「りーくん……気持ちは、わかるけど」


 いつになく固く厳しい表情で、理里を見つめた。


「確証があるわけじゃないけど、これはほぼ決まった事実だよ。それを可能にしてしまうのが、『魔神』の血筋……父さんから受け継いだ、わたしたちの身体に流れるこの血潮ちしおなの。それは起きてしまったこと……もう、どうしようもないこと。何も分からないで凍らされた人たちと違って、ヒントを知っているわたしたちは、そう考えるしかない。

 そして大事なのは、この『災害』は……かもしれない、ってこと。誰かが止めない限り、この街を、国を、世界中を壊し尽くしても止まらないってこと。そして今ここで……わたしたちが、『動ける』ってこと」


 ぱしゃん、と。教室を覆っていた氷が、水に変わって降り注ぐ。

 それはさながら雨のよう。解凍された生徒たちが倒れた、室内に降りしきる不思議な雨。


「行こう、りーくん。吹羅ひゅーちゃんを探そうよ。あの子を見つけて、綺羅きーちゃんの能力を止めてもらう。それがりーくんの考える、『正しいこと』じゃないかな」


 歯を食いしばりながら。何かをこらえながら。珠飛亜はかすかに震える声で、しかし精一杯に力のこもった声で、理里に呼びかけた。


 その、瀬戸際せとぎわの強がりが。理里の心をふるわせる。


(そうだ……珠飛亜だって、ショックを受けてるに違いないんだ。それをどうにか頑張って、頑張って、自分を保っているんだ)


 信じたくないこと。でも、それしか結論が導き出せないこと。それを事実と受け入れるしかないこと。根拠は薄弱はくじゃくでも、現状その可能性しか考えられなくて。

 妹が、自分の家族が、自分を傷つけたこと。自分の大切なものを傷つけたこと。関係のない人を、街を飲み込んで、今世界さえ滅ぼそうとしていること。不可抗力ふかこうりょくとはいえ、そのような状況におちいってしまったこと。それがどうにも苦しくて、悲しくて、罪の意識にさいなまれて、そして妹が可哀想で。いろんな感情で、押しつぶされそうなのだろうけど。


 けれど、彼女はここに立っている。教室に降りしきる雨の中で、2本の足で、すっくと、力強く立っている。


 それが誰のためかは、口にするのも野暮やぼというもの――


「……ああ。行くよ。世界を滅ぼす三女いもうとから世界を救う次女いもうとを、迎えに」


 少年の茶色い瞳に、光がもどった。

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