38.Waking from cold sleep



 柚葉市全土を突如として襲った『青い炎』。その被害は、柚葉高校5号棟においても同じだった。


「ん……あっ」


 背に、やけに冷たい壁の感覚。座り込んでいた(らしい)理里が目を開けると、そこには見慣れた……いや、少しいつもと様子の異なる、珠飛亜かお


「! よかった……! りーくん、生きてたんだねっ! よかった、よかったよう」


 違和感の正体に理里が気づかぬうち、少し青白い顔の珠飛亜は彼をめた。その力の強さに、理里はむ。


「げほっ、ごほっ……く、苦しい」

「……! ご、ごめんね。おねえちゃん、つい嬉しくて」


 すぐさま珠飛亜は理里をはなす。途端とたん、ふら、と目眩めまいが理里を襲う。


「うっ……なんだ、いったい。それにこの部屋、やけに寒……」


 背中と尻を冷やす、異常なほど冷たい教室の壁や床。身震いしながら辺りを見回した理里は、即座に目を見開みひらいた。


「なんだよ……なんなんだよ、これ…………!」


 氷、氷、氷。全てが氷に包まれた教室。ようやく愛着が湧きはじめた机や椅子、黒板、教卓、荷物をまとめている途中のカバンまで。


 それはモノに限った話ではない。ようやく理里とけ始めたクラスメートも、立っている者、座っている者……皆、かえ支度じたく(あるいは部活動に行く支度したく)をしようという態勢たいせいのまま、その肌はしもりたように、薄い氷におおわれている。

 ぼんやりと残る、理里の最後の記憶。その中では、小テストや終礼を終えた喧騒のなか、1年9組のメンバーはめいめいに教室を出る準備をしていた。掃除の際の換気のために窓を開けたこの場所で、あるものは友人と談笑だんしょうし、あるものは黙々もくもくと机を下げ、そして理里は珠飛亜にまとわりつかれていた、のだが……そこにあの『青い炎』が襲い掛かり、理里は意識を失ったのだ。


「あの『青い炎』が視界を覆って、気づいたらこうなってた……ってことは。おそらく、この状況はあの炎によるもの……なのか?」


 問いかけ、再び珠飛亜の方を向いて。理里は気づく。


「……! お前、その顔……! 身体も、まだ……!」


 珠飛亜の肌もまた、わずかだが氷に覆われていたのだ。髪もまだ凍っており、ブラウスやスカートにもまだ、凍結の残滓ざんしる。よく見ると、衣服は少しれているようにも見える。


 不安に満ちた表情を理里が向けると、珠飛亜は困ったように笑った。


「えへへ……なんとか、りーくんを助けたい、と思って。自分のことは、最低限でちゃった」


 その物言いに、理里はわずかな違和感をおぼえる。


「済ませた、って……ってことはまさか、凍結から逃れたのか!? いったいどうやって…………あっ」


 聞きかけて、理里はすぐに思い至る。彼女の"能力ちから"の一端いったんには、それが可能だった。


「どうやってって、そりゃ……こうやって、だよね」


 言った珠飛亜が、自分の頬に触れると。



 ぱん、と、『水』がはじけ飛ぶ。



「"菫青晶の舞付師アイオライト・コレオグラファー"……! そうだ、そんな芸当げいとうもできたんだった」


 珠飛亜の異能力"菫青晶の舞付師アイオライト・コレオグラファー"は、『水を操る能力』である。が、その一環として、『氷や水蒸気を液体の水に変える』ことができるのだ。

 これは能力を何度も使用するうちに身に付いた能力で、分子としての「H₂O」を操作し、氷を融解させたり、水蒸気を凝縮させることができる。しかし、『水を操る』という観念が珠飛亜の認識に強く刻まれているからか、『水から氷』『水から水蒸気』『氷から水蒸気』などの変化は不可能である。


「ありがとう、珠飛亜……! お前が居なかったら俺、即死そくしだったよ……!」


 理里はその場に正座し、頭を下げた。すると、珠飛亜は途端に後ずさり、


「や、やめてよりーくんっ! わたしとりーくんの間柄あいだがらでしょ? ……『わたしとりーくんの間柄』って、なんか良いな……えへへ」


 申し訳なさそうに両手を前に突き出したかと思えば、すぐにほほを緩ませた。

 その「いつもどおり」の雰囲気に、理里の心持ちも少し和らぐ。


 ……だが、状況は何も好転こうてんしたわけではない。周りでは、級友きゅうゆうたちが氷の像としたままなのだ。


(そもそもこの現象が、どのくらいの規模で起きたのか……それをまず、知る必要がありそうだ)


 そう考えて、理里は立ち上がり、姉の方を向いた。


「珠飛亜……できれば、他の人たちも助けてやってくれないか。さすがにこのままだと凍死しかねないだろうし……」

「うん、やろうと思ってた! りーくんのお友達がこのままじゃ、さすがに可哀想だもんねっ☆」


 理里の指示に従い、珠飛亜はクラスメートたちの解凍を始めた。彼女が目を閉じると、皆の身体を覆った氷が、少しずつ溶け出していく。


 その間に、理里は窓際へと向かう。


 窓ガラスもまた氷に覆われており、氷の表面の凹凸おうとつによって、外の景色がぼやけててしまっている。それに向かい、理里はこぶしを強くにぎる。


「……ふんッ!」


 強烈な一撃。音を立て、氷と窓ガラスが砕け散った。

 その先。空いた穴から身を乗り出して見えた景色に、理里は愕然がくぜんとする。



「…………何だよ、これ……!」



 其処そこにあったのは、"氷"に支配された世界。人、動物、建物、すべてが凍り付いて、その時刻ときを止めた空間。


 見慣れたグラウンドの土も、またその外縁がいえんにかかった防球ぼうきゅうネットも。その向こうに見える街、さらには市の北側に連なる山脈までが真っ白に。

 グランドの向こう、街より手前に見える国道の車は一台も動いていない。走っていたであろうものは勢いあまったのか、あるものは玉突たまつき事故を起こし、あるものは道路脇の建物に突っ込んでいる。他方たほう、信号待ちをしていたらしい車の列は、すでに青信号だというのに1ミリたりとも動かない。

 どんよりとくもったそらからは、しんしんと雪が降り始めている。もともと今日は夕方から雨の予報だったが、極低温によりそれらは雪に変わってしまったらしい。


「こんな……こんな規模きぼの、現象げんしょうが」


 理里の身体が震えたのは、寒さのせいばかりではない。

 これが仮に、"英雄"の能力だったとすれば恐ろしい。理里たちは、街一つを簡単に滅ぼしてしまえる相手と戦っていることになる。いや、そもそも英雄の上には神々が居るのだから、もともとそうだったとも言えなくはないが。


 実感。それが、ようやく湧いたのだ。それによって打ちのめされたのだ。


 しかし理里には、いっぽうでこの現象の原因に対する疑念もある。『青い炎』と『氷』。この2つが繋がった状況を、理里は確かに見たことがあるのだ。


 その疑念を明らかにするために。理里は、珠飛亜の方に振り向いた。


「なあ……まさかこの現象……綺羅きらが、原因じゃあないよな」

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