19. Roar -咆哮-
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「へぇー。あの化け物ども、ずいぶん善戦してるみたいじゃん」
その
「
「えぇ~。だって見えないんだも~ん」
双眼鏡を右手に持ち、くねくねと体をくねらせる、麗華とよばれた少女。その姿を横目で見た青年は、いささか顔を赤らめて前を向く。
「まったく、またあなたはそんなに肌を見せて……か、風邪をひきますよ」
麗華が身にまとっているのは、肩と腹部を大きく
しかし……その露出度は、
「あら、
ニヤ、と意地の悪い笑みを浮かべた麗華が、籠愛とよばれた青年の腰に抱きつく。
「……っ!」
「うふ……『英雄
「こ、困ります……!」
はぁ、と耳にかかる温かい吐息。籠愛の背筋に、危険な
が……麗華はそれ以上手を出してこないようだった。眼下の
「でもさー。このままじゃ
「そ、そういうわけにはいきませんよ。
籠愛は内心、ホッとしながらも返す。
しかし、麗華は不満げである。
「そうは言っても、5対1だよ? いくらランちゃんでも、さすがに全員相手じゃさ……」
「それが彼女の
籠愛は、蘭子の心を何となく理解していた。それは、同じ武人たるがゆえの共感のようなものであったかもしれない。
彼の腰を抱いたまま、腑に落ちない顔の麗華は、
「ふーん。
かぷ、と。濡れた八重歯が、籠愛の首筋を甘噛みする。
「なっ、なああ!?」
籠愛が思わず手綱を放す。
と、同時に。
「のわあっ!? ちょっと、ちゃんと制御しときなさいよっ!」
「
ふわ。宙を舞う感覚が二人を包んだ。
この後、かろうじて手綱を掴んだ籠愛と麗華は、数分ほど宙吊りの目に遭うこととなる。
4月21日、この日。二人もの英雄が、戦わずして欠けていた可能性があったとは、怪原家の面々はついぞ知ることがなかった。
☆
ところ変わって、
白く巨大な三つ首の犬が、黒いアスファルトの路面に、蘭子を踏み敷いていた。
『俺の大切な家族に、好き勝手してくれやがってよ。覚悟はできてんだろうなあ、アァ?』
「がっ……あ」
蘭子の右腕を左前足、胸を右前足で押さえつけた、
「ごおっ……げぼっ」
血を吐く蘭子に、希瑠は犬の頭蓋の兜からのぞく、冷たく紅い眼を光らせる。
『痛いか? だが、母さんはもっと痛かったんだぜ。
異能力なんざ使うまでもねえ、このまま一気に潰してやるよ』
ぐぐ、と前傾する巨犬。それに伴って、みしみしと地面が
希瑠もまた
だが、最も希瑠の
『俺は父さんに頼まれたんだよ。父さんが居ない間、母さんとみんなを守ってくれ、ってな。それをよ……そう、
それは、自分への怒りであったかもしれない。母を傷つけた蘭子への怒りであると同時に、母を守れなかった自分への、怒り。
「ぐっ……あ、ハハァ……。絶体絶命、だなぁ……」
蘭子が、笑っている。この期に及んでも笑っている。
『何が
希瑠が問うと。蘭子は、これ以上ないほど
「可笑しくなどないさ。『楽しい』んだ。
頭から血を流し。真っ赤に染まった顔で、なお。
蘭子は笑っていた。まるで、とてつもなく欲しかったおもちゃをもらった子どものように、笑っていた。
「ようやく……ようやく全力で戦わなければならないところまで追い詰められた…………! これ以上の歓喜が! 幸福が! このわたしに存在するだろうか!」
そう言うと蘭子は、唯一
『何ィ……!?』
蘭子の行動に希瑠は、狼にも似たその
『戯れ言を。てめえはもう
それでもなお、この
全体重。象よりもまだ巨大な彼の、6tにもおよぶそれを、ついに希瑠は全て前足に掛けた。
「ぐっ……お……」
流石の蘭子も苦しいとみえる。当然だ、通常の生物はおろか、鋼の鎧でも容易に踏み潰すその「重み」。
――だが。
『何……だと…………?』
「ぐっ……おおおおおらああああああああああああっっっ!!!!!!」
蘭子は潰れない。いや、それどころか、希瑠の巨体を押し戻している。身体は傷だらけで
その肉体が……確かに、
「私はッ、負けないッ! たとえ、どのような策を
どのような『
それは、
スマートで筋肉隆々、血管の浮かぶ蘭子の腕から、徐々に、金色の毛が伸び始める。蘭子の両肘、両膝から先をその
細長い指、よく手入れされた爪が、鋭く
はじけ飛ぶ陸上のユニフォーム。一糸まとわぬ姿となった、その乳房の先と股間が、わずかに体毛で覆われる。かろうじて
最後に……腰まで伸ばされた黒髪、その前髪あたりから、新たにふさふさと金の毛が生え、周りの髪もまた同じ色に変わる。逆立つそれはまるで……
「オォラア!!」
『ぐあっ!?』
希瑠の前半身が
『がっ……!』
「ぐっ、う…………!」
どうにか意識を保った希瑠。倒れたその姿勢で、転がってきた上方……自らを転がしたモノを、見上げた。
それは、言うなれば「
「驚いたか? だが、貴様も知らなかったわけではあるまい。私が、どんな最期を迎えたかを」
「ぅ…………」
希瑠は、言葉を返す気力すらない。だが、頭では理解していた。
女狩人・アタランテの末路。それは、神帝ゼウスの聖域で夫と
「まさか……その姿を、まだ、利用できるのか」
「ご明察。異能ではないから、
恥ずべき姿、とのたまう割に、蘭子の顔は得意げだ。肉食獣らしく尖った歯を見せて、ニヤリと
「
思い出したような吹羅の攻撃を、軽々とかわしつつ、高らかに挑発した蘭子は、希瑠に背を向ける素振りを見せた。
「待てよ……まだ、俺は息があるぞ。
「そんなことをして何の意味がある? これはあくまで『かけっこ』だ。私と理里くんとのな。で、あるならば、そろそろ
ここ数日でこれでもかと印象付けられた、
☆
「クソッ……このまま、引き下がれっかよ」
ふらつく頭で、希瑠は立ち上がる。
このままでは、本当に蘭子の勝利が現実のものとなってしまう。そうなれば、満身創痍の怪原家はひとたまりもない。最初の条件どおり、抵抗する間もなく全員が、命を奪われてしまうことだろう。不死身の
ともかく、「かけっこ」の敗北だけは避けなくてはならない。そのために希瑠が、何としても蘭子を止めなくてはならない。
大きく息を吸い、希瑠は再び怪物態になろうとして――
「待って」
「のわあ!?」
いきなりズボンの
「っ
軽い苛立ちとともに振り返った希瑠。すぐに明らかになった犯人に、一驚を喫した。
「か、母さん!?」
恵奈だった。蘭子に受けた気絶から目覚め、重体ながらも、どうにか意識を保っていた。
その血まみれの顔で、恵奈は請い願うような表情を浮かべる。
「お願い……わたしも、戦わせて。翼は折られてしまったけれど、まだ、動ける」
「馬鹿言うなよ! そんなボロボロの身体で戦ったら、今度こそ終わりだぞ! 悪いことは言わないから、母さんはここで休んでた方が……」
希瑠がなだめるのも聞かず、恵奈は首を振る。
「お願いよ。
「……そう言われても、なぁ」
恵奈の言うことは、希瑠にはさっぱり分からなかった。だが、母のいつも真っ直ぐな瞳が、その意志の強さを物語っていた。
希瑠はしばらく黙考し。やがて、やれやれ、と恵奈に手を差し伸べた。
「……分かったよ。ほら、立てるか?」
その掌を、恵奈は
「ありがとう」
ニコッ、と笑った恵奈は。傷だらけの顔ながら、どんな美女よりも美しく見えた。
「……お、おう」
「さあ、
啖呵を切って、希瑠は恵奈を「お姫様だっこ」の形に抱え上げる。
「け、
戸惑う恵奈の頬が、にわかに赤らむ。それに、希瑠はキョトンとした顔をする。
「その消耗じゃ、母さんだけで追いつくのは無理だろう? それよりは俺の能力で『加速』して、一緒に行った方が速いじゃねえか。ま、吹羅が圏内に入ると能力は解けちまうけどな」
「……そんなだから、あなたは万年独身なのよ」
「ん? 何の話だ」
首を
「……ま、いいか。"
希瑠の肉体から、
ぐぐ、と希瑠は前傾し――恵奈を抱えたまま、スピードスケーターのように、地面を
怪原家のほぼ全員を巻き込んだ、蘭子と理里との「かけっこ」。閉幕の
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