20. Golden Light, Emerald Light





 すうはくはくすうはくすうはく

 すうすうはくすうはくすうはく


 現代に残る忍者の秘伝書・『万千集ばんせんしゅうかい』によれば、忍者は長距離を走る際、この順に呼吸することで、どこまでも息が続いたという。


 この『二重ふたえ息吹いぶき』とよばれる呼吸法を、小学生の頃に図書館で見かけてから、理里りさとはマラソン大会で負けなしだった。もちろん、怪物の力を少し、ほんの少しだけ使ったのもあるが。


 ともかくも。綺羅きらと別れてから、一心不乱に走りつづけてきた理里の視界に。ようやく、蘭子の背中が見えた。


 本来なら、心の中でガッツポーズのひとつもするはずだったのだが。そのあまりの"混沌"ぶりに、理里は呆れた。


「なんじゃこりゃ……」


 いつのまにかオレンジ色の光に包まれ、たてがみと尾を生やし、ごわごわと金色の体毛に覆われた手足で、四つん這いで走る蘭子。その身体には白い大蛇が何匹も巻き付き、その起点きてんである吹羅ひゅらは道路に引きずられて悲鳴をあげている。


 そんな蘭子を両側から攻撃する、怪物形態の恵奈えなと……希瑠ける

 前者はグラマラスな上半身をぶるんぶるんと揺らし、蛇の下半身で機敏に動きながら、こぶし大の宝石に刃を取り付けた武器で、的確に蘭子の身体を切り裂いている。蘭子はそれをものともせず、時に躱し、時に受けつつ、四つ足で走りつづける。


 後者は人の身体に、白の犬耳いぬみみと尾を生やし、蘭子と同じくひじから先・膝から先に、優美な純白の体毛を発達させている。また、目元には、人間の頭蓋骨のような黒い仮面を付けている。

 いわゆる、「半妖態はんようたい」というものだ。完全に身体が怪物の姿でなく、半分人間、半分怪物の状態。希瑠は怪物態がかなり巨大なので、恵奈の邪魔にならないよう、この形態で戦っているのだろう。

 希瑠もまた、鋭い爪の生えた手足で突きや蹴りを繰り出している。時折命中しているが、蘭子を止めるには至っていない。


 2人の攻撃を器用にかわしつつ、蘭子は着実に前方へと進んでいる。だが、蘭子のスピードががれているのは明白。吹羅の能力で蘭子の異能を無効化、度重たびかさなるダメージで体力も落ちている。さらには、左右からの絶え間ない攻撃により、蘭子はまともに走ることができない。


 あの「獅子化ししか」の能力でどれほど性能が上がっているかは分からないが、最初に比べれば、かなり蘭子を無力化できていることは確からしい。


 そして……理里がここまで追い付いて来れた。ということは――


(……勝ち目は、ある!)


 自分を送り出した綺羅のためにも。今ここで戦っている家族のためにも。そして――ひとり家に残る、珠飛亜すひあのためにも。


「グオオオオオオオオオオオオオオオオオオオッッッ!!!!!!!!」


 理里は、さらに速度を上げた。





「――来たわね!」


「ああ、来たな!」


 後方の咆哮ほうこうを聞きつけ。恵奈と希瑠は、蘭子に攻撃しながらも目を合わせる。


『……来たかッ!』


 蘭子の目もまた、爛々らんらんと輝く。このとき、この瞬間を、どれほど心待ちにしていたことか。


 遠いあの日、前世での最後の「くらべ」。美の女神・アフロディティの林檎にかかった呪いにより、蘭子はその後良人おっととなる男に敗れた。


 確かに。確かに、あの男は速かった。だが、こちらが追い抜かそうとする度に、「探しに行かせる」呪いのかかった黄金の林檎を遠く後方に投げられ、それを拾っている間に男との差は大きく開いた。


 三度、それが続いた。もう少しで追い越せる、というときに行われる、男の越権行為チート。それがどれほど歯痒はがゆかっただろうか。


 だから、今度こそ。今度こそは、どんな計略も打ち破って勝利すると決めたのだ。そうでなければ、わたしの魂は満足しない。わたしの、このアタランテの人生は、いつまでっても終わらない!



「げっははははははははははははアアアアアアアアアア!!!!!!!」



 牙の並ぶ口を耳まで吊り上げて、蘭子はさらにスピードを上げた。







 柚葉ゆずのは大滝おおたきまでの、舗装された2.7kmの道程……通称、『滝道たきみち』。その道をいろどる、二つの光があった。


 だいだいみどり。二つの光は、追いつき、また追い越しをたがいに繰り返しながらも、一直線に大滝の方へと駆けて行く。


 橙の光の正体は、ギリシャ神話最速の英雄・アタランテ。当世とうせいに転生し「田崎たさき蘭子らんこ」と名を変えた彼女は、今、間断かんだんなく仕掛けられる猛犬と蛇女の攻撃を軽業かるわざのごとくかわしながら、まるで新体操のリボンのような複雑な軌道で進んでゆく。


 他方・翠の光は、最恐最悪の魔神テュフォーンとその妻・エキドナの寵児ちょうじ、リザードマン・怪原理里。全身をエメラルドのような鱗に包まれた蜥蜴男とかげおとこは、意志を託し倒れた妹のため、今なお隣で戦う家族のため、そして――最も大切な姉のため。一直線、実直にひた走る。


「グオオオオオオオオオオオオアアアアアアアアアッ!!!!!!!!」


「げっはははははははははははははははあああああああ!!!!!!!」


 たかぶえる蜥蜴。悦楽にわらう獅子。


 大いなる"勝利の女神ニケ"の寵愛は――果たして、どちらに。





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