11. kid, I like competition




「……かけっこ……だと…………?」


 身体の底から湧きあがる、どうしようもなく強烈な『寒気』に硬直したまま、理里りさとは問う。どうやら、口だけは動かせるようだ。


「ふざけ、てるのか…………」


 薄ら笑いを浮かべる蘭子らんこを睨みつけ、歯ぎしりする理里。


 しかし……同じく硬直させられている希瑠けるの反応は、違った。


「まさか、貴様!」


 驚愕きょうがくに目を見開き、即座にその目が、憎悪の籠ったものに変わる。


「どこまで野蛮なんだ……! 貴様、本当に英雄か!?」


「ああ……広くはそう呼ばれているな。おのれで意識したことは無いが」


 蘭子は希瑠の視線を歯牙しがにもけず、長い黒髪を掻き上げる。


「……? どういう、ことだ……」


 唯一理解していない理里が、眉をひそめる。


「……ああ。そうか、君は知らないのか……。昨今さまざまな方面で取り上げられることも多いから、わたしも少しは名が知れたものと思っていたが。……まあ良い。わたしの過去の所業などは、知っている者に聞けばいい。今重要なのは、この『競い合い』のことだよ」


 ぐっ、と蘭子は理里に顔を近づける。生暖かい吐息が、頬にかかる。


「ルールは簡単だ。この学校の校庭から同時にスタートし、先に柚葉大滝前まで辿り着いた方の勝利。ルートは市役所前の大通りを突き当りまで直進して左折、そのままロータリーを周って、あとは滝道通りに進む。どうだ、単純だろう」


「柚葉大滝……って、かなりの距離じゃないか」


 柚葉大滝とは、柚葉市が誇る観光名所のひとつである、落差33mにも及ぶ大きな滝だ。秋には紅葉に映えるその美しさ目当てに観光客が殺到する、柚葉市の大きな財源でもあるが……かなり山奥にあり、舗装されているとはいえ、起伏の激しい山道を駅から3km近く歩かないと到達できない。


「だから良いのだよ。……言っておくが、これは私から与えるハンデなのだぞ? 100メートルかそこらの短距離走では、一瞬にして勝負がついてしまうからな。



 そして。わたしが勝てば、君たち家族全員の命を貰おう」



「……!? いくらなんでも、それはっ」


 激昂しかけた理里を、蘭子は右手で制す。


「ただし。君が勝てば、今後一切きみらに手出しはしない。それに加えて、君の言うことを何でもひとつ、聞こう。死ねというのならば死ぬし、二度と顔を見せてほしくないのであれば、どこか遠い町に引き払う。……望むなら、このからだを捧げることすら惜しまないぞ?」


 そう言って蘭子は、ブラウスのボタンをひとつ、ふたつと開け始める。


「くっ……! やめろ、やめろって!」


 理里は顔を真っ赤にして、目を背ける。


「クソ痴女が……色事いろごとしか頭に無えのか」


「……ほう?」


 悪態をついた希瑠に、蘭子は耳ざとく反応した。


「犬っころが一国の王女に斯様な戯れ言を申すとは、如何どうう了見かな?」


「てめえみてえな下衆ゲスお姫様が居てたまるか。それに、そんな身分にあったのは前世の話だろう。……ああ、どちらにせよ親に捨てられた身だったか」


「……思い上がるなよ、駄犬が」


 そう、蘭子がつぶやいた次の瞬間――希瑠の股間こかんに、何かがくだけるような痛みが走る。


「ぼべあっ!?!?!?!?!?!?!?!?!?」


 まばたきもしないうちに希瑠の前まで移動した蘭子の右脚が、しっかりと希瑠の股間を蹴り上げていた。


「ほぉ……おほっ……」


 よく分からない声を上げて、希瑠は膝から崩れ落ちる。


「はっはははは! 怪物と言えど、男はタマが弱いのは同じようだなぁ!」


「ひえ……」


 理里は、心なしか股間が冷たくなった気がした。


「理解したか? 貴様らに拒否権などない。わたしは今ここで、貴様らをいかようにもできるのだぞ? 無論、殺すこともだ。


 理里君……君もこの駄犬のように転げ回りたくなければ、迅速に回答することをお勧めするが?」


「……わかった。その挑戦、受けて立とう」


 もがき苦しむ希瑠から目を離せないまま、理里は蒼白な顔で承諾した。


「よし、決まりだ! 日程は今週の土曜。それまで、せいぜい準備を整えておくことだ……ふふふ、ふはははははははは………!!」


 自信に満ちた高笑いを残し、動けない理里たちに背を向けて、蘭子は悠然と歩み去って行った。







 蘭子の姿が見えなくなったころ、ようやく理里たちの身体の硬直は解けた。


「大丈夫か、兄さん!」


 いまだ股間を押さえて起き上がれない希瑠に、理里はる。


「ゆるさん……あの女、マジにゆるさん……ひぐっ」


 理里が助け起こそうとすると、希瑠は内股うちまたになってくずおれてしまう。


「に、兄さん!」


 再び肩を貸され、ようやく希瑠はゆっくりと歩き出した。


「ハア、ハア……理里ォ……俺はあの女に、目にもの見せてやりてえぜ……」


「……そうだな。それは、俺も同じだ」


 ここまで理里たちは、田崎蘭子に翻弄ほんろうされっ放しだ。圧倒的な強さと速さ、そしてあの奔放な性質に。


「けど、ちゃんと勝負してあいつに勝てるかな? さっきはつい、気圧されて返事しちゃったけど」


「ハア……そりゃきっと、無理だろうな……。ヤツは〝最速〟だ。


 けど、知ってるか……? 神話上で似たような勝負をヤツがやった時に、勝利した男のやったことを……」


「……いや、知らないけど」


 おそらくそれが、先ほど蘭子と希瑠がほのめかしていたことなのだろう、と理里は悟る。


 何か悪だくみするように苦笑して、希瑠は続けた。


「そいつは、アタランテの走る軌道上に、『リンゴ』を投げ入れたのさ……するとアタランテは、リンゴを拾いに行ってしまって、そのすきに追い抜かれてしまったんだ」


「何だそのバカな話は……」


 希瑠の語った話に、理里は呆れる。いや、あの女ならやりかねないかもしれないが。


「ここで大事なのは、リンゴを手に入れることじゃねえ……つまり、だ。俺たちが勝つにはそれしかねえ……!


 見てるがいいぜ、田崎蘭子ォ! どんな手を使ってでもてめえを足止めしてやるッ……うっ……」


 気合いを入れた刹那、希瑠はまたしてもその場に倒れこんでしまう。


「……はぁ……」


 一体誰と誰の勝負なのか、分かったものではない。そう、ため息をきながら、もう一度兄を助け起こす理里だった。




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