9. DUGOUT ENCOUNT
「ったくよう、まさか俺が働かされるなんてなあ……」
翌朝。希瑠は
「いいじゃないか、たまには外の空気を吸った方が。ずっと引きこもってたら、体壊すだろ」
「バーロー、
無造作に頭の後ろでまとめた白髪を掻きながら、ふあ、と希瑠は
「しかし、
「ああ……兄さん、柚高の卒業生だったな」
ようやく黒のママチャリを出してきた理里が、納得して苦笑する。
「おうよ。これでも昔は優等生で
「それはよく知ってるよ。いったい何度学年1位の通知表を見せられたか……しかも、何のためらいもなくゴミ箱に捨てちまおうとするし」
「まあ……な。たいして努力して取ったもんでもねえからな」
希瑠は、いわゆる"天才"とよばれる人種だった。学業、運動、芸術、そして遊び。全てにおいて、彼は非凡なる才能を発揮していた。
「そんなヒトが、今じゃ一銭の役にも立たないニートだなんてな……母さんの涙が目に浮かぶよ」
「ははは……耳の痛い話だぜ」
希瑠は引き攣った笑みを浮かべる。それを気にも留めず、理里は自転車に
「さて、そろそろ行きますか! じゃあ兄さん、今日はよろしく頼むぜ」
「おう、任せとけ! ……さて、と……」
きょろきょろ、と辺りを見回して、希瑠は人目のないのを確認する。
そして。
「……ぬんっ!」
気合いとともに、ぐっ、と腹に力を込める。
すると――
「……おお…………」
希瑠の足元から、銀色の、炎のような
「へへっ、ざっとこんなもんよ。どうだい、俺の"オーラ"は?」
「ああ……さすが兄さんだ。これで、人間からは姿が見えなくなるんだよな」
この
そもそも、怪物と怪物以外の生物全てとでは、身体の構造が違う。怪物以外の生物が、肉体の中に「
肉体の外側に張った「魂」には、一定以上の体積になると、光の電磁波を打ち消す磁場を発生させる性質がある。そして、その磁場により光を散らすことで、自らの肉体の不可視化を可能にする。全ての怪物は体の構造上、この能力を有している。
ただし、この「
「ま、英雄どもにはバレるが……警備員に気づかれず学校に入るくらいなら、これで十分だろ。……よっ、と」
希瑠は黒いパンツに包まれた長い脚で、理里の自転車の荷台をまたぐ。
「……なんでうちの兄妹は、こんなに二人乗りしたがるかな……」
理里が呆れると、
「なんでぇ、良いじゃねえか。どうせ人間には見えやしねえんだ、
希瑠は、「しゅっぱつしんこー!」とでも言うように、自転車の進行方向を
「……
渋々ながら、理里は重いペダルを踏みだすのだった。
そういえば、珠飛亜はなぜこの能力を使って二人乗りをねだってこないのだろう……という疑問が、一瞬理里の頭をよぎったが。彼は心の
☆
「おおっ、こりゃ見事だ」
通学経路の半分あたりにさしかかった、
とくにこの季節……四月上旬ごろは、満開となった桃色の花が、武骨な枝のアーチを彩り、まさに「桜のトンネル」といった様相である。
「ああ……いいもんだな」
後方で興奮した声をあげた希瑠に、理里は
車道の端を、にわかにスピードを落として走る。ふわっ、と、薄桃色の花びらが
それを目で追った希瑠が、しみじみとつぶやく。
「普段はパッとしねえ田舎町だけどよ。こう、季節感というか? そういうのを直に感じられるのは、
「これが秋になったら、またオレンジ色のトンネルになって綺麗なんだよな」
「そう! どこからか
心からそう思っていることが伝わる、希瑠の明るい声。それに、理里は苦笑する。
「いつも交通アクセスの悪さに
「そ、それは言いっこナシだろ!?」
柚葉市は、県の中心都市から車で三十分ほど走ったところにある、山沿いの市だ。だが、どういうわけか鉄道が一本しか通っていない。しかもそれすら、主要路線から分かれた、たった四駅しかないさびれた路線。車を持つ住民にはさほど不便がないものの、希瑠のように、車やバイクを持たず、電車が主な交通手段となる者にとっては、かなり過酷な環境だった。
「アニメ系のグッズなんかは、県の中心部まで行かなきゃ売ってねえんだからよ。……俺ペーパードライバーだから、家の車借りるわけにもいかないし。必然的にあのド
「……
「違うんだ、それじゃダメなんだよ。自分の手に取って選ぶことにこそ買い物の満足感ってもんが……」
そんな話をしているうちに、最後の桜のアーチを、ママチャリは通り抜けてしまった。そのまま数分ほど続く坂を下って、
「ふう……あと少し、だな」
「おお、ここ渡ればすぐだもんな。懐かしいぜ」
この辺りまで来ると、同じ高校の制服に身を包んだ学生たちの姿が、かなり増えてくる。
「……久々の学校、だな……」
入学式を終えてまだ二週間ほどだが、すでに半分くらいの日数は、理里は学校を休んでいる。
「この調子で
「まったくだよ……せっかく通った志望校だってのに」
高校のほうへと流れていく紺のブレザーの群れを眺めながら、理里は
生まれた星の下が悪かった、ということなのだろうか(今は星は無いが)。魔神の息子に生まれたがゆえに、理里の手元から平穏な生活というものは消え去ってしまった。
理里はただ、平和に暮らしたいだけなのだ。普通の人間と同じように、あたりまえの毎日を過ごしたいだけなのだ。だというのに、なぜ自分たちだけが、こんな目に――
――ぞくり。
理里の背筋に、唐突に
「に、兄さん……」
「……気づいたか、理里」
後方の希瑠も同じものを感じたらしい。
『寒気』の根源はどこか? 必死に辺りを探る。左――ではない。右でもない。もしや後方か、と振り返るが、希瑠以外は誰もいない。
はっ、と向いた前方――瞬間、
「っ…………!?」
希瑠が以前危惧していた狙撃だ、と、気づいた時にはすでに遅い。避ける間もなく、ギラリと光る先端が、理里の頭部を
しかし。
「異能――"
斜め上、理里の頭から丁度五メートルほどの空中。そこで物体は、突如として地面に叩き付けられた。
「あ…………」
地面にめりこみ、真っ二つに叩き折られた物体の正体は、
すかさず、空に現れる第二射。今度は大きく弧を描き、希瑠の真上から脳天を貫くように飛んでくる。
「ほう……なかなかに賢いな。瞬時に
希瑠はうそぶいて、右手を掲げる。
「
刹那。吸い込まれるように希瑠の頭部に命中するはずだった矢は、またしても彼に至るまで五メートルほどの位置で、何かに
「何者とてこの
理里たちを中心に、半径五メートルの円形の範囲。その外周に、希瑠を包むオーラの色と同じ、銀色のゆらぎが、いつのまにか
「この円の圏内は、『俺の世界』と化す。『王』たる俺が定めたひとつの『
どこへともなく希瑠が叫ぶ。すると、国道を
女性としては背が高い……175cmはあろうかという、すらりとした長身。長く伸ばした黒髪は、前髪と耳にかかる部分が切り揃えられた、いわゆる「姫カット」という髪型。髪質は少し硬そうだ。いくつか折られた制服のスカートからのぞく長い脚は、ストッキングに包まれているものの、その上からでも鍛え上げられた
顔立ちは
「……こいつ……!」
身構えた希瑠と理里に、少女は、首を横に振り、弓を地面に置く。戦意は無いらしい。
「…………」
顔を
次の瞬間には、少女の
「なっ……!?」
目を見開き、思わず口を開けた理里と希瑠。
暗澹たる黒い髪を振り乱す死の権化が、獣のように、ニッカリ、口の端を吊り上げる。
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