第1章 第3節 「神速の乙女」
8. Midnight Inspiration
「う……」
お馴染みの
「お、気がついたか。今回は早かったな」
部屋に居たのは
「…………」
「何だ、不満そうだなぁ。オレが
「……気持ち悪いこと、言うな……。
「おおっと、こりゃ手厳しい」
希瑠は
「
「……2日、か…………」
ぼうっとした頭で、理里は思索にふける。
「学校の方じゃ、生徒がひとりいなくなったってのに、何の騒ぎにもなってないらしい。妙な話だ……神々が手を回しているのかもな」
「……そうか」
理里は
だとしたら、彼の親は、彼の家族は……いったいどんな気持ちで、今を過ごしているのだろうか。いたたまれない思いを抱くと同時に、理里の胸には、大河を殺した罪悪感が再び押し寄せた。
「お、あったあった。コレよ、コレ」
暗い顔の理里のことも気にせず、希瑠は何かを見つけたらしい。その小さなモノを、細長い指でつまんで、眼前で揺らした。
「……兄さん、何探してたんだ?」
「母さんが、自転車のカギをなくしちまったらしくてな。スペアを取りに来たのよ。明日も買い物で使うだろうから、覚えてるうちにってな。そいじゃ、呼んでくるからちょっと待ってな」
希瑠は
(いいようにパシリにされてるな……25歳にもなって
当の希瑠はあまり気にしていないようだが、彼の家庭内での地位はかなり低い。希瑠からすれば妹のはずの珠飛亜とぶつかって、
「り゛い゛い゛い゛い゛く゛う゛う゛う゛う゛ん゛ん!!!!!!」
「いや
予定より早く飛んできた、予想通りの母の巨体に(決して太っているわけではない、181cmの長身がちょっとムチッとしてるだけなのだ)、身動きも取れずホールドされる理里だった。
☆
涙をハンカチで拭い、鼻をチーンとかんで、ようやく落ち着いたらしい
「えー、こほん。それで、今回は何があったのかしら」
「母さん、そこからクール路線に戻すのは
「ぐすっ……そ、そこ、無駄口を叩かない。
「いや正しい指摘にこの仕打ちィ!?」
ツッコミを入れつつも、希瑠はすみませんでした、と頭を下げる。
それに眉をひそめながらも、理里は恵奈の問いに
「……それはそれとして。
何から話したものかな……」
「そうか……そりゃ珠飛亜のヤツ、気の毒にな……」
「ええ……あれだけ生徒会のこと、楽しそうに話してたのにね。まさか全員が敵だったなんて」
「……ああ…………」
理里だってショックだった。怒りのあまりブチ切れて、憎しみだけに心が支配されて、そして――――。
また理里の心が闇に堕ちる寸前で、希瑠が口を開く。
「……珠飛亜には悪いんだけどよ。ちょっと現実的な話、していいか?」
「……? 何だ、兄さん」
怪訝な顔をする理里と恵奈。
「確かに、生徒会の面々がみんな英雄だったってのはショッキングな事実だ。でも裏を返せば……俺たちは、どこから襲ってくるか分からなかった"英雄"の
「…………!」
理里の目から鱗が落ちる。
「確か、生徒会のメンバーは珠飛亜を抜いて5人。うち1人は敗れたわけだから、残りは4人か? 身近にいる英雄の正体が4人分も掴めたってのは、かなり大きなアドバンテージだ。何せ、こちらから先手を打つことができるようになったんだからな」
全く以って、希瑠の言う通りだった。
今まで理里たちは、
それを悟った恵奈が両手を叩く。
「希瑠くん、たまには良いこと言うじゃない! なら、
「……ああ。……まあ、その方が良いんだろう。母さんは強いし、な……」
その反応に、希瑠は微妙な顔をしたが、ひととき間を置いて
「決まりね。りーくん、もう安心よ。あとはお母さんが全部やってあげるから」
理里の両肩に手を置き、恵奈は切れ長の目元を
……しかし、理里の表情は
「どうしたの? もう、あなたたちが
「……それさ。『殺す』ってことだよな」
「えっ?」
恵奈が、
その仕草に、さらに理里は苛立ちを
「なんで、軽々しくそんなこと言えるんだ……? 相手は人間なんだ。俺たちと
『片付ける』『やる』など、4人もの人間の命を
あまりに人命を軽視したその言葉に、理里は抵抗をおぼえたのだ。
「…………」
恵奈は、少し困った顔をした。
「……わたしたちは、人間とは違う存在でしょう。たまたま
「そりゃ、母さんはそうかもしれないさ。何てったって、俺たちよりずっと長く生きてるからな。
……けど、俺は違うんだよ。そりゃ、『戦いの技術』は母さんに仕込まれたけど、特に人間と戦うこともなく、平和に暮らしてきたんだ。人間の中で、人間の価値観に染まって生きてきた。自分とは違うものだなんて、そう簡単に思えねえよ……」
理里は布団の中で
「「………………」」
希瑠も恵奈も、一時
「……戦わない、なんてわけにはいかないさ。きっと相手を生かして帰すこともできないだろう。……だけど、せめてさ。自分に戦いを
半ば自分に言い聞かせるように、理里は
理里は「
しかし――
ばちん。
「…………!?」
理里と希瑠は、
何せ、これまでの人生で母に叩かれたことなど、なかったのだ。
「母……さん……?」
呆然とする理里に、恵奈は、
「
「なっ……」
驚きを隠さない理里。だが、気にせず恵奈は続ける。
「あなたはまだ、怪物としては未熟でしょう。しかもただの
「それは……で、でも、今回は俺が勝ったじゃ」
「それも、
それは、永劫かと思えるほどに永い年月を経て生きてきた「怪物の先輩」として、そして我が子を導く「母」としての言葉。子を大切に思うがゆえの、厳しい言葉だった。
しかし。子が素直にそれを受け入れる場合が少ないことも、またこの世の道理。
「……いいさ、伴っていなくても。自分が正しいと思うことをして死ぬなら、俺は本望なんだ」
「……
うそぶく理里に、恵奈が静かな怒りを匂わせる。しかし、希瑠の右手が、彼女を
「母さん、あまり正論を押し付けちゃいけない。こいつはこいつなりに、
平時は
「今は理里たちに、どう英雄の手が及ばないようにするかだ。もちろん、母さんが出て行って全員ブチのめしてくるのが一番安全だし、早いだろうさ。……でも、ここは。息子の精神の自立を、ちょっと応援してやっちゃあくれねえか?」
すると、恵奈は声色に
「……自立? あなたにそんなこと言えた立場?」
恵奈の強烈な毒に、希瑠が言葉に詰まる。が、すぐさま恵奈は右手を振り、話題を戻した。
「いえ、今はそういう話じゃなかったわ……。あなたは、わたしの大事なあなたたちを、みすみす死なせろと言うの? 思いに
父のことを言っているのだろう、と、理里は心の中で納得した。いや、彼は死んだわけではないが。
「もちろんだ。タダでとは言わないさ。理里には今のように、必ず誰かが
……それから理里。生みの親の前で、間違っても『死んでもいい』なんて口にするんじゃねえ。それこそ命の軽視だ。母さんに謝れ」
「あ、ああ…………母さん、ごめん」
白い布団に身体を起こした態勢のまま、理里は頭を下げた。
「……まあ、わかってくれたのなら良いけれど。私が先制攻撃を仕掛けないとしたら、何か代替案はあるのかしら」
不服そうな恵奈に、希瑠は
「……順を追って説明しよう。
英雄たち4人は、全員柚葉高校の学生だ。となると、誰が狙われる可能性が高いと思う?」
「……そりゃ、俺と珠飛亜だろうな」
理里が
「そう、お前たちだ。奴らの生活圏にいちばん近いわけだから、最も攻撃を仕掛けやすいんだ。……もちろん、弱い順に狙ってくる可能性もなくはないし、その場合だと見かけ上から
となると、現状最も危ないのは
「……ああ」
その辺りは、理里も理解していた。理里も珠飛亜も、無敵と呼べる異能を持っているわけではない。確実な必勝の手を持っているとは言い難い。
「理里。さっきも言ったが、俺はお前の意思を尊重したいと思う。それがお前の成長につながると信じてるからだ。だから、これから俺は、『お前たちだけで英雄を倒す』方向で話を進めたいんだが……そこで、お前にひとつ質問したい。
……お前は、『やられる前にやる』ことを、
『正しい』のところに重点を置いて、細い眼で理里の貌(かお)を真摯に見つめ、希瑠は問うた。
理里は、ひととき黙考する。
「…………」
「大丈夫だ、正直なところを言ってくれて構わない。理論的な話じゃなく、お前の感性に聞きたいんだ」
「……言っても、いいかな……」
「ああ。気は遣わなくていい」
少し頭を掻いて、理里は答えた。
「理屈の上では正しい……と思う。けど、感覚的にはどうしても、気が引けるんだ。自分のために、相手を殺しに行くってのは」
「……そうだろうな。だが、奴らに奇襲をかけられて、生き残れると思うか? もしかすると、狙撃手の英雄がいるかもしれない。頭をぶち抜かれて生き残れるほど、お前はタフじゃあないだろう?」
「……そう、だな…………」
理里は言葉を返せなかった。希瑠の言うことに間違いは無い。理里の意見は、ただのわがままな欲望にすぎない。自分ひとりだけが『正しく生きたい』という身勝手な欲望だ。義は家族全員を守ろうとしている希瑠にある。
「そうだ、それでいい。お前は
……さて。そういう点から、理里と珠飛亜の側から英雄たちに襲撃をかけることを了解してほしい。こればかりは譲れないんだ。分かってくれ」
「うん……分かったよ。俺たちの命が一番、大事だもんな……」
表情に影を落としたまま、理里は
そんな理里を気にかけてか、希瑠は肩をすくめる。
「……そう気を落とすんじゃないぜ。お前は間違っちゃいない。その『正しさ』は、いつかきっとお前の役に立つ。今回はやむを得ず、それを曲げるだけのことだ…………。
お前は、清らかな心の持ち主だ。その心に自信を持って、いつまでも大事にしろよ」
希瑠はニコッと
「……ああ!」
目覚めてはじめて、理里は顔をほころばせた。
☆
「さて……これで一応、方針は決まったわけだが。ひとつ、重大な問題がある」
「…………?」
悩ましげに眉間に皺を寄せる希瑠に、理里が首を傾げる。
「何か不都合でもあるのか?」
「不都合というか…………実は、珠飛亜がまだ目を覚まさないんだ」
「えっ……そうなのか」
左眼の代償よりも長く眠らされるとは、それほどまでの重傷だったのだろうか、と考えかけて、思い出す。珠飛亜が
「……まあ、当然か」
理里たち"
もっとも、例にもれず理里だけは、その治癒力を有していないのだが。
「かなり手ひどくやられたみたいだな。全身が真っ赤に腫れていやがった……2日経って大分マシになったが、ありゃあ見れたもんじゃないぜ」
希瑠が顔を
恵奈も頷き、珠飛亜の
「見つかってからずっと、私の部屋で寝ているけれど……大量の毒を流し込まれて、身体が内外からかなり傷ついているみたい。自然治癒に相当、時間がかかっているわ。もう少し長く蜂に襲われていれば、命が危なかったでしょう」
「オレ、ちょっと様子を……」
理里は立ち上がろうとする。が、恵奈に
「駄目よ」
「……なんでだよ。珠飛亜がああなったのには、俺にも責任の
「……きっと
今のあの子の姿を目にすることは、その努力を無にすることよ。だから、どうか、行かないであげて」
「……分かったよ」
恵奈の言い分も理里には分かる。いわゆる、女の
「で、問題はだな……珠飛亜がダウンしちまった今、誰がお前を守るかってことなんだよ」
「……あっ」
理里は、そのことをすっかり失念していた。珠飛亜の安否ばかりが気になっていた。
(俺、やっぱシスコンなのかな)
自らの深層に眠るものを再確認し、理里は少し鬱な気分になる。
「
チラリ、恵奈が希瑠に視線をやる。
「やっぱ俺ですかー…………ボクじゃなきゃ、ダメぇ?」
急に
が。
「そうね。どう
恵奈は冷酷無比な心で、その
愛想が通じないと分かった希瑠は、今度は反論に入る。
「いや、何もしてないってのは違うぜ? 俺には自宅警備という至高の使命が」
「何もしてない、わよね?」
が、恵奈の絶対零度の笑顔に、希瑠はネズミのように委縮してしまった。
「……その通りですぅ……」
「分かればよろしい。それじゃ、明日からお願いね☆」
可愛らしいトーンで語尾を上げて、恵奈は和室を出て行った。後には、死んだような
「……ハ、ハハ……」
こんな調子で、護衛が務まるのだろうか。不安に思いながら、苦笑する理里だった。
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