第十頁

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 その日の晩は素麺とインゲンの天ぷらとナスの素揚げだった。じりじりと暑い一日だったから先にお風呂に入ってその後で火照った体にはちょうど良かった。

 素麺をすすりながらじいじがオレとおじさんに交互に状況を尋ねた。

「さてと、篤夫くんは苦戦しておるようじゃの」

「はぁ」とおじさんが頭を掻く。

「とりあえず、学校内の出来事が占める割合が大半なので正直困っています。今後の方向性としては、関係者の親御さん周辺を洗ってみようと思っています」

 そう言っておじさんは少しだけ浮かない顔をした。

「ふむ。そうかそうか。壁に当たったら進む方向を変えてみるというのは定石じゃ。焦らず進めておくれ」

「そうだ、おじさん一個だけお願いしてもいい?」

「ん?なんだい」

「これ」

 オレが見せたのはスマホに保存していた写真だった。

「これって例の日記か」

 燕さんと待夢で話をさせてもらった時に念のため撮らせてもらったものだった。

「そうそう、これどこでも売っているようなんじゃ無さそうだから売っているところを調べてほしいんだ。もしかしたら、そこから糸口があるかもしれないし」

「分かった。そしたら、LINEで送っておいて」「うん」

「さて、隼斗の方はどうなんじゃ?」

 2人の視線がオレに集中する。

「とりあえず、協力者ができたよ。日記の当事者のもう一人に話が訊けそう」

「おお、隼斗くんが社交的になってる」

 おじさんは最近何かと一言多い。じいじの一言多いところが似てきてるんじゃないかと心配するくらいだ。

「僕はもともと社交的です」

「何はともあれ、関谷君もだし、その新しい協力者も自分で動いてくれそうだし助かるね」

「うん。ただ―――」

 オレは正直、高坂亜子のことをどう説明すべきか非常に悩んでいた。松岡由希を無情にも切り捨てた高坂。オレをカラオケに連れていき協力的になろうとした高坂。吹田さんの話をしようとしたら急に態度を変えた高坂。一貫性のない彼女の行動は支離滅裂でどうしたいのかがまるで分らない。

「ただ、高坂亜子の動向だけが良くわからない。歩が言うように真犯人な気もするし、そうでない気もする。もう少し様子を見ないと判断はできないって感じかな。でも、高坂と吹田さんは何かしらの接点がありそうなのは確実な気がする」

「それは篤夫君の件と同じで焦らずにいったん寝かせることでゆくゆく上手いこといくかもしれんからの。漬物みたいなもんじゃな」

 じいじはそう言った後で口角をちょこっと上げた。うまいこと言ったぞっていう顔だ。これも最近、篤夫おじさんが見せる顔だ。

 おじさんが我が家に住み始めて半年以上が経つ。さすがに親子のようにとはいかないけど、オレはおじさんを頼っているし、おじさんもオレを頼ってくれる。オレたちは家族のように生活をしている。男三人だけど、家事だってしっかり分担してるんだ。じいじに関していえば、おじさんが来てからというもの、もちろん探偵業は続けているけど何かに安心したように自分の趣味の時間を持つようになった。まるで、後継ぎが見つかった老舗の店主の様だ。

 今日はじいじが洗い物当番だったからオレとおじさんはリビングでさらにお互いの情報の共有をした。おじさんは満腹で膨れたお腹をさすりながらどっかりとソファに腰かけた。

「ふぅ、今夜はお腹いっぱいだ」

「おじさんは毎晩お腹いっぱいじゃん」

 おじさんは愛らしそうに自身の立派なおなかを撫でる。Tシャツにプリントされたカモメが太っちょに伸びていた。

「あれ、そうだったかなぁ。隼斗くんはもう少し食べた方がいいよ。それじゃ大きくなれないよ」

「大きなお世話です。そうだ、おじさん」

「ん?」おじさんの顔を覗きこむ。探偵の勘を侮ってもらっては困るのだ。

「なんか隠してることあるでしょ」

「何の話だい?」

「質問はオレがしてるんだけど。何か気になることあるんでしょ」

 その言葉にいったんおじさんは目を伏せた。そして、ゆったりを深呼吸をするとオレの目を見る。

「だめだ、嘘はつかないに限るね。降参だ。じつは気になる子がいてさ」

「え、まさか恋でもしたの?」

「馬鹿なこと言わないでくれよ、その子が市立美術館にいつも一人でいるからついつい目が行っちゃってね。事件とは関係ないと思うんだけど、こうもいつも見かけるとなんだか、ね」

 おじさんの目は真剣だったし、本当に戸惑っているようにも見えた。

「ちなみに、どんな子なの?何歳ぐらい?」

「そうなぁ。年からしたら隼斗君と同じくらいに見えるよ。でも、もしかしたらもっと上かも。すごく大人びで見えるんだよね。いるのは決まって平日。土日は必ずと言っていいほどいないんだ」

「とはいえ、なんでその子が気になるの?」

「絵を見ていないんだ」

「え」これは事故である。寒いことを言う気はなかった。

「隼斗くんが冗談を言うなんて珍しい」

「冗談です。話を進めてください」棒読みを続ける。おじさんのことは見ない。

「―――わかったよ。ほら、あの美術館一面だけ中庭に面した広い部屋があるだろ。そこで、いつも中庭ばっかり見てるんだ。彼女が絵を見ているところを今のところ一度も見たことがないんだよね」

「それっておじさんの間が悪いだけじゃないの?」

「その可能性も含めて調査しないと」おじさんはそう言って笑った。めったなことがない限りおじさんは誰かを否定しない。いつもなんだ。おじさんがこの家に越してきた頃もオレがいくらきつく接してもおじさんはオレを否定するどころか、「ごめんね」と言った。「助手として至らなくてごめん」と。じいじはそんな度量のあるおじさんを選んだんだと今に奈なって納得している。

「わかった。オレもその子に関わるような情報が手に入ったらおじさんに教えるよ」

「うん、そうしてもらえると助かるよ。ちなみになんだけど、すこし野暮なことを聞いてもいいかい」

 おじさんがこうやって前置きするということは本当に野暮なことを聞くつもりなんだ。そのあたりも時間の経過でアタリが付くようになってきた。「どうぞ」と麦茶をすすりながら促す。

「事件の真相に目星はついてたりするのかい?」

「ノーコメントで」

「くそう、またタイミングを間違ったかぁ。ほら、探偵小説では助手の何気ない会話のパスがあって解決編に突入したりするじゃないか」

 おじさんは探偵小説読みすぎ病を時々発病する。それが解決の糸口になればいいんだけど、残念ながらそんなことはほとんどない。

「正直言うと、今回はお手上げ状態なんだ。まだまだ情報が足りないから、おじさんのこと頼りにしてるよ」

 おじさんはなんか少し変な顔をして「任せてよ」と言った。

 その後、食器を洗い終えたじいじと三人で桃を食べた後、自室に戻った。ここのところ、調査と考察に多くの時間を割いてしまっていたものの、もう一つの重要案件の期日が迫っていたのだった。机に張られた藁半紙の時間割表には明日のテスト日程が印字されていた。

「なんで数学が初日なのかなぁ!」

 声に出すも日程が変わることはなく、提出しなければいけないにも拘らずまだほぼ白紙のワークを開いた。歩はもうとっくに終わらせたと言っていた。依頼してきたのは歩なんだし、見せてもらうかと思ったが、オレのことを「成績トップクラス」と呼んでくれた彼に頼むのもなんだか忍びないような気がしてやめたのだった。そして、オレは自分の信条に従う。

 努力は惜しまないが、誰にも見せない。

 こんな信条を掲げているからこそ、オレのことを何もしなくても何でもできてしまう「天才」だと勘違いしている人がたくさんいる。しかし、それをひとつひとつ否定したところでそれは「天才の謙り」だと思われて、余計に「嫌な奴」になる。美人に対して「綺麗だね」と言ったのに「そうでもないですよぉ」と言われてイラっとするあれだ。誰の目から見ても明な状態を否定されることをきっと人はひどく嫌悪するんだ。

 ま、とはいえその美人が「ありがとうございます」とか答えても「お高く止まっている」と文句を言う人もいるわけで、結局は嫉妬やないものねだりの憎悪が後を絶たないだけなんだ。だから、クラスには「天才」と囁かれることを否定しないオレが気に食わない人がいるというわけだ。

 机の置時計の二つの針がぴったり重なった頃にワークは終わった。あくびを抑えながら床を軋ませぬようにそっと廊下に出ると隣のおじさんの部屋の扉が少しだけ開いていた。そこから少しだけ見えたおじさんは文机に向かって何やら書き物をしているようだった。真剣な横顔に声を掛けるのをやめてお風呂場に向かうとサッとシャワーだけを浴びて自室に戻った。おじさんの部屋はもう暗くなっていた。

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