第九頁

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 高坂亜子は廊下で取り巻きの女子たちと一緒におしゃべりをしていた。緩く巻かれた髪は本当に高校生や大人のように見せる。

「それでさぁー、ケイくんがウチのことをチラッてみて目を逸らしたのよ。ありえなくない?」

 遠巻きにも聞こえる甲高い声が間違いなく彼女の声だろう。他の生徒たちの喧騒があるにもかかわらずこれだけ通る声も珍しい。

「あの、高坂さんだよね」

 オレの声は彼女たちに届かない。

「あの!」

 少し声を張ると、グループの輪の中でも外周に位置していた女子がこちらを見る。分かりやすいメイクは高坂と同じ系統であることを感じる。

「ん?なに?ウチらに何か用?」

「高坂さんに用があったんだけど」

 ついついオレの声がか細くなってしまう。

「アコー、なんかこの男子がアコに用があるんだって。てか、あんた誰だっけ?

「やだ、レナ言い方きっつーい」と言われてはにかむレナと呼ばれた少女をオレはよく知らない。

 そんなやり取りの後、円の一番奥、つまり廊下の壁側にもたれ掛かるようにして立っていた高坂亜子がこちらを見た。太陽が逆行で表情が良く見えなくて目を細めた。

「ウチに用? ヒマじゃないんだけど」

「いや、少し話を聞きたくて」

 オレがそう言うと、女子たちは「告るんじゃない?」とか「ナンパじゃん」とか好き放題言っていたけど、全部無視した。

「は?意味わかんないわ。理由もないのにあんたと話す必要ないんだけど」

 そんな時、グループの一人が助け舟を出してくれた。

「ってか、こいつ夏目じゃん。あれだよ、探偵さん。アコなんかやらかしたのー?」

 高坂の表情が明らかに変わったのを感じた。毛先を巻く指も止まっていた。

「は?」

 冗談を言ったはずの少女はその声に戦慄した。地雷を踏んだんだ。

「ユキ、今、何て言ったの?」

「いや、やだなぁ。冗談に決まってんじゃん。ね、亜子」

「ユキさ、ウチが探偵さんに調べられるような何かをやらかしたと思ったんよね」

 その場の空気が完全に凍り付いている。オレもその威圧感に声が出せなかった。なんだろう、この感覚。蛇に睨まれた蛙の気持ちってこんな感じなのかもしれない。まさに睨まれているユキという少女は声も出せない。

「ウチさ、冗談でも馬鹿にされるようなことってマジで無理なわけ」

「ごめん―――」

「だからあんたはもういいわ。たった今からウチはユキが見えなくなるから」

「え、そんな、やめて、ごめん 亜子、ごめんって」

 涙声になる少女は高坂に懇願を繰り返したが彼女がもうその少女と視線が合うことはなかった。そして、少女は静かに輪を抜けていった。オレが探偵だと知っていたが故に彼女はグループに除名処分をされてしまったようなものだ。その背中には申し訳なさもあった。まるで制裁だ。

「馬鹿がいると面倒なの」

 高坂は急にオレを見る。

「あ、え、そうだね」

「それで、天下の探偵様がウチに用なんでしょ」

「うん」

「ふぅん。でも、今は忙しいの。放課後に4組に来て」

 その後はオレが、ああ、とかなんか言ったと思うけど大して覚えていない。とりあえず、高坂と面談の機会を手に入れたことだけが分かった。でも、どうして彼女は話す気になってくれたのはまた新しい謎だった。

 そして、その先はそわそわしながら放課後を待つばかりだった。

 西日の射しこんだ2年4組は無人だった。がらんどうの教室には人数分の机と椅子。日中の賑やかさとのコントラストが特別感を感じる。

 自分の教室ではないので入っていいのかとまごついていると後ろから声を掛けられる。

「ゴメン、待たせた?」

 振り向くと日中と同じ威圧感を放つ高坂亜子が立っていた。

「あ、いや」

「ここじゃアレだから、場所変えよ」

「え、あ、うん」

 完全に主導権をお渡ししている状態で、オレたちは連れだって学校を出た。

「どこ行くの?」

「うーん、カラオケかな」

「え、先生たちに見つかったら怒られるよ」

「あんた、先生が怖くて良く探偵なんてやってられるわね、ウケる」

 そう言って高坂が笑う。彼女も笑うんだ。いろんな女子がいるけど、彼女のようなタイプと関わるのは初めてだった。新鮮だ。

 そうこうしている内に商店街からは少し離れた国道沿いにあるカラオケ店に到着する。やる気のなさそうな青年が受付を気だるげに済ませて奥の部屋に促した。

 部屋は薄暗くたばこの匂いがした。彼女はこんなところによく来ているようだった。

「はぁー涼しい。とりあえず歌う?」

 そう言ってオレに高坂はマイクを渡した。

「いや、オレはいいや……」

「んだよーノリ悪いなぁ。だからあんたは暗いって言われるんだよ」

「え、オレ、暗いって言われてるの?」

「はぁーノリだよ、ノリ。そういう風に言われてそうってハナシ。ったく、どこまで説明させんのよ」

 女子とはやはり難しい。ことさらギャルはもう宇宙人である。ノリがすべてを解決してくれる生き物なのだろうか。あと、オレは暗く見えるのか。

「とりあえず、一曲は付き合いなさいよ」

 そう言って高坂は最近音楽番組でよく流れていた女性3人組で組まれたバンドのアップテンポなサマーソングを熱唱した。これが、驚くほどうまかった。よほど歌い込んでいるんだろう。

「じゃあ、探偵くんの番」

 通過儀礼だと思うしかあるまい。合唱祭ではできるだけ声を小さくして、音楽の時間も前の人に隠れるようにしてモゴモゴ生きてきたオレの最初で最後かもしれないソロだ。マイクを渡されたオレは仕方なく選曲するための機械を操作して夏の失恋を唄った少し昔の曲を歌った。昔のアニメのエンディングテーマに使われていたと篤夫おじさんが教えてくれた今日だった。なんとか歌いきってマイクをテーブルの上に置く。

「これでいいの?」

「ってか探偵くん歌上手くね?ちょっと見直した。曲もセンスありよりのあり」

「あ、ありがとう」

 そして、高坂がドリンクバーから持ってきたメロンソーダを飲み干すとオレの方に居直る。

「あんた、本物の探偵なんだよね」

 ぱっちりとした化粧映えのする大きな瞳で覗き込む高坂に少し怯む。

「そ、そうだけど―――」

「誰からの依頼なの?」

「―――それは言えない」

「でしょうね。まぁ、いいわ。で、ウチに聞きたい事ってなんなの?」

 日中の態度からは想像もつかないくらいの協力的な態度にオレは驚きつつも、容疑者候補の一人である彼女に質問をする。

「同じクラスの珠依さんは知ってるよね?」

「当然」

「聞きたいのは彼女たちグループのことなんだ」

「あんたもしかして……日記のこと調べてるの?」

「どうしてそれを―――」

「ウチは知らないから」食い気味に高坂が言った。なんならもう、彼女は席を立とうとしていた。

「ちょ、ちょっと待ってよ。それじゃ一つだけ」

「なによ」

「吹田さんってどんな子だったか教えてもらえないかな。オレ、去年はクラスが一緒だったはずなんだけど、話したこともないしよく知らなくて。四月の2週目までは学校に来ていたって聞いたから」

 高坂は立ち上がってスクールバッグを肩に掛けた。

「どうしていまさら葵の話なの」

 彼女は背中を向けたままオレに訊く。

「いや、今調査している件で吹田さんの話が出てきて。でも、彼女に関しての情報がなくて」

「そう。まぁ、葵のことは良く知らないわ。同じクラスになったのも初めてだし」

「わかった」

「もういいんでしょ、じゃウチは行くから」

 そう言うと、さっさと部屋から出て行ってしまった。一人カラオケボックスに取り残された俺はしばらく呆然としたのち、高坂がいつの間にか置いていった一人分の料金と共に精算を済ませてカラオケ店の外に出た。

 6時を回っても明るい空は夏の訪れを告げていた。

 当然店の外にも高坂はいなかった。そのことに少し安堵した自分に苦笑したところで、帰ろうと国道沿いを歩き出した時だった。

「ねぇ、あんたたちどういう関係なの?」

 今日は不意打ちが大変多い日だ。ビクッとすることにも体が慣れてきたような気がする。

 振り返るとそこにいたのは、日中高坂に事実上の追放を宣告されたユキと呼ばれている少女だった。

「あ、あの、昼間は悪いことしたね」

 すると彼女は少し複雑な表情をした後で「別にいいの」と言った。

「どっちにしてもアタシと亜子は合わなかった。遅かれ早かれこういう日が来てもおかしくはないと思ってたからさ。だから、気にしないで。で、質問に答えて。あんたと、亜子はどんな関係なわけ?二人でカラオケに入るところが見えたからつけてきたら、今度は一人ずつ出てくるなんて、怪しすぎる。もしかして、できてんの?」

 滑稽無糖。見当違いも甚だしい話だった。そして、彼女はなんだかんだ高坂亜子の動向が気になるわけだ。

「まさか。今回の調査で必要な情報があったから聞き込みをさせてもらったんだ。この場所を選んだのは高坂さんだし。オレは別に2年4組の教室でよかったんだ」

「ふうん」彼女は途端に興味をなくしたようだった。

「そう、なら別にいいわ。でも、絶交されたアタシから一つだけ忠告をしておくとね、亜子には気を付けた方がいい。あの子に人生をめちゃくちゃにされた人がいるって噂が絶えないの。言っていることだって本当か嘘か分かったもんじゃない。その、依頼してきた人のことを想うなら亜子の言うことはアテにしない方がいいわ。もちろん、あんたのためにもね」

 ここまで一息で話しきった彼女は全てのヘリウムガスを吐き出しきった風船のように少し疲れた顔をした。

「う、うん。忠告ありがとう」

「あたしの家、あっちなの。途中まで歩かない?」

「まぁ、オレの家もあっちだからいいけど」

「知ってる」「え」

 オレは思わずユキという少女の横顔を覗き込んだ。ちゃんと見るときれいな顔をしている。少し高い鼻は異国の気配がした。

「夏目探偵事務所。あんたの家でしょ。何度も前を通ってるから知ってる」

「そっか」

 そしてしばらくオレたちは無言で並んで歩く。オレは車道側。これは「紳士の行動」だってじいじに教わった。

「ねぇ」「ん」

「あんたさ、ずっと探偵をやってきたの? 小さい頃から」

「まぁ、そうだけど」

「ほかの子たちは遊んでるのに?」

「うん」

「探偵なんて胡散臭いって言われても?」

「うん」

 そんな言葉に心が乱れなくなったのはいつからだろう。他人の目を気にしていたら探偵なんてできないのだ。オレはじいじが伝授してくれたこの力を使って生きていくと心に決めていた。篤夫おじさんっていう心強い助手もいるわけだし。

「あんた、すごいんだね」

 ユキはぼそっと夕焼けに吹きかけるように唇から言葉を漏らした。

「オレはこれが普通だと思ってやってきたからね。他がいまいち分かんない」

「正直言うとアタシ、あんたのこと馬鹿にしてた。きっとそう思っている奴らは多いと思う。探偵ごっこしてるだけの変わり者だと思ってた。でも、アタシだったらその「ごっこ」でも無理だろうな。誰かに後ろ指さされるのも、一人で決めた道歩くのも、全部ヤダ。だからアタシはあそこにいたんだよね」

 あそこ、とは高坂のグループのことだろう。

「だろうね」

「でも、もうアタシの居場所はなくなった。亜子が決めたら絶対だからね。強がってみたけど、明日から独りぼっちが確定したアタシはどうしようもなくなって、あんたと亜子を強請って自分の居場所を確保しようなんて思ってた。ほんと、クズすぎて自分が嫌になる。完全に自業自得ね」

「一人は案外悪くないよ」

 これは本音だ。干渉されなければ、干渉をしなくていい。期待をしなければ失望することもない。繋がりなんて持とうと思わなければ持たないことだってできる。「誰にでも優しくしましょう」「協力して生きていきましょう」小学生のころ散々先生が言っていた聖人君子のような標語は別に法律じゃない。誰かと繋がらない自由だって人にはあるんだ。

「そうね、アタシがあんたみたいに強かったら、そういられたのかもしれない」

「無理に強がる必要もないと思うし、行きたくなきゃ学校だって行かなければいい。何十年もある人生からしたらこの数年なんてほんのちっぽけだしね」

 しまった。年寄りのようなことを言ってしまった。どんなに長い人生だとしても、辛いのは1分でも1か月でも嫌に決まってる。そんなの、自分がよく分かっているはずだったのに。ユキが無言になって歩みがゆっくりになったかと思ったら、ついに歩みが止まった。やはり喋りすぎたか。夕焼けが彼女の足者の影を伸ばした。

「あっはっはっはっは」

 ユキは急に手を叩いて笑い出した。オレはどうしたらよいか分からなくなって目を白黒させた。

「あんた、ウケるね。なんか言葉数少ないつまんないヤツだと思ったら、めっちゃ喋るじゃん。よく普段はあんな無口でいられるね。ちょっと元気でたわ」

 思いがけない言葉に呆気に取られてしまった。

「ならよかったよ」

「アタシの名前知らないだろうから言っておくけど、4組の松岡由希(まつおかゆき)ね。鉢田たちのこと調べてるんでしょ。なんかあったら言って、協力する」

「え、どうして急に」

「元気出たから」「そっか」

「とりあえず、朋子はあたし小学校でクラス一緒だったからあんたと話すように言ってみる。そうすれば調査進むんでしょ?」

「うん」「なら言っとく」

 女子は難しい。銃口を向けてきたと思ったら急に掌が返る。強がってみたりしょぼくれてみたり。オレには追いつけないほど忙しく感情が波打つ。女性は感情の生き物だなんてどこの誰が言ったか知らないけどよく言ったもんだ。

 こうして松岡由希のお陰で調査はまた一歩進展することになる。

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