第六頁
★
丸山先輩から事務所というか、オレの家に連絡があったのは3日後の土曜日のことだった。
交換日記の当事者の一人である燕みのりから話が訊けるという。いきなりおじさんが出ていくのは警戒されるかもしれないということでオレと真弘先輩で会うことになった。場所は待夢だ。吹奏楽部は大会が目前であるにもかかわらず今日は先生の出張で練習は休みだった。
商店街から一本裏に入った路地にあるいわゆる純喫茶風の建物。入口にある鍵のイラストの看板が喫茶店であることを示している。
「こんにちはー」
オレが店内に入るとお客さんはいなくて、敬子さんがカウンターでグラスを拭いていた。
「あら、隼斗くんに真弘くんじゃない。こんにちは。今日も朝から暑いわね」
「もう溶けそうです」
「今日は調査の一環かしら?」
「まぁ、そんなところです。あ、あと、もう一人来るんで」
「はーい、分かりました。飲み物どうする?」
燕さんとの約束は10時半だった。そして、今の時間は10時。真弘先輩とは少し打ち合わせをしたうえで面談に臨みたかったのだ。
「ミルクティーのアイスください」
「僕はオレンジジュースで」
各々注文を済ませて一番奥のボックス席に腰かける。オレと真弘先輩は隣に座った。
「とりあえず、オレが質問をいくらかしようと思うんで、先輩は燕さんの用がいつもと変わった感じがあればその質問を覚えておいてもらってもいいですか。一応、オレもメモは取るけど」
先輩は早速不安そうな顔をした。
「僕にそんなことできるかなぁ」
「いいんです、なんとなくで。こういうのは意外と直感が当たるもんなんで」
そんなやり取りをしばらくしていると敬子さんがアイスミルクティーとオレンジジュースを運んできてくれた。
「おまちどうさま。そういえば、隼斗君、今日は篤夫さんと一緒じゃないのね」
「うん、今日は調査の都合で別行動なんです」
そうなの、頑張ってね。とポニーテルを揺らしながら席を後にする敬子さんを見送るとその視線の先の入り口のドアが開いた。時間は10時20分だった。
黒のプリントTシャツにデニム生地のサロペット。男子ぐらい短く切られた少し栗色の髪の毛。間違いなく燕みのりだった。店内に入るなり所在なさげにきょろきょろする燕に先輩が声を掛ける。
「燕ちゃん、こっちこっち」
その声にぱっと表情を明るくさせてオレたちの席に駆け寄る。ちなみに、ここまで燕はオレの目を一度も見ていない。
「少し早めに着いちゃいました。待夢は初めてだから少し緊張しちゃって」
なるほど、きゃぴきゃぴとはこういうことを言うのかと感心していると敬子さんが注文を取りに来る。燕は「先輩と同じのを」と頼んだ。そして、オレと先輩の前に座った燕はようやくオレを見た。
「で、どうして夏目くんがいるの? 先輩からは話を聞かせてほしいとしか言われてなかったんだけど」
「あ、いやぁ、本当は僕一人で来ようと思ったんだけどさ、ほら、あれだよ、僕一人だと聞き逃したりうまくまとめられないかもって心配になっちゃって夏目君に頼んだんだ。騙すみたいになっちゃってごめんよ。この通り!」
そう言って燕に手を合わせる先輩。まずはオレが来るということを燕に説明していなかった件に関しては後々問い詰めるとして、今はひとまず彼女の出方をうかがう。そして、燕はため息を一つ。
「わかりました。先輩に免じてこの件は水に流します。ただ、夏目君」
「は、はい」
「必ず解決して。それと、この件はできるだけ広めないで。この二つを守ってくれるなら私は話すから」
「もし、破ったら?」
「夏目君がおじいちゃんのことをじいじって呼んでることを学校中にバラすから」
「え、どうしてそれを」
「出所は言えないわ。探偵さんならよくわかるでしょ、情報源の秘匿よ」
正直、動揺を隠せなかった。なぜ、肉親でもない燕がそれを知っているんだ……基本的には家でしか読んでいないはずなのに。もしかして内通者がいる?いや、そんなはずは―――
「で、約束は守れそうなの?」
燕の目が本気であると物語っていた。中学生男子にとって肉親の家庭内の特別な呼び方をばらされるなんて学校に墓標が立つのとほぼ同義である。
「わかった。必ず守る」
「ならいいわ」
このやり取りに先輩が口を出してくれなかった理由は明白で、隣で震える小動物のようになっていたからだ。問い詰めても意味はなさそうだった。
そうして、血の契約を交わしたオレは燕に質問を始める。ミルクティーのグラスがオレの背中ぐらいビチョビチョに汗をかいていた。
★
「では、形式通りの質問から始めさせてもらいます。まずは、名前と年齢、職業を教えてください」
「何よ改まって。知ってるんだし、そんな事、いいじゃないの」
燕はあからさまな不快感をあらわにする。
「まぁまぁ、これはもう手順の一つだと思って頼むよ、燕ちゃん」
先輩が燕をなだめて促してくれる。
「はぁ、分かりました。名前は燕みのり、歳は13歳。職業は中学2年生。あと、4組ね。はい、これで満足?」
「ありがとう、燕さん。では続けて本題の質問に入っていきます」
本題、というワードで燕の表情が少しだけこわばったように見えた。
「ええ」
「じゃあ、まずは事実の確認から。燕さんは同じクラスでかつ、同じ部活のメンバーと効果日記をしていますね」
「ええ」
燕は表情を変えない。
「まずは、そのメンバーから教えてください」
「珠依晴たまよりはれと鉢田朋子はちだともこと私の3人。全員吹奏楽部よ。あ、そう、パートは違うけどね。まぁ、詳しくは先輩に聞いて」
ここまでの反応を見るに、珠依は燕に対してオレに話を聞かれたことを言っていない様子だった。もし、話を聞いた事実を知っていれば、その時と同じ質問をしたことに対して違和感を感じるはずだ。3人の連携は意外取れていないのだろうか。
「わかりました。では、その辺りは先輩に後から確認することにします」
「次に日記の交換方法について教えてください」
「私たちは毎日、昼休みに音楽室で日記を交換してるの。それ以外は基本各々で管理してるわ。それ以外の時間は基本的には各々で管理ってかんじ。基本、私たち3人以外には見せちゃいけないってルールだけど」
吹奏楽部の彼女たちであれば至って自然な交換の方法であると言えるだろう。
「ちなみに、その日記は誰が用意したものですか?」
「あ、それは朋子が用意してくれたの。週一でM市にピアノのレッスンで行くからってその時に買ってきてくれたの。ほら、ウチの学校一応、ちゃんと届け出を出さないと電車乗っちゃだめでしょ。ったく、いつまで小学生気分なんだろーっても思うんだけどね」
星の杜第一中学校は校則がなかなかに厳しいらしい。オレ自身はそこまで感じたことはないけれど、やはり同級生たちが時々話題にするということはそういうことなのだろう。燕の言うように隣のM市に(生徒だけで)行くには学校に届け出を出して許可をもらわないといけないのだ。これは推測だが、震災以降、生徒の安全のどこまでを学校が責任を持つかというところに大きくスポットがあたったことですごく神経質になっているのだと思う。大は小を兼ねる。子供たちを縛るようではあるが、いざという時に守れるようにということなのかもしれない。とはいえ、守れるのは子供なのか、大人たち自身のことなのかは甚だ怪しいと言えるだろう。ま、今はそんなことはどうでもいい。
「じゃあ次は、今、学校で噂になっていることに関して聞きます。ずばり、単刀直入に聞きますが、その交換日記に関して何か不思議なことや気味の悪いことが起きていますか」
燕の表情が一気に強張る。これで、歩の耳に入っていた噂はどの程度事実なのかようやくわかる。
「起きてるわ。つい昨日だっそうよ」
「詳しく教えてもらえますか」
「ええ」そう言って燕が語った内容は大よそ、以前、歩から聞いたところと大差はなかった。
自分たちだけの交換日記に時折、知らない誰かの日記が追加されているという気味の悪い現象。基本的には3人でしかノートのやり取りをしていないにも拘らず、気が付くと数日前のページに日付のない日記が差し込まれている。
話し終えたところで、おもむろに燕が自身の横に置いていたショルダーバッグから一冊のノートを取り出す。とはいえ、それはノートというよりも文庫本を少し大きくしたぐらいの大きさでこれは見た目だけで言えば手帳だった。
「それって」
「本物よ。これが、今話した交換ノートの現物ってわけ」
中学生の交換日記というだけあってキャラクターもののファンシーなノートをイメージしていたが、予想に反してノートはシンプルだった。
「見てもいいんですか?」
「もちろん。ただし、最初に言った約束が守れるなら、ね。女子にとって日記を男子に読まれるなんて死ぬほど避けたいことなんだから。ちなみに、他の二人には夏目君にノートを見せること断わってないの。だから、見たことは秘密にして」
「わかりました」
「あとさ」
「え?」
「そろそろ、その堅苦しい敬語やめてもらえないかな。同級生なんだしちょっとキモイから」
女子は不可解で時に残酷だ。
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