第五頁
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「真弘くんは日記の噂について何か知ってるかい?」
篤夫おじさんがきっと肉まんで釣ってきたんだろう。商店街にある丸山精肉店の御曹司である丸山真弘まるやままひろ先輩を相談スペースのソファに座らせて話を聞いている。
彼は星の杜第一中学校の3年生。昨年、不運な事件に巻き込まれて以来の付き合いである。一つ上の学年である彼は今年受験生だ。とはいえ、まだ6月。それほど受験生としての意識もなさそうで、来月に迫る吹奏楽部の夏の大会に向けての練習に精を出している。
「そうだなぁ、燕ちゃんが部室でキャーキャー騒いでいたのは知ってたんですけど、そんな奇妙なことになってたんだ。うちのパートのやつらがザワザワしていたのもそのせいだったのかも。でもほら、僕ってクラスの中でも噂とかが回ってくるのは遅い方だし、部活でもそうなんだ」
中学生の情報網は基本スクールカーストの高い方から降りていく。下層に属する生徒やそもそもカーストに属していない「変わっている」生徒は情報を知りえないままに事態が収束していることも決して珍しいことではない。
「ちなみに、真弘くんのパートではどんな話がでてたんだい?」
「2年生の子たちが、『呪いの日記』だとか『祟り』だとか言っていたよ。『恨まれてるんだね』とかも言ってたかな。まさか、その吹田って子が死んじゃってるとかじゃないですよね?」
「まさか、とんでもない。吹田さんは生きているよ」
篤夫おじさんはすぐに否定をした。さすがに事態はそこまで切迫していない。
「でも、吹田さんは今、不登校みたいでね」
「そうなんだ。なんだか可哀想だね。吹田さん」
「え、どうしてだい?」
丸山先輩の思いがけない反応におじさんは驚いたようだった。
「いや、きっと何か不登校になるほど嫌なことがあったはずで学校に行っていないのに、それでも学校では吹田さんの話題が上るわけだ。僕が吹田さんだったらそんな欠席裁判みたいな状況を想像しただけでぞっとするよ。出て行ってその好き勝手言っている奴らに思っていることをぶちまけたいけど、そんな勇気もない。だから部屋の中でじっとしているしかないんだ。僕だったらそうなると思う」
丸山先輩は優しい人なのだ。誰かを傷つけたり疑ったりすることとは一番遠いところにいる人のように見える。だからこそ、すぐに我慢するし、受け入れる。そんな先輩が珍しく自分の意見を言ったことにオレは驚いていた。先輩も変わっていくのかもしれない。
クーラーの音が低く響いていた。オレ達3人は誰も次の言葉を継ぐことができずに待っていた。そして、口を開いたのはおじさんだった。
「そうだね。結局その人の気持ちはその人しかわからない。やっぱり吹田さんにもゆくゆくは話を聞いた方がよさそうだね。日記の件と何か関係があるかはわからないけど。でも、真弘くんに話が訊けて良かった。僕の調査の方針が決められたよ」
「それなら良かったです。肉まん、ごちそうさまでした。あと、燕ちゃんに話が訊けないか僕から頼んでみますよ。幸い、同じパートだから話しやすいし」
「ありがとう。よろしく頼むよ」
おじさんが丸山先輩を玄関で見送ったところでじいじが帰ってきた。
「あ、壮助さん、おかえりなさい」
「おかえり」
じいじ、こと夏目壮助なつめそうすけはオレのお父さんのお父さんで、唯一の肉親であり、探偵としては師匠にあたる。物心ついたころにはオレはこの家に住んでいたし、小学校に上がる頃には両親がもうこの世にはいないことをなんとなく感じていた。
別段、寂しさはなかった。なぜなら、覚えていないから。そして、交通事故で亡くなっていたという真相をじいじに教えてもらったのが去年の暮れのことだった。
「ただいま。真弘君とそこで会ったよ。ウチに来るなんて珍しいね」
「ええ、今日は今請け負ってる例の日記の件で話を聞かせてもらっていたんです」
篤夫おじさんが先ほどまでの話を掻い摘んで説明する。
「なるのほどのう。まぁ、その様子であればその女の子たちのネットワークの中に何かしらの鍵があるとみてほぼ間違いないだろうな」
じいじは下駄を脱いで玄関の隅に揃えた。紺色の甚平に下駄はじいじの夏の定番スタイルだ。
「オレもそう思ってるんだ」
「そうかそうか。そしたら、関係のありそうな人たちに話を聞くための外堀を埋めないといけないの」そう言ってじいじはオレの頭をわしゃわしゃと撫でる。最初の頃は恥ずかしいからやめてと言っていたが、どうにもやめる気配がなくてオレは抵抗するのをやめた。
「ところで、隼斗はそろそろテストじゃろ。勉強は進んでるのか?提出物もあるんじゃろお?」
不意に飛んだ話題は、今、一番フラれてばつの悪いものだった。数学のワークは終わってないし、国語の漢字書き取りはあと15ページも残っている。社会の東北と関東地方に関わるレポートはまだ3分の1も終わってない。
「まぁまぁかな。おじさん後から手伝って」
「え、まぁいいけど」
「篤夫君」「あ、はい」
殆どおじさんの返事に被るようにじいじの声が飛んできた。おじさんは、いつも半分くらいに小さくなった。ばつの悪いことこの上ない。孤軍奮闘。孤立無援。つまりは、そういうことだ。「自分の道を生きるのは孤独である」とどこかのアイドルグループも歌っていたし、そういうことなんだろう。
ボーンボーンと部屋の隅にある大きな置時計が鳴った。偶数の時間しか鳴らないひねくれ者の時計だが、役には立っているのだ。6回打ち鳴らされたこれは、夏目家の夕食の合図だ。
夕飯は素麺だった。6月にも拘らずこの暑さ。氷水に浮かんだ繊細な白色の麺はとっても涼しげだ。
「さて、調査の方はどうなんじゃ」
我が家では夕飯の時間が調査報告の場であり、3人の意見交換会だ。元探偵のじいじがどうしてこの時間をそういう時間にしたのかは分からないけど、オレにとっては貴重な時間だ。
「正直言って、収穫はほとんどなしかな。おじさんは、町で何か聞けたの?」
おじさんはめんつゆに沈めていた素麺を一気にすすると答える。
「いや、今日は有力な情報は特に聞けなかったよ」
「そうかそうか。まぁ、焦らずに進めておくれ」
オレも素麺をすする。ごま油の香りが好きだ。
「ええ。じゃあ僕は引き続き町の方で聞き込みを進めるようにします。まだ、敬子さんの所にも訊きに行けてないから」
―――そうしておくれ。と、じいじ。今回はおじさんがちゃんと自分の行動方針を自分で決めている。おじさんが家で居候探偵助手を初めて半年以上が経った。じいじの新聞に載せた求人広告がきっかけで我が家に来たおじさんは今やもうすっかり馴染んでいる。まぁ、オレが居てほしいって頼んじゃったのもあるけど、おじさんはどう思っているんだろうか。
「待夢に行くときは声かけてよね。敬子さんのミルクティー飲みたいし」
「隼斗くんはこんなに暑いのにホットを飲むのかい?」
「いや、当然アイスだから」
夏目家の夕食はこんなテンポで進んでいくのだった。
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