第四頁

 ★


 難しい状況が続いていた。


 理由は非常に明確で、初めに話が訊けた珠依を除いた二人にはまったく話が訊けていないという点にある。こればかりはオレ自身が非常に鈍感だったと思わざるを得ないけど、思春期の女子に対して同じ年の男子が「日記を見せてくれ」「話を聞かせてほしい」とお願いをしてそれが叶う確率がどれだけであろうかなど簡単に予想がついたはずだった。


「夏目君、調査の具合はどうだい?」


 2時間目の数学が終わったところで関谷がオレの机の所に来た。教科書をしまいながらここ数日変わらない返答をする。


「特に収穫はないよ。とにかく警戒されているみたいだ。まだ、キミの差し金だとは思われていないみたいだけどさ」

「バレたら僕の立場がひとたまりもないからね。くれぐれも隠密に頼むよ」

「まぁ、隠密に頼みたいのなら学校で話をするのは控えるべきだと思うんだけどね」

 関谷は「なるほど」と拳を打った。


「それならいいところがあるんだ。放課後、時間はあるかい?」

「ないことはないけど」

「それなら決まりだ。また帰りの会が終わったら声を掛けるよ。さて、次は体育だから早く着替えないとね」


 そう言われて周りを見渡すと、既にクラスの男子の殆どはあずき色のジャージに着替えを済ませてグラウンドへ出ようとしていた。なんなら関谷もどこから取り出したのかいつの間にか着替えを始めていた。


 オレもいそいそと着替えを済ませると梅雨とは無関係を決め込んだ快晴の6月の空の下に繰り出した。


 その後、あっという間に一日は過ぎ去り、担任の大塚が暑いから水分補給をこまめに取って無理をするなという旨の話をしたところで帰りの会が終わり、同級生たちが次々と教室を出ていく。そんな中、関谷は約束通りオレの机へ現れた。


「さて、夏目くん行こうか」


 オレたちは連れだって学校を後にすると、学校脇の水路をたどるように商店街を目指す。関谷は「いいところなんだ」と言うだけで一向に目的地を教える気はない様だった。だから、オレも聞くのをやめた。いずれにしても収穫が無く調査は膠着状態なのだ。


「ねぇ」

「ん」

「吹田さんのどこがいいの?」


 オレはずっと疑問だったことを関谷に尋ねる。女子を好きになるというのがオレにはどうもよくわからない。同じ人間なはずなのに全く違う生き物に見えてしまうオレからすれば、好きになってしかも告白をするなんて暴挙に近い感覚だ。


「直球だね、夏目くん」

「あぁ、回りくどいのは嫌いだからね」

「そっか。吹田さんは……そうだね、太陽みたいなんだ」

 関谷は少し先に立っている電信柱辺りを見ながら答えた。

「ん、もう少しわかりやすくもらえる?」

「そうだなぁ、向日葵みたいな人、かな」


 余計に分からない。そして、それをそのまま顔に出したオレに関谷はもっと的確な言葉を探してくれているようだった。


「夏目くんにはこれがあると、自分が生きてるなぁって実感できるようなモノとか人ってあるかい?」


 逆質問が来るとは思わず、一瞬考え込んでしまった。しかし、オレにとっては関谷が言うようなものは一つしかない。


「謎」

「そうか、夏目くんは謎解きが生きがいなんだね。僕にとってのそれが吹田さんだったってことだよ」


 分かったような、わからないような。もしオレが謎に拒絶されるという形でこの先「解くべき謎」に出会うことも触れることもできなくなったらどうだろう。それは非常に怖いし、どうにかなってしまいそうだ。つまるところ、今の歩はそういう状態ということなのか。ようやく彼の心中を少しばかり理解できたような気がした。


「歩も大変なんだな」

「あ!ようやく詰まることなく名前で呼んでくれたね。それだけでも僕は救われたような気がするよ」


 そこまで言った歩が立ち止まった。なぜだろう。言葉と裏腹に強く握られた拳は爪の食い込んだところだけが真っ白になっていた。


 ★


 目の前にあったのは商店街のはずれにある映画館「フィルム1(ワン)」だ。最新の映画を放映しているというよりは、往年の名作と呼ばれる作品や数年前の子供向けの作品を上映することが多い印象だ。コンクリート打ちっぱなしで15年以上前のオープン当初はかなり前衛的で新鮮な建物だったことだろう。今やその壁一面にはツタが絡まり、まだらの緑色を作り出している。


「ここが“とっておきの場所”さ」

「いや、ここはどう見ても映画館です」

「さすが夏目くん、お目が高い!そうなんだ、ここは映画館。そして、僕の家なんだ」

「え」


 呆気にとられてしまっていたオレに歩が説明を始める。


「僕のお父さんはもともと映画の配給会社で働いていたんだ。でも、一念発起して脱サラ。そして、この映画館を作ったんだ。そんなに儲かってるわけじゃないんだけど、生活ができるぐらいはお客さんに来てもらえてるからなんとか続いてるんだよね」


 3年前くらいに、隣町には広大な規模の複合型商業施設ができて、その中に巨大なシネコンができた。そちらに人が流れているのは明白だったが、歩が言うように町の住人には一定数客がいるみたいだった。ちなみにオレも小さい頃にじいじと一緒に来たことがあったような気がする。


「そうなんだ。まさか、歩がここの家の子だとは思わなかったよ」

「そう、人生は驚きの連続さ。だから美しい。夏目くん。あ、ちなみにこれはトム・クルーズの言葉ね。僕、トムが大好きなんだ!」


 どうにも歩と話していると調子が狂うような気がしてしまう。彼の芝居がかった話し方が気になってしまっているのはもちろんなんだけど、なんだろうこの感じ。彼からほとばしる生のエネルギーにあてられているような気さえする。


「ま、そんな話はどうでもいいか。ささ、入ってよ」


 そう言って歩はオレを館内に招き入れた。今日は休館日ということで、当然メインゲートは施錠されていて裏口へ案内される。歩は慣れた手つきでいくらかのカギを外して裏口を開けると館内へと進んでいく。自分の家なのだから慣れているのはある意味当然か、と納得してしまう。


 おぼろげな記憶に重なるように館内の内装が見えてきた。深紅のベルベット調の絨毯に、外観と同じコンクリートの壁はきれいに磨かれていて美しく光っている。所々にある正方形にくりぬかれた箇所にはめ込まれた照明もまたおしゃれだった。15年以上も前に作られた建物のはずなのに、現代でも遜色ない近代感だった。そして、現在上映をしている映画のポスターやパンフレットが整然と掲示されている。むしろ、あれがなければ現代美術館と勘違いしてしまうくらいだった。


「昔と変わらないんだね」

「あ、夏目くんウチに来てくれたことあるんだ」

「うん、本当に小さい頃だったと思うけど。なんとかレンジャーのやつをここで見た気がするんだ」

「そっか、それ聞いたらお父さん喜ぶと思うよ」


 無人の映画館は図書館のように静まり返っている。普段は気が付かないクーラーの低い音まで聞こえてくるほどだ。


「歩の家とはいえ、普段はお客さんがお金を払っては入るところに勝手に入っちゃって平気なの?」

「あぁ、そこは気にしないで。お父さんはそういう細かいことは全く気にならないみたいだからさ」

「わかった」そういうオレを歩はひときわ大きい扉、つまり劇場の入り口まで案内した。

「さて、ここが“とっておきの場所”のお気に入りの場所なんだ」


 歩はその細めの腕を両方使って扉を押すと、ギギッと少し軋む音と共に扉が開く。


 劇場は記憶よりも幾分小さく感じた。じいじに手を引かれてきた時、オレはきっと小学校低学年かもしかしたらもっと小さかったかもしれない。体が小さいと余計に映画館は大きく感じたのだろう。


 静まり返った劇場は最低限の照明だけが点灯していた。今晩は夕方から開く旨のタイムテーブルが張られていたからあと数時間もすればここは町の人で埋まるだろう。


「それで、そのお気に入りの場所で歩はオレに何を話したいのさ?」

「まぁ、座って」と中央一番後ろから二列目に浮流れて腰を掛ける。深い藍色の少し沈み込む座り心地の良い椅子だった。

「話したかったのは吹田さんのことなんだ」

「あぁ、フラれたね」

「いい加減、吹田さんの情報をその一言にまとめるの止めないかい。心臓がきゅーっとするんだ」

「そうか、それなら止めるよ。ごめん」


 いいんだ、と歩は椅子に座り直すと何も映っていない薄暗いスクリーンに視線を投げる。オレも自然とそちらを向いた。


「吹田さん学校に来ていないんだ。気付いていたかい?」


 正直全く知らなかった。探偵としては情報収集は怠らないつもりでいたがこれでは失格だ。


「いや、知らなかった。ごめん」

「いいんだ、別に夏目くんを責めようと思って言ったわけじゃないんだ。僕だって正直なところ、どうして彼女が不登校になったのか見当もついていないくらいだし」


 歩は今までオレに見せたことのないくらい、有体に言ったら「大人の顔」をしていた。どこか達観しているような、冷めているような。


 吹田葵は勉強も運動もそつなくこなし、生徒からも教師からも一定の評価と信頼を得られるような所謂「無難」な女子生徒だった。それは、言い換えればどこにでもそれとなく溶け込めることができるうえに、存在感を発揮できる稀有な存在でもあったということだった。歩はそんな彼女が好きだった。誰にでも平等に微笑む彼女が彼の表現を借りれば「太陽」であったと。しかし、そんな「無難」で「太陽」であるはずの彼女が突如、不登校になったのは今年の4月の2週目だった。クラス替え後、少なくとも傍目からは順調に中学生2年目を滑り出したように思われていた吹田は忽然と登校をやめたわけだ。仲の良かった友達や所属する吹奏楽部のメンバーにも特に相談という相談はなかったという。


「吹田さんに関しての情報はよくわかったよ。歩はこの不登校と日記の件が関係があると思っているの?」


 ここまで、ほぼすべての質問に対してよどみなく即答してきた彼が初めて言いよどんだ。


「いや、えっと――――分からないんだ」

「どうしてそう思うの」


 これはあくまでも吹奏楽部の男子に聞いた噂なんだけどね、とオレたちの他には誰もいないにも拘らず、誰かを警戒するように歩は声を落とす。


「あの交換日記はもともと、吹田さんを含めた4人でやる予定だったらしいんだ」

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