第二頁

 ★


「ただいまー」


 家の中は静かだった。じいじは買い物に行っているのかもしれないし、篤夫おじさんは猫探しの依頼で商店街の方へ行っているはずだ。


「うわぁ、きれいなお家だね。外からは見たことあったけど、中はもっとおしゃれだ」


 関谷が感嘆の声をあげた。わざとなんだか、素なんだか捉えあぐねてオレはやきもきする。


「いや、大したことないよ。普通の家だって」


 関谷は食い下がる。


「とんでもない!このちょっとレトロだけど、きれいに手入れされたフローリングとか、あぁ!カウンターにサイフォンまであるじゃないか。僕、本物を見たの初めてなんだ!」


 我が家を博物館かあるいはテーマパークと勘違いしたのかと思うくらい彼は一人ではしゃいでいるので、オレはその隙にグラスに二人分の麦茶を注いでリビングのローテーブルに運ぶ。麻素材の細いテーブルクロスの上に置かれた真っ白い貝殻が夏を演出していた(これは篤夫おじさんの受け売りだ。マリン感が大事だそうだ)。


「どうぞ、依頼人さん」


 関谷は部屋の隅にある古い置時計をまじまじと観察しているところだった。オレの声はまるで届いていない様子だ。


「これこそ、“大きな古時計”って感じだよねぇ!我が家にもほしいなぁ、こんなの。憧れるよ」


「それ、壊れてて二時間に一回しか音が鳴らないんだ。不便なだけだよ」


「それがまたいい味じゃないか。この佇まい、存在感が大切なんだよ」


 なんだか篤夫おじさんのようなことを言うと思った。


「さて、そろそろ本格的に依頼の打ち合わせに入ろうよ。オレ、テスト勉しないとやばいからさ」


「あぁ、ごめんよ。中間が近いもんね」ようやく、関谷がオレの方を見た。


「でもさ、夏目君はデキる子じゃないか。テストの順位だって毎回トップクラスだ!」


 日向の努力は見せない主義だが、さも努力をしていない人だと思われるのもなんだか癪だから不思議なものだ。


「はぁ、まぁ、その辺はどうでもいいんだけどさ、オレはこの件をさっさと済ませたい。せき、あ、歩くんは謎を解明して早くすっきりしたい。オレたち二人とも早さに関しては共通の利益があるように感じるんだけど」


 麦茶を口に含む。甘いと、渋いと、奥の方から少ししょっぱいがやってくる。優しい夏の味がオレは好きだ。


「それもそうか。じゃぁ、早速本題に入ろう!」と関谷がようやくオレの横に腰を下ろす。彼の麦茶があるのはオレの対面のはずだが。


「依頼人のお席はあちらです」


「あぁ、ごめんよ!欧米では仲良くなりたい人とは隣り合わせに座るもんだって聞いたからさ」慌てて彼は向かい側の席に回ると腰を下ろした。


「すみません、ここは倭の国ですので」


「失敬、失敬。じゃあさっそく学校で話した『謎』の整理をしよう」


 と、関谷がようやく乗り気になったところで玄関のドアベルが鳴って篤夫おじさんが汗だくの帰宅をした。そして、机を囲むオレたちを見ると目を丸くした。


「あ、隼斗くんお帰り。お友達を連れてくるなんて珍しいね。にしても暑いなぁ」


 ふぅとか、ふぃとかいいながら靴を脱いでいるところに、関谷はすかさず歩み寄ると恐ろしいほどの礼儀正しさで挨拶をしだす。


「初めまして、関谷歩と言います。夏目くんとは同じクラスで仲良くさせて頂いています。どうぞよろしくお願いします」


 そして、折り目正しく一礼をすると、篤夫おじさんは更に目を丸くするのだった。


「いや、友達っていうか依頼人だから。ちゃんと話したのも今日が初めてだし」


「寂しいことを言わないでくれよ、夏目君。クラスメイトは友達じゃないか。メイトっていうのは英語では仲間っていう意味なんだよ。なんなら相棒っていう意味だって――」


「すみません、ここは倭の国ですので」


 ★


 ドタバタしている内に雑談だけで時間が過ぎていき、気づけば篤夫おじさんはきれいなTシャツに着替えていたし、冷たい麦茶をがぶ飲みしたおかげか汗も止まっていた。


「さてと、歩君は依頼人さんってことだったよね。早速、話を聞かせてもらいたいな」


 なぜかおじさんが仕切りだして関谷が話を始める。


「はい。夏目君には学校でも話したのでほとんど二回目の情報になってしまうと思うんですが、そこは許してね」うん、とオレは関谷に頷きを送る。


 コホンと咳ばらいを一つ。「あれは、ゴールデンウィーク明けぐらいのことだったかな。うちのクラスの女子が噂しているのを聞いたんだ。隣のクラスに怪奇現象が起きているってね」


「怪奇現象とはまたなんとも。探偵が解決できる類の話なのかい?」


 おじさんは早速、不安になっているようだった。とはいえ、何よりおじさんは怖い話が苦手なんだとか、前に言っていた。


「もちろん、これは僕が思うに幽霊とかそういうことじゃない気がして。だから、夏目君に話を持ってきたんです。で、その女子たちが言うには隣のクラス、あ、3組なんですけど、吹奏楽部に入っている女子3人が交換日記をしていたんです。最近では古風ですよね。昔は流行ったって聞いたんですけど最近はほとんどやっている人なんて見たことなかったですからね。と、まぁ古風な3人が代わる代わる日記を書いていたところその『不思議』は起こったと」


「なるほど。まぁ、交換日記が古風と言われる時代がついに来たのかと震えが止まらないよ」


 おじさんが少しおどけたところで話が進む。グラスの氷がカランと音を立てて溶けた。


「日記のやり取りをしていく中で、メンバーの一人がページのずれに気が付いたんです。交換日記にはページ数が振られていて、3人でやっているから例えば一ページ目に自分が描いたとしたら、順当に行って次に自分が書く時は4ページ目に書くのが自然ですよね。でもそれが5ページ目になっていたって話なんです。それで不審に思って前のページを開くとその日に日記を渡してくれた子の日記が書かれたいた。そして、さらに一枚戻すと―――」


 関谷はそこで一度口をつぐんで意味深に神妙な表情を作る。


「そこには、知らない子の日記が書かれていたんですよ」


 ―――沈黙。


「え、それって誰かの悪戯なんじゃ……」


 おじさんが「間違いなく幽霊の仕業じゃないよ」って誰かに言って欲しそうに声を上げた。


「まぁ、そうなんだけどそんな安易に答えを出すもんじゃないって。助手がそれじゃ困っちゃうな」


「あ、ごめんよ、隼斗君。少し気味が悪くなっちゃって」


 そこで関谷の目がきらりと光った。


「うわぁ、夏目君は本当に篤夫さんを助手にしているんだね! 噂では聞いていたけどちょっと感動しちゃったよ!」


「あ、いや、別に―――ってか、どんな噂が流れてるの?」


「なんだ、夏目君自身はてっきり知ってるのかと思ったよ。夏目君がお父さんぐらい年上の人にバシバシ命令して助手として『従えてる』っていう話。クラス、いや、学年でこの噂を知らないのはほとんどいないんじゃないかな?」


「そ、そうなのかい、隼斗くん?」おじさんの声がやや震えたのを聞き逃さなかった。


「あぁ、そんなことを言ってるヤツもいたかもね。でも、オレは篤夫おじさんを従えてるわけでも、命令を下してるわけでもなくて、おじさんがすすんでオレの言うことを聞いてくれるだけだから」


 ―――いや、それほとんど同じだから。と言ったおじさんを無視してオレは関谷と話を続ける。


「んで、その交換日記はどういう形状なの?  例えば、バインダーのように途中で挟み込むことができるんだか、大学ノートみたいに追加することが物理的に不可能なノートなのかとか」


「うぅん、残念ながらそこまでの情報はないんだよね。僕も人伝に聞いた話だからさ。でも、交換日記の当事者が3組の球依たまよりさん、鉢田はちださん、つばめさんの3人だってことは分かってるんだ」


 声に出しながらおじさんが3人の名前をメモしていく。


「って、そこまでわかっているなら自分で聞きに行ったらいいんじゃない? きっと、歩くんなら教えてもらえそうなもんだけどね」


 これは少し嫌味。


「それができたらそうしているんだけどさ。彼女たちは吹奏楽部なんだ」


 嫌味が彼に届くことなく、また新たな問題が浮上したようだった。


「吹奏楽部に何か問題が?」


「夏目君は吹奏楽部の吹田ふきたさんって知ってる? 吹田葵あおいさん。ほら、夏目君は去年一緒のクラスだったと思うけど」


 オレはおぼろげな記憶の中からその吹田という同級生の顔を掘り起こそうとする。


「ごめん、全然覚えてない」


「だろうね」関谷は幾分オレのことが分かってきたようだった。


「で、その吹田さんがどうしたのさ?」


「いや、去年の暮れに派手にフラれてね。それ以来、彼女一派もとより吹奏楽部とは折り合いが悪くて。聞きに行くことどころか、近づくことすらままならないんだ。だから、キミにお願いをした次第さ」


 おじさんがオレの横で腕を組み、えらく納得したかのように頷いていた。そして、唐突に語りだす。


「わかるよ。フラれた後の気まずさ。噂が広がるとしばらくは近づけないからね。僕もあったよ。好きな女の子に告白したけどフラれて、その挙句告白の文言を一字一句違わず言いふらされてしばらく笑いものになったよ」


 関谷はおじさんのエピソードにひどく心を痛めたように悲しそうにした。


「女子は残酷です。彼女たちは一人一人が独立していることがほとんどなくて一グループが一個体であるかのように情報を共有します。だから、誰か一人が合った悲しいことは全員が合った悲しいことになるし、誰かを馬鹿にしたりする時もまた同じです。これは大人になればなくなるのでしょうか。それとも女子は永遠に女子なのでしょうか」


 これはおじさんに向けられた質問だったからオレは口を閉じる。


「そうだね。女子に限らず、時に人は歩くんが言うように残酷だ。でも、順調に大人に育っていけば人は残酷さを隠して生きていけるようになる。とはいえ、元来人は誰かを貶めたりして優位に立つことで、自分の心の平穏を保つことができる、これは他の動物だって同じだと思う。でも、大人になっていくにつれてそのままでは生きていけないことを学ぶ。だから、うまく隠す方法を覚えて上手に生きられるようになる。質問の答えとして言えば、根本的には女子は永遠に女子なんだろうけど、今ほど直接的ではなくなっていくと思うよ」


 関谷はどこから取り出したのかメモまで取って、たいそう感心した様子だった。


「ありがとうございます。これで僕は未来に希望をもって生きていけそうです」


 なんと大げさなことか。


「とりあえず、吹奏楽部に話がしにくくて、その代理として調査を進めてほしいという依頼でいんだよね」


 すると、関谷はケロッとした様子で答える。


「そういうことだね。ということで、この依頼、受けてもらえるかい」


「ここまで聞いちゃったし、ノーとは言えないよ」


「ありがとう、夏目君!きみは恩人になりそうだ」と関谷はオレの手を握ってぶんぶんと振った。とりあえず彼の中ではオレはまだ恩人にはなっていない。とはいえ、なったらなったで面倒な予感がした。おじさんはもう関谷と意気投合して調査に乗り出す気満々みたいだけど。




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