ペルセポネの日記
そらりす
第一頁
女子という生き物は兎にも角にも不可解な生き物だ。自分で切って失敗したであろう前髪に「かわいい」と互いに言い合ったり、複雑に折りたたんだノートの切れ端を教室中の「仲間ネットワーク」を駆使して目的地まで送り届けたり、机に好きなアーティストの歌詞の一部を書いてみたり。
別に「かわいい」は思った時だけに言えばいいし、ノートの切れ端にしたためた特に意味のない手紙は最悪、休み時間にでも渡せばいい。机の歌詞なんて、テスト期間になれば消さなければいけない! つまり、意味のないことに意味を見出して他愛もない時間を消費していく。今日も2年4組の女子たちはいくつもの群れを作ってそれぞれのテリトリーを守っている、ようにも見える。オレは最後列の窓際の席からそんな女子たちをぼんやりと眺めていた。女子バスケットボール部と女子バレー部は仲が悪い。吹奏楽部はお高く留まっている(ただし、オタク男子もいる)。女子テニス部とソフトボール部は男子とも仲が良い。
どれもこれも自分には無縁の話だったが、一応把握しておくことが探偵としては重要なのだ。きっと、この情報がこの先のどこかで役に立つ。じいじの受け売りだけど、これは間違いないと思っている。今日も教室から見える空は高い。夏の気配がした。
★
星の杜第一中学校から商店街に向かう道すがら、大きなドラッグストアのまぶしい灯りを背に路地に入ってまっすぐ進むとすぐに住宅街がある。大通りを避けて住宅街を通ることでかなりの近道ができるのは生徒たちの大半がよく知る事実である。
しかし、学校からは住宅街とはいえ細い路地も多く大人の目が届きにくいその道を通ることを避けるように指導をしていた。とはいえ、子供とは大人の決めた決まりが嫌いである。
そして、鉢田朋子はちだともこもその一人だった。
一八時に彼女が学校を出た時には外はすっかり暗くなっていた。自分の所属するフルートパートだけが居残り練習になった結果、普段ともに下校するはずの友達は先に帰ってしまっていた。友人と一緒ならばいくらでも歩けるはずの道は、一人なった途端早く帰りたい気持ちが勝ってくる。彼女は迷わず住宅街へと足を踏み入れる。
サラリーマンたちが帰宅するにはまだ少し早い。主婦たちは買い物を終え既に帰宅している。ポケットのように人通りが減った時間に彼女は通りがかったわけである。
黄昏時は魔を呼ぶというのは古からの言い伝えである。
昼と夜の合間。光と闇の合間。向かい合う人の顔も見分けがつかなくなる時間、魔の者は訪れるというわけだ。つまり、逢魔が時。
近道として利用した住宅街を無事抜けて商店街に出てくるはずの鉢田朋子は、絶叫の後、明かりのついていた民家に助けを求めたのだった。木造平屋の古い一軒家であった。
「女に追われた。睨むような、狂ったような目つきだった」
彼女は嗚咽を漏らしながらそう語った。それだけを繰り返した。その後、その家に住む男性が警察に通報してくれた結果、彼女は保護され順次、事情聴取がされた。
そこでも彼女は「女に追われた」とだけをひたすら繰り返した。
さらに落ち着きを取り戻した彼女は、黒づくめの女が無言で走って追いかけてきたと証言をした。
とはいえ、それ以外の情報はなく、目撃情報もなく捜査は打ち切られることになる。
市内一帯の小中学校には「警戒すべし」とのお達しが教育委員会はじめ、警察からあっただけにとどまり後味の悪い事件は徐々に忘れられていった。
「逢魔が時」は時に「大禍時」とも読み替えられてきた。この曰くつきの時間は人を惑わせるのかもしれない。
★
「やぁ、夏目くん」
不意に声を掛けられて少し反応が遅れてしまった。
「ん?」
目の前に立っている襟足を短く切り揃えて前髪はセンター分けで恐ろしいほど爽やかな少年。確か今年の4月のクラス替えで初めて同じクラスになった……、演劇部で、去年は隣のクラスで、100m走が速くて―――
「ボクの名前、覚えてないでしょ。
そうだった。と言いたいところだったけど、やっぱりそうだったかなぐらいの曖昧な記憶を掘り起こすことしかできなかった。と、まぁそんな記憶の片隅にいたはずのクラスメイトが話しかけてくるとはいったいどんな状況なのだろうか。
「あぁ、うん、ごめん。関谷君か」
「歩って呼んでよ。うちのクラスには関谷さんがもう一人いるからね」
そう言って彼は教室の入り口の方でお喋りをしている女子グループを見る。が、オレからすればあの中の誰が「関谷さん」なのか残念ながら見当もつかない。
そうだ、5月下旬にもなってオレはクラスの半分も名前が憶えられていない。
「うん、じゃあ歩くん。オレたちは多分、特に面識はなかったと思うんだけど何の用?」
カッターシャツが眩しい爽やか少年の関谷歩は分かりやすく肩を落とす。
「はぁ、クラスメイトに話しかけるのに理由がいるのかい?」
「あ、いや。特にいらないか」
うむ、と満足そうに頷くと関谷は「ここだけの話なんだけどさ」と声を潜めて、机に肘をたてているオレに目線を合わせるように膝を折る。
「ん」「夏目君って探偵なんだろ?」「あ、それは別にここだけの話じゃなくていいよ」
「そうなのかい?」二重の大きな目を煌めかせ、急に声の音量を戻すものだから鼓膜が微かにツーンとした。なんだか、篤夫おじさんとはまた違ったタイプの積極性のある人と関わってしまった気がした。
「だったら話は早い!夏目君に聞いてもらいたい謎があるんだ」
そうして、オレは半ば強引に(というか、耳に入ってくるがままに)その「謎」を知ることになった。彼の弁舌は、3時間目の休み時間に止まらず、昼休みまで返上で、おまけに身振り手振り付きのほとんど演劇のようだった。そして、「謎」を話し切った関谷はもはや一公演を終えたような様子だった。
「どうだい、この謎? そそられると思うんだ」
「うん、まぁ、謎としては魅力的だけど―――(だけど?と関谷が顔を覗き込んでくる)けど、オレは探偵だから依頼をされないと動かないんだ。自分の興味の赴くままに動いたらそれはただの自己満足だからね」
そうか、それは残念だなぁ。とまた分かりやすく肩を落とした関谷。ただ、まだ関谷は最後のカードを切っていなかった。
「じゃ、それが依頼になればいいんだよね」
「ま、そういうこと」
すると関谷は大きく両手を広げて得意げな顔をする。
「だったら、たった今から僕がその依頼人になろう! この謎が気になって夜も眠れなくて困っているんだ。どうだい? これは立派なお困りごとだ。頼むよ、夏目くん」
帰りのホームルームが終わり、同級生がそぞろ各々の部活動の活動場所へ移動していく頃には、関谷がオレの家に来て正式に依頼人になるという話が成立してしまっていた。この関谷歩という少年は恐ろしいことに、とんでもなく交渉術に長けた人物なのではないかと勘ぐってしまう程の手捌き、いや口捌きだった。そして、今まで彼のような逸材なのかなに気付かないままに中学二年生の春を過ごし切っていた自分には本当に嫌になってしまう。その後、なし崩し的にオレは自宅に向けて関谷と並んで歩き出す。
とはいえ、改めてこの少年を観察するにはもってこいの機会でもあった。
爽やかさで言ったらクラスの中でも右に出るものは恐らくいない。なんだろう、常に彼の周囲には柔らかくて心地よい風が吹いているような錯覚をするほどだ。顔のパーツに関していえばまつ毛の長い大きな目を除けばどれも慎ましいが整っている。つまりバランスがいいのだ。肌は透き通るような透明度で女優だって羨むだろう。
そして、なんといってもこの誰かを巻き込む力の大きさ。自然と彼の周りには人が集まるだろう。天性のカリスマ性と容姿を兼ね備えた彼はいわば、憧れの対象になるのだろう。彼の内面を知らないままにこんなことを考えてしまうのは、探偵としては失格なのかもしれないけれど、こうしていつの間にか肩を並べて自宅へ向かい歩いているところを思うと、この推理もあながち間違っていないような気もしてしまう。歩道の脇の田んぼ用の用水路がきらきら光った。柔らかい緑の匂いがした。
「どうしたんだい、夏目君。僕の顔がそんなに気になる?」
―――お前が闇を見つめる時、闇もまたお前を見つめている。
ニーチェの言葉が頭をよぎった。そして、関谷の大きな瞳がオレを覗き込んでいる。吸い込まれてしまいそうなほど大きい瞳。
「あ、いや、キミがどんな人なのかを考えていたんだ」嘘をついたって仕方ない。
「そうか、ちゃんと自己紹介しないとだね。どうせ、夏目君は4月にした僕の自己紹介のことなんて覚えちゃいないだろうしね」
ちなみに、僕は夏目君の自己紹介を覚えてるよ。「夏目です。どうぞよろしく」その一言だけね。と、関谷は嫌味さを微塵も感じさせないようにサラリとものを言う。あぁ、とか、うんとかオレは言った気がする。
「関谷歩、名前はもう言ったよね。5月2日が誕生日の牡牛座。えぇと、血液型はA型で部活は演劇部で趣味は読書とボルダリング。好きな食べ物はさやいんげんとアスパラ。嫌いな食べ物はもずく。それと―――」
「いや、もう大丈夫。よくわかったよ“関谷くん”」
やっとのことで遮ったオレを関谷は満足そうに見ている。
「それならよかった。あと、僕のことは“関谷くん”じゃなくて歩って呼んでよね」
本日、二回目の指摘だった。オレはすっかり、てっきり、いつの間にかまた関谷くんと呼んでしまうのだろうとどこかで感じていた。
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