浮上
しらゆりに住む18歳未満の住民は、勤労の義務を半分免除されている。
例えば食堂で働く調理班や配膳班の仕事もそう。
本来は昼の部と夜部の2度あるのだけれど、僕はその片方だけで良いことになっていた。
大人の半分の仕事を終えて暇になった僕は、ティアへの宣言通り整備室に戻った。
空力車にかけたカバーを外し、ボディをひと撫で。
いよいよ、工程は最終点検作業に到達している。
思えばここに来るまで、気の遠くなるようなトライアンドエラーを繰り返した。
浮動エンジンは、シンプルかつタフな構造で出来ていて、一度動作さえすれば後のメンテナンスも簡単だ。残っていた多くの問題は、操縦席周りの電気系統にあった。
なにぶん半世紀もの間放置されていたせいで、細かなコード類の多くは腐食、もしくは断線して使い物にならなくなっていたのだ。
だから僕は元の所有者でもあるシゲ爺に露骨に避けられるくらいに質問を浴びせ、艦内の参考書籍をかき集めてその基本構造の解明に努めた。それが、作業の九割と言っても良かった。結果的に分かったことは、今のしらゆりでは修理不可能な機能ばかりだということ。
しかし、全容さえ掴めてしまえば解決方法は簡単だ。
僕は大胆にもほとんどの計器類を取っ払って、必要最低限のコントロールが出来る状態をもって彼を完成品とすることにしたのだった。
「おう、そろそろかと思ってな」
すっかり陽の暮れた頃、仕事終わりのシゲ爺が顔を出した。
その手には、何かが握られている。
「なにそれ」
「今そいつに一番必要なもんだ」
ピカピカにボディを磨かれた彼を指差してから、シゲ爺は僕に丸められた紙を寄越した。そこに書いてある文字を目で追って、僕は目を丸くする。
――――
三型空力車飛行許可証
有効期限: 三十日
有効範囲: 本艦より半径二百メートル内に限る
注意事項: くれぐれも航路の妨げにならぬよう留意すること
――――
「これって……」
「制服組の一人に貸しがあってな、目の届く範囲ならどこへでも飛んで良いそうだ」
「……ありがとう。絶対成功させるよ」
「当然だ、こいつもきっと応えてくれるじゃろう」
どんと旧友に脇腹を叩かれて、彼も心なしか嬉しそうにしているように見えた。
――シゲ爺の仕事場である動力室。
その床からかき集めた浮動石の粉末を二百グラム。
それだけでこのサイズの空力車を動かすには十分。
彼と僕との初フライトは30分間。
しらゆり艦を斜めにしたような、長方形の車はゆっくりと甲板を離れて空へと浮き上がった。
頭の周囲を囲う風防のせいで風を感じることは出来なかったけれど、ずっと地に足を着けて生きてきた僕は生まれて初めて自由を感じた……気がした。
模型のように小さくなったしらゆりを上空から眺めると、改めて自分の暮らしてきた世界のちっぽけさに気づく。(短波無線で、艦から離れすぎだと制服組から注意が入った)
ちなみに彼は、複座式だ。
複雑な計器を全て取り払われた後も、僕はただ荷物置きのためだけにその後部座席を残しておいた。
そして、今回のフライトで、そこに元の持ち主を乗せることにした。
きっとシゲ爺は大喜びしてくれるだろうと思っていたのだけれど、意外にも空へ浮き上がった後一言も声を発しなくなってしまった。
まさか気絶してるんじゃないかと心配して振り返ったところ、僕はシゲ爺が顔の半分を手で抑え、黙って泣いているのを見てしまった。こんな姿を見たのは初めてだった。
「爺ちゃんを乗せてくれてありがとな」
着艦後、そう言って振り向きもせず艦内へ帰っていったシゲ爺の後ろ姿は、今にも消えてしまいそうに見えて、その小さな後ろ姿にかける言葉が見つからなかった。
どんな言葉も別れの言葉になってしまいそうな気がしたからだ。
何故か、その時僕の頭の中には、ティアの言った言葉が聞こえていた。
『私は下の世界に行ってみたい』
あれはきっと、僕の心に刺さっていたのを忘れていた小さな棘だった。
思えば、このフライトが全てのきっかけだったんだろう。
僕は、改めて自分の本心を思い知らされたのだ。
「――どうしたの、話って」
「いや、ちょっとさ」
その日、夕食の時間にティアと食堂で会った僕は、まるで気まぐれに散歩に誘うような気安さで、考えていることを彼女に話した。
初め、意外にも目を丸くしたティアは、親を見失った子供のような不安げな表情を見せた。僕はそれでも笑顔を崩さなかった。
「なに、本気なの?」
つい苦笑しながらも、口元に期待がチラチラと見え隠れする彼女が、本当に素直で可愛らしいと思った。
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