その0.プロローグ りんご

はあどうしてこうなった。


 元は、と言えば!えーと。


 何だっけ。



 オラッ!思い出せよ俺!




 確か会社が倒産して…それから…




☆☆☆☆☆☆☆☆




 地方都市郊外の一角。


  チェーン店のスーパーやコンビニ、病院などある程度に数があるくらいの地方都市郊外。


 その駅の近く、古いアパートが俺の城だ。


 1DKの小さな城。


 キツい坂を上り、更に上り、上り、どうやって建てたんだってくらいのところにあるから家賃が安い。


『いかんせん、坂がツラい』そんな理由で別れた女ひとも居ましたね。




 部屋にあるのは小さなテレビ、ワンドア冷蔵庫、洗濯機。所謂三種の神器は一応揃っている。


 寝室にはベッドとハンガーラックが一台。

 本棚には新旧混じったファンタジー漫画。


 働いていた会社が倒産し、2ヶ月。

 事態が事態だっただけに、失業手当もすぐに支給されて、とりあえず食うだけは困らなかった。


 しかし毎日こうやって天井を見ながら過ごすのも飽きてきた。

 俺に魔法が使えたらなぁ、なんて馬鹿みたいなことを考えて『黄昏よりも暗きもの…』とか魔法詠唱の真似事なんてしてみたり。


 外出はする。


 たまにハロワに行って、


 面接して、


 失業保険の手続きして、


 帰りに飯を買って帰る。


 あとは週に1度、スーパーで野菜やら干物やら。


 この歳で親に仕送りを頼む、という訳にも行かないし、何より年老いた親にこれ以上心労をかけられないしなぁ。


 幸い飲食店での経験があったから自炊出来ているものの、毎日買い弁だったなら今頃俺が干物になって孤独死しているに違いない。







 だが、そんな毎日も来月で終わりだ。


 先日なんとか再就職が決まったからな。



 俺は伊東 マナブ。

 アラフォーの無職。


 来月からは輝かしい毎日が始まる。




☆☆





最優秀新人賞。


 入社3ヶ月未満の営業部の新人のみがその権利を得ることの出来る、最初の戦いだ。


 最優秀新人賞を得た人間は幹部候補として教育される。


 若くして管理職になることを夢見て、みなこの3ヶ月は馴れ合うこともなく机を並べ、敵愾心丸出しで営業戦場に出るのだ。


 ある者は足を使い一軒一軒回り、またある者はコネクションを利用する。俺は前者で顔を広げ、信用は得ていた。(売上はないです)


 しかし初月も2ヶ月目もビリッケツで、上司からも同僚からもまるでそこに居ない様な扱いをされていた。


 今日も日中は何をしていたかというと、訪問先でお茶を飲みながら雑談し、帰り道に寄ったコンビニでバッテリーの上がった車を助けてあげたくらいだ。


 そして今日もまた、手ぶらで帰社してきたうちの一人で、あとは冷たい事務机に突っ伏して全員揃うのを待ち、電車に揺られて帰路につくのだ。


「オイ、お前」

 頭に響く甲高い男が後ろから声をかける。

 誰もが俺を無視する中で、唯一声を掛けてくる奴だ。


 こいつは初月・2ヶ月目で累計6件受注してきたとかいう、自称営業部のホープとやらで、実際今のところトップである。

 顔は流行りのダンスグループの誰かに似ている。


 あくまでも誰かっぽい。誰かと言われたら分からん。兎に角イケすかないツラだ。


 細身のピッチリとしたブランドスーツにトンがった革靴。

 うーん、まさに頭の先から爪先までいイケすかない野郎だ。


「入社して一件も取ってきてないんだって?オレ達はお前オッサンの給料稼いでるんじゃねえんだ、早く辞めちまえ」

 甲高い声に続く嘲笑。

 別にこいつらに養ってもらっているわけじゃあない。まだ新人賞の期限3ヶ月は経っちゃいないんだ。


「いやぁ、ははは、参ったな。頑張るよ」

 俺は愛想笑いを浮かべてその場をやり過ごす。いつもの流れだ。

 俺の“愛想笑い”スキルで大抵は「張り合いがない」だの「つまらない奴だ」だのと勝手なことを言って去って行く。

 営業先での鬱憤を一旦俺にぶつけてから席に戻るのはやめてほしい。正直しんどい。毎日はツラい。


 別に苛められ慣れてる訳じゃない。せっかく入った会社だ。ここでトラブルでも起こして辞めさせられるなんてそれこそつまらんからな。


「お前さぁ、俺の部下になったらいいぜ、毎日お茶汲みと靴磨きで退屈させないでいてやるよ」

 今日のこいつは機嫌が良かった。また一件決めてきたんだろう。


 しかしお茶汲みも靴磨きもゴメンだ。せっかく入ったこの会社で、何が悲しくて靴を磨かねばならんのだ。


俺はまた、愛想笑いでやり過ごした。




 入社3ヶ月目、今月の売り上げで、会社でのその後の生活が決まる。


 慣れない革靴で出来上がった靴擦れも、報われなければなんの意味もない。


 それにこれから何年居るかは分からないが、俺の人生を費やすんだ。居心地が悪くなってたまるもんか。


 俺は転職組で、あのイケすかない野郎は新卒。歳は一回りも違う。

 だが、仕事に先輩後輩はあれど、年の差なんてものは誤差の範囲だ。


 実力がモノを言う。


 だからこそ残りの人生をどう生きるか、それを考えた時に、どうしても今勝利を決めなければならないのだ。


「毎度さまでーす」

 まだ取引先でもなんでもないが顔だけは出している。


「たまたま近く来たもんですから社長の顔が見たくて」

 そんな切り出しで雑談をして帰る。しつこく売り込んだりはしない。


 今日は数件回っているが、お茶を飲んで雑談して終わり。

 最後に一件、以前りんごを貰った社長にお礼がてら、顔を出していこうと考えていた。


 特に用事があるわけでもなかったが「近くに来たらまたおいで」と電話を頂いたから、少しは期待してしまう。


 りんごをくれた社長は、儲かっているわけでも困ってるわけでもない様な、そんな小さい街の雑貨店を20年くらいやっている。


 そんなちいさな雑貨店のガラス戸を開けると社長が作業をしている最中だった。


 いつも飄々としている細マッチョなおっさんだ。

 人の悪意も柳のように聞き流すような、不思議なおっさん。


 店にはおっさんに似合わない、ファンシーな雑貨がたくさん並んでいる。


「この間、ウチの娘の車、ありがとなぁ」

と背中越しに礼を言われる。


 おっさんが隆々とした腕で商品の入ったダンボールを持ち上げながら

「最初はしつこい奴かと思ったら売り込みもしないし、いつの間にかオレが一生懸命話しちまう。変な奴だ」


 社長の娘…会ったことは一度だけあるが、仕事に就いたばかりであまり覚えていない…あの時バッテリーが上がっていた女の子、そうだったのか。


「あんたは他の奴と違って何度も顔を出してくれるし、何よりウチの娘の車を直してくれた。あんたも仕事だろう?あんたから買うよ、なんでも言ってくれ」




 そこからあれよあれよと、りんごの社長おっさんの知り合い、そのまた知り合いの知り合い…と。

 あっという間に1ヶ月で15件以上の契約が出来てしまった。


 件の営業部のホープは、強引な営業方法が響き半分程がキャンセル、下から数える方が早くなってしまった。

 彼には急須と靴磨きセットをプレゼントしたいと思う。


 そして有難い事に、最優秀新人賞も得ることが出来た。


 特にこれといって、給料が上がったりするわけじゃないが、副賞として雀の涙ばかりの手当を貰う。皆の前で、その栄誉を讃え、今後の眩しい未来の入り口を開いた証のように、豪華な水引の付いた封筒を手渡しで渡された。

 俺はこれから営業部の真のホープとして、次期管理職としての教育を受けるのだ。


 白い目で見ていた上司や同僚。


 軽蔑。


 嘲笑。


 揶揄。


 それが今では同じ人とは思えない程の変化だ。


 期待。


 尊敬。


 憧憬。


 賛美。


 おっさんには感謝をしなければならない。こんな見ず知らずの他人に、こんな人生の転機を贈ってくれたんだ。


 仕事の帰りにでも寄って改めてお礼をしなきゃな。



☆☆


 班長、係長、課長、部長…と、顔を合わせる度に『今夜飲みに行くぞ』とお声掛けくださったが、あまり上司と飲むのも好きじゃない。上司から諭される仕事の話ほど不味い肴は無い。


「今日は客先のアポがあってまだ寄るところがあるので、定時前で申し訳ないですがそのまま直帰します」

 最優秀新人賞の為せる技だ。なんといっても最優秀だからな。おっさんのおかげだ。


 それに雀の涙程ではあるが、金一封も出た。

 せっかくだから何か手土産でも持っていかないとな、などと思い巡らせ、結局会社から近い駅前でたい焼きを買った。


 まだ給料も出ていないし、あまり高いものだとかえって失礼なんじゃないか?などと好都合に置き換えた結果だ。


 ホームに向かう道すがら、緩めたネクタイを締め直しジャケットの前を閉じる。

 もしかしたらこの間の娘さんもいるかもしれない。


 歳は一回りくらい離れているがこれも縁だと思いたい。フムン、一回りくらい。ホープ君と変わらないのかもな。


 ホープ君、か。彼はこれから苦労するだろう、と思う。


 しかし仕事だ、苦労くらいするもんだ。それが仕事ってもんだ。


 俺だって、この仕事に就くまでに色々な仕事を経験してきた。


 学生時代からアルバイトも沢山したし、転職も数えきれないくらいした。


 だから、これから報われたっていいじゃないか。自分がやって来たことが認められた。それだけで今日の酒は格別に美味いはずだ。


 そうしよう。おっさんのところに寄った帰りに、焼き鳥で一杯やって帰ろう。

そのくらい天も許してくれるさ。


 焼き鳥はそうだな、まずはイカダだ。少し焦げ目のついた香ばしいネギ。

 噛むと中からチュッと熱々の汁が飛び出してくるんだ。


 それから豚肉の新生姜巻き。豚肉の脂を新生姜が調和してくれる。熱を加えた新生姜は辛みが少し増してサッパリする。


 そこにキンキンに冷えた生を一気に注ぎ込む。ガソリンだ。俺のガソリンだ。今日はハイオク満タンといこうじゃないか。






「おい!危ない!!」



 鳴り響く警笛。


 眼前に広がる真っ赤なホームと乗客。


 それと、宙を泳ぐ、たい焼き。




 なんてこった。

 焼き鳥はおあずけだな。


 などと思いながら、ブラックアウト。




 女の子の声だけが聞こえたんだ。

「おお、マナブよ、こんなところでしんでしまうとはなさけない!」

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人生の途中ですがヤキトリと名乗ることになりました。 モンキーサン @monkey_sun

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