1章3話 ホワイトボード(1)



 場所は再びアイドル同好会の部室に移る。長机の一辺に恋歌が座り、その対面に、俺と十音先輩が座った。

 雰囲気は一言で語るなら修羅場である。3年前、恋愛の意味がわからないから、といった理由で振った幼馴染と高校で再会。しかし、俺は恋歌を別の人の名前で呼んでしまう。これを修羅場と言わずに何と言おうものか。


「それでタク君? 何か弁明したいことは?」

「幼馴染をネットアイドルと間違えてしまいました。本当に申し訳ございません」


 さっき着席したばかりだが、誠心誠意、謝罪の意を込めて土下座する。なんとなく土下座を強要された気になったからだ。笑顔が怖いとは、今の恋歌の状態を指すのだろう。何よりも目が笑っていない。かつて恋していた男子に名前を間違えられたら、誰であっても当然怒る。


「バカね、彼女は自分の名前を間違えられたことじゃなくて、芸名が先に出てきたことに怒っているのよ」

「へ?」


 思わず顔を上げて立ち上がった。恋歌は頬を乙女色に染めて、指先でツーサイドアップの先端を弄っている。心理学の本で読んだことがあったが、髪を弄る行動は好きな異性が目の前にいると起こりやすいらしい。なお、弄っているのが前髪だった場合はアウトだ。


「初対面の私でもわかるわ。彼女は間違いなくネットアイドルのホシノよ」

「マジで!? 恋歌があのアイドルのホシノなの!?」


 さらに恋歌は頬を赤らめる。耳まで赤色に染まってしまう。これだけでも充分に理解したが、とどめに恋歌は小さく頷いた。――確定だ。やっぱり、ここまで似ていたら他人の空似じゃないよな。

 一度察すれば何てことはない。恋歌の苗字は星乃。苗字をカタカナにして芸名にしたのか。


「星乃さんは高槻くんに幼馴染として綺麗になった自分を認識してほしかった。けど、高槻くんは気付かずに芸名で呼んでしまった。だから星乃さんは今、好きな男の子に忘れられた女の子の気持ちを味わっているのよ」

「は、恥ずかしいから、それ以上、説明しなくていいです!」


 手を上下に振って混乱している恋歌。自分のヤキモチを初対面の人に解説されたら、それは大変恥ずかしい。けれど、憤っている理由は判明したので、きちんと謝っておくべきことは謝っておこう。


「ゴメンな、恋歌。お前の気持ちに気付かなくて」

「ふ、ふん! 別に怒っているわけじゃないし。でも、わたしはタク君のそういうところが嫌いなの!」


 そういうところってどこだよ? 恋歌に訊くわけにもいかないし、この状況を楽しんでいる十音先輩は、まず当てにならない。


「人の気持ちを、恋心を理解できるのに、わたしがどう足掻いたって恋人になれないところよ!」


 3年前のことを言っているのか、今のことを言っているのか、判断が難しい。たぶん両方だろう。高校生になっても俺は未だに初恋をしたことがない。でも他人の恋心は理解できるし、それには当然恋歌も含まれる。そのことに対して恋歌は怒っているんだ。そして自惚れではなく、恋歌は今でも俺のことが好きだ。もし好きじゃなかったら、こんなセリフを口にするはずがない。

 立ったままも疲れるので、俺は着席した。


「でも俺は十音先輩に言われるまで気付かなかったぞ」

「言われて気付けるなら男としては上々よ。それに、高槻くんも彼女の気持ち知っているんでしょ?」

「ええ……まぁ」


 恋歌の方をチラ見すると目があった。すると、恋歌はあからさまに顔を背ける。『タク君のことなんか意識してないんだから!』と行動が物語っている気がするが……いつの間にか恋歌はツンデレ属性を身に着けたようだな。


「なんでこの先輩はわたしの気持ち知ってんの?」

「見てればわかるわ。校門で再会した時、満面の笑みを浮かべて、芸名を出されたらわかりやすく落ち込む。ここまで来る最中、何度も高槻くんに話しかけようと決心しては躊躇って、決心しては躊躇っての繰り返し。ザ・恋する乙女ね」


「ち、違います! わたしは別にタク君と話したいなんて!」

「へぇ、恋する乙女の部分は否定しないのね」


 恋歌は両手で顔を隠した。そこまで見られたくないのか。小さく「うぅ……」と、うなる恋歌は、どこか小動物を連想させる。その姿はかなり可愛い。

 で、俺は恋歌を羞恥心から救うために適当に話題を変えることに。


「と、とりあえず自己紹介をしますか。恋歌と十音先輩は初対面だし」

「そうね、私からでいいかしら」


 そう宣言すると十音先輩は早速自己紹介を始めた。


「私はアイドル同好会部長の清澄十音よ。高校2年生。好きな食べ物はみかん。好きな飲み物は牛乳。趣味はお昼寝とお風呂で、枕とフカフカのベッドが大好き。嫌いな物は梅雨と勉強よ」

「あなた、わたしのプロフィールを閲覧したの!?」


 恋歌が勢いよく身を乗り出した。そして十音先輩に問い詰める。やめておけ、恋歌よ。十音先輩に弄られるだけだぞ。俺も最初は、っていうか、今でも何か喋るたびに弄ばれているし。

 それにしても自分のプロフィールを、初めて会った人に言われるのは中々の羞恥プレイだよな。でも、ネットの中とはいえアイドルをやっているなら、それぐらい慣れておかないとダメだぜ?


「ええ、もちろん。お風呂が好きなんてアイドルらしい趣味をしているのね。でも枕とフカフカのベッドと牛乳はどういう意味かしら?」

「いやらしい意味はないわよ!」

「私は理由が聞きたかっただけよ? それをそっち方面に持って行くなんて、星乃さんはえっちぃのね。何を連想したのかしら?」


 完膚なきまでに叩きのめされる恋歌。力を振り絞って十音先輩に反撃する。


「そもそも、何で勝手にわたしのプロフィールを閲覧するの!」

「アイドルがプロフィールを閲覧されて憤るのは筋違いだし、むしろ見てくれてありがとう! って言われてもおかしくないのだけれど、その文句は高槻くんに言って頂戴。彼が私に勧めてきたのだから」


「タク君! 何勝手に人のプライバシーを侵害してんの!?」

「こっちに飛び火しやがったぜ……。知り合いにばれるのが恥ずかしいのは理解できるけど、自分で書いて、自分で公開範囲を設定したんだろ? 鍵アカにだってできたのに」


 四面楚歌だった。恋歌は誰一人仲間のいない状況で、思わず瞳を潤ませる。その瞳は庇護欲をあおる不思議な引力を持っていた。引力のせいか俺は恋歌を慰めようとする。


「あ……っ、安心しろよ、俺は一応バラさないから! 布教活動はするけど、リアル友達には。それに変なことは書いてないんだから、見られても大丈夫だろ。なっ」


 それでも恋歌は納得できない様子だった。子供っぽく頬を小さく膨らませて拗ねている。その子供っぽい仕草で、ふと、小学生の頃を思い出す。あれからこいつは、ずっと俺のことを想ってきたのだろう。

 感傷に浸っていると十音先輩が恋歌にあることを教えた。


「知っているかしら? 高槻くんはアイドルビジョンの投票であなたに入れたのよ。だから許してあげてもいいんじゃない?」


 すると恋歌は一瞬で元気を取り戻した。


「ホントに!? え、えへへ~~。べ、別にそんなのどうでもいいしっ。気にしないしっ。タク君が入れたかったら入れればいいんじゃないっ?」

「この女アアァッ、まさにチョロイン――ッッ!」


 十音先輩が叫んだチョロイン、って単語。意味はアニメやラノベで主人公に恋するのが早すぎる、つまりチョロすぎるヒロインのことを示す。俺と恋歌には幼稚園入園~小学校卒業までの思い出があるから、俺を好きになる期間は充分にあった。だからチョロインとは言わないと思うが、まぁ、確かにこの機嫌を取るのが簡単すぎる性格は、チョロいとしか言いようがない。


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