完璧主義と音楽と視点の多様性の話
Twitterで「完璧主義者は心が弱い」というような投稿を見た。
曰く、完璧主義者はその心の弱さのために不完全を許容できないのだそうだ。
どうやらわたしは、何事にも完璧を求める傾向にあるようだ。
彼(または彼女)の言い分によれば、わたしが完璧を目指すのは不完全を許容できないからであり、そして完璧でなければ価値がないと考えるからであるらしい。
なるほど一理ある。わたしはいわゆる「クソザコメンタル」の持ち主であり、わたしの完璧主義的傾向に自分の心の弱さが関連しているというのは確かに筋が通っているように見える。
何かを考えるときに重視することは、ひとそれぞれだ。
音楽をするうえで最も重要なことは、音楽が「自然である」ということだと思っている。あるべき音があるべきタイミングで寸分の狂いもなく鳴っているのが理想形で、自分の音楽を自然な形で理想形に限りなく近づけていく、そういう作業を楽しむのが「音楽を楽しむ」ということなのだ。少なくとも、わたしにとってはそうだ。
だから、音楽を楽しむには、ある一定程度の技術が必要なのである。適切なタイミングで適切な音が鳴らせないと、音楽を楽しむそのスタートラインにすら立てないのだ。だから、自分の音に責任と自信を持てるよう、わたしは練習を怠らない。
ヘタクソは音楽をやるな、ということではない。これはあくまで自戒みたいなものだ。べつに他人に自分の考えを押し付けるつもりはないし、どなたか高名な指揮者先生のご意見ならまだしも、未熟ないち合唱団員にすぎないわたしの戯言など真に受ける必要もない。そもそも、自分の意見が絶対に正しいだなんて思えるような自信もそれを裏付けるような経験もわたしにはない。
結局のところ、音楽というものは自由であるべきものであるはずなのだから、自分の思うように自由にやるのがいちばんなのだ。
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