ひとの声を聴くのが好きだということ

わたしは、ひとの声を聴くのが好きだ。

歌手の歌声。声優の演技。はたまた、友人のしゃべり声。

だれしも、お気に入りの声の一つや二つくらい、持っている。

と、勝手におもっている。


もしかしたらそれは、わたしが合唱をやっているから、というのもあるかもしれないけれど、なんというか、ひとの声の力、みたいなものに惹かれているからなのではないだろうか、と最近考えるようになった。


声の力なるものが具体的にどういうものなのかとか、そんなものが本当に存在するのかとか、そういうことを客観的に語るということは、残念ながら私の能力ではむずかしいから、私の主観をつらつらと書き連ねることにする。


大学生になってしばらく経つけれど、高校時代以前と比較して、人付き合いというものをあまりしなくなったような気がする。わたしの在学している大学のクラス制度は有名無実のものとなっている(たんに管理番号を付するためのカテゴリなのだろう)。

ともあれ、クラス単位での交流がない以上、自ら進んで人間関係を構築し進める必要があるわけだが、わたしはそれがあまりうまくない。

無論、友人がいないとか、所属する集団がないわけではない。サークル仲間や同じ講義をとって仲良くなった人たち、あるいは同じバイト先で働く同僚(これを友人と呼ぶかはおいておくとして)などのコミュニティ。


強制的に参加するコミュニティがない分、付き合う人の数も減った。

要するに、寂しいのである。

寂しさをごまかしたいのか、あるいは安心材料としたいのか、それは自分にはわからないけれど、そういう環境がわたしの嗜好に影響を及ぼしているのだ。たぶん。


喜怒哀楽さまざまな感情であったり、孤独からの救済であったり、求めるものはいろいろあるけれど、結局それは「こちら側」での解釈の結果ついてくるものだ。

言葉とか声とか、それ自体には力なんてないのかもしれない。

受け取られ、解釈されてはじめて、言葉は、声は意味を持ち、力を持つ。


誰かの言葉をありがたがって、誰かの行動を勝手にいい風に受け取って、わたしは毎日をたのしくすごそうとしている。

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