雨の中龍伝説を知る
とある平日の空き時間に、私は大学の図書館にいた。郷土史のコーナーで、この地に語り継がれている民話の本を見ていたのだ。
今日受講した日本史の講義で、平将門の話を聞いた。言わずと知れた当地の英雄だ。体が鉄でできているという伝説を持つほど、強かった。 彼ら平氏の内部抗争がいつしか関八州を巻き込む争乱となり、その果てに将門は「新皇」を名乗り独立国家を建国しようとする。
どこまでが史実でどこからが創作か、まだまだ不明点も多いらしいが、フィクションとしての面白さは抜群だと思う。特に興世王のトリックスター的キャラクターは物語を面白くするのにうってつけだろう。
そんなこんなで図書館で将門について調べようと思ったのだが、民話の本に目移りしていたところだ。
ここ千葉県XX市の東部にはXXという名の沼がある。その沼にまつわる龍伝説。
昔、安住の地を求めて龍がこの沼にやってきた。龍はこの地をことのほか気に入り、沼に棲みつく。いつしか村人たちは龍を沼の主と崇めていた。ある年、何ヶ月も日照りが続き村人たちは困窮していた。都から僧が派遣され、沼のほとりで雨乞いを始める。龍は村人たちの窮状を痛ましく思い、龍王の命に逆らい雨を降らすことを決意する。龍は沼から飛び出し、そのまま天へ駆け上った。雲ひとつなかった空が俄かに掻き曇り、大量の雨が降ってきた。雨が三日三晩続いたその時、上空で雷鳴が轟き、龍の胴体が三つに裂かれ、落ちてきた。龍王が命に逆らった龍を罰したのだった。心を痛めた村人たちは龍の頭、龍の胴、龍の尾をそれぞれ龍眼寺、龍身寺、龍脚寺に葬り、供養した。
そんな伝説だ。
現在、沼のそばにはオランダ風の風車がある公園や、浄水場などがある。県内の小学生なら、社会科見学や遠足で一度は訪れたことがあるのではないだろうか。私も県内出身なので、小学生のころに社会科見学で来た記憶がある。コンクリートが剥き出しのプールのような水槽がいくつも並んでいて、そこには水が満々とたたえられている光景が頭に残っている。かすかに水面をうねらせているその水は暗く、水中の様子を伺うことができない。コンクリートの殺風景さとあいまって、幼いころの私には恐怖を感じさせる光景だった。
そういうわけで私も昔から沼の存在は知っていたが、この龍伝説は今まで聞いたことがなかった。思えばこの辺りでは、街中で龍を見かけることが多かった。街灯に龍の飾りがついていたり、公園に龍のオブジェがあったりする。橋を渡るとき、欄干の手前からひょろっと尻尾のようなものがのびていて、何かと思いながら橋を渡ると、欄干のもう一方の端には龍の顔がついていたというものもあった。橋全体が龍になっているという意匠だ。それから、地域のマスコットにも龍がモチーフのものがいたりする。何でだろうと思っていたけど、この龍伝説が元になっていたんだな。やっと合点がいった。
そろそろ出ようかと思い、本を棚に戻し、出口に向かう。
図書館を出ると、激しい雨が降っていた。図書館を出たすぐの所では、頭上にはひさしがあるので、まだ傘を差す必要がない。雨の中歩くのも億劫で、少し佇んでいた。
季節は梅雨。図書館に入るときはどんよりとした曇り空ながら、まだ降っていなかったのだけど。タイミングがタイミングだけに、龍が降らせているのだろうかという考えが一瞬頭をよぎる。
「あら、秋月さん」
声をかけられて振り返ると、結城さんが図書館から出てきたところだった。
「こんにちは」
「ぼーっとして、どうしたの。また何か物思いにふけってた?」
結城さんが笑いを含んだ声で言う。
「龍の伝説って、知ってますか?」
「XX沼の? 知ってるよ。それで雨見てたんだ」
雨宿りがてら、お茶でも行かないかと誘われ、結城さんと一緒に構内のカフェに向かった。結城さんは私の二年先輩の三年生で、文学部日本文化学研究室に所属している。私は別の学部だしサークルにも入っていないし、本来接点は全くないのだが、とある出来事がきっかけで知り合いになり、たまにお喋りをする仲になった。結城さんは上品で落ち着いている人で、話していて心地よいのだ。人見知りで人付き合いに消極的な私としては、お喋りができる知り合いが一人できただけで上々である。いや、その出来事で知り合いになった人はもう一人いるか。
雨だからか、カフェは混雑している。傘立ても満杯で、入りきらずに傘立ての脇に壁に立てかけてある傘が多数ある。私たちも同様にし、お店に入る。タイミングよくお店を出る人たちがいたため、席を確保できた。
「いやあ、すごい雨ですね」
「篠突く雨だね」
「へえ、篠突く雨って、こういうのを言うんですね」
「そうね。細い笹や竹を束ねたものを地面に突き刺すように激しい雨のこと。笹と竹の総称が篠、あるいは篠竹というの。今日は風もないから、なおさら真っ直ぐ突き刺さる感じね」
「へえ。笹と竹かあ」
窓の外の雨を眺める。風がないので、本当に真っ直ぐ落ちている。
「ササとタケの違いって知ってますか? 大きさが違うだけなんですよ。簡単に言うとササの大形種がタケなんです。あと、タケは成長するとタケノコの頃にあった皮がはがれますが、ササはくっついたままという違いもあるみたいです。イルカとクジラみたいなもんですね」
「イルカとクジラ?」
「イルカとクジラも大きさだけの違いで呼び分けられてるんです」
「そうなんだ。知らなかった」
「チョウとガも、境界が曖昧だったりします。大まかには触角の形とかで分けられますけど」
店員さんが来て注文した品をテーブルに並べてくれて、その間、一時会話が中断する。結城さんも私もアイスティーのみだ。
「昔話なんか見てると、蛇が龍になったり龍が蛇になったりしてるから、蛇と龍も同じようなものかもしれませんね」
ガムシロップを混ぜながら思い付きを口にする。
「なるほど、面白いね」
結城さんはガムシロップとレモン果汁を加えている。
「さっきの龍伝説の話だけど、私は市内出身だから、子供のころから何かと聞かされたよ。でも子供心に違和感があったな。龍が死ぬのがわかってたのに、雨乞いするなんて勝手だなって」
「村人は龍が死ぬって知ってたんですか?」
「知ってるというストーリーになっているものもあるし、知らないようなストーリーになっているものもあるよ。後者のほうが聞いてて自然に頭に入ってくるよね」
そうやってしばらく四方山話をしていた。
「雨、少し弱まってきたね」
結城さんに言われ、外に目をやる。結城さんの言う通り、先ほどの篠突く雨が少し弱まっているのが分かる。そろそろ帰ろうか、と結城さんが言い、解散することにした。
夜寝る前に窓の外を見ると、もう小雨になっていた。夜中には止みそうだな。
龍が死ぬとわかっていて、自分が飢え死にしそうだった場合、私は雨乞いをするだろうか。龍は人知を超えた存在であり、死なずにすむ方法を知ってるかもしれないし、なんて都合のいいことを考えそうだ。神の世界のことは人には計り知れないもんな。取り留めのないことを考えているうちに、私は眠りについていた。
翌朝は雲ひとつない快晴だった。地面には所々に水溜りが残っているので、踏まないよう避けながら学校へ向かう。
今日の一限の講義はB号棟だ。B号棟は学校の奥の方に位置している。建物はさいころの六の目のように並んでおり、奥から数えて一列目左がA号棟、右がB号棟、二列目左がC号棟、右がD号棟、三列目左がE号棟、右がF号棟である。なおこれらの建物のほかに、学部ごとに複数の棟があったり、図書館やサークル会館、あと私のよく知らない建物やグラウンド、体育館などいろいろある。よってB号棟は正門から入ってメインの通りを真っ直ぐ進み、一番奥のA号棟に到達したら右に曲がって二つ目の建物が該当する。
正門をくぐり、メインの通りを真っ直ぐ進む。左手側には学食があり、右手側は広場と図書館だ。図書館の向こうから、前述のA号棟~F号棟が見えてくる。構内の道は水はけが良いようで、ほとんど乾いている。道沿いの芝生や木の生えた土の部分だけ、まだしっとり湿っているようだ。
私は朝は早めに来ているので、まだ人影もまばらで歩いていて気持ちよい。今日はいい日になりそうだ。
一列目の建物であるE号棟を過ぎたとき、右に進む道の方に、数人の人が集まっているのが見えた。E号棟の壁のそばに集まっている。携帯電話で誰かと話している男子学生が一人。立ち尽くしている女子学生が一人。そして壁沿いの灌木の前で、手を膝に突いて何かを見ている様子の男子学生が一人。いや、あれは違う。
近づいていくと、男子学生は大学の場所を説明しようとしている。警察か救急かな。女子学生は青い顔をして灌木の方を見ている。傘を杖代わりにして、やっと立っているといった感じだ。水玉のおしゃれな傘がたわんでしまっている。傘の水滴がスカートを濡らしているが、気付いた様子もない。なにやらただ事ではなさそうな雰囲気に、近づいた事を少し後悔する。
「千里さん」
私が灌木の前の男性に声をかけると、その場の三人が一斉に私に顔を向ける。突然六つの眼に見られ、思わず目が泳ぐ。
「やあ、秋月さん。おはよう」
そんなのんきな挨拶をしていい状況なのだろうか。この千里さんも結城さんと同じく、ひょんなことから知り合いになった人だ。学生ではなく、学食でアルバイトをしている。人を食ったような言動をよく取る変な人で、その分私も気を使わずにいられるという点で話しやすい人なのである。
「何かあったんですか?」
「うん、ちょっと猫の首がね」
え?と思い、千里さんが元々見ていたところに視線を向ける。白いビニール袋が灌木の根元に落ちており、その袋の口がこちらを向いて開いていた。袋の中には、猫の顔が見えた。どう見ても胴体がついておらず、猫の首だけがビニール袋に入れられている。
「ほ、本物?」
「そう見えるね。別の場所には胴体もあったし、本物だろうね」
猫の首は目と口を半開きにして、何の感情もこもらない顔をこちらに向けている。首が自然に切れることなんてあるはずがなく、誰かが故意にやったのだろう。。
何でそんなことを。何の意味があってそんなことをしたのだろう。得体の知れない悪意を感じ、背筋が寒くなる。
「秋月さん、学生課に行って職員を連れてきてもらえるかな。警察にはそこの彼が連絡してくれたから」
「あ、はい」
この場を早く去りたい気持ちもあり、素直にその言葉に従うことにした。えーと、学生課はどっちだったっけ。猫の顔に邪魔をされてなかなか頭が回らないが、何とか思い出す。
登校してきた学生たちとすれ違う。当然ながらみんな猫の首のことなど知らず、のんきな表情だ。私もさっきまではああだったんだよな。いい一日になりそうだなんて思って。千里さんを見かけて寄っていったのが浅慮だったかな。好奇心は猫をも殺す……なんて。
少々不謹慎なことも考えながら学生課に到着。朝早くて通常の窓口は空いていないので、職員用の入り口から、緊急なんですといいながらなるべく話しやすそうな職員を捕まえる。
学生課から職員の人と一緒に戻ると、千里さんからは秋月さんはもういいよと言われ、お言葉に甘えて一限の講義室に向かった。
一限目の講義は哲学だ。二年生からは専門科目が増えるが、一年生の間はほとんどが一般科目といって、いろいろな分野の講義を受講できる。単位を取りやすそうで、かつ興味のある講義を取れればいいのだろうけど、どれが単位を取りやすいのかは私には情報源がないので、あきらめて興味だけで選んでいる。と言っても、これとこれから一講座、とかある程度制限はあるので、無尽蔵に興味のある講義を取れるわけではない。また、進級に必要な単位は決まっているわけで、それを大幅に越えるように受講しても、スケジュールがパンパンになってきつくなるだけだ。
教壇では講師が物理的決定論、というものの解説をしている。曰く、この世の全ての事象は、事前に全て決定している、という。
定食屋で天丼を注文するか親子丼を注文するか。ある日のお昼に天丼を注文したとすると、実はその行動は事前に決定していたものであり、その日親子丼を注文することは絶対にできなかったということになる。夜ご飯に同じ定食屋で親子丼を注文したとしても、「親子丼を注文することが不可能」だったことの反証とはならない。親子丼を注文することが不可能なのは、あくまでその日のお昼の話だから。
その根拠はこうだ。
世の中の全てのものは原子等の粒子でできている。その粒子の動きによって、全ての事象が発生する。人の行動も同様だ。脳の中で神経伝達物質がやり取りされ、電気信号となって体を動かす。
ではその粒子がどう動くか。箱の中に原子が一つ入っているケースを考えると、原子は壁にぶつかっては跳ね返り、箱の中を移動し続ける。どの壁にどの角度でぶつかったらどう動くのかは当然決定している。
原子が二個になったらどうか。原子同士がぶつかることもあり、動きは複雑になるが、決定していることに変わりはない。これが実際の世の中になると、複雑すぎて予測なんてできないが、やはり決定していることに変わりはないのである。
従って、この世の全ての事象は、事前に全て決定している、ということになる。
なるほど、と思う。日常生活においては時間が戻ることはないわけで、結果論的に、その時その行動しか取れなかったのだというのは理解しやすいが、物理的な根拠があるのが面白い。
「じゃあ試験の結果も決まっているなら勉強しなくていいや、なんていうのは大きな誤解ですからね。勉強するかしないかも決まっているという話ですよー」
講師の説明が続いている。結局のところ、予測ができない以上、決まっていても決まっていなくても日常生活にあまり影響はないのだ、と思う。
「今は量子力学で、粒子が次にどこに現れるか分からないというような話も出てきており、、この根拠は崩れつつあります」
講義の最後にそんなオチがついた。もっとも、主題は人間に自由意志はあるのかとかそういうことだから、根拠は二の次なのだろう。
例えば猫を殺して首を切断したとして、これは決まっていた行動であり自分の意思ではないと主張したらどうなるだろうか。まあ、周りから危ないやつだと思われるだけか。もしくはその主張を逆手に取られて、罰を受けるのも決まっていることだと言われて終わりか。
やはり気になるのは、なぜ猫の首を切断したのか、だ。事前に決定していたにしろ、自由意志に従い行ったにしろ、何かしら理由があって切断したのだろうから。理由如何によっては今後その刃の向く先が人間になる可能性もあるわけで、理由が分からないと安心できない。
まず想像してしまうのは、やはり生き物を傷つけること自体に喜びを感じている、というケースだろうか。そのケースの場合こそ、エスカレートして段々大きな生物を対象に、となるのではないだろうか。
感情やら何やらが未発達な子供が嬉々として虫を殺すのはまだ理解ができる。でも猫のような動物を嬉々として殺し、まして首を落とすなんていうのは、異常だと思う。いや、それが大人であれば、虫であっても嬉々として殺すのであれば、異常だと感じる。結局虫から始まり鳥類、小型哺乳類、人の子供……という風にエスカレートしていきそうな気がする。その先は大人の人間だ。まずは女性だろう。決して大柄ではない私は、その辺りで対象範囲に入るのだと思い、恐怖を感じる。
でもこれが例えば食べるために殺した、ならそれはそれで理解ができる。もちろん私は猫を食べる習慣はないけど。頭を落とし、胴体を捌き、食用にする。これなら首を切断した理由も分かる。その場合は人目につかないようきちんと後処理をしておいて欲しいところだけど。でもこの食用というのが異常な性癖から来るものであれば、人間も食べてみたいとなり、最初の想像と同じ話だ。
二限目は法に関する講義。あまり興味がなかったのだが、選択科目の一つで、やむなく履修することになったものだ。大講義室で学生が大人数いる講義でもあり、寝ていても講師に注意されることもない。興味のなさも加わり、毎週睡魔との戦いである。
講師の話を聞いているうちに、やはり今日も例に漏れずまぶたが重くなってくる。
よくよく見ると猫の首には胴体がつながっていた。猫はぬかるんだ地面から飛び上がり、龍となって天まで駆けていく。突然の轟音、そして龍の首が地面にたたきつけられ、でもそれは猫の首でもあり、恨めしそうにこちらを睨んでいる。そんな様子を見て誰かが楽しそうに笑っている。
がばっと身を起こす。いつの間にか机に伏せて寝ていたのだった。嫌な汗をかいている。
もうちょっと気持ちを整理しないと、寝るたびに悪夢を見そうだ。何があったのかだけでも、後で千里さんに教えてもらおう。
十五時ごろ学食に行くと、もう学食の扉は閉まっていたが、千里さんが気付いて開けてくれた。
「どうしたの、顔色悪いね」
「どうしたもこうしたも猫に憑かれて何も手につかないんです」
「とりあえず入りなよ」
千里さんは厨房のほうに休憩しますねと声をかけ、カウンター脇のセルフサービスの水をくみに行った。私には手近なテーブル席に着くよう勧めてくれる。
「もうすぐ解決すると思うから、安心するといいよ」
私の正面に座り、水をくれた後、開口一番そんなことを言い出す。
「解決? 犯人がわかったんですか? というか、そもそも今日、何があったんですか?」
順を追って話すよと言って千里さんが話を始めた。まとめると、次のようなことだった。
今朝、千里さんは早めに出勤した。なぜなら、昨日帰るときに学食の裏口に鍵をかけ忘れたからだ。昨日は千里さんが最後だったので、施錠して帰らなければならなかったのだが、雨に気を取られて忘れていた。
出勤して裏口に回ってみると、鍵がささったままになっており、大きなハートのキーホルダーがゆらゆらと揺れていた。朝日を受けてきらきらと光って、ちょっと眩しい。
裏口から入ったところは厨房で、異常はなさそうだったので胸をなでおろす。
裏口の外にはモップも出しっぱなしになっていたので、きれいに洗って物置にしまう。
その次はゴミ出し。裏口の前はちょっとしたスペースになっていて、物置や物干しなどが置いてある。その先は大学構内をぐるっと囲むように走る道路があり、その道路を渡った所にゴミ捨て場がある。なお学食は大学の敷地の端に位置しているので、ゴミ捨て場の周りは芝生や灌木や木が植わっており、その先がフェンスになっている。
ゴミ捨てに行き、戻る途中で、道路の脇に動物の死体があるのを見つけた。よく残飯を狙ってくる野良猫がいたのだが、その猫のようだ。
何か違和感がある。近づいてみて違和感の正体が分かった。猫の死体には首がついていなかったのだ。
「学食としては野良猫に餌はやらないポリシーなんだけど、餌をやる学生がいるから、住み着いちゃうんだよね」
首なしの死体。そういえば胴体もあったと、朝千里さんが言っていたな。これが人間なら、被害者の身分を隠すためとか、入れ替えトリックとか、そういう理由もありそうだけど、猫だからな。
私は黙って千里さんの話しの続きを聞く。
猫の首があったであろう場所は、地面が丸く濡れている。胴のそばにも細長く濡れている部分がある。全体的に地面の他の場所はもうほとんど乾いているので、首が持ち去られたのはそんなに前のことではなさそうだ。千里さんは学食周辺を探してみることにした。例えば営業妨害を目的として、学食入り口にでも飾られていたらたまったものではない。
裏から見て行って、学食正面のメインの通りに出た。学食入り口周辺にはなさそうだ。 とりあえずその場から見える範囲を眺め渡す。見える範囲で、猫の首のようなものはなさそうだ。これ以上の探索は無用かなと千里さんは学食に戻ることを考えた。朝早い時間であり学生の数も少ないとはいえ、特に騒がしい様子もないし。
と思ったら、ベンチに座っている一人の女子学生が、青い顔をしてどこか一点を見つめている。視線を追うと、子猫が二匹、歩きながらパンを食べている学生にまとわりついて、おこぼれに預かろうとしている。ベンチの女子学生は、どうも子猫を見て固まっているようだ。
もしやと思い、千里さんは女子学生に近づく。
「すみません、どこかで猫の死体を見ませんでしたか?茶色の縞模様の。あ、僕は学食で働いている者で、怪しいものじゃございません」
女子学生は、千里さんが近づいたのも気付いていなかったようで、驚いたように千里さんを見る。しばしの絶句の後、やっと口を開く。
「あの、あっちの方に猫のく、首が……。何でそれを……」
「猫の体が落ちていましてね、首を探していたんです。あなたの様子がおかしかったんで声をかけさせて頂きました。ちょっと案内してもらえます?」
そういって千里さんは女子学生に案内をお願いした。道すがら、千里さんはふとポケットに手をやって、持ってきたはずの裏口の鍵がないことに気付いた。あれ、鍵が、と焦っていると、一緒にきょろきょろと辺りを見回して、女子学生が鍵ならあそこに落ちてますよと教えてくれた。見ると見覚えのあるハート形が落ちている。慌てて駆け寄ると、ハートの陰にきちんと鍵がつながっているのが確認できた。施錠忘れに続き鍵の紛失をするところだったと焦る千里さん。
「いやあ、危なかったよ。あんなに目立つキーホルダーが付いているのになくすところだった。猫の祟りは怖い」
「自分の失敗を猫のせいにしないで下さいね」
一応、突っ込むが、黙殺された。千里さんの話は続く。
猫の首のある場所へ着くと、そこには男子学生が、やはりぎょっとした様子で立ちすくんでいた。千里さんはその男子学生に警察に電話をしてもらい、自分は猫の首を見る。模様からして、やはりあの猫のようだ。
そしてそこに私が現れたのだ。私が学生課に行っている間、千里さんは二人の学生と話をしていた。
女子学生は西澤と名乗った。
「朝学校に来て、D号棟に行こうとしてこの道を通りました。何か落ちてると思って見たら、猫の首で。怖くて近寄れないし、ちらっとしか見れなかったんですけど、ともかく誰かを呼ばなきゃと思ってあっちに戻って、でも気分が悪くなって。ベンチで休もうと思って座ったら猫が目の前に現れて、祟られる、と思って怖くて動けずにいたところに声をかけて頂いたんです」
男子学生は黒田と名乗った。
「俺もD号棟に向かってて、同じようにふと見たら猫の首が見えて、うわっと思って固まってたらお二人が来たんで。朝っぱらから嫌なもの見ちゃったなー。警察に電話したの初めてっす」
猫の体が学食裏にあったことを話すと、二人とも学食をよく利用するようで、揃って沈痛な面持ちをしていた。
その後私が学生課から戻って、またすぐにその場を去った後は、学生課の職員と、到着した警察に一通り説明をして、仕事があるからと一旦食堂に戻った。
そして今に至る。
「というお話」
「胴体の第一発見者だったんですね」
ふと気付いて、思わず声を上げる。
「あっ」
「ん?」
「その胴体は今どうなっているんですか?」
「新聞紙に来るんで裏口のそばにおいてあるよ」
途端に裏口のある厨房方面が気になってくる。何か瘴気でも漂っているような。
「そうですか……。それにしても首の観察なんてよく平気ですね。私はもう頭から離れなくて、嫌な夢も見ちゃいました」
嫌な気持ちを吐き出したかったので、ここぞとばかりに夢の話をする。夢に出てきた龍の由来である龍伝説も合わせて説明した。
「ふうん。まあ、猫の首を切った理由なんて、その人に聞いてみないとわからないからねえ。嬉々として殺しただの食用だのといろいろ想像して怖がっててもしょうがない」
「そうなんですけど、私はこの通り決して体が大きくないので、しかも同じ大学内に犯人がいると思うと、少なくとも千里さんよりは狙われる確率が高いですからね。本当の理由を知らないままだと、この不安定な気持ちが治まらないんです」
「まあ、その気持ちはわかるよ。しかしその龍伝説、そっちは分かりやすい理由だね」
「龍王が龍を殺した理由ですか? ルールを破ったからでしょ」
「いや」
千里さんは一口水を飲む。
「龍の体を葬ったのは龍眼寺、龍身寺、龍脚寺。自然に考えるとそれぞれ龍の眼、龍の体、龍の脚、だね。龍が単純に三分割されたという話とそぐわない。龍が眼と体と脚に分割されたことを知られたくない誰かが、嘘の話を広めたんだ。誰かとはもちろん村人で、やましいことがあったので隠そうとしたのだろう。
おそらく村人は雨を降らせろと龍を拷問したんだ。眼をくり抜き、脚を断ち。さしもの龍もその苦痛に耐え切れず、雨を降らせる。しかし拷問を始めたときから龍を助ける気などなかった村人に、龍は殺される。どう?」
「で、でもそれじゃお寺の名前もそんなわかりやすい名前にしないでしょ」
「わかりやすいといっても秋月さんも結城さんも別に疑問に思わなかったんでしょ。であれば何も問題ない」
う、悔しいけど返す言葉もない。
私は昨日この話しを知ったばかりだから、という言い訳が思い浮かんだが、千里さんは今知ったばかりだった。あ、いや、この人のことだから知らない振りして以前から知っていたのかも。いやしかしそんな証拠は示せない。
そんな私の心の声が聞こえた様子もなく、千里さんは話を続ける。
「最初は正直に名前をつけちゃって、そのあと名前変えるのも面倒だったんじゃないかな。中央への届けとか。藪蛇になって役人に何かを感づかれても面倒だし。いや、そんな手続きがあるのかは知らないけど。あるいは、お寺の名前に罪の痕跡を残すことで、せめてもの罪滅ぼしというつもりだったのかもしれない」
「あえてヒントを残しておいて、誰かに断罪してほしかったのですかね。自分から罪を告白する勇気がないから」
「そうかもしれないね。もっとも、殺したのは龍じゃなくて人なんだろうけど」
人? それはつまり……。
「どこからかやってきて沼のほとりに住み着いた人を拷問の果てに殺し、富を手に入れた。そんなところじゃないかな」
「六部殺し……」
六部とは、六十六部の略だ。書き写した六十六部の法華経を、全国六十六の霊場に一部ずつ納める修行者を指す。この六部は道々、農家など一般家庭を訪ね、一夜の宿を請うことが多かったという。
旅の六部を家に泊める農民。六部が大金を持っているのを見てしまったのか、六部というものをうわさに聞いていたのか、大金に目がくらむ。そしてその夜、六部を殺害し、その金品を奪う。奪った金品を元に一時的に富を手に入れるも、その後何らかの祟りを受けることになる。そんな六部殺しの伝説が日本各地に残されているという。この龍伝説もその一種だったのかもしれない。
「それと龍伝説のもう一つ不自然な点は、沼には龍が潜っていられるほど豊富な水がありながら、日照りで困窮したと言っている点だ。人殺しを隠そうとして話をでっち上げたことで、整合性が会わない部分が出てきたんだろう。当時の灌漑技術がどの程度のものかなんて知らないけど、水を引くということはこの国で稲作が始まったころからやってそうなものだ」
人を殺し、報復を恐れて龍と崇めて供養した村人たちには、その後祟りはあったのだろうか。
「龍に憑かれた町」
「ん?」
「この辺りって、龍のオブジェとか、よくあるじゃないですか。あれもこうなると、町全体が龍に憑かれているというようにも感じてきました」
「そうだね。ひょっとしたらその中に眼のない龍や脚のない龍が混ざっているかもしれないねえ」
千里さんはくっくっくと嫌な笑い方をした。眼のない龍を想像して鳥肌が立ってしまった。
「ま、全部僕の勝手な妄想だけどね」
一転、澄ました顔に戻る千里さん。
話が一段落したところで、現実に返る。えーと、何でこんな話になったんだっけ。ああそうだ、話を聞いてもらいたくて、私が夢の話と龍伝説の話をしたのだった。
「そうそう、猫の件が解決するというのは、どういうことなんですか? そっちが本題だった」
千里さんは、ああ、と頷く。
「結論から言うと、あの西澤という女子学生が猫の首を切ったと思われる。理由は知らない」
「はい、では結論が出るまでの過程をお願いします」
それを聞いてみないことには何とも言えない。
「おかしいと感じたのは三点。まずは、彼女が濡れた傘を持っていたこと。今日はこんなにいい天気なのに」
そういえばあの人は傘の水滴でスカートを濡らしていた。
「次は、僕が鍵をなくして焦っていたら、彼女が見つけてくれたこと。あの場所からは、鍵自体はキーホルダーの陰に隠れていたのに、あれが鍵だと彼女はなぜか知っていた」
「落としたところを見ていたのかもしれませんよ」
「僕がベンチのある場所に行ったとき、彼女は子猫を一心に見つめていた。周りの様子を見る余裕はなかったように思う。僕が声をかけたときも、それまで僕の存在に気付いてなかったようだしね。
そして最後の点。ベンチに座ったときに猫が現れて、彼女は祟られると思ったと言った。猫が現れただけで祟られるとは少し過剰な感覚に思える。ひょっとして彼女には、猫に祟られる心当たりがあったんじゃないだろうか」
「でも猫の首を見ただけでもそんな気分になりますよ。現に私もさっきから裏口の方角が気になってしょうがないです」
「でもねえ、あの時彼女が見ていたのは愛らしい子猫だよ。しかも彼女を睨んでいたというようなこともなく、歩いていた人に餌をねだっていただけだ。それに、首を見た時のことも、怖くて近づけなかったし、ちらっとしか見ていない、と言っていた。猫の首を誤って蹴飛ばしたとでも言うならともかく、それだけで祟られてしまうと感じるものかどうか」
「確かに過剰な反応なような。でもそうでもないような……」
「ともかくこれらを総合して考えると、次のような経緯が考えられる。
彼女は昨晩、学食裏で猫を殺した。傘を猫の隣に置き、首を切断する。その際に学食裏口の鍵とキーホルダーを目にしたのだろう。
首と傘はそのままにして帰宅。あえてなのか、単に忘れたのか、理由はわからない。そして今朝、猫の首と傘を回収しに来た。僕が見たときに首の場所と体の隣にそれぞれ丸く濡れた跡と、細長く濡れた跡があったのが、その根拠だ。夜のうちに持って行ったのなら、地面が周りと同じように乾いていたはず。
回収した首はビニール袋に入れ、今朝見た場所に捨てに行った。ベンチに戻り一安心と思っていたところに、僕が声をかけた。あのとき彼女は、自分のやったことが露見したのかとさぞかし焦ったことだろう」
なんだか辻褄は合っている気がするなと思っていると、千里さんがそわそわし出した。ちらちらと厨房の方を見ている。
「どうしたんですか?」
「いや、何でもないよ。ああ、そうだ。このあと警察が来ることになっているんだけど、彼女のおびえ方が尋常じゃないことはきっと警察も気付いて、もう自供させてるんじゃないかと思う。だから警察から何か聞けるかも」
「そうなんですか。私もここにいていいですか?」
「うん、僕は別に構わないよ」
ちょっと待っててと言って千里さんが立ち上がり、厨房に体を向けたところで、スーツ姿の男性が二人、学食に入ってきた。四十代くらいと三十代くらいの二人組み。千里さんの姿を認め、近づいてくる。
「千里さんでしたよね」
四十代くらいの人が言い、赤羽と名乗った。もう一方の人は川崎と名乗った。やはり刑事ということだった。千里さんは振り返り、何かをあきらめたような表情を見せた。
「はい、千里です。朝はどうも。」
「いえ、こちらこそ。早速ですが、責任者の方とお話をしたいのですが、いらっしゃいますか」
「あちらです」
千里さんが刑事二人を連れて厨房に移動する。その後ろを、私も当然のような顔をして着いて行く。厨房の中では、コック服を着た恰幅のよい男性が、なにやら帳簿をめくっていた。
「花山さん、刑事さんが責任者とお話がしたいと」
花山さんと呼ばれた男性は、立ち上がる。
「花山です。ここの責任者をやっています」
刑事二人も名乗り、早速ですが、と赤羽刑事が切り出す。
「猫の首を発見した西澤という女子学生が、自分が猫の首を切って遺棄したと認めました」
「はあ」
気のない返事をする花山さん。花山さんにとっては単に近くで起きただけの関係ない事件だし、そういう反応になるのだろう。でも私にとっては、やはり確定となると少し衝撃的だ。見た目で人を判断できないことなんてわかっているけど、それでもやっぱり普通の人にしか見えなかったあの人が、なぜ、と思う。
「猫の首を切る際には、こちらから包丁を持ち出して使用し、使用後は持ち帰ったと言っています。その裏づけを取りたいのですが、包丁の数をご確認頂けますか」
赤羽刑事の言葉を聞き、こぼれ落ちよとばかりに花山さんの目が大きく見開かれた。
「ここの包丁ですか? でも、ここは誰もいないときは鍵をかけていますよ」
「昨晩、鍵がささっており開いたままになっていたと言っています。その点も事情をお聞きしたいのですが」
「昨晩、君が最後だったよね、千里君」
「ええ」
千里さんはますます観念したような顔になっている。
「閉め忘れました」
「聞いてないよ」
「すみません、言い忘れてました。」
「ふうん」
花山さんの声が冷たくなり、千里さんは神妙に黙りこくっている。さっきそわそわし出したのはこれだったか。
「ということで、昨晩鍵が開いていたのは事実のようです」
花山さんがそう刑事に報告しながら、千里さんと共に棚に向かう。そこに包丁が保管されているのだろう。少し数えた後、やはり一本足りないと、刑事に伝えた。刑事二人も棚を覗き、若い方の川崎刑事が手帳に何やらメモをしている。
「ご協力ありがとうございました。我々はこれで失礼致します」
刑事二人は私たちにそう挨拶し、さっさと厨房を出て行こうとする。思わず私は二人を呼び止めた。
「ちょ、ちょっと待ってください」
「はい、何でしょうか」
「何であの人は猫を殺して、首を切ったのか、教えてもえらえませんか? あの、私も今朝猫の首を見てしまったんです。わけがわからないままこの件のことが頭を占めていて、何も手につかない状態なんです。理由を知らないとこの状態がずっと続きそうで」
刑事二人が少し顔を見合わせ、赤羽刑事がじゃああちらでと言ってテーブル席の方を手で示した。
刑事二人が並んで座り、向かいに花山さん、千里さん、私が座る。赤羽刑事に促され、川崎刑事が手帳を見ながら話し始めた。
「西澤の供述は次のようなものです」
すみません、私が猫の首を切りました。最初は、車で轢いてしまったんです。昨晩、雨の中、車で帰ろうとしてて、学食の裏辺りで。最初は猫だとわからなくて、何かにぶつかったみたいだから車の様子を見ようと思って降りたんです。そしたら猫が倒れていて、ピクリとも動かず、どう見ても即死状態でした。
でも、どう見ても死んでいるのに、にゃあにゃあって鳴き声が聞こえるんです。しかも何重にもだぶって頭の中で響くんです。にゃあにゃあにゃあにゃあにゃあにゃあにゃあにゃあにゃあにゃあにゃあにゃあって。
呪われると思いました。何とかしないとと思って、周りに何かないか探したんです。具体的なアイデアは何もなかったんですけど、ともかくこの状況を何とかできるものがないかと思ったんです
学食の裏口に鍵が刺さっているのが見えました。私は学食をよく使うので、そこから厨房に入れるのだろうというのは想像がつきました。それで思いついたんです。猫の首を切れば鳴き声が止まるだろうと。厨房に入って包丁を一本持って出ました。私が歩いたところは雨で濡れてしまいましたが、置いてあったモップできちんと拭いておきました。
猫のそばに戻ると、やっぱり鳴き声が聞こえます。包丁を首に当て、必死に切りました。意外と刃が通らなかったり、骨も硬かったりで時間がかかりましたが、何とか切り終えました。
でも鳴き声が止まないんです。にゃあにゃあにゃあにゃあにゃあにゃあにゃあにゃあにゃあにゃあにゃあにゃあって。もう駄目だ、逃げよう、そう思って猫の体をそのままにして車に戻り、逃げるように家に帰りました。
一睡もできないまま朝を迎えてしまいましたが、ずっと起きて考えていたおかげでわかりました。猫の首を体から離さないといけなかったんです。だから今朝、早めに学校に来て猫の首を離れたところに持って行ったんです。傘を置きっぱなしにしていたのは、その時気付きました。
首を持っていく先はどこでもよかったんですけど、あまり長く持っていたくなかったので、近くの棟の所に捨てました。おかげでその後は鳴き声は聞こえなくなりました。
「そういうことだったんですか」
恐怖に駆られた挙句の所業だったのか。想像していたような、嬉々として殺した、というようなものよりよほど理解ができる。手品のタネを聞いたような気分だ。聞いてみると、ああなんだ、そんなことか、という。
やっと肩の力が抜けた。ただ、猫の鳴き声がずっと聞こえるというのは、別の意味で怖いけど。
「その子は妙な薬でもやっていたんですかね」
花山さんが顔をしかめている。
「検査する予定です。飲酒運転も疑っていますが、こちらは事後では立証は難しいので何とも」
「その鳴き声のことなら、子猫ですよ。少なくとも二匹はいたから、だぶって聞こえたというのも説明がつく」
「あ、なるほど」
千里さんの言葉に川崎刑事と私がそろって声を上げた。それを合図にしたように、赤羽刑事が腰を上げる。
「よろしいですかね。我々はこれで失礼しますよ」
「あ、はい。ありがとうございました。」
二人が出て行き、学食は束の間の静寂に包まれる。
「ふむ、秋月さんもすっきりしたことだし、我々もこれで失礼するとしましょうか」
「千里くんには話があるので勝手に帰らないように」
二人の会話を聞きながら、夜は悪夢を見なくてすみそうだと考えていた。
「じゃあ私は帰りますね。お邪魔しました。話聞いてもらったり、聞かせてもらったりできて、とても救われました。」
二人に向かってぺこりとお辞儀をして学食を後にした。千里さんには冷たい気がしたが、施錠忘れに私は全く関わっていないのでしょうがない。話を聞く限り擁護の仕様もない。
外は日が翳りつつあるが、相変わらずの青空が気持ちいい。その空の下、猫首騒動など何も知らない学生たちが闊歩している。私もその中に交じり、駅へ向かった。
翌日、千里さんから連絡をもらい、学食の裏を訪れた。
「警察から猫の首をもらってね、体と一緒に埋めたんだ。ちなみに大学の許可はもらってるよ」
そう言ってゴミ捨て場の脇を指さした。
「へえ、意外と感傷的になってるんですね」
「ん? 何が?」
「だって、わざわざ首と体を一緒に埋めたんでしょ」
「わざわざというか……。別々に埋める方がわざわざ、でしょ」
それもそうか。と思ったところで、何かが頭に引っかかった。
「ともかくこれで供養が終わり、猫が祟ることもなくなっただろうから、本件はこれにて一件落着、ということで」
猫の墓に向かって形ばかり手を合わせ、少し黙祷する。私も特に信心深いわけではないが、千里さんの言う通りこれで一件落着という気持ちになった。少なくともそういう区切りをつけるという意味で、こういった儀式は意味のあるものなのだろう。
「あの後、大丈夫でしたか?」
「あの後? ああ、施錠忘れの件ね。まあ、普段の仕事っぷりが真面目で、そつもなければぬかりもないから、大して怒られてないよ。悪いことほど早く報告するもんだって言われたくらい」
「へえ」
そういえば千里さんと話すのはいつも夕方だから、千里さんが働いているところって見たことないな。
「断罪されてすっきりしました?」
龍を殺した村人たちが本当は断罪されることを望んでいたのではと想像したことを思い出す。
千里さんは裏口に目をやり、誰もいないのを確認して、少しばかり声を潜める。
「こう言っちゃ何だけど、そもそも大して罪の意識に苛まれていなかったからね。すっきりも何もない。あの西澤という子は警察に話してすっきりしたかもしれないけどね」
その夜、シャワーヘッドに小さい龍がいる光景を想像しながらお風呂に入っている時、唐突に思い至った。
村人は龍をわざわざ三つのお寺に分けて葬ったのだ。それはまるで、体を一箇所に集めておくことで龍が復活するのを恐れたかのように思える。あの女子学生が猫の首を遠くに持って行ったように。あるいは、将門の首を人々が恐れたように。
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