第4話死【わかれ】
浜内 愛
もうカウントダウンは始まっている。
私はおじさんとできるだけ一緒に居ることを決めた。あれから脳の腫瘍がもとになった発作は起きていない。
発作が起きていないときのおじさんは普通だ。しかし、こんな状態だからどこにも行けない。おじさんの話だと発作の前兆は何も無いみたいで、直前にならないと分からないみたい。
西風が強い日だった。食材を買いに外に出かけて帰ってきたら、おじさんは布団を畳の部屋にひいて寝ていた。
嫌な予感がした。体を触っても反応が無い。発作だ。まだ暫く発作は短時間で意識は回復するようだけど、時間は徐々に長くなってくる。最後には眠り続けて起きられなくなる。
5時間後、おじさんは気が付いた。
「どれくらい寝ていた」
「5時間くらい」
もう夜になっていた。窓の外は雪が降っている。
話したいことはいっぱいある。有り過ぎて何を話しして良いか分からない。
おじさんは台所に行って水を飲んだ。台所の椅子に座って「今日はもう大丈夫だろ、早めに休んでくれ」
そうすることにした。
部屋に入って一人になる。
眠れない。階段を下りて畳の部屋に行く。ゆっくり襖を開ける。
おじさんは普通に寝ていた。
すぐ横に座った。アパートに居る時には、毎日これ位の距離で一緒に寝ていた。
でも、こんなに長くおじさんの姿を見ているのは初めて。忘れたくない。生きていてほしい。
叶うはずも無いお願い事をしていた。
おじさんが目を覚ました。
「あれ今何時だ。居てくれたんだ。ありがと」
「おじさんが居なくなったらどうすればいいの」私がおじさんに問いた。
「もう大丈夫だろ。佳菜子もいるし、友莉ちゃんや唯ちゃんも。以前のように一人だけじゃない。それに愛は僕に助けられたと思っているかも知れないけど、実は、愛は僕を助けてくれていたんだ。感謝しているよ」
「でも、これからどうすれば」
「十分、道案内はしたつもりだ。これから先の分かれ道は、愛自身が選ぶんだ」
「でも」
「大丈夫」とおじさんは言ってくれた。
でも不安だった。不安を察してかおじさんは手を握ってくれた。私はそのままおじさんの胸にもたれた。これが最後かもしれない。
「ほんの少しだけ時間はあるよ」おじさんは私の考えている事が分かったように答えてくれた。少し安心した。
ゆっくり時間が流れていく。
部屋の外が明るくなってきた。私は立ち上がって台所に行ってお湯を沸かして朝食の準備をする。
おじさんが話しかけてきた。
「愛、出会った頃に戻った気がする。嬉しい時は笑っていいし、悲しい時は泣いていいんだ。我慢することない」
おじさんの病気が分かってから何かを忘れてしまっている。
その日の夜。おじさんがお風呂から出てきたら発作が起きた。そのままおじさんは服を着て、畳の部屋で布団をひいて横になった。
暫くしたらおじさんは深い眠りについた。
今度の眠りは長い。夜が明けてもまだ眠っている。時間がたてばたつほど不安が膨らむ。
佳菜子さんに連絡するか考えていたら、夜になった。外は雨が降っている。
部屋を暖かくし過ぎたのかおじさんがうっすら汗をかいている。
お湯とタオルを持って来ておじさんの体を拭いてあげる。
感情が込み上げてくる。
「おじさん。起きてよ。起きてよ」何度も言葉を繰り返す。自然に手に力が入る。
「い。痛いよ愛」おじさんが起きてくれた。
私の中でおじさんを思う気持ちが、理性と羞恥心を超えた。服を脱ぎ棄て、おじさんの胸板に体を預けた。
「今日が最後かもしれない。ごめんな。初めて会った時から好きになったのかも知れない」
「私も、会った時からずっと好きだった。ずっと一緒に居たかった」
「僕も。ありがと」
おじさんは私を抱きしめてくれた。私も身体を預けて答えた。暖かい。
ずっとおじさんと一つになりたかった。
おじさんの力が抜けた。私も体を起こす。発作が起きている。おじさんは最後かもしれないと言っていた。
窓の外はいつの間にか雨が雪に変わって降っている。薄っすらと木の上に積もっている。
朝になったら佳菜子さんに電話しなくては。恐らくこのまま病院に行く事になると思う。
おじさんの体を、もう一度奇麗に拭いてあげた。
朝になるとおじさんは雪道を救急車に乗って病院に向かった。そのまま入院した。
やっぱり、私が見える物から色が抜けている。学校の時も、アルバイトの時も感情が出てこない。
周りに迷惑かけないようにはしているつもりだけど、周りは元気が無いように見えているみたい。
殆ど病院に居て、もしかしたら、おじさんが目を覚ますのではないか。
入院して暫くしてから、バイトが終わって学校が休みで病院に行った。おじさんの姿を見て吐き気がおきた。管が沢山おじさんの体に繋がれている。可哀そう。
生命維持には必要らしい。
おじさんの意識は回復しなかったけど、入院してから、2ヶ月頑張ってくれた。丁度、公園でおじさんと初めて会った日付だった。
直ぐに葬儀になった。
葬儀に来てくれた人の顔は見られなかった。
結愛ちゃんは号泣していた。
アパートに居た時、おじさんが仕事していた映画関係の人で、監督と江口さんが来てくれた。江口さんは話しかけてきてくれたけど、答える事ができなかった。
近所の人達。おじさんの以前仕事していた関係の人。おじさんの旧友。全ての人がおじさんの早すぎる死を惜しんでくれた。
火葬場で、最後に棺に私が編んだマフラーを入れた。横で結愛ちゃんが泣いている。
棺の蓋が締められ台車に乗って小さな部屋の中に入っていた。
数時間後、台車の上にあった棺は跡形も無くなっている。残っている骨の欠片を見て私は気を失った。
気が付いたら葬儀場の待合室だった。全てが終わったらしい。
「お兄ちゃんあなたが持ってあげて」佳菜子さんが白無垢の布に包まれたおじさんの骨壺を私に持たせてくれた。
やっと家に帰ってきた。佳菜子さんが遺影を仏壇の前に置いた。おじさんの骨壺をその横に並べた。
私と佳菜子さんは、二人とも遺影を見ている。
また気持ち悪くなった。
佳菜子さんが「明日病院行くわよ。お兄ちゃんの子」訳が分からなかった。
次の日、佳菜子さんに連れられて病院に来た。やはり赤ちゃんが順調に育っていた。
佳菜子さんに最後の夜のことを話しした。
佳菜子さんは「絶対産むわよ。誰がどう反対しても」怖い顔して、真剣に。
私は、まだ不安で、どうしていいか分からい。
その日の夜。一人になった。一日の殆どを仏壇の前にいた。時々お線香をたいてあげる。
お腹におじさんの赤ちゃんが居る。おじさんからの最後の贈り物。お腹に手を置いた。
目の前にある白無垢の袋を開けて桐の箱、陶器の壺を開けてやっとおじさんの骨が見えてきた。
骨壺から小さな欠片を手に取った。
両手で軽く持って胸の前で『おじさんお願い。一緒に居て』ゆっくり骨の欠片を口の中に入れた。
目を瞑り、コリコリ歯で砕く。口の中で少しずつ溶けていく。味なんて気にならない。少しずつ飲み込んでいく。
身体の中におじさんがしみ込んでくる。計り知れない嬉しさと、失った悲しみ。感情が込みあがってくる。涙が流れ落ちる。
蓋が開いた骨壺を抱きしめた。生まれて初めて本気で声を出して泣いた。涙がおじさんの上に落ちていく。
誰かに肩を叩かれた気がした。
見える世界に色がゆっくり戻ってくる。
骨壺の中の涙がおじさんの骨に滲み込んでいく。これでホントにおじさんと一つになれたと思った。
『こんな時おじさんならどうする』私の中で未来が見えたような気がした。
直ぐに行動を起こす。家の中を見回る。玄関を開けた。朝になっている。外の水溜まりには氷が張っていた。寒い。
そうだ、一番に考えないといけないのはこの子の事だ。お腹を押さえた。
私も絶対に産みたい。いったん家の中に入って仏壇の前に来てお線香をあげた。
『ありがと。おじさん』
佳菜子さんが朝早くからやってきた。
朝ご飯を作ってきてくれた。一緒に台所でおにぎりと卵焼きと二人で食べながら。
「お兄ちゃんの遺言見つけたの。私宛の物には、あなたが二十歳になった時に二人で話し合って決める。但し、あなたがこの家を出る場合は家を除いた財産を半分ずつ分けることになっている。それと、あなたの事を頼むって」
「私は、ここを出るつもりはありません。この子が居る限り一生守っていきます。佳菜子さんには迷惑かけるかも知れませんがよろしくお願いします」フロアーに正座して佳菜子さんに向かって頭を下げた。
佳菜子さんは目を潤ませながら「こっちこそお兄ちゃんをありがとうね。二人で頑張りましょう」私を立たせて椅子に座らせて言ってくれた。
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