第二話 道端の溝の中で殺した、らしい (篠島百合香 三十二歳 サービス業)

 私が作家であることは、会社の同僚の誰もが知っている。


 趣味で始めたWEB小説が想定外の評価を受けて出版されることになった時、就業規則に兼業禁止という文言があったことを思い出して、念のために総務に兼業許可申請したからである。

 結果として、フリーランスの出版契約は兼業とは見なされなかったが、そこから何となく噂として広まったらしい。

 ただ、さすがに個人的な趣味全開の「百合作家」であることが知られるのは不味かろうと判断したのか、総務の誰かさんもペンネームまでは情報公開しなかった。

 私も聞かれた時には「一応覆面作家ですから、自分で探してくださいな」と言っている。別にばれてもかまわないのだけれど、なんとなく面白い。

 現在、三十二歳の未婚。

 百合であることがばれたら将来が危ぶまれるのでは、と心配する向きもあるかもしれないが、私は問題ない。既にお相手は三人いて、後は「最終的に誰を選ぶか」だけになっている。

 会社の後輩の男性は将来の幹部候補の最有力で、社内の女性全員が狙っているものの、既に裏で私が手をつけた。彼の妹が私の百合仲間である。

 取引先の御曹司は三代目のわりに商才があり、社長就任後は業績を飛躍的に向上させるのではないかと期待されている。こちらは母親が百合仲間だ。

 親戚の叔父様は地元有数の資産家で、一人娘が先立ってしまったために私と顔を合わせるたびに養女にならないかと言ってくる。まだ高校生の孫が私の百合仲間だった。

 いずれの場合も、結婚しようが養子縁組しようが、百合環境は揺るがない。


 ということで、なんとなく居心地の良い状況を私はずるずると続けていた。


 *


 ところで、会社の後輩にKさんという「女の子」がいる。(といっても私の二つ下なので、ぎりぎりアウトだが)


 最初は住んでいるところが近いために顔見知りになったのだけれど、この子がどうやって調べたのか分からないものの、「覆面作家」である私の行状を会社の中で知っている二人目の人物になった。

 私の小説で百合に目覚めたらしいが、まだまだ半人前で危なっかしいところがある。

 しかも仕事の上では非常に優秀なのだけれど、自己承認欲求が極めて強い「かまってちゃん」で、さらには、

「私も先輩の小説に主人公として出してほしいぃ」

 と言って五月蝿い。

 それで、どんな主人公が良いのか聞いてみたところ、

「えっとぉ、眉目秀麗の成績優秀でぇ、もてもてでぇ、悪い奴を片っ端から逮捕してですねぇ、もう優秀すぎてどうしたらいいのか分からない、みたいなぁ……」

 などとのたまう。

 もう、うざすぎてどうしていいのか分からない。

 基本がドSの女王様体質である私は、上から目線全開で、

「そんな嘘っぽい設定なんて面白くもないでしょう?」

 と言い捨ててみるが、Kさんはへこたれない。

「ええっ、いいじゃないですかぁ。それにぃ、私がモデルなんだからぁ、必然的にそうなるんじゃないですかねぇ、みたいなぁ。えへへ」

 えへへ、ではない。

 自己承認欲求が強い上に、セルフイメージが過剰に美化されている人間というのは、傍で見ていて実に鬱陶しい。

「それでぇ、いつ書いてくれますかぁ」

 と顔を合わせるたびに言うものだから――


 いつかどこかで痛い目にあってもらおうと思っていた。


 *


 ある日、仕事が一区切りついたので自宅でのんびりとしていた時のことである。


 そろそろ三人のお相手の中から一人だけを選ぶ頃合で、そのために何か生活の中で区切りをつけようかと考えた。

 そこで思いついたのが、これまで百合関係だけだった小説に新機軸を追加することである。

 とはいえ守備範囲とは全然異なる分野にいきなり進出するのも大変なので、ドSの女王様体質というのを利用してみることにする。

 さらには「知り合いを小説の中に登場させて物語を作ると、それが現実になる能力」というのを想定してみた。

 書き出してみると、なかなか面白い背景設定のように思えてくる。それに、百合小説には出しにくかった知り合い関係――特にKさんを登場させるには、うってつけの素材のように思えてならない。

 そこでKさんには実名のまま、そのままの性格で登場して頂いて、「女王様にお仕置きされる下僕げぼく役として、鞭をたんまり背中に浴びて頂く」ことにした。

 書いていて実に楽しい。

 知り合いをそのままモデルにするというのは初めてだったけれど、意外によいものだ。

 あっという間に中篇を一つ完成させてしまったので、速やかにWEB上で公開した。


 ぽちっ、とな。


 直後、電話がかかってきた。Kさんである。

 私が電話に出ると、

「ひどいじゃないですかぁ――」

 といきなり言われた。

「――確かにぃ、小説に出して下さいとは言いましたがぁ、下僕扱いは止めてくださいよぅ」

 泣き言を言っている声がなんだか弱弱しいので、その理由を訊ねてみると、

「急に背中が猛烈に痛くなったんですよぅ。まるで鞭に打たれたみたいなんですぅ。これから医者に行きますけどぉ。それより、次はちゃんとした役でお願いしますねぇ」

「ああ、なんか御免」


 私が謝ると同時に、電話は切れた。


 *


 釈然としないまま、私は冷蔵庫に残っていた食材を使って、炊飯器で海南鶏飯ハイナンジーファンを作り始める。

 炊飯器から立ち上る湯気を見つめていると、先刻のやりとりが次第に理不尽に思えてきた。


 私は彼女に約束した通りに小説に出した。

 それに、どんな役にするかは約束していなかったはずだ。

 それなのに謝らなければならなくなった。

 本来は感謝されてもおかしくない筈である。

 どう考えても理不尽だ。


 それでKさんには、次の作品の中で「臓物を撒き散らしながら、暗い路地の排水溝の中で死んで」頂くことにする。

 我ながら詳細かつ凄惨な描写となり、筆があれよあれよという間に進む。

 気がついたら海南鶏飯が炊き上がる前に、中篇が出来上がっていた。

 実に良い仕上がりである。

 そんなことを考えているうちに海南鶏飯も完成した。

 実に僥倖だ。

 満足感に浸りながら、私は登録ボタンを押した。


 ぽちっ、とな。


 その後、何処か近所のその辺で鳴っている微かな救急車とパトカーのサイレンを聞きながら、

「あのお三方にも死んで頂こうかしら。ついでにWEB小説サイトの運営も。えへへ」

 ということを考えながら食べた海南鶏飯は、格別に美味しかった。


( 終わり )

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