第7話 守護りを解いて進み行け


「…何者だ。名乗れ」

ソルデッド家、南館一階、廊下。

ガルディ=ソルデッドは機嫌が悪かった。

一つは、半年もかけて用意した姉の二百歳の誕生日パーティが、父の死によって中止されたこと。

それから今日、その何よりも大切な姉が、ほぼ初対面の弟を家に招いたこと。

そして―――

「名乗れと言っている。無断で姉上の屋敷に入った不届き者めが」

謎の侵入者。

廊下を歩いていた彼の背後に、突然現れたその気配。

ガルディの体は動かない。その気配を感じた瞬間から、金縛りにでもあったかのように、ぴくりとも動かせない。

それでも彼は、焦りを見せずに影に問うた。

その背後で、彼、もしくは彼女はやっと答える。

「ふふ――、ガルディ第六王子。無断で入ったことは詫びよう。だがここには、貴方にひとつ、いいことをお教えしようと参ったのだ」

少女の声、であるように聞こえた。

だが分からない。

相手は、このソルデッド家の防犯結界を破って侵入する輩だ。魔法に精通しているのは明らか、その声、あるいは姿も、偽りである可能性は高い。

この状況が相当にまずいことは、ガルディにも分かっていた。

「いいこと…だと?是非ご教授願いたいものだ」

ガルディは答える。相変わらず体は動かない。今襲いかかられでもしたら、勝ち目など万にひとつもないだろう。

「ではお教えしよう。あまり時間もないのでね。貴殿の姉、シルヴィア王女のことだが」

「……!」

「――シルヴィア王女は、本当は王女ではないのだろう?」

ガルディの血圧が上がる。…それは。そのことは…!

「シルヴィア王女は、王女ではない。魔王の娘ではない。ソルデッド家の長女、でもないし、ましてや貴方の姉でも、…ない」

それは。

それは、なのに…!

ガルディは初めて、その無表情を崩した。

「…なんだ」

ふふふふふ、と。

背後の影は、厭らしく嗤う。

心底、愉快で愉快でたまらないというように。

「知っていたのか、ガルディ王子は!」

…そうとも、知っていた。

姉上が本当の姉上でないことも。

姉上に本当は、王位継承権などないことも。

影は嗤い続ける。

こんな展開が大好きだと、魂から叫ぶように。

「それならば話は早い。ガルディ王子よ、本当のではない姉の補佐などしていないで、我ら堕天使同盟に――」

そこで。

どーーーーーん、と、凄まじい音がした。

「…!」

庭の森林部。姉上が、九番目と向かった方角。

「…派手だな、メルの奴。失敗したか…?」

影が小声で呟く。

その注意が逸れた瞬間を、ガルディは見逃さなかった。

「まあいい。どうだガルディ王子、我ら堕天使同盟に――」

言いかけた影が、両断される。

それは水で造られた剣。水を刃にまで磨き上げる、水魔法の究極。

(ちっ…、本物ではないのか…!)

影を斬った剣が、魔力に戻って空気に溶ける。

そして胴を切断されたそれは、消えかけながらもまだ、嗤っていた。

それは影そのものだった。かろうじて少女の形を模した紛い物。

(おそらく、本物はどこか遠くに…)

「乱暴だな、ガルディ王子。折角我らが、貴方を王にして差し上げようと言っているのに」

「戯れ言を。王になるのは俺ではない、姉上だ!」

影は尚も嗤う。

「それが、本当の姉ではないとしてもか」

「五月蝿い、そんなことが俺が姉上を裏切る理由になるとでも思ったのか?そんなことは疾うに知っている。いいか堕天使同盟とやら、分からぬのなら言ってやろう。俺の姉弟は姉上だけだ、姉上の姉弟も俺だけだ!」

影は風に紛れ、揺らいで、薄らいでいく。

「失せろ、堕天使同盟!姉上の国を乱す愚か者どもが!」

影は消える。

塵となるその一瞬、少女の姿をしていたものは呟いた。

「――やはり、そう上手くはいかないものか――」

誰もいなくなった廊下で、ガルディはため息をついた。

堕天使同盟。一生秘匿しなければならないソルデッドの秘密。

…いや、今はそれよりも。

「…姉上!」

姉と九番目が向かった森林の方へ、ガルディは駆け出した。


南館の正面玄関から、森に向かう小径こみちに出てすぐ。

ガルディの視界に、白い翼が映った。

「ガルディくんかーい?久しぶり!」

呑気な笑顔で、目の前に舞い降りて来る天使。

片翼だからか、着地の動作が危うい。

「…九番目のところの天使か」

ガルディが彼に会ったのは、九番目の生誕式のときだけだ。だが、魔界で白い翼を持つ者など彼しかいないのだから、間違えるはずもない。

「ガルディくん、うちの宙矢を知らないかい?シルヴィアちゃんと一緒にいると思うんだけど」

構わず歩を進めようとしたガルディは、一度振り返ってその天使を睨み付けざるを得なかった。

「…おい、姉上に対してそんな馴れ馴れしい呼び方をするな」

「ご、ごめんって。そんなに睨まないでよー」

「………」

どうも怒りにくい。天使というのは皆このようにへらへらふわふわしているものなのか。

何にしろ、怒っている場合ではないのも確かだ。

「姉上と九番目は森に行った。恐らくはあの入江だろう。…だが先ほど、尋常じゃない音がした。今様子を見に行くところだ」

そう説明すれば、天使は目に見えて慌て始めた。

「えっ、それまさか宙矢に何かあったってこと!?うう嘘だろっ!?」

「まだ分からない、心配ならついてくればいい。……そう言えば天使、お前どこから入ってきた」

「ど…どこからって、普通に空からだけど……、そ、それより宙矢は…」

(…結界が解けている?先ほどの堕天使同盟とかいう輩の仕業か…?)

嫌な予感がする。あれは諦めの良いようには見えなかった。

「…急ぐぞ、天使。何かあってからでは遅い」

ガルディは再び駆け出す。

白衣の天使もそれを追いかけた。

――――が。

森の中、もうすぐで入江、というところで。

小径こみちは、行く手を阻まれていた。

「……なんだこれは!」

半透明のシールド、それが道を遮っている。

これが結界だということは分かる、だがその規模が異常だった。左右を見ても、木々を断つようにしてどこまでも、結界は続いている。上も同じだ、恐らくは球状に入江を囲んでいる。

「…これ、上からも見えてたけど。ソルデッド家の結界じゃないのかい?」

天使が言う。さすがにもう呑気にしてはいなかった。

「阿呆、庭に結界を張るくらいなら館に張るに決まっているだろう」

そう言いながらガルディは、その手を結界に伸ばす。あまり得意ではないが、結界の解き方は一応心得ている。

それを構成する魔力の中から、ガルディが操れる水の魔力を抜いてやるのだ。そうすれば、結界は自壊する。

…しかし。

「……っ!?」

ばちっ、と指が跳ね返される。

見れば指先は、まるでそこだけ漂白されたかのように真っ白になっていた。

「な……、どうなっている…!」

指の感覚は少しずつ戻り、本来の色に戻っていくものの。

触れられない。

この結界を解く方法は、全く見当がつかない。

「……くそ、俺がもっと結界術に精通していれば」

「違うよ、ガルディくん」

傍らの天使が言った。

結界を見つめながら、信じられない、という顔で。

「この結界は魔族には解けない。どうやってもだ。神気結界だよ、これは」

「……神気結界?天界の技術か?」

天使は結界に触れる。ガルディのときとは違って、その手は拒絶されなかった。

「…すごく上等な神気だ。それなのに組み方が甘いし滅茶苦茶。幼稚園児がやったみたいだな」

「良く分からないが天使、お前なら解けるのか」

僅かな希望を持ってそう訊くが、それは簡単に打ち砕かれた。

天使は難しい顔をして結界を見つめている。

「どうだろう…、今の俺じゃあちょっと。全力でいけばできるかもしれないけど、…後が怖いな」

「……つまり、できないのか」

「………いや」

天使は結界の奥を、ずっと見ている。その向こうの九番目を案じているのだと、ガルディには分かった。自分が姉上を案じるのと、ちょうど同じように。

「やるだけはやる。俺のことよりまずは宙矢だ」

天使は、覚悟を決めたようだった。




「と…閉じ込められたって、どういうことだシルヴィア」

洞窟の中。すぐそこに出口の光があるのに、出ることは叶わなかった。

結界、と。

この謎の半透明の壁を、シルヴィアはそう表現した。

「結界って…」

「結界とは、魔力で編み上げた壁のことだ。簡単なものなら、解くのはそう難しくないが…」

シルヴィアはううん、と考え込む。

「…なんだこれは?こんな結界は見たことがない。何の魔力でできている…?」

シルヴィアはその、謎の結界に触る……いや、触ろうとしたところで、弾かれる。

ちょうど静電気が流れたように、シルヴィアは慌てて指を引っ込めた。

「だ、大丈夫かシルヴィア!」

「…大丈夫だ。触ったらだめだぞ、宙矢は」

シルヴィアは白くなった指先をさすりながら言う。

「な、何なんだよ、何がどうなってるんだ…?」

閉じ込められた……?誰に、何でだ?

「恐らくは、あの噴水を起こしたのと同じ者の仕業だろう。狙いは………私、だろうな」

シルヴィアは暗い声で言う。

そうだ、こんなに気さくな感じでもシルヴィアは最有力の魔王候補なのだ。いつ誰に狙われてもおかしくはない。

シルヴィアの表情は暗い。

みんな仲良く、を掲げる彼女には、自分の命を狙う者がいるという事実はかなり重いのかもしれない。

「…すまない、宙矢。巻き込んでしまった」

シルヴィアは泣きそうな声で言う。

天真爛漫な彼女がそんな風にしているのは、何だか何かが間違っていると、俺は思った。

「だ、大丈夫だって、シルヴィア。気にしてないよ、シルヴィアのせいじゃないだろ?」

少しでも元気づけたくて、彼女に声をかける。

「俺、いきなり魔界に来ることになってちょっと不安だったんだけど、シルヴィアのおかげで魔界も結構楽しいとこなんだなって思えたんだよ。そりゃ今はこんなことになってるけど、シルヴィアと一緒だからそんなに怖くないし」

「………本当か?宙矢」

シルヴィアは顔を上げる。

「本当だって。シルヴィアが姉で良かったよ」

シルヴィアの顔が晴れていく。

シルヴィアは表情がころころ変わる、落ち込んでもすぐに立ち直る。きっとそれが彼女の強さだ。

「…ありがとう、宙矢。そうだな、今は落ち込んでいる場合じゃない。こんなときだからこそ明るくいこう」

シルヴィアはぐにゃぐにゃに見える外の方を向く。

「大丈夫だ。私の姿が見えなければガルディが探しに来る。そうなればすぐにソルデッドで一番の結界術使いが呼ばれるだろうから、それまで待とう、宙矢」

シルヴィアはいつものように強気に笑ってみせる。とりあえず、いつもの調子に戻ってくれたようだ。

「そうだ、さっきの話の続きでもしていようか。何を話していたんだったか――」

だが、俺とシルヴィアが話を続けることはできなかった。

そのとき。

結界の壁の向こう側に、人影が現れたからだ。

「…ガルディか?」

シルヴィアが呼び掛ける。

ガルディさんであるはずはなかった。

向こう側の景色が凸レンズを通したように歪んでいるのを差し引いても、その人物は良く見えない。

何というのか、かたちが良く分からない。もやもやとして、定まっていないそれは、強いて言えば少女の姿に見える。

「…メル?」

違う、だろう。もちろん、メルはこんな妖怪じみた姿じゃない。

でも何故かその影は、見た瞬間メルに思えたのだ。

「…宙矢、私の後ろに」

シルヴィアが俺を背に隠す。シルヴィアは、これを危険なものと判断したようだ。

不安が増す。

状況的に、シルヴィアに止めを刺しに来たようにしか思えない。

警戒する俺たちの視線の先で、影は呟いた。

「…あの馬鹿。容赦をするなと言ったのに」

そして影は、分散した。

霧のように、空気に紛れて四散した。

「な…んだ?いなくなった?」

シルヴィアはまだ息を詰めて、影のあった場所を警戒している。

「帰った…のか?」

「いや…」

ずずずずず、と異音がした。

それが何なのか、気づくのはシルヴィアの方が速かった。

はっ、とシルヴィアが息を飲む。

「宙矢、危ないっ!」

「…え、」

シルヴィアは体ごと俺に覆い被さった。

その後ろから、洞窟の天井がスローモーションのように近づいて来るのを見て、ようやく俺は理解した。

崩壊、

するかもしれないのだと、確かにシルヴィアは言っていたじゃないか。

「…シルヴィア!」

このままではシルヴィアは、どうなるのか。

分かり切っている。

岩に押し潰されて、無事でいられるはずなんてない。

(どうにかして、シルヴィアを――)

助けなければ。

(でも、俺には、どうすることも――)


ほんとうにできないのか、と、誰かが言った。


守られてばかりで良いのか、と、その声は言った。


(守られて、ばかり――?)


そうだ。お前が生まれて来れたのも。お前が生きて来られたのも。


あの女は命をかけた。あの天使は運命をかけた。そうまでしてお前を守ろうとした。


だが、本当にそのままでいいのか?そう訊いているのだ、合の子よ――


(分からない、けど)

(シルヴィアを、)

(できるなら、俺が助けなくちゃ――)


…いいだろう、あの女への釣り銭ということにしてやろう。


最初だけ、その守護を解いてやる――


岩がシルヴィアの後頭部に迫る。

そこから先は覚えていない。

ただ、視界が真っ白になって、額が熱くなった気がした。

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