第2話 いざ我らが故郷なる魔界


「で、魔界ってどうやって行くんだよ、リエル」

七月二十二日、夕方四時。夏だからまだ空は明るい。俺は青い角が目立たないように気をつけながら、バルコニーに出て少し橙がかった空を見ていた。

会議の始まる時間まであと二時間だ。

正式な場なので、俺は学生服、リエルは天使の正装だという白いひらひらした服を着ている。

「空の上に、魔界に繋がるワープゾーンみたいなのがあるんだよ。そこまでは飛んでいくか、浮遊魔法を使うかだな」

いきなり出て来た魔法とかいうワードは、もうこの際スルーするとして。

「え、俺どっちもできないんだけど。まさか、リエルに運ばれて行くのか?」

「いやいや無理無理。アイハちゃんならできるかもしれないけど、俺、見ての通りの片翼だからね。一人で飛ぶのが精一杯だよ」

「…そういえば、何でリエルの翼って片方しかないんだ?」

リエルは今は翼を出している。やっぱり向かって右側にしか翼は生えていない。

「んー、ちょっと昔ね。若気の至りってやつだよなー」

若気の至りで翼がなくなるのか…?

「俺、リエルが翼出してるとこ、この前初めて見たんだけど」

「だって人として暮らす分には必要ないし。というか片方しかないとバランス悪いし飛びづらいし、使い勝手良くないんだよね」

見栄えも悪いし、とリエルは小声で付け足した。

なるほど。確かにそれでは俺を運んでいくわけにもいかないのか。

「じゃあどうすんだ?その…浮遊魔法?ってのをかけるのか?」

「あ、それも無理。俺天使だもん、魔法なんて使えないよ」

「そ、それじゃマジでどうすんだ」

「大丈夫大丈夫、俺が昨日一人で魔界に行って、ちゃんと迎えを頼んでおいたからね」

「え、パチンコ行ってたんじゃなかったのか?」

「ひどい宙矢、俺のことなんだと思ってるんだ!?」

何って、ダメニート天使だと思っている。働いてるとこ見たことない。

と、そこで。

ぱああ、と、空が眩く光った気がした。

「ん?今のは…」

「あ、お出ましかなー?」

目を凝らすと、雲の向こうに薄緑色に光るモノがあるような。

「今の光は魔界へのゲートが開いたしるしなんだ。それで、あれがお迎えだね」

薄緑色のモノ…いや人影はだんだんこっちに近づいてくる。

「やっほーガジェ!こっちだよー」

リエルが人影に向けて手を振り始めた。

「迎えの人…人?ってリエルの友達なのか?」

「うんそう、ガジェット………あれ?」

リエルは首を傾けた。

「ガジェットじゃない?」

「え、違う人なのか!?」

人影……彼女はもうそこまで来ていた。

ようやく俺は、薄緑色の光が何なのか理解する。

あれは羽だ。

といってももちろん、天使の白い羽でも斑の鳥の羽でもなく、向こうが透けるほど薄い絹のような羽……それが薄緑色に光っているのだ。

彼女は優雅にバルコニーに舞い降りた。

「お初にお目にかかります、リエルさま、宙矢兄さま」

……兄さま?

「わたくし、レーシェル=コーツと申します。ガジェット兄さまの代わりにお迎えに上がりました」

「ああ」

リエルが合点がいったという風に手を叩く。

「ガジェの妹さんかあ!てことは、君が十一番目の…」

「はい」

「え、ちょっと待ったっ」

十一番目というのはつまり、このかわいらしい女の子が、

「……第十一王女?」

レーシェルちゃんはにこにこしながら頷く。

「はい、第十一王女のレーシェル=コーツです。あなたが宙矢兄さま、でしょう?」

「あ、うん、そう、だけど…」

……え、十番目と十一番目でこうも違うものか!?

レーシェルちゃんは……、ふわふわの金髪を背中に流し、翠色の瞳を細めて微笑い、白い上品なワンピースドレスを纏った…、うん、どこからどう見ても完璧な美少女だ。

…うん、かわいい。

「あれ、ガジェは?」

リエルが訊く。

「ガジェ兄さまは…、ええと、用事が…」

どうやらリエルの友人のガジェという人が、レーシェルちゃんの兄らしい、が…。

「ガジェが?用事だって?」

「ええと、ですね…」

レーシェルちゃんは困ったように眉を寄せる。

「……その。面倒くさいから来たくないそうです…」

「うわあ、変わってないなーガジェの奴…」

ガジェという人、リエルの友人だけあって相当あれな性格のようだ。

「あの、そのガジェってひとも、俺の…」

「ええ、ガジェ兄さまも王子ですよ」

「ガジェ……ガジェット=コーツ。第五王子だよ。レーシェルちゃんとは母親も同じなんだよね?」

「はい。ガジェ兄さまもわたくしと同じような見た目をしていますから、会議のときすぐ気付くと思いますわ」

同じような見た目。つまり彼にもこの不思議な羽が生えているということか。

「あの、その羽は…」

俺はレーシェルちゃんの薄緑色の半透明な羽に目を遣る。

「これですか?わたくし妖精族なんです。我がコーツ家は妖精の一族ですから」

「よ、妖精」

そんなファンシーなのも魔界にいるのか。

かわいい…、この上更に妖精だとか、反則級だろ。

「宙矢兄さま、リエルさま。そろそろ出発致しましょう。わたくしも兄さまも、会議に間に合わなくなってしまいますわ」

「ああ、そうだね。お願いするよ。宙矢に魔法をかけてやって」

レーシェルちゃんが一歩、俺に近づく。

「宙矢兄さま、動かないでくださいね」

「え、はい…っ」

レーシェルちゃんの白い指が俺の額を滑る。額の真ん中に円のような模様が描かれたようだ。

「はい、終わりです。これでゲートまで歩けますよ、兄さま」

「え、え?歩けるって…」

俺の困惑をよそに、リエルとレーシェルちゃんはバルコニーの手すりをふわ、と飛び越える。

リエルは片翼でちょっとふらつきながら、レーシェルちゃんは妖精の羽で美しく優雅に。

「えと、どうすれば」

「ほら宙矢、勇気を出して柵を乗り越えてみなって」

「お、落ちるんじゃ」

こちとらもう一人の妹のせいで高所がトラウマになりかけてるんだぞ。

「大丈夫ですよ兄さま、浮遊魔法をかけましたから。ここに見えない階段があるのだと思ってください」

レーシェルちゃんが手を差し出す。

「み、見えない階段…見えない階段…」

おそるおそる、その白魚のような手を取って、俺は柵を乗り越えた。

足元に何もない、恐ろしい感覚。落下したときのことを思い出す。

いや、いやだめだ、見えない階段が、あるのだと思って…っ。

「……ほんとだ、落ちない」

俺の足は空中で止まっていた。

「気を抜くと落ちますから、わたくしの手を取っていてくださいな」

「あ、ありがとう…」

レーシェルちゃんの手を握ったまま、俺はこの階段を上がり始める。

…これ、もしかしてすごく幸せな状況なのでは。

「宙矢ぁ、レーシェルちゃんはお前の妹だからなー?そういうのは無理だぞ」

「そそそういうのって何だよっ、変なこと言うな」

「ちょ、バランス崩すからやめて宙矢」

小声で余計なことを言ってくるリエルをしばく。別にそんな変なことは考えていない。

「俺はただ、兄姉弟妹きょうだいにまともな娘がいて良かったと思っただけで…」

それを聞いてレーシェルちゃんがふふっと笑う。

「聞きましたわ、アイハ姉さまに少々酷い目に遭わされたのですよね」

「少々じゃない気がするけどね…」

アイハ姉さまは、とレーシェルちゃんは言う。

「母方のお家を立て直すため、本気で次期魔王を目指していると聞きます。ですからきっと、心の余裕がないのでしょうね」

確かに彼女、余裕とか無さげだったな…。それだけ必死だったということか。

「そうか、家の問題とかあるよな。次の魔王になるように、母方の家のみんなからの期待を背負っていたりするのか」

「ええ、特に四大貴族の子ともなれば」

「…四大貴族?」

「あら、宙矢兄さまはご存知ないのでしたか」

レーシェルちゃんはリエルの方を見る。

リエルは腕を組んであー、と唸った。

「確かにその辺言ってなかったなー。ええとねー宙矢、魔界で大きな権力を持った家柄が四つあって、それを四大貴族って呼んでるんだ」

リエルの話はこう続いた。

四大貴族とはイェーベル家、ソルデッド家、天宮あめみや家、コーツ家の四つの家のこと。そして俺の兄姉弟妹きょうだいたち、つまり王子・王女たちの中には、この四大貴族出身の母を持つ者が何人かいるらしい。

「…もしかして、その四大貴族出身の奴らで仲が悪かったり、」

「うん、お前の兄姉弟妹きょうだいすごくぎすぎすしてるよー」

気が重くなってきた…っ!

「四大貴族は昔から王権を巡って争って来ましたから。今回の会議も、四大貴族を中心に、アイハ姉さまたちも加わって、大荒れの予感です…」

「うっそだろ…、関わりたくねー…」

ひしひしと嫌な予感がする。

「あれ、レーシェル…さんの家は、確か」

レーシェルちゃんはにこ、と天使の笑みで答える(本物の天使は隣にいるけど)。

「レーシェル、と呼び捨てでいいですわ兄さま。…ええ、わたくしは四大貴族、コーツ家の者です」

「そっか…、じゃあレーシェル…も、いろいろ大変なんだな」

「いえ、わたくしにはガジェ兄さまがいますから。王の座を期待されているのはガジェ兄さまの方です」

わたくしは今日は、末席で話を聞くだけですよ、というレーシェルちゃん…いやレーシェル。

うん、俺もそのスタンスを見習おう。兄姉弟妹きょうだいどうしの争いに巻き込まれたくない。

「ま、ガジェの奴が真面目に王様目指すとは思えないけどねー」

「ガジェ兄さまはあれ、ポーズだけですわね、絶対」

だからどんな人なんだ、ガジェットさん。

そんな会話をしているうち、前方に何かが見えてきた。

何だあれ?あの辺りだけ蜃気楼のように、周りの景色が歪んでいる。

「あれが魔界へのゲートです。今、開けますね」

レーシェルはその歪みに向けて手をかざす。

その右手につけた指輪が燦然さんぜんと輝き始めた。そうだ、さっきバルコニーから見えたのと同じ光。

「レーシェル、それは…?」

「通行証です。リエルさまも持っていますよ」

「俺のは指輪じゃないけどねー」

その光はだんだん大きくなって俺たちを包みこんだ。眩しさで何も見えなくなる。

そしてその光が収まったとき、

そこはもう人間界ではなかった。

空に太陽はない。

空自体、青色でも橙色でもなく、血を水で薄めたような薄赤色。

そしてその空には様々な形の羽で飛ぶ無数の影。

下を見れば、中世のヨーロッパ風、あるいは日本家屋、はたまた現代風の、建物が雑多に並んでいる。

その中に明らかにサイズ違いの建物がひとつ――禍々しい大きなお城。

「―――あれが」

レーシェルが俺の手を引く。

「はい、あれが王宮です。行きましょう、お二人とも」

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