第1部 第4章(2)鬼退治

 食堂で昼食を摂り終え、悟郎と幸乃の二人はお茶を飲んでいた。摂るのが遅くなったので、食堂で食べている人はまばらだ。そんな中、幸乃は悟郎に切り出した。

「鬼退治への出動要請が悟郎さんに来ています」

「鬼ですか」

 お茶を一口飲んでから、悟郎は幸乃に聞き返す。

「鬼です」

 幸乃は再度悟郎に告げる。

「荷が重くないですか? つい先日、現場に出たばかりのド新人ですよ?」

「分かっています」

 悟郎はもう一度湯飲みを口に運ぶ。窓から見える景色に目をやる。

「要請って言ったって拒否権ないんでしょ?」

「ごめんなさい」

「なんで幸乃さんが謝るんですか? まぁ、仕方ないですよね。いいですよ」

「ごめんなさい」

 幸乃は弱々しい声で言った。



 先日、市街地に鬼が出現、三名の民間人がその犠牲となった。退魔専門部隊が出動し、もう少しで退治できるというところまでいった。しかし、連携ミスから取り逃がし、部隊から一〇名弱の重軽傷者が出た。

 追撃したものの、追撃に当たった者たちだけでは戦力不足で、これ以上逃げられないように結界内に封じ込めるので精一杯だった。結界内と言っても、およそ一〇〇〇ヘクタールの広さがある自然公園の中だ。

 徐々に結界の範囲を狭めて、追い込んで撃退するという策が立案されたが、重軽傷者を出したこともあって手が足りず、御霊部からも人を出すこととなった。そして、幸乃や悟郎などが選出されたのである。


「僕、もしくは僕と幸乃さんはどういう状況に置かれているんですか?」

 鬼が足止めされている自然公園に到着して、幸乃と悟郎の二人に指定されたポイントまで歩いているとき、悟郎は切り出した。

 少し逡巡した素振りを幸乃が見せる。しかし、数歩進んだとき意を決して、話し始めた。

「悟郎さんと私が置かれている状況についてですが、あまり芳しくありません。その原因は悟郎さんが、というより私にあります。

 私は上の方にいる方から言い寄られてまして。断っても、断っても食い下がる訳です。直属の上司に伝え、上司も抗議をしてくれたそうですが、一向に態度を改めません。

 万理が生きているときは、万理がかばってくれました。しかし、万理がいなくなってからはかばってくれるものはいなくなりました。万理が西方に行き、召喚する任務に選抜されたのも、この方の意向が働いていると思います。それらしいことを口走っておりましたし。

 だから、万理の死については、私にも責任の一端があるのです。

 悟郎さんについては、剣術や体術で誰にも負けませんでしたよね? あれが、新参者のくせに生意気な、と癇に障ったようです。

 誤解がないように言っておくと、多くの人が悟郎さんについて反感を抱いているというわけではないのです。ただ、上の方の一部が悟郎さんを毛嫌いしているので、それに巻き込まれまいとしているようです。

 加えて、私と…その…仲良くしているのも気に入らないようです」


「要するに、幸乃さんに粉をかけてくる輩は、剣術か体術の師範連中の誰かってことでOK?」

「…ええと…」

 悟郎の推察は当たりのようだ。

「一人だけではないのです」

「馬瀬さんて、男たらしとか、はすっぱとか、あばずれとか、尻軽とかって言われたことがありますか?」

 悟郎は冗談めかして言った。そして「そんな訳ないじゃないですか!」と幸乃が言うのを期待した。

 しかし、悟郎の予想に反し、幸乃は自嘲気味に笑った後、

「いっそ、自分が男たらしであれば、良心の呵責もなく男をいいように操って、楽しく過ごせたかもしれませんね。

 あ! 指定のポイントはここですね。危うく通り過ぎてしまうところでした。

 煩わせてしまってすみませんが、気持ちを切り替えていきましょう」



 作戦行動開始の時間が来た。

 悟郎は槍を中段に構えて、幸乃の前を彼女のペースに合わせながら進む。

 幸乃は弓の代わりに今回は銃剣を取り付けた散弾銃を持ってきている。しかし、彼女の主任務は結界の結び直しである。そのため散弾銃は肩にかけられ、結界に用いている葉のついた青竹を持ち、進んでは止まり、進んでは止まり、その都度竹を地面に突き差し、結界の結び直しを行った。他のチームとの連携から少しずつしか進めない。

 高木の植わっていない場所での前進は比較的円滑にいったが、もう少し進むと森林の中に足を踏み入れることになる。悟郎は警戒を強める。特に、葉が生い茂って見通しの悪い樹上は要注意だ。目だけでなく、耳を澄ませ、辺りの気配を窺う。

 しばらくは特に異常はなく、順調に結界の結び直しをすることができた。


 三〇分くらい木々の生い茂る中を進んだろうか、悟郎が突然歩みを止めた。幸乃に背を向けたまま、幸乃を手で制す。

「樹上に何かいる」

 枝の上で何かうずくまっている。猿? いや、子ども?

「子どもみたいだけれど…」

「いえ。悟郎さん、それが鬼です」

 幸乃が静かに断言する。その言葉を聞き、悟郎は臨戦態勢に入る。

 その気配が伝わったのか、樹上にも動きがあった。ニタリ、と笑った気がした。と、矢のようにという形容が似つかわしく、予想以上の速さで悟郎に飛びかかってきた。

 何だこれ?!

 驚きながらも冷静に対処する。槍の穂先を持ち上げ、鬼を叩き落とす。

 鬼は背中から地面に落ちた。叩かれた衝撃と落下の衝撃とで通常であれば身動きがとれなくなるところだろうが、鬼はすぐに転がり腹ばいになる。悟郎を睨みつけながら、立ち上がろうとする。

 悟郎は鬼に槍を叩きつけ、あるいは突き、立ち上がるのを許さない。転がって避けようとするが、悟郎は逃がさない。鬼が着ていた服は破れ、血が飛び散る。それにもかかわらず、鬼の戦意は一向に衰えない。

 悟郎は鬼が仰向けになったのを見逃さず、腹を狙って槍を突く。しかし、鬼が避けて狙いが逸れ、横腹を切り裂くのみだ。一方、悟郎の槍は地面に突き刺さる。すぐに槍を手繰り寄せようとするが、その前に鬼に柄をつかまれた。体格に惑わされてしまうが、腕の力は悟郎と同程度以上で、押しても引いても、払っても、鬼の手を振りほどけない。

 鬼は歯を剥き出しにして笑った。悟郎の心臓がビクリと跳ねる。早く振りほどこうと不用意に槍を引いた。それが失敗だった。鬼を立ち上がらせるのに力を貸したようなものだ。


「離れて!」

 幸乃の声が響く。悟郎は躊躇わずに槍を手放し、飛び退く。幸乃が散弾銃を撃つ。散弾が何発か命中し、血が飛び散るが、鬼の動きを止めるには至らなかった。鬼は標的を悟郎から幸乃に変える。

 幸乃はフォアエンドをスライドさせて次弾を装填するが、照準を合わせる前に接近され、やむをえず、銃剣で突くとともに次弾を放つ。しかし、鬼はしゃがみ込み、難なく躱す。

 鬼が幸乃目がけて再度飛びかかろうとした瞬間、悟郎が声を上げて棒手裏剣を打つ。当たらなくても、牽制できれば御の字だ。鬼は幸乃からも悟郎からも距離をとる。その間に、悟郎は腰に佩いた陣太刀を抜き、幸乃と鬼との間に入る。

 悟郎と鬼が対峙する。悟郎は上段に構え、少しずつ間合を詰めていく。焦れたのか、鬼が正面から悟郎に飛びかかる。悟郎は踏み込みながら太刀を振り下ろす。鬼が苦鳴をあげ、その右腕が血をまき散らしながら地面に音を立てて落ちる。しかし、ひるまず鬼は悟郎の懐に飛び込んできた。

 悟郎は二の太刀を浴びせようと構え直している最中で、胴ががら空きだった。そこに鬼が飛び込んでいく。悟郎は胸部に頭突きを食らい、よろめいた。

 その隙に、鬼は悟郎には目もくれずに、幸乃を目がけて走った。悟郎が追いかけるが間に合わない。幸乃も悟郎が邪魔になって銃を撃てず、銃剣で刺突する。頭部を掠め、血が飛ぶが、それでも鬼は幸乃に迫り、左腕を横なぎにする。その衝撃により幸乃は吹き飛ばされる。


「しまった!」

 結界具だと知っているのか、地面に突き刺さっている青竹目がけ鬼が走る。これが破られれば、鬼が外に放たれてしまう! また人死にが出るかもしれない。

 くそ! 悟郎は追うが間に合いそうにない。

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