第1部 第4章(1)OJT

「悟郎さんは逢魔時って知ってますか?」

 幸乃が悟郎に質問をする。幸乃は弓を左手に持っているが、矢はまだ筒の中にしまったままだ。一方、悟郎は槍を持っており、それにもたれかかるようにしている。二人ともテッパチに戦闘服、ブーツという格好で、およそ魔物退治をするようには見えない。

「言葉としては知っているけれど、具体的にいつなのかは知らない」

 そう言えば、丑三つ時なんてよく聞くけれどいつなんだろう? 

「逢魔時は昼から夜へと移りゆく時間帯です、黄昏時という表現がぴったりな時間帯ですね。何もかもが曖昧模糊となります」

 悟郎はたそがれるのと曖昧模糊とが結びつかなかった。

 悟郎のきょとんとした表情に気づき、

「たそがれ、たそかれ、たれそかれ。『誰? あの人?』って言葉から来ています。一般教養ですよ」

 そうかな? 一般教養かな? 悟郎は少し引っ掛かったが、一々聞いていては話が進まないので自重した。

「その逢魔時がどうしたの?」

「逢魔時は読んで字のごとく魔物に遭遇しやすい時間帯と言われております。実際にはこの時間帯から日が明けるまでが魔物に遭遇しやすい時間帯です。なので、通常の哨戒任務は、この逢魔時の少し前より始めます」

「よく分かったけれど、何も現場でこんなレクチャーしなくてもいいんじゃない?」

「OJT、On the Job Trainingですから、現地でするのは当然です!」

 本当かな? 単に伝え忘れただけじゃないの? そんな指摘が口から出かかったが、すねると面倒くさそうさったので止めておく。

「普通の槍や太刀が魔物に通用するの?」

「あれ? 知らないの? あなたの剣術って対魔物用のものよ? それに、用意した槍や太刀も特別製よ」

「え? そうなの?」

 支給された槍や太刀などは、特殊な素材でできているようには見えなかったが。

 そう言えば、始祖の伝承に烏天狗に剣術を習い鬼を退治した、というのがあったな。関係があるのだろうか? 帰ったら師匠に聞いてみよう。


「間もなく日が暮れるわ」

 幸乃はそう言いながら、矢筒から矢を取り出した。悟郎は自分の時計を見る。六時ちょうどだ。

「初めてだから、先ずは現場の雰囲気に慣れて。そして、私の護衛に徹すること。離れてはだめよ。分かった?」

「了解」

 悟郎は気を引き締める。最初の任務ということで、悟郎と、悟郎のOJTを行っている幸乃は比較的出没可能性が低いところに陣取っていた。だからといって安心できるものではない。油断や慢心が綻びを生むことを悟郎はよく知っていた。

 悟郎は異常を見逃さないように注意深く観察する。闇が濃い気がするのは、元いた世界との比較でなのか、あるいは、自分が神経質になっているからなのか、悟郎には分からなかった。

 何か揺らめくようなものを見た気がした。その場所を注意して見ると、やはり何か揺らめいているように見える。そのことを幸乃に知らせようとすると、幸乃が無線機で交信していた。

「馬鹿じゃないの!」

 幸乃が交信相手を罵倒する声が響く。

「こちらに来る! 注意して! 一時の方向!」

 幸乃がイヤホンマイクから手を放し、矢をつがえながら悟郎に指示をする。方向は、悟郎が何か揺らめくものを見たのと同じだ。幸乃は弓斜め上に向け、引く。そして射た。鳴鏑矢が甲高い音をさせながら矢が飛んでいく。

 ロケット花火みたいだな。破裂する音はしないが。初めて聞く鳴鏑矢の音を悟郎はそう評した。

 効果がなかった模様で、依然として何かが近づいてくる。いや、鳴鏑矢を射たがためにむしろこちらに進路を変更したようだ。

 幸乃は続けて鳴鏑矢を放つ。

 居竦んだような気配がした。しかし、それでもなお近づいてくる。速度を上げた。幸乃の三射目は、対象をかすったが、その動きを止めることはできなかった。四本目を射ようとしたところ、悟郎が槍で打擲した。そして、同じように何度も何度も穂先を対象に叩きつけた。叩けば叩くほど、形を失い、闇の濃さは薄れ、そして散っていった。打擲したときには、確かに手応えはあったのに、後には何も残らなかった。

 幸乃が大きく息を吐いた音が聞こえた。

「今のは?」

「穢れとか瘴気とか言われるものです」

「倒せたの?」

「ええ。多くは鳴鏑矢で霧散するのですが、今回のは濃かったようですね」

「少し外してもいいですか? あまり遠くには行きませんので」

 悟郎の返事を聞かずに離れていった。無線機でやりとりをしているようだが、暗くてあまりよく見えないし、声も聞こえない。

 戻ってきたとき、幸乃は相当不機嫌な顔をしていた。

 何となく悟郎は状況を察した。

 この日は、これ以上何の異変にも遭遇しなかった。

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